第28話 皇太子01

 前夜祭は深夜になってようやくお開きとなった。レインはもてなす側の人間として、最後の一人が席を立つまで大広間にいた。当然ながらガイウス大帝やリリーたちはすでに退席している。



──やっと前夜祭が終わった。



 誰もいなくなった大広間はひっそりと静まり返っている。レインは席の一つに腰をかけ、天井を仰ぎながら一息ついた。何もかもが怒涛の勢いで過ぎ去ってゆく。リリーと初めて出会ってからそう日がたっていないのに、遠い過去のように思えた。



──太陽が昇れば今度は結婚式か……。



 そんなことを考えていると突然、肩を叩かれた。振り返ると金色の聖冠せいかんいただいたアレンが立っている。アレンは護衛を同行させず、一人だった。



「こ、これはアレン皇太子殿下!!」

「少しいいかい?」

「もちろんです!! 今、席をご用意いたします!!」



 レインが慌てて立ち上がろうとすると、アレンは手で制して正面の席へ腰かける。二人はテーブルを挟んで向かい合った。



「そんなにかしこまらなくていいよ。僕と君は明日、兄弟になるのだから」

「はい……」



 『兄弟』という単語を聞くとレインは急に結婚の実感が湧いてくる。恐縮しているとアレンは優しく語りかけてきた。



「それにしても、あのリリーが結婚するなんてね。驚いたよ」

「……」



 微笑むアレンは本当にリリーと似ている。爽やかで優しげな笑顔にレインは見とれてしまいそうになった。返答に困っていると、アレンはリリーと同じ青い瞳でレインの顔を覗きこんだ。



「ところで、君は政権に興味はないかな?」

「政権? それはどのような意味でしょうか?」



 質問の意味がわからずに聞き返すとアレンは微笑みを絶やさずに続けた。



「そのままの意味だよ。僕は君を貴族院の議員に推薦しようと思っている」

「わ、わたしを貴族院議員に!?」



 貴族院とは藩王や大貴族たちで形成される議会のことだった。藩王の地位を継承していないレインにとってはとんでもない出世話になる。レインが驚くのも無理はなかった。



「アレン皇太子殿下、それは『ウルディードを離れて帝都グランゲートに来い』という意味でしょうか?」

「まあ、そうなるかな。どうだろう? 悪い話じゃないと思うけど……」

「……」



 皇太子に『貴族院の議員に推薦する』と言われている。レインは悪い気がしなかった。しかし、故郷を離れて帝都におもむくなど、簡単に決断できることじゃない。リリーとの新婚生活も控えていた。



「お言葉はとても嬉しいですが、すぐに返答はできかねます。それに、わたしは藩王はんおうでもありません。アレン皇太子殿下の御役おやくに立てるとはとても思えません」

「謙遜しないでよ。君はウルド国の後継者じゃないか」



 アレンは少しだけ身を乗り出した。



「ウルド国は不毛な辺境国家と言われているが実際は違う。ウルド砂漠にはゲルン鋼や金銀の鉱脈がいくつもあり、砂漠を往来する貿易船がもたらす利益ははかり知れない。その実情は豊かな地下資源と貿易港に恵まれた強国だ。保有する軍船は千を超え、重騎兵じゅうきへい弓騎兵きゅうきへい突撃騎兵とつげききへいといった常備軍じょうびぐんは万を超える……やがて、君はそんなウルド国を継承する」



 アレンはウルド国の内情に詳しかった。レインが驚いているとアレンは口元をゆるめてクスクスと笑う。



リリーの夫となる人物だからね。僕なりに調べたんだ。それに……何よりも羨ましいのは、ウルド国の藩王ロイドが老人じゃないことだよ」

「え……」



 急に父ロイドの名前を出されてレインは戸惑った。アレンは椅子に深くよりかかり、ため息をいていた。



「本当に羨ましいよ……神聖グランヒルド帝国の皇帝は老人だからね。そのくせ、『帝国の未来を考えている』とか平気でのたまうのさ。得意げに未来を語る老人ほど危険なものはないよ。老人が国政をになうと国家は衰退してしまう」



 アレンは笑みを絶やさないが、物言いは苛烈そのものだった。

 


「僕はね、後進に道を譲らないには退してもらおうと考えている。それが国家にとって最も健全で、真っ当だからだ」



 アレンの言う『老人』はガイウス大帝のことを指している。そうなると、『退場』とはどういう意味だろうか?



──と、とんでもない話を聞かされている……。



 レインは耳を塞いでこの場を駆け去りたかった。しかし、会話の相手はリリーの兄で神聖グランヒルド帝国の次期皇帝。レインどころかウルド国だって自由にできる。無視するわけにはいかなかった。ただ、どうしても適当な言葉が見つからない。レインが黙りこむとアレンは静かに口を開いた。



「君だってロイドがいなくなれば藩王だろ」



 ほんの一瞬だが、アレンの瞳が冷たく輝いた。それは深い憎悪に満ちあふれた眼差しだった。レインが顔色を失うとアレンはすぐさま微笑みをたたえる。口元だけを動かし、無感情な声色で尋ねた。



「さて……もう一度だけ尋ねる。レイン・ウォルフ・キースリング、貴族院議員になって僕に仕える気はないかな? 心して答えた方がいい。返答によっては君の未来が大きく変わる。よりよく変化するか、もしくは……血塗られた悲惨な未来になるか……君次第しだいだ」



 アレンの口調は穏やかだが内容は脅迫に等しい。アレンはリリーと同じ青い瞳で問いかける。頭上では皇太子のあかしである金色の聖冠が鈍い輝きを放っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る