第21話 恐怖02
湯浴みが終わるとレインは着慣れた甲冑をまとう。下半身に軽装甲冑を装着し、上半身には白い絹のシャツを着る。鏡の前へ立つと、そこには目鼻立ちの整った黒髪の青年将校がいた。
──これが僕……。
レインは感動で胸がいっぱいになった。
「自分の姿に少しは慣れましたか?」
「いえ、まだ……あまり実感が湧きません」
「すぐに慣れますよ。黒髪がとてもよく似合っています」
微笑むリリーはクロエが用意したドレスを着ている。軍服に似せて作らせたドレスは青と白を基調とし、胸元には皇族を示す『
──青と白はウルド国の青い空と白い大地を表す
レインがそう思っているとリリーが隣へやってくる。リリーはレインをまじまじと見つめた。
「甲冑姿も素敵ですが……もっと、ゆったりとした服装で帝都を歩けば、詩人か音楽家に間違われるでしょうね」
「そ、そうですか?」
「ええ。星を愛する天文学者に見えるかもしれません」
「……」
リリーが少しいたずらっぽく言うとレインは驚いてリリーを見つめた。
「も、もしかしてリリーは僕の天体観測図を……」
「はい、拝見しました」
リリーが答えるとレインは困り顔で赤面する。
「専門家でもないのに出過ぎた真似をしました。リリーに読まれているとは思わなかったな……あの……」
レインは困り顔のまま気恥ずかしそうに続けた。
「もしよければ、今度
「……」
リリーは意外そうに眉を上げた。星空、夜景、花火……リリーは帝都で男たちから何度も誘われた。リリーがそう仕向けたせいもあるが、男たちは『夜』にまつわる
リリーはそんな男たちの願望を利用し、手玉に取って領地や財産を貢がせた。そんなリリーだからこそ、レインの心が読み取れる。レインからは下心をまったく感じない。『リリーと星空を見たい』と純粋に願っているのがわかった。
──本当にわかりやすい
リリーはクスリと微笑み、大げさに喜んでみせた。
「レインから誘ってくれるなんて、とても嬉しいです!!」
リリーが喜ぶとレインはさらに顔を赤らめる。照れ臭い気持ちを隠すように話題を変えた。
「そ、そろそろ行きませんか? 父上や母上、それにジョシュたちにも……皮膚が癒えたことを伝えたいです」
「……」
レインが告げるとそれまで明るかったリリーの顔に暗い影がさした。しかし、それも一瞬のことでレインは気づかない。リリーは優しく微笑みかけながらレインの腕を握った。
「それでしたら、バルコニーへ行きましょう」
「バルコニーですか?」
「ええ。あ、外へ出る前にこれを……」
リリーはテーブルに置かれた鉄仮面を手渡した。
「これは……?」
「ちょっとした演出です。クロエに言って綺麗にしてありますから、つけてください。ほら、早く……」
リリーは鉄仮面をつけるように急かしてくる。レインは訳がわからないまま鉄仮面をつけた。
「それじゃあ、行きますよ」
リリーは腕に手を絡めたままレインをバルコニーへ導いた。
「!?」
レインは思わず目を見張って息をのんだ。城館前の広場には群衆が詰めかけている。広場の中央には衛兵を従えたロイドとサリーシャの姿もあり、こちらを見上げていた。
──こ、これは……。
驚いていると人々のざわめきがさざ波となって押しよせてくる。
「リリー殿下もご一緒だ」
「レインさまは鉄仮面をしておられるぞ」
「まだ治っていないのではないか?」
人々は興味深々といった様子でバルコニーを見上げている。リリーはレインへ小声で話しかけた。
「レインの治療……ご両親にはソフィアが知らせました。それに、噂を聞きつけてウルディード中から人々が集まってくれています」
「……」
レインは鉄仮面の奥で表情を曇らせた。
──リリーは父上や母上を城館に入れなかったのか?
リリーはレインの治療が終わっても両親を城館へ入れなかった。そのことが気にかかる。すると、リリーはレインの不満を察して腕から手を放した。
「『二人の戦い』と言ったではありませんか。誰であろうと、城館へ入ることは許しません。例え、レインのご両親であろうともです」
リリーはレインを真っすぐに見つめる。青い瞳には有無を言わせない凄みと冷たさがあった。
「早く鉄仮面を取ってみんなへ素顔を見せてください。きっと、歓声が上がりますよ」
「……」
レインは頷くことしかできない。右手で鉄仮面を押さえながら左手で留め具に触れる。鉄仮面を外しておもむろに顔を上げると、人々のざわめきがぴたりと止まった。群衆は息をのみ、無言でバルコニーを見上げ続けている。やがて、群衆のなかで誰かが叫んだ。
「レインさまのご病気が治ったぞ!! 若き狼の呪いが解けた!! レインさま万歳!!」
声が響くと人々はハッと我に返り、口々に続いた。
「「「レインさま万歳!! レインさま万歳!! レインさま万歳!!」」」
人々が喜ぶのも当然だった。人々は藩王ロイドと奥方サリーシャを敬慕し、二人の息子が大病を患うことに胸をいためていた。レインの回復はウルド国の未来を明るく感じさせるものだった。サリーシャは歓喜の渦のなかで目元に涙を浮かべた。
──レインの皮膚が癒えるなんて……。
サリーシャは『レインの皮膚病はわたしのせいかもしれない』とずっと苦悩していた。気丈に振る舞おうとしていても、あふれ出る涙は止められない。
「あなた、レインの皮膚病が治ったわ……」
サリーシャは震え声で言いながらロイドの胸元へ顔を
「ああ、目元は君にそっくりじゃないか」
ロイドの声も震えている。『リリーがレインの治療をする』とソフィアから聞いたときは少なからず疑念を抱いたが、今はリリーに感謝するばかりだった。
人々の歓声がやむことはない。特に父や母が感動している様子は見ているだけでレインの胸を打った。
──ああ、僕はこれほどまでに愛されていたのか……。
レインが胸を熱くしているとシャツの右袖を軽く引かれた。隣を向くとリリーがこちらを見上げている。
「よかったですね、レイン……」
「……」
リリーは微笑んでいるが、目の奥がどこか笑っていない。青い瞳は『あなたを治したのは誰ですか?』と訴えている。レインは気づいた。
──リリーの服装や記章、それに鉄仮面、すべては準備されていたのか……。
そのことに気づくとレインは慌てて進み出る。群衆の注目が集まると大声で語りかけた。
「みんな、今日は僕のために集まってくれてありがとう。僕を治してくれたのはリリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ殿下、僕の妻となるお方です!!」
レインが大声で告げるとリリーは一歩前へ出る。陽の光を浴びる銀髪は眩しいほどに輝き、青と白の鮮やかなドレスは洗練された帝都の息吹を感じさせた。人々は初めて見る皇女に鮮烈な印象を抱いた。
リリーは声を発するでもなく、右手で胸元の記章に触れてからそのまま高々とかかげる。それは『あなた方に敬意を表します』という帝国式儀礼だった。リリーの流れるような
「「「リリー殿下万歳!! リリー殿下万歳!! リリー殿下万歳!!」」」
リリーへの歓声はレインのときよりも大きい。ロイドとサリーシャも群衆と一緒になってリリーを見上げている。まるでリリーがウルド国の藩王だった。歓声を一身に浴びるとリリーは口の端を
──ねぇ、レイン。わたしは今からあなたの愛するすべてを破壊します。それでも、あなたはわたしを許し、味方になってくれるでしょう。あなたの呪いは解けてなんかいない。むしろ、強まったのよ。
リリーは満足そうに目を細め、再びレインの腕へ手を絡める。そのとき、人々の歓声はいっそう大きくなった。
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