第10話 王の言葉

 クチカと年の近い者を『見守り』としてつけ、数日が経過した。

 付かず離れずの距離を保って、ただ見守る。それがその者の仕事だ。


 ブラッドが部屋にやってきて、見守りからの報告を告げる。

 それを聞いたヴァンは、椅子から勢いよく立ち上がった。


「ブラッド。それは本当なのか?」

「はい。どうやらそのようです。誠に申し訳ございません」


 ブラッドが頭を下げる。彼の頭のつむじを見ながら、ヴァンは右手を強く握りしめた。

 報告によると──クチカは何度も虐められている。


 あるときは、頭を掴まれ、樽いっぱいに張った水の中に、顔を何度もつけられていた。呼吸が苦しくなったところで顔を引き上げられ、すぐまた水の中に顔を突っ込まれる。クチカが気を失うまで、それは続けられていた。

 またあるときは、服を剥ぎ取って晒し者にされていたようだ。裸になったクチカ見て、彼らは、クチカの尻尾に目をつけた。このふわふわとした尻尾ならば、腫れても目立たないだろうと、当たりをつけたらしい。すり潰すように、思いっきり踏みつけた。

 獣人の尻尾は、弱点のひとつだ。それを知りながら、繰り返し踏み続けた。クチカは悲鳴も上げず、ただひたすら歯を食いしばって、耐えていたようだった。


 ──傷をつけてはならない。

 それはつまり『傷』さえ、つけなければいい。

 もしくは、目立たなければいい。

 

 他にも、言葉の裏をかいたような暴行がいくつも加えられており、ヴァンは腸が煮えくり返る思いだった。人の運命をなんだと思っているのか。激しい怒りがこみ上げる。


「この状態であれば、暴言はもっと多いのだろうな」

「……はい」

「そうか。俺は侮られているのか?」

「…………」

「……そうか」


 爪がギリギリと手のひらに食い込んで、次第に血がポタポタと滴り落ちた。絨毯には、どす黒い紅の染みが点々とできていく。

 紫煙がゆらゆらと身体から溢れ出た。それは部屋全体に広がって、ブラッドが苦しそうな顔を見せる。どうやら、気づかぬうちに魔力による圧をかけてしまったらしい。

 ヴァンはふっと力を抜いて、その圧を解いた。


「重臣、クチカに暴行、暴言を働いた者。そしてこの者達の親族を中心に、広間に集められるだけ集めろ。もう一度、俺の言葉をしかと聞かせなければならないらしい」

「──ハッ!」


 ブラッドは返事をすると、部屋を出て行った。

 ヴァンはどさりと椅子に座って、ふーっと深い息を吐く。

 控えの者がこちらに近づいてきた。自分の手を軽く持ち上げたかと思うと、白い布をあてて血を拭い始めた。


(怒りで震えが止まらない……)


 目の奥が焼ける。激情のままに、クチカを傷つけた者を襲いかかりたくなる。


(落ち着け、落ち着け、いや……落ち着く必要があるのか?)


 彼らの処分が甘ければ、そのしわ寄せはクチカにいく。それは、あってはならないことだ。ヴァンはゆっくりと瞳を閉じて、報告にあった者達の処分をどうしたものかと思案した。


「…………」


 クチカを守りたいのであれば、侮られてはならぬ。

 侮られない王でなければならない。


 手当てを終えた控えの者が、頭を下げて消える。部屋に静寂が訪れた。

 ヴァンはじっと一点を見つめている。

 召集をかけた者達が集まるまでの間、処分のことについてずっと考えていたのだった。


 ***


 城の大広間──玉座の間。

 天井には、豪華な装飾が施されている大きな照明が吊り下げられており、その照明の中央には、魔石が置かれていた。魔石は薄く青みのある光を放って、広間の全体を照らし出す。

 その照明の真下に、召集の命を受けた者達が集まっている。


 ヴァンは大広間の扉の前に立つ。広間の中の落ち着かない様子が、ここまで届いてきた。ブラッドが静粛に、と言っている声が聞こえる。ざわつきが収まり、静かになったところで、控えの者が扉を開ける。ヴァンは扉の向こう側へ、足を踏み入れた。

 シン……と静まり返った広間では、皆、片膝をついて頭を下げている。コツコツと歩く音だけが響く。ヴァンは、檀上の椅子──玉座にゆっくりと腰をかけてから、顔をあげよ、と声を発した。


「急な召集をかけてすまない。突然のことに驚いた者も多いだろう。そこに関しては皆に謝る。少々、困ったことが起きてしまってな。それで皆を呼んだのだ。実は、私が連れ帰った奴隷──クチカのことについて話がある」

「…………」

「私は『傷ひとつ、つけてはならない』と伝えたはずだ。そのように伝わっていると思っている。なのに、何故か、不思議なことが起きた。どうやら、『傷をつけなければ、なにをしても良い』と思われているのようなのだ」


 その瞬間、数人の身体がぴくりと跳ねた。他の者達は、なんのことだと互いに顔を見合わせて、首をかしげている。


 ヴァンは力を解放し、身体から紫煙を溢れさせた。その煙のようなものは、広間全体を包み込むように、じわじわと広がっていく。

 この場に集められた者達は、苦悶の表情を浮かべた。冷汗をかき、カタカタと震えはじめる。魔力の圧に、皆は恐怖を感じているようだった。


 ヴァンは一度目を閉じた。それから、ゆっくりと目を開く。

 魔力を流し込んだ眼球が、白から黒へと変化していた。

 金色の瞳はギョロッと動き、クチカに暴行、暴言を発した者達を捕らえる。

 瞳に捕まった者達は、真っ青になって顔を歪ませていた。


 ヴァンは右の人差し指をクイッと上に動かす。

 瞳に捕まった者達は、一斉にぐんっと宙に浮いた。浮いた者達は、ひっと小さな声を上げて、足を動かしバタバタと暴れはじめる。

 浮いた者達の家族は、自分の子どもや兄弟が突然宙に浮いて、一体何事だ、と困惑した様子で見上げていた。


「ブラッド。私はクチカに傷を負わせたら、なんと言っていたかな?」

「ハッ! 傷を負わせた者の首をねると」

「そうだったな。……なぁ、私の言葉は軽いのか?」

「いえ。貴方様の言葉は絶対です」

「そうか。ならば、この者達の首を刎ねなくてはな」


 ヴァンは、人差し指を左から右にスッと動かした。躊躇することなく、それを実行する。宙に浮いた者達の首が一斉に吹き飛んだ。首から血が噴き上がり、血飛沫を浴びた者達は悲鳴をあげる。胴体から離れた頭部は、床をごろごろと転がって、まるでひれ伏すかのように玉座の前で止まった。


「お前達、もう一度、再度、伝えておく。クチカに傷ひとつ負わせてはならない。傷を負わせた者は、このように私が首を刎ねる。良いな?」

「「──ハッ」」

「そなたらのことも、私は大切に思っている。しかし、私の言葉が軽んじられるようでは困る。王の言葉は絶対だ。次がないことを願う」


 ヴァンは玉座から立ち上がった。壇上を下り、広間から退出するために移動する。

 そのとき、背中に強い憎悪を感じた。首を刎ねられた者達の家族だろう。殺されるほど酷いことをしたのか、たかが半獣の奴隷ではないか、という怒りがぶつかってくる。


(やりすぎ、かもしれないな。しかし、甘くすればクチカが苦しむことになる。此度は見せしめとして殺した。今後は、その効果に期待するとしよう)


 魔を束ねる王。

 魔の血を受け継ぐ──最後の王。


 優しさだけでは、この国を治めることは出来ない。

 時には、心を冷徹にすることも必要だ。


 大切なものを失くしてからでは遅い。

 クチカを失ってからでは遅いのだ。


 我が運命──彼を守る手立ては、最大限に打っておくとしよう。

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