第28話 皇太子02
──なんて答えればいい……。
レインが返答に困っているとアレンは少しだけ話題を変えた。
「君はリリーのために3万を超える大軍を
「……それは、父ロイドの威光であってわたしの力ではありません」
レインが正直に答えるとアレンは小さく首を振る。
「ロイドがどれだけの実力者だろうと、君自身に魅力がなければ誰も協力しないよ。民も兵士もそこまでバカじゃない。みんなは君に『ウルド国の未来』を感じたんだ。だから、協力を惜しまなかった」
アレンはレインを評価しながら続けた。
「君みたいに若くて優秀な人物が貴族院の議員になってくれるなら、僕はすぐにでも皇位につける。ゆくゆくは僕が皇帝で、君が帝国宰相と貴族院議長を兼任する。どう? 夢のある話だと思わないかな?」
楽しそうに語るアレンは本気とも冗談ともつかない口ぶりだった。ただ、危うい会話であることに変わりはない。アレンは「皇位を
「そのように恐ろしいことを仰らないでください」
「恐ろしいだって!? 君が言うの?? あはは……あははははは!!」
レインが慎重に言葉を選ぶとアレンは愉快そうに笑い始めた。そして、血色のよい赤い唇を歪ませる。
「ねぇ、レイン。嫉妬に駆られた君がリリーを見つめる瞳、あの瞳こそ恐ろしかったよ。悪意を内包した恐ろしさを秘めていた。君はリリーとリヒャルトに害意を抱いたはずだ」
「……」
どのような方法を使ったのかは知らないが、アレンはレインの心境に気づいていた。レインはギクリとして身体が固まり、全身から血の気が引いてゆく。アレンはレインの沈黙を肯定ととらえて頷いた。
「焦らなくてもいいよ。僕は問題事にするつもりはない。むしろ、感心したんだ。僕やリリーの権威にひれ伏す奴らは今までに大勢見てきた。でも、牙を
「次期皇帝である僕と手を組めばウルド国はさらに大きくなる。それに、リヒャルトやケラー……気に入らない大貴族たちだって簡単に粛清できる。そもそもが、自己の利益と権威ばかりに執着する傲慢な連中だ。僕は彼らがどうなろうとかまわない。レインが皆殺しにするなら、僕の手間が
アレンはゆったりとした動作で両手を広げた。
「何から何まで思いのままだ。君が貴族院議員になるなら……リリーとウルド国の繁栄、その両方を得ることができる」
「……」
レインは少し考えるそぶりを見せたあと、おもむろにアレンの瞳を見つめた。
「もし、わたしが貴族院議員になるとして……わたしはアレン皇太子殿下のご恩をどのように返せばよいのでしょうか? アレン皇太子殿下の経済的、または軍事的援助でしょうか?」
会話の内容に危険性を感じたレインはアレンの提案に興味があるふりをした。そうしないと後日、粛清の対象にされそうな気がしていた。レインの返答が嬉しかったのか、アレンは身を前に乗り出して声をひそめた。
「簡単だよ。僕のために『たった一人』を暗殺してくれるだけでいい」
レインは暗殺という単語を聞いて背筋が凍る思いだった。それでも冷静さを
「……それはどなたですか?」
「それは……」
レインは名前を聞くのが怖かった。アレンの口から出てくる名前によっては結婚どころではなくなる。こめかみを流れる冷や汗が頬を伝うころ、ようやくアレンが口を開いた。
「……僕自身だよ」
「!?」
レインは言葉の意味がわからない。『自分自身を暗殺しろ』だなんて、未だかつて聞いたことのない話だった。眉を顰めて
「アレン殿下、わたしをからかわないでください」
「……僕がからかっているように見えるかい?」
いつの間にかアレンの顔から笑みが消えている。真っ白な肌からは生気がまったく感じられない。青い瞳は冷たく輝き、問い
「しかるべきとき、しかるべき場所で僕を殺してくれればいい。僕が死んだあとは好きにしてもらってかまわないよ。皇位に
「……御冗談が過ぎます。とてもお答えできません」
「じゃあ、皇太子である僕の提案を断るというわけだ」
「……」
断るも何も、すべてが突拍子もない話だった。レインが黙りこむとアレンは口の端に笑みを浮かべた。
「まあ、いいさ。僕はちゃんと君に提案した。断ったのは君だ。困らせて悪かったね」
そこまで言うとアレンは一方的に会話を打ち切り、立ち上がって握手を求めた。
「レイン、君と話せてよかった。また、話そう。今度は兄弟として」
「光栄です、アレン皇太子殿下」
レインは不安を抱えながらもアレンと握手を交わす。アレンの手は人の
「アレン皇太子殿下、最後に一つお尋ねしてもよろしいですか?」
「もちろんだよ。君は僕の弟になる。遠慮なんかせずに何でも聞いてくれ」
「では……今、アレン殿下がお話しになったこと……わたしがガイウス大帝に
問いかけるとアレンの目が一瞬だけ鋭くなった。しかし、すぐに柔らかな眼差しへと変わる。リリーと同じ眼差しはレインの心を覗き見るかのようだった。やがて……。
「君は言わないよ」
アレンは無邪気に笑いながら言った。
「だって、君はリリーに夢中だろ? リリーの家族を壊すなんてこと、できやしないさ」
「……」
レインは何も言えなかった。アレンの言う通り、きっと『この場かぎりの話』として忘れるようにするだろう。レインが押し黙るとアレンはレインの肩へ手を置き、息づかいが聞こえるほど顔を近づける。そこに皇太子と臣下の距離はない。アレンはレインの耳元へ口をよせると、低く艶っぽい声でささやいた。
「ねぇ、レイン・ウォルフ・キースリング……僕はね、リリーに恋焦がれる君が好きだけど、野心に燃える姿も見てみたい」
「……」
「いずれ、君は僕を殺したくて仕方なくなるはずだ。誰かを殺したい、女を手に入れたい、権力が欲しい……心の底から湧き起こる情念の炎こそ狼に相応しい……心からそう思っているんだ」
アレンは意味深に微笑んで大広間を出て行こうとする。レインが呆然としたまま背中を見送っていると、アレンは思い出したかのように扉の前で振り返った。
「いつの日か、
『
アレンは満面の笑みでレインへ告げる。その笑顔は青年らしい爽やかな魅力と力強さに満ちていた。しかし、レインは複雑な心境だった。リリーにしろ、アレンにしろ、兄妹そろって美しい外見の裏側に陰湿な狂気と野望を秘めている……そんな気がしてならなかった。
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