第27話 嫉妬

 レインは初めてリヒャルトに嫉妬した。嫉妬という得体の知れない感情は黒いもやのように心を覆う。レインは上目づかいになると妬ましそうにリリーとリヒャルトを睨みつけた。



──いつまで踊っているつもりだ……。 



──音楽が鬱陶しい。 



──やけに喉が渇く。

 

 

 優雅に舞う二人を見ていると様々な思いが胸をよぎり、何もかもがレインを苛立たせる。普段は温厚なレインも怒りで皮膚がひりつき、奥歯をギリッと強く噛みしめた。



──リリー、君は僕の身体を癒し、愛してくれたじゃないか。どうして他の男に触れる? どうして僕を苦しめるんだ……。



 レインは『女を好きになること』の苦しみを知らず、自分の価値観を押し付けている。幼い思考はどんどんと暗くなり、残忍な想像が止まらなかった。



──僕を侮辱して苦しめるなら、いっそのことこの場で二人とも……。



 レインは嫉妬という激情に囚われて帯剣にそっと手をそえる。その些細な動作をジョシュ、ダンテ、ベルは見逃さない。レインの後ろにいた彼らも同じように帯剣へ手をそえる。彼らはレインと同じように抑えがたい怒りを感じていた。


 『レインが剣を抜くなら自分も抜く』……ときに、揺るぎない友情や忠誠心は何もかもを度外視どがいしにする。ジョシュ、ダンテ、ベルに『レインを止める』という発想はない。彼らは青年特有の無軌道で無鉄砲な覚悟を瞬時に決めていた。


 野良犬とさげすまれた狼たちは本能のままに牙を見せようとしている。狼たちが牙をくとなれば、そこに権威や権力は通用しない。狼たちがつき従うのはれを率いるレインのみだった。



──どうせ僕たちは野蛮な狼。でも、誰だって心の中にけだものを飼っている。獣に理性を求める方がおかしい。



 レインにとってリリーは大切な婚約者だった。それなのに、傷つけられると自分以上に傷ついて欲しいと願ってしまう。心も身体も自分以上に傷ついて欲しい。そして、後悔して欲しい……レインは残虐な自分を肯定するように歪んだ思考を張り巡らせた。周囲ではジョシュが警備兵の位置を確認し、ダンテが彼我ひがの戦力計算をし、ベルが手勢を呼ぶ呼子よびこ(小さな笛)を握りしめている。やがて……。


 レインは宴会場のすみにソフィアを見つけた。ソフィアは長剣を抱きかかえるようにして椅子に座っている。その視線は優雅に舞い続けるリリーではなく、レインへ向けられていた。細くて鋭い眼差しには疑心と敵意が満ちている。


 ソフィアはレインたちから不穏な空気を感じ取ってユラリと立ち上がった。そして、ゆっくりと近づいてくる。長剣のを外し、目立たぬように静かな足取りでレインたちへ歩みよってきた。全身からは刺すような殺気が放たれている。すると……。


 おもむろにジョシュがソフィアの進路に立ち塞がった。レインはジョシュの背中から並々ならぬ緊張感を感じて少しだけ冷静さを取り戻した。



──僕が剣を抜けば、みんなも抜く……刹那の感情に身を任せて凶行に及ぶのか? 破滅しか待っていないぞ……。



 レインがそう思いいたったとき、ふいに音楽が止まった。とたんに割れんばかりの拍手と歓声が大広間を包みこむ。リリーとリヒャルトはうやうやしく一礼いちれいを交わしていた。歓声に応えるリリーは人垣にレインの姿を見つけて満面の笑みを浮かべた。



「レイン!! 見てくれましたか!?」

「……」



 リリーの明るい笑顔を見たレインはギクリとして帯剣から手を放した。それを見てジョシュたちも帯剣から手を放す。ソフィアもこちらを警戒しながら席へ戻っていった。リリーはレインへ駆けよると嬉しそうにレインの顔を見上げた。



「帝都では独身最後の夜にダンスをするの。ダンスの相手をリヒャルトお兄さまが務めてくれたのよ」

「そうでしたか……」



 ダンスが慣習だと知っても、レインの心が晴れることはなかった。リヒャルトを見ると会釈えしゃくをしてくる。レインも頭を下げるが、どこか不満げな顔つきになっていた。そんなレインを見てリリーは意味ありげに目を細めた。



「もしかして……レインはリヒャルトお兄さまに嫉妬したのですか?」

「そんなことはないよ」



 図星だったがレインは「違う」と嘘ぶいた。すると、リリーは動揺を見透かすようにクスクスと笑う。そして、左手を伸ばしてレインの頬にそえた。



「怒らないでください。明日はあなたと一緒に婚礼のダンスを踊るから……」

「え!? そうなのですか!?」

「婚礼でのダンスは当たり前でしょ? 今から楽しみにしているわ」

「……う、うん」


──ダンスなんて踊れないぞ? 



 そう思いながらも、リリーに見つめられるとレインは無条件で頷いてしまう。あれだけ嫉妬にとらわれていたくせに、リリーの笑顔にはレインの心を瞬時に解きほぐす魔力があった。



──リリーは今、僕のそばにいる。それで十分じゃないか……。



 リリーの青い瞳を見ていると心を支配していた負の感情が一斉に引いていく。まさに魔性の瞳だった。



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