第28話 早朝

 空を覆っていた闇が溶け始め、鳥のさえずりが聞こえる。ヴァンは、その声で目を覚ました。隣りでは、リカが寝ていて、すーすーと規則正しい寝息を繰り返している。彼の睡眠を邪魔しないように、そっと布団から這い出て、家の外へ出た。


 少し肌寒いが、空気が澄んでいる。ヴァンは、目を閉じ、深呼吸をして、少しだけ魔力を解放した。力を薄く広く伸ばす感覚で辺りを探る。間者を送られるようになってから、こうやって定期的に索敵さくてきすることが習慣になっていた。

 遠くで何かが動いている。複数。──ヴァンは意識を集中させた。


(……これは、馬か?)


 耳に力を込めると、重量のある動物が、何頭か固まって移動している音がはっきりと聞こえる。静かな朝には、不釣り合いな集団だ。

 昨日、リカと会った町に向かっているのだろうか。あそこは王都に続く街道沿いの町だから、伝令など、急ぎの者が馬で走っていてもおかしくはない。しかし、ドドド、と地鳴りのような音と一緒になって、こちらに近づいている気がする。

 

(もしや、この村に向かっているのか? ……ん? あれは?)


 ヴァンは力の解放を止めて、まぶたを開いた。すると、村の道をこちらに向かって歩いている者が見える。老婆だ。杖をついた老婆が、慌てたように歩いていた。

 彼女は、家の外に出ていたヴァンに気づいたらしく、杖を振って呼んでいる。ヴァンは、老婆に駆け寄った。


「そなた……随分と早起きなのだな」

「ええい! そんなことを話している暇はない! お前! リカを連れて、村を出るんじゃ!」

「……どうかしたのか?」


 老婆の尋常ではない剣幕に、ヴァンは眉を寄せながらそう問いかける。

 リカは昨晩、老婆は星を見る占い師だと言っていた。彼女はなにかを見たのだろうか。薄明るい空を見上げては、しきりに村の出入り口を気にしているようだった。


「リカを叩き起こして、すぐに行けっ! リカには『時が来た』と言えばわかる。さあ、早う! アレが来る前に!」

「急ぎなんだな。わかった。すぐに伝えよう」

「頼んだぞ! リカにはくれぐれも『戻るな』と言うておけ」

「……ああ」


 老婆が言っていることの内容はなにもわからなかったが、ヴァンは踵を返して、リカの家を目指して一目散に走った。家の中に駆け込むと、リカを叩き起こす。


「リカ! 起きろ!」

「……ん……ヴァンさん……? なんですか、まだ、早い……」

「老婆からの伝言だ。『時が来た』そうだ」

「──ッ!」


 リカが、がばっと飛び起きる。そして外に向かって、走り出した。慌ててヴァンもそれを追いかける。家を出て、少しのところで彼の腕を捕まえた。リカはヴァンの手を振り払うように暴れる。自分より身体の大きいリカを抑え込むのは難しい。

 魔力を使わなければ、その腕が解かれるのも時間の問題だった。


「おいっ!」

「離して! ヴァンさん! ばーちゃん達が危ないかもしれないんだ!」

「一体どうしたんだ!? 老婆は、俺にお前を連れて逃げろと言っていたぞ」


 事情はなにもわからないが、ひとつだけ確信できることがある。

 老婆に言われたことに従った方がいい──それだけだ。


 ヴァンは、リカの腕を離さず、ずるずると家の中に引きずって行った。

 リカを中へ放り投げると同時に、外から大きな声が轟き、びりびりと響いてくる。──微かな魔力。魔石を使って、声を拡張させているようだった。


「この村に、『運命の青年』がいることはわかっている! 王の命令である! 出てくるがいい! 出てこない場合は、この村を焼き尽くす!」


 家の戸の隙間から、ヴァンは大きな声の主を探した。甲冑をまとい、馬に乗った騎士が何人もいる。その中で大きな図体の者が、もう一度同じことを繰り返し叫んでいた。その図体の大きな者に近づく者がいた──老婆だ。

 老婆は、なにかをその者に訴えている。身振り手振りでそれは伝わってきたが、声は聞こえないため、内容まではわからない。甲冑の男は、腰に提げていた剣を取り出すと、老婆の頭を殴った。老婆は、その場で倒れてぴくりとも動かなくなっている。


(どうやら、村を焼き尽くす……というのは本当のようだな)


 ああいった輩は、馬鹿正直に目的の人物を差し出したところで、その後は村を焼き尽くすものだ。王命を持って現れた騎士なら、尚更だ。非道な行いをやったと広められては困る。だから、最後には口封じをするだろう。


(……俺もやったからな)


 同じ王だから、わかることもある。──そう、人族の王に言ったら、激怒されそうではあるが。

 このままこの家に隠れていても、甲冑達が家を順番に見て回れば、リカは簡単に見つかってしまうだろう。さて、どうしたものかな、とヴァンは考え始めた。


「ばーちゃん……?」


 いつの間にか、リカが背後に立っていた。戸の隙間から、老婆が倒れているのが見えたのだろう。顔が真っ青になっている。涙を浮かべ、手を伸ばそうとした彼の腹を、ヴァンは殴った。ぐっ、と息の詰まったリカの胸倉を掴んで、目を合わせる。


「詳しい事情は知らん。だが、老婆は『時が来た』と言えば、お前に伝わると言っていた。お前には、そのときなにをすべきか、あの者はしっかりと伝えていたのだろう? それはなんだ? 老婆は、自分を助けろと言っていたのか?」

「それは……」

「しっかりしろ! お前は、あの老婆の言葉と行動を無にしたいのか!?」

「……っ」


 リカの目尻から涙が零れ落ちた。手の甲でそれを拭うと、小さな声で、手を離して、と言う。ヴァンが手を離すと、リカは踵を返して、部屋に戻った。ごそごそと音を立て、なにかやっていると思ったら、荷物を抱え戻ってくる。それを見て、自分も荷物を取ってきた。


「ヴァンさん。こっちへ。裏から外に出ます」

「……ああ」


『運命の青年』を差し出せという声と、村人の泣く声が聞こえる。耳に届く声は幼いものだった。昨日、村に来たときに会った子ども達だろうか。

 リカの身体は、小刻みに震えていた。歯を食いしばりながら、裏の戸を開ける。


 ヴァンが外へ出ると、リカは裏の戸の前に隠された、引き戸のようなものを閉めた。表側から入ってきた場合、この裏戸は、ただの壁に見えるだろう。そのような、からくりが施されているとは思わず、驚いた。


(村から少し外れた家、二つの出入り口、隠されていた引き戸……これらも全て、老婆の指示か……?)


 まるで、この家を建てたときから、こうなる日が来るとわかっていたような備えだ。明らかに普通ではない。ヴァンの心臓はドクリと音を立てた。


 リカの家の裏手は林になっており、そこを分け入って歩いて行く。

 林の中に、少しだけ開けたところがあり、そこの中央には小ぶりな岩がポツンとあった。リカはその岩に近づくと、荷物の中から穴掘り用の道具を取り出し、ざくざくと土を掘り返し始める。掘り始めて、少しするとカツンとなにかに当たった音がした。リカは道具を横に置いて、手で土を掘り返す。

 土の中から取り出したのは、小さな短剣。そして、いくらかの金。


 ヴァンはその短剣を見たとき、背中がぶるりと震えた。そして、村に来た甲冑の言葉を思い出す──『運命の青年』


(……まさか)


 ヴァンの脳裏にある考えがよぎる。目の前の青年の背中を、ただじっと見つめるのだった。

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