第20話 指先01

 頭部、顔、首筋、肩、胸部……リリーの細い指先がレインの身体をう。リリーには臆する様子も、恥じらう様子もない。ただ黙々と薬を塗り続けてゆく。黒い塗り薬は爛れた皮膚になじむと透明になり、朝露のように肌へしみこんでいった。


 やがて、リリーはレインの下半身にも手を伸ばす。青い目を細め、薄いさくら色の唇の端には笑みすら浮かべている。レインは大人びた女の余裕、優しさを垣間かいま見た気がして安堵を覚えた。



──リリーは僕の身体を嫌悪していない。それどころか、いつくしんでくれている……。



 いつの間にかレインは身体に対する劣等感や羞恥心を忘れていた。それどころか、柔らかな指先を肌に感じるたびに興奮を覚える。それは、男と女が情交を交わすときに抱くような興奮ではなく、神聖な儀式に身を投じているような恍惚とした感覚だった。



──僕は今、帝国の象徴に愛でられているんだ……。



 自分が特別な存在にでもなったように思える。しかし、感激しているのも束の間だった。レインは身体の奥がざわざわとうごめくような感覚にとらわれた。背筋に悪寒が走ったかと思うと、突如として猛烈な痒みと疼きが襲ってくる。



「うぅ……!!」



 レインは思わず呻いた。襲いくる痒みと疼きは想像を絶するもので、皮膚の真下をムカデや羽虫がもぞもぞと這っているように思える。


 

──か、痒い!!



 レインは未だかつて感じたことのない痒みに身をよじった。皮膚が蠢動しゅんどうし、膨張してゆくような感覚もする。事実、薬を塗り終えた場所は赤く膨らみ始めていた。象の肌のように皮膚が菱形に変形し、腫れあがってゆく。菱形の中央では固まった膿が丸い点となって盛り上がっていた。レインの身体は無数の黄色い丸い点で覆われた。顔も、局部も、爪の合間でさえも膿の芯が噴き出てくる。


 レインは変わり果てた身体を見て絶句した。奥歯を力の限り噛みしめ、痒みと疼きを堪えて天を仰ぐ。大きく見開いた瞳からは大粒の涙がこぼれ出る。瞼や目の縁にも膿の芯が吹き出ていた。のたうち回りたいのを必死にこらえているとリリーは塗り終えた薬をハンカチでふき取りながらレインを見つめた。いつになく冷たい眼差しだった。



「今、この薬は骨の奥に巣食う毒素を吸い出しています。もし身体を掻きむしれば皮膚が破れ、筋肉が削がれるでしょう。肉と血が毒素にまみれて死にます」

「……」



 レインは涙目のままリリーを睨みつける。黒い瞳は戸惑いと疑いを訴えかけているが、リリーはかまわずに続けた。



「『昏い静寂の塔アグノス』は言いました。レインのやまいは星の気脈によるものだと……」



 リリーは手押し車へ近づいた。手押し車には焜炉こんろの他にも白い陶器の香炉こうろが置かれてある。リリーが香炉の蓋を取ると中では石炭が赤々と燃えていた。



「レインの身体はこの星に拒否反応を起こしているのです」



 リリーは手押し車をベッドの脇へと押してくる。そして、香炉の脇にそろえられたピンセットを手に取った。



「今から狼を苦しめる棘をすべて抜きます。どうかわたしを信じて……」



 リリーは赤く腫れたレインの額へ手をそえると、ピンセットで眉間にある膿の芯をそっと引き抜いた。芯は細長く、先細りしている。リリーが芯を香炉の中に落とすと、芯はジュッという音を立てて消え去った。後にはえた臭いだけが残っている。



「あなたは『僕と身体のいくさだ』と仰いますが、これは『わたしの戦』でもあるのです」

「……」



 リリーはレインへ話しかけながら次々と芯を抜き、香炉の中へ捨ててゆく。だが、レインにリリーの言葉を気にとめる余裕なんてなかった。襲いくる痒みと疼きを耐えることだけで精一杯だった。膿の芯が引き抜かれて痒みと疼きが和らぐことはない。意識を失うことができるのなら、どれほど楽だろうと思えた。



「リ、リリー」



 レインはかすれた声で婚約者の名前を呼んだ。苦痛のなかでリリーの存在だけがただ一つの光明だった。

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