第20話 指先02

 リリーはピンセット扱う指先に神経を集中し、丁寧に膿の芯を抜いてゆく。その仕草は精緻せいちを極めていた。愛する者を決して傷つけないという覚悟と慈しみにあふれている……少なくともレインにはそう見えた。



──リリーは僕を想ってくれている。リリーを信じなくてどうする……。



 レインは猛烈な痒みに耐えながら自分を励ました。貴賓室には膿の芯が石炭に溶ける音だけが響き、それ以外は物音一つ聞こえない。しかし、城館の外は騒がしくなり始めていた。



×  ×  ×



「てめぇ、ずっと気味悪い顔をしやがって。こっちを見てんじゃねぇ!!」



 城門を守る部隊長は苛立ちを隠さなかった。目の前ではベルが薄ら笑いを浮かべてこちらを見つめている。レインが城館へ入ってからというもの、ベルはずっとこの調子だった。部隊長にはベルの顔つきが人を見下し、バカにしているように思えた。



「リリー殿下の親衛隊に喧嘩でも売ってんのか?」



 部隊長が凄むとベルはようやく口を開いた。



「品性のない言いがかりだなぁ……僕は城門の外にいる。警護の邪魔なんてしていないよ。文句があるならこっちへ来て注意すればいいじゃないか。あれ? もしかして僕が怖いの?」

「な、なんだと!?」

「皇女親衛隊もたいしたことがないね。あははは!!」



 ベルは面白そうに笑い始める。部隊長はこめかみに血管を浮かべながらも、冷静に状況を考えた。



──コイツ、俺たちが『先に手を出す』ように仕向けてやがるな。後ろの二人も親衛隊を相手にしているというのに動揺してねぇ……。



 あからさまな挑発だとわかっていても、皇女親衛隊を侮辱されて見過ごすわけにはいかない。部隊長は帯剣に手をかけた。



「もう冗談じゃすまさねぇぞ!! 親衛隊はこっちへ集まれ!!」



 部隊長の怒号が飛ぶと城館からも親衛隊が集まってくる。それを見たジョシュとダンテはベルの隣へやってきた。ダンテは小声でベルをたしなめる。



「ベル、少し言い過ぎですよ」

「あいつらはレインをバケモノって言ったんだ。許せるわけがないだろ……」



 ベルは奥歯を強く噛んで歯ぎしりすると、ダンテを見上げて睨みつける。



「ダンテはレインをバカにされて悔しくないの? それでも副官かよ」


 

 言葉の端々には怒りが滲んでいる。ベルはいつもは優しい少年だが、一度怒りに火が付くとなかなか鎮火しない。レインのこととなると、なおさらだった。それに、ダンテを信頼しているからこそ『なぜ黙っている?』と糾弾し、悪態をつく。ダンテが困り顔になるとジョシュがベルの肩を叩いた。



「俺にはお前の気持ちがわかるぜ。売られた喧嘩なら買おうじゃねぇか。相手が皇女親衛隊なら不足はねぇ。戦うときはみんな一緒だ」



 ジョシュも部隊長に腹を立てている。集まる親衛隊を見ながら不敵に笑った。ベルも頷きながら微笑み返している。そんな二人を見てダンテは呆れた。



「二人とも喧嘩ですむはずがないでしょう……わたしが話してきます」



 ダンテはいさかいをとめるべく部隊長の前へ進み出る。そのとき、城館の方から女の声で号令がかかった。



「親衛隊は左右に展開して整列!!」



 大声が轟くと部隊長たちはギクリとした顔つきで立ち止まり、慌てて左右に展開する。親衛隊が整列するとその間を4人の女たちが歩いてきた。女たちは茶色がかった髪の左右を刈りこみ、長髪を頭頂部で一つにまとめている。ジョシュやダンテを見下ろすほどの巨体で、重々しい甲冑を着こみ、巨大な戦斧せんぷを担いでいた。歩く姿は自信に満ちあふれ、一歩ごとに地響きがするように思えた。


 女たちは『ラゲルタ4姉妹』といい、皇女親衛隊の副隊長を務めている。4人とも武芸と機知きちひいでており、親衛隊では重装騎兵を率いていた。ソフィアが安心して皇女親衛隊を指揮できるのも『ラゲルタ4姉妹』がいるからだった。



「もお、ちょっとぉ~!! 何を騒がしくしているのぉ~!!」



 『ラゲルタ4姉妹』の長女、リタが身体を屈めて部隊長の顔を覗きこむ。リタの後ろでは次女リズ、三女リサ、四女リルが直立している。部隊長は『ラゲルタ4姉妹』の圧力に緊張しながら答えた。



「リタさま、こいつらが喧嘩を売ってきたので……」

「ふぅ~ん」



 リタはジョシュ、ダンテ、ベルを一瞥したあと部隊長へ視線を戻した。



「あんたねぇ、ソフィアさまの留守中にウルドの兵士と喧嘩なんかしたら……恐ろしいことになるわよ」



 リタが告げると後ろで次女リズも「うんうん」と頷く。



「リタねえの言う通りよ。ソフィアさまに私闘がバレたら、きっと切り刻まれてしまうわ」

「「ヤダ、こわ~い!!」」



 三女リサと四女リルは大げさに怖がってみせる。部隊長の顔色が悪くなるとリタは城館の方を向いた。



「ソフィアさまには黙っておいてあげるから、あんたたちは門番を交代して宿舎に戻りなさい」

「か、畏まりました……」 



 あれだけ居丈高だった部隊長も『ラゲルタ4姉妹』には頭が上がらない。おとなしくリタの指示に従った。騒ぎが落ち着くとリタはダンテの前へとやってくる。



「ごめんなさいねぇ~親衛隊の兵士たちは今、リリー殿下の婚礼を控えて気が立っているの。非礼があったのならお詫びするわ」



 リタはダンテにも顔を近づけてくる。リタの唇には紫色の口紅がベットリと塗られており、香水の強い香りも漂ってくる。ダンテは眉一つ動かさずにリタの目を見つめた。



「我々にも非礼がありました。ご容赦いただけると幸いです」



 ダンテが頭を下げると後ろでジョシュとベルも頭を下げる。その姿を見たリタは満足そうに頷きながら右手を差し出した。



「それじゃあ、お互い水に流しましょ。わたしはリタ・ラゲルタ。ソフィアさまが率いる皇女親衛隊の副隊長よ」

「わたしはダンテ・カインハルト。レインさまの副官です」


 

 ダンテとリタが握手を交わすと、ジョシュやベル、他の姉妹たちも交互に握手を交わす。殺伐とした雰囲気が和むとダンテはレインのことを尋ねた。



「ところで、レインさまはいつごろお戻りになりますか?」

「それはねぇ、ソフィアさまから直接聞くといいわ。もうそろそろお帰りになるころよ」



 リタが告げると間もなくして東の城塞に馬蹄の音が響く。ダンテ、ジョシュ、ベルが来た道へ視線を向けるとソフィアが騎兵の一団を引きつれてこちらへ向かってくる。その姿を見た三人は驚いて目を見張った。ソフィアの隣には藩王ロイドと奥方サリーシャの姿があった。

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