第32話 本当の名前
城を出て、歩き始めて数日。
『仲間』の三人は監視役とはいえ、魔王を殺すためには彼らとの協力は必須だ。
リカは、あの三人に思うところはあるものの、交流も必要だと思ったのか、気になることを甲冑の男に尋ね始めた。
「あの……魔ノ国を目指すのはいいんですけど、あの壁はどうやって越えるつもりなんですか?」
「壁か。あれは登ることは不可能に近い。そこでこの半獣魔のこいつが役に立つ」
「半獣魔ということは……獣人と魔人の……?」
「ああ。魔人には魔力がある。こいつの力を使って、魔ノ国との境目を中和して中に入るんだ」
「魔石じゃ駄目なんですか?」
「魔石は魔ノ国側が一定の量しか輸出しないから、数に限りがある。ここで消費するのは得策じゃないと、王は考えているようだ」
そんな話をしていたら、後方から声が聞こえてきた。
そばかす眼鏡の薬師だ。ふらふらしながら、か細い声で、待ってくださいと言っている。どうやら、この者は体力がさほどないらしい。
甲冑の男は周囲を見回して、木陰のある場所を見つけると、一度休憩をしようと皆に声をかけた。甲冑の男と半獣魔と薬師が集まって座り、リカは自分のほうへ寄ってくる。彼らに背を向けて座ると、リカが話しかけてきた。
「ヴァンさん、無理はしていませんか? そもそも、貴方はオレに巻き込まれただけだから、魔王討伐隊から抜けたくなったら、自由に抜けてもいいんですよ」
「ああ。そうだな。抜けたくなったら、抜けることにする。だからお前もあまり気にしなくていい」
抜けていいと言いながら、自分の答えを聞いたリカの顔は、ほっとしている。心を許す相手も、落ち着ける場所も、なにもない彼に取って唯一、そっと息を吐ける場所なのだと、そんな気がした。
**
──白く大きな星が暗闇の中で輝く夜。今日は小さな町の宿に泊まることになった。連日、野宿だったのでありあがたい。宿の近くに町人達が利用している風呂屋もあるので、そこで汗と泥を流すことにした。
ヴァンも風呂に入るために服を脱ぐ。頭のターバンを外そうとして、布の上から硬い角に手が当たる。
(角は……幻影で隠すか)
五百年の時が経ち、人族の国では、奴隷という制度自体はなくなった。しかし、獣人や半獣を差別すること自体は、まだ色濃く残っている。
そのため、半獣魔の者は人族とは違う風呂へと案内されていた。彼がここにいたら、幻影を使った瞬間、自分が魔の者であることがわかっただろう。風呂が別々になったのは幸いだった。
ターバンを解くと同時に魔力を使用する。これでリカにバレることはないだろう。
いつも隠れていた闇色の長い髪がばさりと落ちた。続けて服を脱いでいると、リカが、ぼーっとしてこちらを見ている。
「リカ? どうした? 手が止まっているぞ」
「……やっぱり、ヴァンさん……いい身体してますよね」
そう言って、リカは自分の身体を見た。その後で、もう一度こちらの身体を見てくる。彼の身体も十分に引き締まっていると思うが、ないものねだりというやつだろうか。リカのじりじりとした熱い視線が肌に刺さる。
「お前……そういう視線を送るのは、好きな相手だけにしておけよ。勘違いされるぞ」
「へ……?」
自分が、いまどんな顔をしているのか自覚がないのかもしれない。リカは頬を染め、空色の瞳の奥には情欲の炎がチラチラと見え隠れしている。
(もう腹は空かないのだがな……性欲なら普通にある)
最愛の番によく似た青年に、情欲の視線を送られると少し困る。クチカに操を立てているわけではないが、煽られると、長年眠っていた欲に火がつきそうだ。
ヴァンはリカの頭をぽんっと叩くと、先に行く、と言って大浴場へ続く扉を開け、中に入っていった。
大きな湯の中に入る前に、身体を擦って垢を落とす。髪もしっかりと洗い、水気を絞ると、腰に巻いていた布を外して頭に巻いた。髪が落ちてこないことを確認してから、湯につかる。ヴァンは、ふぅと息を吐いた。
ヴァンが湯につかって少ししてから、身体を洗い終わったリカも湯の中に入ってくる。甲冑の男とそばかす眼鏡の男は、湯の中に入るよりも早く宿で寝たいようで、身体を洗い終わるとそそくさと出て行った。
自分達を見張らなくて良いのかと思ったが、きっと出入り口で半獣魔の者が待機しているのだろうと予想がつく。自分達の他に利用する者はおらず、広い風呂にリカとふたりきりになった。
「…………」
リカがなにか言いたそうに、ソワソワしている。しかし、ヴァンはリカが言い出すまで、素知らぬふりをした。湯の水の音だけが静かに響く。意を決したリカが口を開いた。
「ヴァンさん……あの……ちょっと聞いてもらいたいことがあるんですけど、いいですか?」
「なんだ?」
「ずっと伝える機会がなくて、ほんと今更って感じなんですけど……オレの名前、実は『リカ』じゃないんです」
「突然どうしたんだ」
「ほんと、突然ですよね。すいません。でも、今じゃないと言えない気がして。オレの本当の名前を知ってるばーちゃんもいなくなっちゃったし……だからなのかな? ヴァンさんには、オレの名前を知っててほしいって思っちゃったんです」
「そうか。そういうことなら……聞いてやらなくもないぞ? さあ、言え」
ヴァンが偉そうに返事をすると、リカはくすくす笑った。笑顔のまま、こちらを見て続きを話す。
「オレの名前は、リカじゃなくて……『クーチェリカ』なんです。リカは後ろの文字を取った愛称なんで──んっ!?」
湯がザバッと大きな音を立てる。
ヴァンはリカの頭を掴んで、唇を重ねていた。
「ふっ……んっ……んんっ」
「ク……チ……っ」
(クーチェリカ……クーチェリカ……クチカ)
白い髪、空色の瞳──その名前。
やはり、創造主というものは存在しているのだろう。そいつは自分を翻弄して遊んでいるに違いない。空高く、もっと高い場所、遥かな高みから見下ろして、右往左往する自分を見て、手を叩きながら笑っているのだ。そうでなければ、こんな偶然なんて起きるはずがない。起きるはずもないんだ。
クチカの魂は自分の中にある。なのに、目の前の青年は、クチカの生まれ変わりのように思えてならない。彼を守りたい気持ちが生まれるのも、高みから覗いている奴らが、そう思わせているような気がしてならない。
(それでもいいさ。俺はそれに全力でのってやる……)
「っ……んぅ……ヴァン、さ……」
「クーチェリカ。風呂を出よう。……宿に戻るぞ」
「う、うん」
ザバッと立ち上がって湯から出る。身体を拭いて、着替え、宿に戻った。宿の部屋割りは、リカと自分が同室だ。部屋に戻ると、リカの腕を引っ張りベッドに押し倒す。
「ヴァン……さん……」
「……黙ってろ」
「ふっ……んっ……んんっ」
もう一度、リカと唇を重ねる。遠い昔すぎて、クチカと交わした口づけの感触は、とうに忘れてしまった。目の前の青年のような柔らかい唇だっただろうか。
ヴァンはクチカのことを思い出しながら、口を開いて、リカの舌を受け入れるのだった。
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