第22話 秘密01
「わたしがどのようにレインを治療したか、絶対に誰にも言わないでください。『
すべてが終わるとリリーはレインへ強く言い含めた。レインにとってリリーは身体を治してくれた婚約者。盲目的に信じるようになっていた。もっともなことだと納得し、両親にすら事情を語らなかった。
やがて、人々は『リリー殿下が秘薬を探し出してレインさまを治したのだろう』と納得し、リリーの慈悲深い行動に感謝しながら婚礼の日を心待ちにした。そして、1カ月ほどの月日が流れた。
婚礼の準備に追われるレインは西の城塞にある自室で
──明日にはガイウス大帝が到着して前夜祭が開かれる。そして、明後日は婚礼だ……。
婚礼が迫るにつれて不安は増してゆく。それは、リリーが姿をまったく見せないからだった。リリーは治療が終わってからレインと会おうとしない。『婚礼の準備がある』として城館に引きこもったままだった。
ウルディードへ集まった藩王や大貴族は口々に「リリー殿下はいずこか?」と尋ねてくる。そのたびにレインは「リリー殿下は婚礼の準備でご多忙にございます」と
──どうしてリリーは一緒に挨拶をしてくれないんだ。『一緒に星を見たい』と言ってくれたのに、婚礼の予行演習すらしない……僕は何かしたか?
考えこむレインの脳裏に浴室でのできごとが思い浮かぶ。リリーの肌の柔らかさと
──いや、何かしたどころじゃない……婚礼前だというのに僕はなんてことを……。
悔やんでも悔やみきれない。レインは椅子に座ると
「ベル、どうした?」
レインが尋ねるとベルは黙礼して目の前までやってきた。
「休憩中にごめんね。どうしても確認したいことがあって……」
「確認?」
「うん。レインは……リリー殿下と本当に結婚するんだよね?」
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
レインは質問の意味がわからずに眉をよせる。すると、ベルはおずおずとした口調で続けた。
「親衛隊や
「そんなはずはないだろ。ちゃんと調べたのか?」
「帝都からくる
ベルが心配するのも無理はない。リリー一行の家財道具を失くしたとなれば首が飛ぶ。不安げなベルを見ていたレインはクロエの顔を思い出した。
「クロエは? リリー殿下の侍女武官には聞いてみたのか?」
「うん。聞いてみたら『ご心配は無用です』とだけ答えてくれたよ」
「だったらいいじゃ……」
「そうはいかないよ!! 家財道具だけじゃなくて花嫁衣装も見かけないんだ……婚礼で不手際があったらクラウス家も僕の代で終わっちゃう」
「……」
ベルが頭を抱えるとレインも黙りこんだ。レインは婚礼当日にリリーがどんなドレスを着るかもわからない。そう考えると寂しい気持ちになった。
「なあ、ベル。今から僕と一緒に東の城館へ行かないか?」
「え……でも……」
「リリーの口から状況を聞けば、少しは安心するだろ? それに、僕も久しぶりにリリーと話しをしたい。普通に行っても断られるだけだから……いい
レインは立ち上がると扉へ向かう。リリーに会いたいという気持ちは、レインをいつになく積極的にさせていた。
× × ×
東の城館は
「明日、ガイウス大帝がウルディードへ到着して夜には婚礼の前夜祭が開かれる。酒宴が終わった深夜にわたしたちは決起する」
ソフィアは分隊長たちに告げると傍らのクロエへ
「みんな、もう一度地図を頭に叩きこんでね。ウルディード城内は入り組んだ造りなってるから、迷ったら終わりだよん」
クロエは舌につけた円形ピアスをカリッと噛む。そして、部屋に置かれた大型の木箱を見つめた。
「炸裂弾や爆薬はあの木箱に入ってる。それぞれの部隊へ慎重に運んで。設置場所は絵図に描いてあるから、間違わないでね」
「「「畏まりました」」」
分隊長たちは部下に命じて木箱を運ばせる。それを見届けると今度はソフィアが続けた。
「このわたし……ソフィア・ラザロがガイウス大帝を討つ。ウルディード上空に三連の火矢が上がったら帝国正規軍の駐屯場所を爆破。混乱に乗じて上級将校たちを押さえ、正規軍の指揮系統を分断する。粛清が終わり、リリーが皇位継承を宣言するまでが勝負だ。立ちふさがる者には容赦するな、斬り伏せろ」
「「「……畏まりました」」」
ソフィアの顔に焦りの色はない。口調も冷静そのものだった。分隊長たちは静かに頷き合って部屋を出ていく。分隊長たちが見えなくなるとソフィアは小さく息をついた。
──ベトラス国の人間は真面目で頼りがいがある……。
ベトラス国とはリリーの母ルシアの祖国。神聖グランヒルド帝国を形成する
リリーの親衛隊や
『帝国は
べトラス国の人間ならば誰もがそう思っている。本当は神聖グランヒルド帝国の皇太子でもあるアレンにルシアの無念を晴らして欲しかった。しかし、アレンも他の兄弟たちも沈黙を貫くばかりで何もしない。唯一、ベトラス国へとやってきて胸の内を語ったのはリリーだけだった。リリーはべトラス国の神官や重臣たちにこう言った。
『わたしは
神官や重臣たちは感激して胸が震えた。リリーにとってルシアはまだ死んでいない。そのことを知ったとき、彼らは悲嘆に暮れるばかりで何もしない自分たちを深く恥じた。彼らは、
『ベトラス国はリリー殿下を新たなる
と、約束した。事実、ベトラス国では文武に秀でた少年少女をリリーの親衛隊や近侍隊へ送りこんだ。少年少女たちはリリーと同年代であり、
『リリー殿下は傍観するだけの冷酷な兄弟たちとは違う。ルシアさまを救おうとなさるリリー殿下こそ、ベトラス国の正統な後継者。
と、信じて疑わない。やがて、親衛隊と近侍隊はリリーへの狂信的な忠誠心と圧倒的な戦闘力を誇るようになり、『もう一つの帝国正規軍』と呼ばれるまでに成長した。
──わたしとクロエはベトラス国の人間ではない。それでも、みんなはよく仕えてくれている……。
ソフィアはちらりとバルコニーへ視線を送った。そこではリリーが一人で
──でも、みんなはリリーを勘違いしている。リリーは復讐心にとらわれた
ソフィアだけはリリーの本心を知っている。リリーの目的は母の無念を晴らして皇帝になることではない。もっと単純で苛烈な目的を胸に秘めている。それは、隣にいるクロエですら知らないことだった。やがて、リリーがこちらへとやってくる。リリーはソフィアを見上げながら微かに口元をゆるめた。
「お客さんがいらしたわ」
リリーが呟くと同時に侍女が貴賓室へ入ってくる。
「失礼いたします。レイン・ウォルフ・キースリングさまとベル・クラウスさまがいらっしゃいました。リリー殿下、どうなさいますか?」
「もちろん会うわ。お通しして」
リリーが嬉しそうに微笑むとソフィアはゆらりと動いて後ろへ回りこむ。ソフィアの切れ長の目は油断なく周囲を警戒していた。
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