第11話 面影
「ロイドさまはウルド砂漠で産出される鉱石や、交易がもたらす富を独占いたしません。再分配してみんなに分け与えます。それだけでなく、軍役においては自らが陣頭に立って戦います。砂漠の民たちはそんなロイドさまを心から尊敬し、『
「はい。僕も父上を尊敬しています」
「しかし、若君はご存知ですかな? 若いときのロイドさまはとてもご気性が荒かったのです」
「そうなのですか?」
「ええ。内紛の絶えないウルド国で力を誇示し、武力のみで辺境を支配しておりました。敵対する者がいれば、
ハイゼルは馬上から辺りを見渡した。かつては要衝ダルマハルをめぐって
「ロイドさまは味方にとっては英雄でしたが、敵にしてみれば虐殺者。『
「父上が血に餓えた狼……」
今のロイドは慈悲深い藩王として民から慕われている。驚いたのはジョシュとダンテも同じであり、二人とも少し身を乗り出して聞き耳を立てていた。ハイゼルは目を開けると後継者であるレインたちを見て大きく頷いた。
「
「父上と母上が
「さようですとも。サリーシャさまこそ苛烈な性格をなさっておいでです。
「ち、父上が父上なら、母上も母上ですね……」
「ははは。戦場におけるサリーシャさまは
「……」
レインの知っているロイドとサリーシャは仲睦まじい夫婦そのものだった。二人の背中を見て育った息子としては、にわかには信じ難い。レインが戸惑っているとハイゼルは優しい口調になった。
「
「それで……母上は何と答えたのですか?」
「もちろん、断りました」
「さすが母上……」
父が母に振られるところを想像すると妙に可笑しくなる。レインが苦笑するとハイゼルの日に焼けた顔もほころんだ。
「若君、わたしが話したことはロイドさまに秘密ですぞ。お叱りを受けてしまいます」
「もちろんです。それで、父上と母上はそのあとどうなったのですか?」
「はい、ロイドさまは諦めずにサリーシャさまと逢瀬を重ねました。そのうちに酷烈な性格は鳴りをひそめるようになり、他部族も
「そうだったのですね」
「はい。ロイドさまは常々『我が妻こそウルド国を繁栄に導く指導者。
ハイゼルは皺と刀傷が刻まれた手で手綱を引き、さらに馬をよせる。大きな身体を傾けてレインへ顔を近づけた。
「結局のところ、結婚とは『二人がどのように出会うか?』が問題ではなく、『二人でどのように生きるか?』が問題なのです。若君がリリー殿下を伴侶として尊重なさるのなら、夫婦生活は上々のものとなりましょう。ただ……」
穏やかに語っていたハイゼルの眼光が急に鋭くなる。ここが戦場でもあるかのように殺気立ってレインを見つめた。
「もしリリー殿下が若君を
「……」
「婚姻関係がこじれて戦争へと発展する……
「わ、わかりました……」
ハイゼルの気迫は鉄仮面や鎧を着ていても伝わってくる。レインは背筋に冷や汗が流れるのを感じた。
──ハイゼル将軍はなぜ急に物騒な物言いになったのだろう。リリー殿下が『
レインにはハイゼルの真意がわからない。
「先日、交易路を通った隊商から聞いたのですが、ダルマハルの北で大軍を見かけたそうでございます」
「大軍を?」
「はい。紋章は『
「いや、何も……」
「なるほど。奇妙だとは思いませぬか? 皇族ならばリリー殿下かガイウス大帝とともに来るはず。それが、人知れずウルド砂漠へ入り、しかも大軍が忽然と消えました」
「……」
レインは何も言えなかった。皇軍は皇族の直轄軍で、藩王の許可なく帝国内を自由に移動できる。それでも、領国を通過する際には藩王へ告げるのが慣習となっていた。もし、藩王ロイドが皇軍の通過を知っていたなら、レインやハイゼルに必ず伝えている。
「父上や母上には伝えたのですか?」
「はい。念のために急使を飛ばしてあります」
レインが尋ねるとハイゼルは物事の道理を見定めるように目を細めた。
「若君、リリー殿下との結婚を祝福する者もいれば、反感を抱く者もいるでしょう。知らないところで知らない恨みを買っていることもあるのです。くれぐれも用心なされませ」
「将軍のご忠告、胸に刻んでおきます」
そう答えながらもレインは頭の片隅に引っかかるものを感じた。
──ハイゼル将軍は何かを隠している。
ハイゼルの殺気や口ぶりには何か思惑がある。そう思っていると、レインは目に触れる乾いた空気が
──ダルマハルの気配が変わった……。
レインは顔を上げてダルマハルの方を向いた。ハイゼル、ジョシュ、ダンテもレインの視線を追いかける。そのとき、突如としてダルマハル城内で歓声が沸き起こった。歓声は風に乗って場外まで響いてくる。ハイゼルは白いローブをひるがえしてレインたちを見た。
「リリー殿下の本隊がダルマハルへ到着いたしましたな。それでは、わたしはそろそろ城内へ戻ります」
「わかりました。ハイゼル将軍、のちほど」
「はい。若君、
ハイゼルは白い歯を見せて笑うとダルマハルへ馬を走らせる。老将が去るとレインは後ろに控えるダンテとジョシュへ語りかけた。
「進軍を再開してリリー殿下奉迎の陣を敷いてくれ」
「「畏まりました」」
ジョシュとダンテはすぐに馬を駆って号令をかける。やがて、陣太鼓の打音が砂漠に響くと大軍はレインとダルマハルを取り囲むように展開した。
レインは一騎、ただまっすぐに城門を見つめていた。依然としてダルマハルからは歓声が聞こえてくる。人々の熱気は冷めることがなく、熱量を増してこちらへ向かっていた。レインは大声援が砂嵐のように迫るのを初めて聞いた。
──あの歓声の中心にリリー殿下がいる。
レインは歓声に耳を澄ませながら包帯の巻かれた左手を鉄仮面にそえる。そして右手で後頭部にある
──僕だって大軍の中心にいる。
レインは思いきり息を吸いこんだ。ウルド砂漠の熱く乾いた空気を吸いこむと言い知れない熱い感情が奔流となって身体中を駆けめぐる。背筋を伸ばして軍勢を見渡すと騎兵や歩兵、軍船の数々が白い大地にひしめき合っていた。砂漠を埋め尽くす軍勢は身震いするほどに壮観で、
──彼らに恥ずかしい姿は見せられない。相手は神聖グランヒルド帝国の皇女、リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ。相手にとって不足はない、むしろ望むところだ。
リリーとの謁見が失敗に終わればレインどころかウルド国も面目を失ってしまう。謁見はレインにとって
──今日が僕の初陣になるなんて、思いがけないものだな……。
レインは裂けかかった痛々しい唇を上げて静かに笑った。そして再び鉄仮面をつけると馬の腹を蹴って城門へ向かう。ジョシュやダンテ、取り巻くウルド軍は馬を駆るレインの姿を
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