第9話 噂

「帝都からの風聞ふうぶんだと……リリー殿下は絶世の美女だが、かなりの我がままらしいぜ」

「我がまま?」

「ああ、自由奔放で恋多き女らしい。大貴族や大商人の息子を相手に浮名うきなを流し、男たちから領地や財産を根こそぎ巻き上げるんだってよ。で、すべてを手に入れたら簡単に捨てるそうだ」

「……」



 ジョシュはレインの忠臣であることを誇りにしている。嘘などつけず、伝え聞いたことをそのまま話した。悪評を知ったレインは黙りこみ、三人の間に気まずい空気が流れた。



「えっと……おい、ダンテ」



 ジョシュはちらりとダンテへ視線を送る。そして、「お前からも説明しろ」と目で催促した。ダンテは小さく頷き返し、淡々とした口調で語り始める。



「リリー殿下に翻弄されて滅んだ家名も多数あるそうです。男たちから奪い、破滅させる……そこから『国をかたむかせるほどの美女』……『傾国姫けいこくき』という異名いみょうがつきました。それに、『餓死刑』となったルシアさまの国葬では涙一つ流さなかったとか」

「……」



 ダンテもダンテで、知っていることを包み隠さずに話した。話を聞いたレインは鉄仮面の奥でまつ毛の長い目を閉じる。沈黙が続くと、いたたまれなくなったジョシュが口調を変えてわざとらしく感心した。



「でもよ、『傾国姫』って異名を付けたヤツは勇気があるよな。断頭台だんとうだいつゆと消えてもおかしくない」

「言葉を慎んでくださいと言っているのにまったく……あなたも消えてみますか?」

「俺が消えたら苦労するのはダンテ、お前だろ」

「まあ、確かにそうかもしれませんね」



 ダンテが苦笑するとジョシュもにやりと笑みをこぼす。二人とも重くなった雰囲気をやわらげようとしている。やがて、レインはおもむろに口を開いた。

 


「相手が酷薄な傾国姫なら醜悪な僕にちょうどいい」

「「……」」

「リリー殿下が何を思って僕との結婚を望んだのかはわからないけど……僕を見れば結婚をあきらめるよ。僕と子作りなんて願い下げだろうからね。向こうから断ってくれれば父上や母上、ウルド国の体裁も少しは保てる」

「「……」」



 レインが自嘲気味に言うとジョシュとダンテは腕組みをして眉間みけんに皺をよせた。



「……言い方が気に入らねぇな」

「ええ、わたしも気に入りません」

「あのなぁ、レイン……」



 ジョシュはめんどくさそうに頭をかいた。



「俺たちはお前を醜悪だと思ったことなんて一度たりともないぜ。それなのにお前自身は『醜い』だの『悲劇の鉄仮面』だのと言って平気で自分を貶める」

「……『悲劇の鉄仮面』だなんて言った覚えはないぞ」



 レインが反論すると隣でダンテがクスクスと笑う。ジョシュは肩を竦めながら続けた。



「俺には大病を患うお前の気持ちなんてわからねぇ。わかるなんて傲慢なこと、死んでも言えねぇ。でもよ、お前は人一倍優しいじゃねぇか。行軍訓練だって一番遅いヤツに速度を合わせる。決して見捨てたりしねぇ。それに、『藩王の息子だ』とか言って威張り散らすこともねぇ。俺たちにとってお前は最高の統率者なんだよ」

「そうですね。ロイドさまや長老たちは甘いとおっしゃられるかもしれませんが、わたしたちにはレインの配慮や優しさこそが強者のあかしなのです」

「ダンテ、わかってるじゃねぇか。そうなんだよ。それなのに、当の本人はすぐにやまいを持ち出すんだぜ? 悲しいじゃねぇか」

「その通りです。今回だってレインさまは結婚を申しこまれた立場。堂々としていればよいのです」

「そうだ、そうだ。気に入らねぇなら断っちまえ」



 ジョシュがぶっきらぼうに言うと普段は乱暴な意見を嫌うダンテも頷く。二人とも幼いころからレインと心を通わせてきた。レインとの絆の前では帝国の権威ですら些細な問題だった。『レインが嫌なら断ればいい。そのせいで起きる苦労なら一緒に引き受ける』と本気で考えている。レインは二人に心から感謝したが、現実はそう簡単ではなかった。



「ジョシュ、ダンテ、ありがとう。でも、この結婚はもはや皇帝の勅命も同じ。今さら断れない……」



 レインは親書に視線を落とした。神聖グランヒルド帝国の領邦国家りょうほうこっかにすぎないウルド国が生き抜いていくためには、皇帝の意向に逆らわないことが先決だった。ロイドの『ウルドの未来を考えろ』という言葉がすべてを示唆している。



「とりあえずリリー殿下とお会いする。その先は殿下次第だ。僕にできることはない。屈辱が待っているなら甘んじて受け入れる。それが……」



 レインは強くなった陽射しに目を細めながらウルド砂漠を見渡した。そこには真っ青な空と真っ白な大地が果てしなく広がっている。



「ウルドのためだ」

「「……」」



 レインは良くも悪くもウルドのことしか考えていない。純粋な男だな……と、ジョシュとダンテは思った。その分、主君として仕えがいがあり、幼馴染の親友として尊敬できる。



「わかりました。そうと決まれば……レイン、ジョシュ、これから忙しくなりますよ!! 何しろ、神聖グランヒルド帝国の皇女を迎えなければならないのですから!!」

「そうだな。派手に出迎えて、ウルドの気概ってもんを見せてやろうぜ!!」



 めずらしくダンテが気勢を上げるとジョシュもすぐに応じる。意気投合した二人はレインを差し置いて歩き始めた。レインは頼もしい副官たちの背中を見つめていたが、ふと、もう一度だけ空を仰いだ。鉄仮面と兜がこすれ合う音がかすかに響く。



──リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ……いったいどんなひとだろうか……。



 空は依然として抜けるように青く澄み渡っている。レインはまだ見ぬ花嫁を想いながら白い砂を踏みしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る