第8話 衝突
クチカは毎日、書庫に通っている。
どうやら、本が気に入っているようだ。
ブラッドが今日の報告を終えると「王よ」と一言付け加えた。
「あの者が寂しがっておりました。公務で忙しいことは承知しておりますが、少し顔を見せていただけませんか?」
「そうか。そういえば、何日もクチカの顔を見てないな」
食材が入らない日が続くと、クチカに会うことはできない。気づけば、彼と顔を合わせなくなって、十日ほど経っていた。
先ほど、ようやく食材が入ってきたと報告があり、急ぎ『珠』を食べて腹を満たしたのだ。もう、会っても問題ないだろう。
「今から会おう。クチカは部屋か?」
「はい。その筈です」
ヴァンはブラッドと一緒に部屋を出て、クチカの部屋を目指す。
この廊下の角を曲がれば、クチカの部屋──というところで、話し声が聞こえてきた。声の様子から、話というよりも、言い争っていると言った方が、より正しいように思える。
ヴァンは手を挙げて、ブラッドを制止した。
物陰に隠れて、その様子をひっそりと伺う。
「なぜ、お前のような半獣奴隷が王に
「……それをボクに言われても、分かりません」
「オレはずっと、ずっと、王にお仕えするためだけに、何年も血反吐を吐く思いで努力した! なのに……なぜだっ!?」
クチカよりも少し大きな魔人の少年が、クチカの胸倉を掴んだ。それを見たヴァンは、顎をしゃくって、止めろ、とブラッドに指示を出す。
「そこでなにをしている」
ブラッドがそう声をかけると、二人はハッとして、声の主へ顔を向けた。
魔人の少年はその主が、王の側近だと知り、頭を下げる。
「……ブラッドさん」
「バカ! 頭を下げろ!」
クチカはいつも通りに、ブラッドの名を呼んだ。
それを聞いて驚いた少年は、慌ててクチカの頭を掴んで下げさせる。
ブラッドは、良い、と少年を止めた。少年はブラッドのその行動に対して、どうして、と眉をひそめながら顔を見上げている。
「そこのお前。この者に傷ひとつ負わせてはならないという通達は、聞いてないのか?」
「……聞いて、います」
「では、先ほどの行動はなんだ? 私が声をかけなければ、あの後どうしていた?」
「……申し訳ありませんでした。少し、頭に血が上っていたようです。止めていただきありがとうございました」
「そうか。気をつけよ。王の言葉は絶対だぞ」
「……はい」
魔人の少年はブラッドに一礼して、踵を返し、廊下を歩いて去って行く。
少年が完全にいなくなったのを確認してから、ヴァンは物陰から姿を現した。
「クチカ。大丈夫か」
「ヴァ……いえ、王様……」
「ヴァンで良い」
「で、でも、ここは廊下ですし……」
ちらちらとブラッドのほうを見るクチカ。
ブラッドは、ごほんと咳払いをした。
「王よ。この者の言う通りです。さぁ、部屋の中へどうぞ。私はここで見張りをしております」
「そうか。俺の味方はいないのか。仕方ないな。ならば、お前達に従うとしよう」
ヴァンは、くっくっくっと笑いながら、クチカの部屋の中に入った。部屋に置かれている簡素な長椅子に移動して、腰を下ろす。クチカが向かいの椅子に座ろうとしたので、ヴァンは自分の隣をポンポンと叩いて、ここに座れと合図した。
「最近、会えずにいたな。すまない」
「い、いえ。今日会えましたから」
クチカの尻尾が大きく揺れる。頬も少し色がついて嬉しそうだ。
「さっきは災難だったな。ああいったことは、よくあるのか?」
「いっ、いえ! こ、今回が初めてです」
クチカはヴァンから目を逸らす。その視線は部屋の隅へ移動した。それまで嬉しそうにしていた表情が一瞬にして曇る。
なるほど。クチカは、どうやらまだ嘘が下手らしい。先ほどまで嬉しそうにパタパタと揺れていた尻尾も、ぴたりと止まっている。
(……あいつの報告にはなかったな)
ブラッドが漏らしたり、省いたりするとは思えない。ならばきっと、目の届かないところで、なにか言われているのだろう。
クチカもまたブラッドにそういうことを言わないのだろうな。生まれてからずっと奴隷だった彼は、誰かを頼ることに慣れていない。
──傷ひとつ負わせてはならない。
クチカを連れて城に戻ってから、重臣達を玉座の間に集め、そう伝えたはずなのだが、なにかがおかしい。身体的なものじゃなければ良いと思われている可能性がある。
ブラッドの他にもうひとり、クチカを見守る者が必要かもしれない。
(クチカと同年代くらいの者を選ぶか……そばにいても違和感のない者を)
ヴァンはその考えを一旦、頭の隅へ置いておくことにした。今は隣にいるクチカと久々の会話を楽しむことにする。彼が淹れてくれた茶を飲みながら、ゆったりとくつろいだ。
「今日はなにを学んだ?」
「算術の本を読みました。少し難しかったけど、わかると、とても面白いです。バラバラになった絵を組み合わせているような感覚で……」
「そうか。お前は算術の才があるのかもしれないな。ブラッドが喜ぶぞ」
「ブラッドさんが? どうしてですか?」
「あいつに頼んでいる書類にな、算術を使うものが多いのだ。ブラッドは身体を動かすことは得意だが、机に向かって作業することは少し苦手なんだよ」
大きな図体が、机に向かって小さくなっている姿を思い出し、ヴァンはくっくっと笑う。
クチカは手を口元に当てて、なにかを考えているようだった。
顔を上げると、ヴァンの瞳をじっと見つめる。
「……算術が得意になったら、ボクはヴァン様の役に立ちますか?」
「それはもちろん。大いに助かるぞ」
「他にはなにがありますか? ブラッドさんが苦手なこと……」
「そうだな……。あいつは生まれも育ちも『魔ノ国』だ。人間や獣人の言葉や習慣も苦手だろう。壁で隔てているとはいえ、国と国との交流がないわけではないからな。やり取りの際には、苦労しているようだ」
「言葉……?」
クチカは目をぱちくりとさせている。壁のあちら側とこちら側で、言葉が違うことに気づいてない様子だ。
「ああ、そういえば言ってなかったな。壁を越えるときに、俺がお前を抱えただろう? あのとき、お前にはこちらの言葉が分かるように、俺の魔力を流しておいたんだ」
「そうだったんですか。気づかなかった……あれ? でも、それならヴァン様が、ブラッドさんに力を流したら良いのではないですか?」
「魔力を持つ人間に俺の力を流すのは、場合によっては死に至らしめる。力の形が合わないと死んでしまうんだ。その点、人間や獣人に一方的に力を流すのは
「へぇ~……」
クチカの目が輝く。
また新たなことを知った喜びからか、空色の瞳が瞬いた。
この後もクチカは、あれが楽しかった、これが楽しかったと嬉しそうに話す。ヴァンは時折、小さく頷いて相槌を打った。
とても楽しいひととき。このときがずっと続けばいいと思う。
クチカはカップを持ち上げ、口をつけた。茶をこくりと一口飲む。そのとき、彼はなにかを思い出したようだった。こちらを見上げて、口を開く。
「そういえば、ヴァン様。『
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