第21話 恐怖01
レインが寝なければリリーも寝ず、レインが食べなければリリーも食べない。そんな日が3日3晩続いた。リリーは休息をいっさい取らずにレインの治療に没頭した。
4日目の朝。ウルド砂漠の強い
不思議なことに、腫れで塞がっていた毛穴が開くと今度は毛髪が急速に伸び始めた。頭皮が見えていた頭も今は柔らかな黒い髪に覆われている。薄くなった眉毛も綺麗に生えそろっていた。
今、レインはベッドの上で眠っている。痒みと疼きが消え去ったのだろう。最後の膿の芯が抜かれると同時に深い眠りについていた。香炉の中に置かれた石炭も燃え尽きて真っ白な灰になっている。貴賓室にたちこめる
リリーは手押し車を片づけると窓を開けた。
──目元はサリーシャ、鼻筋はロイドに似ている……。
そんな感想を抱いていると
「朝陽とは心地よいものなのですね……」
いつもなら
「リリー……」
レインは嬉しそうに微笑んでいたが、リリーと視線が会うと悲しげに眉をよせた。リリーの目の下には隈ができ、頬も少しやつれている。
「リリーも少しは休んで……」
疲れ果てたリリーを見ていると素直に喜べない。しかし、レインが語りかけるとリリーは口元に笑みを浮かべた。
「わたしを心配してくれているのですね。とても嬉しいですが、それよりも……」
リリーはレインの手を取ってベッドから立ち上がらせる。そして、サイドテーブルに置かれた白い絹の
「レインの身体にはまだ死んだ皮膚が残っています。お湯を浴びて洗い流してください。あの……これは、着替えです」
レインへ着替えを渡すリリーは視線のやり場に困っている。レインは自分が裸であることにあらためて気がついた。
「も、申し訳ございません!!」
レインは顔を真っ赤にして慌てた。リリーには身体の隅々まで見られているはずのに、今はとても恥ずかしく思える。滑稽なほどに慌てふためきながら浴室へと向かった。
× × ×
城館には貴賓室のある5階に浴室も
皮膚病に悩まされていたときは『お湯を浴びる』なんて想像もできないことだった。温水を浴びればすぐに身体が赤く腫れ、痒みに襲われてしまう。レインは薬湯に浸したタオルで身体を拭くことしかできなかった。
──また、同じことになったら……。
皮膚が癒えたといっても、記憶まで癒えたわけではない。レインは銀色の
「わたしも3日間、
「し、しかし……」
「レインはまだお湯を浴びていないのですか? 砂漠の狼は世話がやけますね」
リリーは左手で胸元を隠しながらレインの前までやってくる。肌は白石よりも白く、しなやかな肢体は蒸気を纏って妖しく輝いていた。レインは高鳴る鼓動を鎮めるように視線を落とした。そして、少し悔しそうに口を開く。
「情けないことに、恐怖を感じています」
「……恐怖?」
「はい」
リリーが首を傾げるとレインは振り返って
「皮膚は世界と自分を隔てる境界線です。皮膚病を
「そんなことはありません」
レインが本音を口にするとリリーはレインの背中へぴたりと身体をくっつける。柔らかな胸の感触を背中に感じるとレインの鼓動はかつてないほど早くなり、頭と身体の奥が熱くなった。
「リリー、何を……?」
「……」
レインが問いかけてもリリーは答えない。かわりに後ろからレインの右肘をそっと握り、右腕を降りそそぐシャワーのなかへ導いた。やがて、二人の身体を温水が伝う。腕、身体……初めて浴びる温水は驚くほど心地よく、乾いたカサブタをふやかし、流れ落としてゆく。
「はは……あはは」
レインは身体を伝って跳ねる
「本当に……本当に僕は何も知らなかったのですね」
「……」
リリーは戸惑った。レインの目じりを流れているのは温水だけではない。レインは泣いていた。レインの潤んだ黒い瞳は限りない感動と感謝を伝えていた。
「あなたは僕を治してくれた……」
レインは濡れそぼつリリーの銀髪を優しくなでると、小さな肩をそっと抱きよせる。リリーは青い瞳を丸くしてレインを見上げた。
「きゅ、急にどうしたというのですか……」
レインの両腕は思ったよりも筋肉質で、痛いくらいに熱い体温が伝わってくる。腕を振りほどこうと思えばできるのに、リリーはなぜかそうしなかった。やがて、レインは少し身を屈めてリリーの耳元へ口をよせる。
「ありがとう、リリー」
低く優しい声がリリーの耳をくすぐる。リリーは眉根をよせながら首を
「ねぇ、くすぐったいわ……」
自分でも信じられないほど甘く切ない声色だった。リリーは自分の声色に赤面し、慌ててレインの腕を振りほどく。
「ちょっと、調子に乗らないで」
「も、申し訳ございません!! リリー殿下!!」
「もう……」
リリーは照れ隠しでもするようにわざと頬を膨らませてレインを睨む。
──あれ……?
レインの申しわけなさそうな顔を見ているとリリーはなぜか心が温かくなるのを感じた。それは、今までに感じたことのない不思議な感情だった。
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