第10話 ダルマハル

『レインがリリー殿下と結婚する!!』



 その一報はまたたく間にウルド砂漠を駆け巡った。レインの使者はウルド砂漠に点在するオアシス都市へおもむき、



「ウルド国開闢かいびゃく以来の栄誉。レインが神聖グランヒルド帝国の皇女、リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ殿下と結婚いたします。つきましてはリリー殿下奉迎ほうげい儀仗兵ぎじょうへいを出兵されたし!!」



 と、熱意あふれる口調で口上を述べた。レインの容貌を知るオアシス都市の城主たちは「まさか!!」と驚き、食い入るように聞き入った。「信じられぬ……」というのが本音だった。


 帝国内においてはウルド国を『帝都から遠く離れた辺境国家』と見る者も多い。特に帝都の大貴族たちはあからさまにウルド国を見下していた。ロイドやサリーシャは帝国のために幾度も戦功をたてたが、帝都で安寧をむさぼる大貴族たちにとってはむしろ苦々しい存在だった。二人が活躍すればするほど自分たちの無能さが浮き彫りになってしまう。


 大貴族たちは臆病な自分たちを弁護するように、『ロイドは帝国の威光があるから戦に勝てる。つまり、我々のおかげで凱旋できるのだ』と決めつけ、さらには『レインはサリーシャが獣と交わって生まれた不義のみ子。ロイドも哀れなものよ』と面白半分に噂した。そのことを知るだけに、ウルド国の城主たちにとって皇女の降嫁こうかは溜飲を下げる一大事だった。



「我らが藩王、ロイドさまのご子息が皇女殿下と結婚なさるとは!!」

「レインさまが皇統に連なれば帝都のやつらも大きな顔をできぬぞ!!」

「なんとめでたいことか、すぐにでも駆けつけましょう!!」



 城主たちは息巻いて出兵を快諾し、人々も熱狂して協力を惜しまない。ダルマハルを目指すレインの軍勢は日を追うごとに膨れ上がっていった。


 砂漠を駆ける騎兵は砂嵐のように砂塵さじんを巻き上げ、陣太鼓に合わせて行進する歩兵はおびただしい軍旗で砂漠を埋めつくす。砂漠を帆走する砂船すなぶねまでもが集結し、交易都市ダルマハルが見えてきたときには総勢が3万を超えようとしていた。



「新しく来た軍は行軍の最後尾につけさせろ!! 騎兵は機動展開させてレインのいる先頭集団に加えるんだ!!」

「「「はっ!!」」」



 ジョシュが大剣を片手に命じると指揮下の部隊長たちは馬上で一礼して駆け去ってゆく。ダンテも全軍の進軍速度を見極めながら的確に伝令を飛ばした。



「戦列艦は行軍の両翼を進ませるのです!! 船速を緩めて行軍に速度を合わせてください!!」



 若い将校たちに指揮されて大軍は整然と、それでいて威容を増しながら進軍する。レインも集まった大軍に動じず、先頭になって堂々と馬を進めてゆく。黒鉄くろがねの鎧と鉄仮面が相まって得体の知れない威圧感があった。



「あれが鉄仮面の狼、レインさまと若き狼たちか。さすがはロイドさま、サリーシャさまのご子息。馬上の姿が若いころのロイドさまによく似ておられる」



 歴戦の将軍たちが感心してうなるころ、延々と続く白い砂漠の向こうにダルマハルの城塞が見えてきた。砂岩でできた城壁や側防塔そくぼうとうが陽射しを浴びていっそう白く輝いている。思わずレインは目を細めた。



──もうすぐ僕の運命が決まる……。



 予定通りいけばダルマハルでリリーと謁見する。レインは手綱たずなを握る手が緊張で汗ばんでいる気がした。普段なら汗が肌に染みて痒みが増し、気になるはずだが今は何も感じない。ただ、なぜか胸の高鳴りだけは痛いほど理解できた。



「天狼星に住まう神獣『神狼ガルム』よ……」



 レインは自分を落ち着かせるために乾いた唇を動かした。天狼星は太陽を除けば最も明るい星で、ウルド国では護国の神獣『神狼ガルム』が住まうと信じられている。


 神聖グランヒルド帝国では創造、破壊、再生をつかさどる『聖母神ブリュンヒルド』を最高神と位置づけ、その下で様々な神が信仰されている。神話における『神狼ガルム』は『聖母神ブリュンヒルド』へ反逆したとされ、大貴族たちがウルド国を蔑む理由の一つになっていた。


 『神狼ガルム』は他の神々と相いれない孤高の神獣だが、レインはその姿に自分を重ね合わせ、加護を信じ、心のよりどころとしていた。



「『神狼ガルム』よ、どうか僕を見守りたまえ。ウルドに栄光をもたらしたまえ」



 レインの鉄仮面や兜、鎧や包帯は外界と感覚を遮断している。レインは太陽の光も吹き抜ける熱風も感じることができない。それでも、果てしない青空と白くうねる砂漠の先に『神狼ガルム』の気配を探して祈りをささげた。



×  ×  ×



 交易都市ダルマハルは白い砂がついえるウルド砂漠東の果てにある。そこは東西南北にびる交易路が交わる要衝ようしょうで、円形の都市には防砂ぼうさの城壁が築かれている。30メートルはあろうかという城壁には『狼』の紋章が縫いこまれた軍旗がなびいていた。


 レインはダルマハルが見えてくると進軍を止めた。そして、ジョシュやダンテといった側近だけを従えて城門へ向かう。すると、呼応するように城門から騎兵を従えた男が出てきた。


 男は老齢だが精悍せいかんな身体つきで、軽装甲冑の上に白いローブをまとっている。レインたちの前まで来ると険しい顔つきで睨みつけてきた。



「レイン・ウォルフ・キースリング!! 我が藩王はんおうロイドさまの留守に軍旅ぐんりょもよおすとは何事か!?」



 男は大声で問いかけてくる。ジョシュとダンテは驚いて顔を見合わせるが、レインは全く動じなかった。



「ハイゼル将軍、これは軍旅ではない!! リリー殿下奉迎ほうげい儀仗兵ぎじょうへいです!!」



 レインが堂々と答えると突然、ハイゼルのいかめしい顔がクシャクシャの笑顔になる。ハイゼルは嬉しそうにレインの傍へ馬をよせた。



「若君、お久しぶりでございます。久しく会わぬ間にだいぶ口達者になられましたな」

「あまりからかわないでください。……将軍はお元気そうで何よりです」



 かつて……ハイゼルはレインの守役もりやくであり、幼いレインに武芸や兵法を教えてくれた。父ロイドが最も信頼する家臣で、要衝ダルマハルの城主を任されている。百戦錬磨の老将は若いレインたちと自分を見比べた。



「最近は甲冑も重く感じるようになりました。ウルドの狼も老いれば足弱の老犬となり果てます」

「何をおっしゃいますか。将軍にはまだまだ現役でいてもらわなければ困ります」

「なんと。若君はこの老体に『まだ働け』とおっしゃるのですかな」



 そう言いながらもハイゼルは柔らかな笑みを浮かべる。幼いころのレインには戦闘訓練で相手を気づかったり、狩りで獲物の命を奪えない一面があった。


 昔はそんなレインを『弱肉強食のウルド砂漠を治めていくには優しすぎる』と心配したものだが、それが今や大軍を率いて目の前にいる。これほど嬉しいことはなかった。



「それにしても、短期間でこのような大軍を編制なさるとは……さすがは『砂漠の狼王ウルデンガルム』のご子息です」



 『レインが皇女リリーと結婚する』という事情はハイゼルも知っている。ハイゼルが褒め称えるとレインの鉄仮面が少し傾いた。



「突然の出兵要請でしたが、各都市の城主たちはこころよく兵を出してくれました。これでリリー殿下をお迎えすることができます」

「さようですな。ウルドの名誉も保たれましょう」

「父やあなたがウルドのために血を流してくれたおかげで、これだけの兵が集まってくれました。感謝するばかりです」

「ほう……」



 レインは『僕の力ではない』と言っている。ハイゼルは角ばった顎をなでた。



──もっと胸を張ってよいものを……若君のご気性は変わらぬな。



 あらためてレインの軍勢を眺めてみると、騎兵、歩兵、砂船すなぶねのすべてがピタリと動きを止めており、隊列には一糸いっしの乱れもない。



──急造の軍隊をここまで統率するとは、よほど優秀な副官がいるとみえる。



 ハイゼルはレインの後ろで待機するジョシュとダンテを一瞥した。二人とも会話を邪魔しないように控えているが、緊張感だけは保ってレインの一挙手一投足に気を配っている。



──よい部下を持たれた。若く強い狼たちに慕われるのなら……やはり、若君も『砂漠の狼王ウルデンガルム』としての資質を持っていらっしゃる。ロイドさまもお喜びになるだろう。



 ハイゼルにはレインの姿が若き日のロイドと重なって見える。ともに戦場を駆けたころを懐かしむように目を細め、満足そうに頷きながらダルマハルを見た。



「若君、先陣を務めるロイドさまとサリーシャさまはすでに到着しております。リリー殿下の本隊もカプラナ高原を下りました。間もなくダルマハルへ入られるでしょう」

「……わかりました」



 レインの声はどこか沈んでいる。ハイゼルは暗い声色が緊張のせいだけではないと気づいた。



「若君、どうかなさいましたか? 何か気になることでもおありですかな?」

「……リリー殿下はどうして結婚相手に僕を選んだのでしょうか?」



 レインが思いきって尋ねるとハイゼルは白い歯をみせて笑った。



「ははは。それは、わかりませぬ。若君はリリー殿下のことが気になるのですな?」

「はい。僕は愛も知らず、いくさも知らず、この顔と身体は原因不明のやまいで爛れています。リリー殿下の結婚相手として相応ふさわしいはずがありません」

「……」



 鉄仮面に隠されて表情を読み取れないが、ハイゼルにはレインの苦悩がよくわかる。手綱を引くとレインの隣でくつわを並べた。



「若君、リリー殿下が到着なさるまでの間、少し昔話をしてもよろしいですかな? 藩王ロイドさまと奥方サリーシャさまについてでございます」

「父上と母上の? ……わかりました」

「それでは、馬上にて失礼いたしまするが……」



 レインが興味を示すとハイゼルは咳ばらいをして語り始めた。 

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