第3章 皇女と砂漠

第12話 異変

 リリー一行が帝都グランゲートを出発してからおよそ1カ月近くがたった。一行は大木が生い茂る深緑の森と豊かな水源に恵まれたガントランド公国を抜け、国土の半分以上が巨大な岩石と火山灰に覆われたダール国の山岳地帯を踏破とうはしていた。今は雨季が過ぎたカプラナ高原まで来ている。



「全軍停止、ここで小休止をとる!!」


 

 ソフィアが手をかざすと騎兵や馬車が一斉に動きをとめる。盛装馬車せいそうばしゃの扉が開くとリリーは緑の草原に降り立った。縮こまった身体をのばし、青空を見上げるとまばらに点在する雲が先を急ぐように流れていた。



──それにしても、遠くまで来たものね……。



 乾いた風が草原を吹き抜けてリリーの頬を静かになでる。リリーは風に揺れる銀髪を耳へかけた。



──もうすぐだわ……。



 カプラナ高原を抜ければウルド砂漠の玄関口ダルマハルにつく。ダルマハルではレイン・ウォルフ・キースリングと謁見する手筈になっていた。



──わたしが結婚するとなれば、ガイウス大帝おじいさまだけでなく、帝国中から兄弟たちが集まってくる。それも、警備が厳重な帝都ではなくて辺境のウルド砂漠に……。



 リリーは馬を休める自軍を見渡した。



──待ち受けるのはソフィアの皇女親衛隊3000騎とクロエの皇女近侍隊きんじたい2000騎。こんな好機、二度と訪れない。躊躇ためらってはいけない……。



 物思いに沈んでいるとソフィアとクロエが近づいてきた。目の前まで来るとソフィアが話しかけてくる。



「リリー、伝令によると先発したロイド殿とサリーシャ殿がダルマハルに到着した。それと、レイン・ウォルフ・キースリングがダルマハル城外に陣をいている。戦列艦まで用意したそうだ」



 ソフィアは西の方角を眺めながら告げる。すると、今度はクロエがいたずらっぽい笑みを浮かべた。



「あのね、3万を超える大軍だって。レインってわりとできる男かもよ♪」



 二人ともそれなりにレイン・ウォルフ・キースリングという男が気になるらしい。リリーは「二人もレインが気になるのね」と苦笑しながら続けた。



「でも、まだわからないわ。レインは『砂漠の狼王ウルデンガルム』の息子。父親の威光で兵を集めたのかもしれない。名前倒れの貴族なんて、いっぱい見てきたでしょ? それに、レインがどんな男でも関係ないわ。利用するだけよ」

「「……」」



 リリーはそう言いきって馬車へと向かう。ソフィアとクロエは一瞬顔を見合わせたが、すぐにリリーの後を追った。ほどなくしてリリーの本隊は再び行軍を始めた。



✕  ✕  ✕



 リリー一行は粛々と街道を進んだ。カプラナ高原を下ると急に草原が途切れ、白い砂と灰色の巨石がころがる大地に出た。さらに先では広大な白い砂漠と青い空が世界を二分している。『白砂はくさの大地』『帝国の果てるところ』……それがウルド砂漠だった。


 ウルド砂漠の入口には交易都市ダルマハルが築かれている。円形の城塞へ近づくにつれて街道ぞいには人影が増え始め、ダルマハルへ入城するときには大群衆となっていた。



「「「リリー殿下万歳!! ウルド国へようこそおいでくださいました!!」」」



 人々は口々に叫んでリリーを出迎える。ダルマハルは帝都グランゲートよりも遥かに小さいが、人々の熱気と興奮は引けをとらない。それだけリリーは歓迎されている。しかし、リリーの盛装馬車がダルマハル城内で止まることはなかった。市街中心部を通り過ぎようとしたころ、リリーは行軍に異変を感じた。



──馬車の速度が少し速くなった……それに、ソフィアが重武装の鉄甲騎兵てっこうきへいを展開させている……。



 車窓から外を覗いていると伝令の騎兵も慌ただしく行きっている。間もなくしてソフィアが馬をよせてきた。後ろには後列の馬車にいるはずのクロエを乗せている。クロエは軽業師かるわざしのように馬の背に立つとそのまま身をひるがえし、並走する馬車へ飛び移ってきた。



「リリー殿下、失礼いたします!!」



 クロエは車内へ入ると扉を閉め、遮光カーテンも閉めた。盛装馬車は4人乗りであり、二人が向かい合って座れるつくりになっている。クロエはリリーの正面に座り、光石こうせきでできた照明灯をつけた。



「危急につき、クロエ・ベアトリクスが同乗いたします。ご無礼をお許しください」



 薄明りに照らされるクロエの顔からはいつもの愛嬌が消えり、口調も真剣なものへと変わっている。目つきも鋭く、両手は腰の短刀にそえられていた。



──何かが起きた……。



 リリーは両手を膝の上に置き、まっすぐにクロエを見つめた。



「クロエ、いったいどうしたと言うのですか?」

「はい。群衆が暴徒化する恐れを懸念しております」

「まさか、これだけ歓迎してくれているのですよ」

「ですが……」



 クロエが口ごもるとリリーは少し身を乗り出した。



「何があったのか教えなさい」

「……はい」



 リリーが問い質すとクロエは事情を語り始めた。



「ダルマハルを守るハイゼル将軍麾下きかの将兵が妙に殺気立っております。親衛隊との間で小競り合いがございました」 

「小競り合いですって? どうしてそんなことが起きるのですか?」

「はい。群がる群衆の一部を親衛隊が蹴散らしました。それが発端で城の守備兵と小競り合いに発展したそうです」

「なんてことを……」



 リリーはため息をついた。皇女親衛隊は帝国正規軍であり、いかなる理由があろうと歯向かうことは許されない。皇女親衛隊にも問題があったのかもしれないが、このままでは大事へと発展する可能性が高かった。



──まだレインと会ってもいないのに、こんなところで……。



 リリーが眉を顰めるとクロエは顔色を窺いながら続けた。



「ロイドさまとサリーシャさまのおかげで混乱は収まりました。ソフィアも不問にするつもりです。ですから、リリー殿下はこのままウルド国の藩都はんとウルディードへと向かい、そこでレイン殿と謁見を……」

「それにはおよびません」



 リリーはクロエの言葉をさえぎった。そして、閉められた遮光カーテンの隙間から外を見る。馬車はダルマハルの城門近くまで来ていた。



「謁見を先延ばしにしたとあっては、集まった帝国軍に顔向けができません。帝国の威信がかかっているのです。このまま予定通りレイン殿と謁見します」

「で、でもリリー……」



 クロエは心配のあまりいつもの口調に戻っていた。



「ウルド国でわたしたちはよそ者なんだよ。リリーに何かあってからじゃ……」

「くどいですよ、クロエ」

「……」

 


 リリーの意思は固い。クロエは伏し目がちになり、眉根をよせてジィっとリリーを見上げる。陰気な雰囲気を放ち、不満を隠そうともしていない。リリーはクロエに顔を近づけると柔らかな声でささやいた。



「ねぇ、クロエ。わたしたちは今から戦争を始めるの。そうでしょう?」

「うん」

「戦場ではひりつく空気を吸い、すべてを焼き尽くす炎へ身を投じる。ソフィアがつるぎなら、あなたは盾。わたしがどんな状況におちいっても必ず守ってくれる……そうよね?」

「……」



 リリーの言葉はクロエの心へ溶けこんでゆく。クロエにとって、リリーに頼られることは何よりもの快感だった。感動して目を潤ませながらリリーの青い瞳を見つめている。リリーは唇の端をわずかに上げて微笑んだ。



「クロエやソフィアの心配は嬉しいですが、わたしはダルマハルでレインと会います」

「畏まりました。この身にかえてもお守りいたします」

「ありがとう」



 リリーはクロエの赤い髪をなでると次に頬へ手をそえる。



「クロエ、あなたは自慢の近侍隊隊長よ」

「光栄だよ、リリー」



 クロエは恍惚とした表情になり、肩をすくめて小さくなる。口元からは熱い吐息とともにカリッという音も聞こえていた。

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