第24話 王の晩餐

「オレの心臓を捧げる……」

「ええ。貴方ができなければ、王はこのまま死んでしまうでしょう。王が死ぬか、貴方が死ぬか。道はふたつにひとつです。どうしますか?」


 クチカは一度目を閉じる。そのとき、強い風が吹いて赤茶色の草がカサカサと揺れた。彼の白い髪もふわりと揺れ、その毛先が頬の辺りを撫でたとき、ゆっくりと目を開いて、決意を固めた声を発する。


「オレの心臓をヴァン様に捧げます。だって、オレはこの方の家畜ですから」

「……わかりました。では、しばらくの間ここを離れます。覚悟が決まったら、声をかけて下さい」


 ブラッドはそう言うと、この場から離れて行った。ヴァンとクチカの会話は聞こえないけれど、視界には入る距離の辺りで、足を止めた。

 草花が小さく揺れる。クチカがこちらを見て、にこりと笑い、口を開いた。


「ヴァン様……ようやく、オレは貴方の役に立てるようです」

「ぐっ……ッッ」


 ──駄目だ。嫌だ。逃げてくれ。

 何度もそう思っているのに伝わらない。歯痒さで頭がおかしくなりそうだ。


 苦しむヴァンの姿を見たクチカが、失礼します、と一声かけて、顔にかかっていた髪をかきあげてくれた。視界が開けて、クチカの顔がよく見える。彼は少しだけ眉を下げながら、口を開いた。その口から紡がれる言葉は、別れの言葉。


「ヴァン様。あの日、オレを奴隷商店から連れ出してくれて、ありがとうございました。あのままあそこにいたら病にでも罹って、すぐにでも死んでいたでしょう。商店の外は、眩しくて……でも、美しくて、広かった。初めて食べた肉の串焼きは、美味しかったなぁ。オレの名前を付けてくれたとき、初めは驚きましたけど、生まれて初めて自分だけの物が手に入って嬉しかったです。母さんは……別れが辛くなるからと、つけてくれなかったから……」


 クチカは語り続ける。彼の人生で楽しかったこと。嬉しかったこと。自分はそれをただ聞くことしかできない。


「魔ノ国に来てからも楽しいことばかりでした。本を読み、新しいことを知る。身体も鍛えれば、強くなることがわかっていった。あ、祭りも楽しかったなぁ~! ヴァン様と見た城下町の風景、あと一緒に回って、串焼きも食べて、楽しいことだらけだった。だから、オレに悔いもやり残したことも、なにもありません」


 空色の瞳が、ジッと自分を見つめている。


「夢みたいに楽しいひとときをありがとうございました。オレは……ヴァン様、貴方にとても感謝しています。ただ、最後にひとつだけお願いしてもいいですか? 最期はヴァン様の顔を見て、死にたい。あと、少し怖いから手を繋いでてもいいですか? って、すみません。お願いがふたつになってしまいました」

「だ……ッ! ぐッ」


 駄目だ。死ぬことは許さない。そう言いたい。なぜ、どうして、この口は喋ることすらままならないのか。クチカもきっと、自分がなにを言いたいのかわかっているだろう。少し悲しそうな顔をにこっと向けた。


「ブラッドさん!!」


 クチカが大声を上げて、ブラッドを呼ぶ。さくさくと草原を歩く足音が近づいて来た。


「覚悟は決まりましたか?」

「はい。あの……できれば、痛みが長引かないように、お願いできますか?」

「わかりました。可能な限りそうしましょう」


 クチカが隣に寝転んだ。そっと手を伸ばし、自分の右手を握りしめてくる。

 そこでようやく、彼が小刻みに震えていることに気がついた。


「へへ……やっぱり、死ぬのはちょっと怖いですね」


 眉を下げて、耳を下げて、少し目を潤ませて、クチカは続けて口を開いた。


「オレに外を見てこいって言ってくれたのに、行けなくてごめんなさい。もし、ヴァン様がオレの心臓を食べて、本当に永遠の時間ときを生きることができるようになったなら……代わりに、外を見てくれませんか?」

「く……チ……ッ!」

「きっと、オレはヴァン様の中で、これから生きていくと思うんです。だから……それなら……また、この国に来たときのように、楽しい旅が待ってるって思ったら……少しだけ怖かった死が怖くなくなりました」


 クチカは笑顔を浮かべる。一筋の涙が頬を伝っていった。


「ヴァン様。今までありがとうございました。そして、これからはずっと一緒ですね。オレは死んでも貴方を愛してます」


 クチカのその言葉を合図にするように、ブラッドの拳が、彼の腹にドンッと落ちてきた。ブラッドは自分の魔力を解放し、クチカの身体を痺れさせる。それから、刃物のように鋭い爪を伸ばして、その胸に突き立てた。

 ブラッドが力を入れた声と共に、ぐじゅりと音がする。クチカの胸にずぶずぶと手が埋まった。そして、すぐにその手は引き上げられる。


 ──我が番の心臓を持って。


 ドクン、ドクン、まだ脈打つそれから、ヴァンは目が離せなくなった。大きく見開いて、はぁはぁと息が荒れる。腹が急に、グルグルと唸り声を上げた。

 ブラッドが自分の目の前に、クチカの心臓を差し出してくる。


「さあ、王よ。食べて下さい。最後の晩餐です」


 自分の顔に、ボタボタと血が滴り落ちる。落ちた血が口の中に入った。芳醇な香りが口いっぱいに広がる。抗うことのできない欲が、自分の身体を支配した。

 ヴァンはガバッと起きる。それまで動かなかったはずの身体が動く。ブラッドの手からクチカの心臓を奪い取ると、夢中で食べた。まだ脈打つ心臓を噛みちぎって、くちゃくちゃと荒く噛んで、嚥下する。

 まるで獣。肉を喰らう魔獣のようにクチカの心臓の肉を食べて、食べて、一欠けらも残さず食べつくして、そこでやっと理性が戻った。


「あ……俺は……」


 血まみれの両手を見て、それから自分の隣に横たわっている者を見た。

 光を失った空色の瞳。微笑んだまま、変わり果てた姿になった半獣の少年。


「クチ……カ。クチカ……ッ」


 名前を呼んでも、クチカは動かない。それもそのはずだ。生命の源である心臓を食べつくしたのは、他でもない自分なのだから。


「あ……ああ……」


 腹は満たされた。もう飢餓に狂いそうになることもない。悪夢にうなされることもきっとなくなるのだろう。だが、しかし、この悪夢のような現実はなんだ。

 クチカはもう動かない。声も、笑顔も、これからの彼の成長も、なにもかも失ってしまった。最愛の者を失くしてしまった。


「あ……あ……」


 ヴァンは、クチカの亡骸をそっと抱きしめた。彼の肩口に顔を埋めると、声にならない声を上げる。体中から、紫煙が溢れ出す。ブラッドはその場に跪いて、頭を垂れていた。


 赤茶色の草原に風が吹く。白い髪を闇色の髪が覆いつくすように重なって、ただ静かに揺れていたのだった。


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