第27話 リカと村
老婆からの指摘にヴァンは驚いた。──が、なんとなくそう言われるのではという予感はあった。ふっと笑みを浮かべて返事をする。
「そうだな。人間ではないな。よくわかったものだ」
「……やはりそうか。村にお主が来た途端、空気が変わったからのぉ。して、目的はなんじゃ? この村には、なにもないぞ」
「目的? なにもないさ。ただ俺はここに連れて来られただけだ。あいつに」
ヴァンは部屋の出入り口に目をやる。そこには、盆に茶を載せて運んできたリカがちょうど現れた。盆の中で、茶の入った器をカチャカチャと音を立てながら、ゆっくりと運び、卓の上にそれを並べ始めた。
「何なに? なんの話?」
「なにもない村に、俺がなぜ来たのかと聞かれていたのさ」
「あー……そりゃそうか。ばーちゃん、オレ、この人に串焼き代を借りてるんだ。それを返そうと思って、家まで来てもらったのさ」
「串焼きぃ? なんじゃ、リカ、また隣町まで足を伸ばしていたのか」
「うん。あそこの串焼き美味しいから、どうしても食べたくなっちゃうんだよねぇ」
へへへ、と笑って、頬をかく。その仕草にもまた懐かしさを感じて、ヴァンは、ふっと微笑んだ。それを見た老婆は、ふむ、とうなずいた後、リカの淹れた茶に手を伸ばし、口をつける。
「どうやら、この村に害をなすような人物ではなさそうじゃの」
「ばーちゃん、オレはそんな人は連れて来ないよ。人を見る目は確かだと思うし」
「そうじゃったか?」
「そうだよ!」
リカと老婆が他愛のない話をする。出会ってまだ半時も経っていないが、老婆とリカはお互いが大事に思っている間柄なのだろう、ということは伝わってきた。ふたりのやり取りを聞きながら、時折、ヴァンは茶に口をつける。
三人の茶がなくなる頃に、そろそろ行こう、とリカが声を上げた。ヴァンもリカに続いて席を立ち、老婆の家を出る。老婆は、戸の前に立つと、手の代わりに杖をぶんぶんと振って見送っていた。
「ヴァンさん。オレの家はこっち」
リカが老婆の家から少し離れた場所を指さす。その家は、村からほんの少し外れた場所にあった。ヴァンはその不自然さが気になったものの、部外者の自分が深く関わるわけでもないからと、問いかけるのを止める。
リカの家は、こじんまりとしていた。小さな家だが出入り口がふたつある。今入ってきたところと、その反対側にも引き戸があった。
(……こういうもの……なのか?)
小さな違和感。なんとなく気になってしまう。ヴァンは、その疑問が素通りできず、リカに聞いてしまった。
「なぁ……この村では、家の出入り口は二つ作るものなのか?」
「ん?」
リカは、なにを疑問に思われているのか、わからないようだった。ヴァンがもう少し説明を加えると、ようやく理解する。リカにとっては、これが当たり前の状態で長年生きてきたし、村の人達もなにも言わないので、気づかなかったらしい。
「そう言われると、オレの家だけ……かも? ばーちゃんの家も出入り口はひとつだけだなぁ。多分だけど、家を建てるときに、父さん達がばーちゃんになにか言われたのかも?」
「家のことにも、口を出すのか? あの人は」
「村に来たときにも言ったけど、占い師だからね。ばーちゃんは星を見て占う。オレ達が難に合わないように、と色々教えてくれるんだ。実は……オレの名前を付けたのも、ばーちゃんなんだよね」
「お前の名前も……?」
「あっ、と、いけねっ! オレ、初めて会う人になに言ってんだろ。ごめん。なんか、ヴァンさんって話しやすくて、色々喋っちゃうな」
リカはヴァンに向かって、ちょっとそこにでも座ってて、と声をかけた。ヴァンは言われた通りに、小さな卓のそばに座って待っている。部屋の隅で、ごそごそと探し物をしているようだった。チャリッと小さな音が聞こえる。リカはヴァンの前に来ると、その音を立てたものを差し出した。
「はい。串焼き代。ありがとうね」
「それはいいと言っただろう」
「いやぁ……なんか、ちゃんと返さないと気持ち悪くって。オレのためにも受け取ってよ」
「……わかった。そう言うのなら、受け取ろう」
ヴァンはリカの手から、金を受け取った。それを一旦、腰布の隙間に入れ込む。村に着いた頃にはまだ明るかった空は、陽が落ちて真っ暗になっていた。今日はもう遅いからと、このままリカの家に泊まることにする。
「この家に風呂はないんだ……ごめんよ」
「旅には慣れているから、気にするな。身体が拭けるだけありがたい」
水を張った桶と身体を拭きあげるのに、ちょうど良さそうな布を渡される。布を水に浸し、軽く絞ってから、顔や腕を拭く。マントを外し、薄汚れた服を脱いでから、首やお腹周りを拭いた。脇の下も拭いていると、リカの刺さるような視線を強く感じる。
(凝視されている……?)
どこか気になる部分でもあったのだろうか。聞くついでに、背中を拭いてもらおうと、ヴァンは口を開く。
「リカ。どうした? どこか汚れているところでもあったか?」
「え。あ、いや!」
「あと、すまないが……背中をちょっと拭いてくれないか?」
「う、うん。わかった」
リカは布を受け取ると、ヴァンの背中を拭いていく。シン……とした部屋の中で、布が擦れる音だけが響いていた。
「ヴァンさんって、身体……引き締まってて、かっこいいね」
「そうか? 特別、意識して鍛えたりしてはいないが……」
魔力があるから、剣を振るったりすることも少ない。人族の国にこうやって入り込んだときは、人前で力を晒すわけにもいかないので、困らない程度に動けるくらいだ。
リカの手が、自分の背中にそっと添えられる。手のひらから、彼の熱が伝わってきた。じわじわとそこから広がっていく熱に、ヴァンはなんとも言えない感情が湧き上がりそうになる。言葉にできないそれの正体を考え始めたとき、リカが口を開いた。
「なんだろう……? ヴァンさんを見てると、なんだか懐かしいような、悲しいような、そんな気分になるんだ」
ヴァンは、くくっと笑う。
「リカ。それを言う相手は、俺じゃないだろう?」
「え? なに?」
「そういう口説き文句は、女に言うものだ」
「く、くどっ!? あ、いや、違うよ! そんなつもりで言ったんじゃなくて!」
背中で慌てている気配を感じる。ヴァンは、更にくくくっと笑った。ふり返ると、顔を真っ赤にしたリカが、眉を下げてこちらを見ている。
ヴァンは思わず彼の頭をわしわしと撫でた。リカは、驚いて目を見開いている。その反応を見て、あ、と頭を撫でた自分の手を見つめた。
「ああ……すまん。俺もお前に似たような奴を知っていてな。つい……」
「ヴァンさん……それって、オレを口説いてる?」
リカが、にやりと笑って反撃をしてきた。自分がやられたように、ヴァンも恥ずかしがるといい、と言わんばかりの表情を浮かべている。ヴァンは、ふっと微笑んだ。
「もし、そうだ、と言ったらどうする?」
「──ふぁっ!?」
リカを返り討ちにする。彼の顔はみるみるうちに真っ赤になった。それを見たヴァンは身体を震わせて笑う。笑い続けるヴァンを見て、リカは地団駄を踏んだ。
(こんなに笑ったのは、五百年ぶりだ)
懐かしい空色の瞳を持つ青年のおかげで、クチカを失ってから真っ暗だった自分の人生に一筋の光が差し込んだ気がした。
彼のおかげで、ヴァンは久々に楽しいと思えるひとときを過ごせたのだった。
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