第26話 前夜祭03

 階段を駆け上がる足音の正体はダンテだった。ダンテはレインたちの顔を見ると安心してため息をつく。



「宴席を抜けたと聞いたので……ここだと思いました」



 ダンテは苦笑しながら語りかけた。



「レイン、行き先くらい告げてから席を立ってください。ベル、君がついていながらダメじゃないか……」

「「ご、ごめん。ダンテ」」



 レインとベルは申し訳なさそうに謝る。二人の姿を見たダンテはいたわるように微笑んだ。



「まあ、何があったかくらいは想像がつきます。大変でしたね……ところで、ジョシュ」



 ダンテは真剣な顔つきになった。



「ウルディードの警備兵を引き上げたと聞きましたが、本当ですか?」

「ああ、帝国正規軍からの軍令だからな。どうしようもなかった」

「そうでしたか……」



 ダンテは帯剣たいけんつばに左手をそえると親指で何度もはじく。それは、考えごとをするときの癖だった。やがて顔を上げるとレイン、ジョシュ、ベルを見回した。



「彼らの態度……妙だとは思いませんか?」



 ダンテが尋ねるとジョシュは苦々しい顔つきで肩を竦ませる。 



「帝都の大貴族たちが傲慢なのは今に始まったことじゃねぇ」

「いえ、そうではなくて……皇女親衛隊のことです」



 ダンテが答えるとレインたちは顔を見合わせる。ダンテはリリーが住まう東の城塞の方を見た。



「リリー殿下がダルマハルを通過したときも、レインのやまいを治したときも、皇女親衛隊はわたしたちを乱雑にあつかいました。考えてもみてください。レインがリリー殿下と結婚すれば、レインは親衛隊が仕えるべき主君となります。それなのに、あまりにも不敬な態度でした」

「それは、僕に威厳がないから……」



 レインが俯くとダンテは首を振った。



「そうではありません。ベルと一緒に調べてみたところ、親衛隊の生活用品を積んだ荷駄にだが帝都から到着していません。それにも関わらず、弩砲どほうや二輪馬車といった武器や戦車せんしゃ周到しゅうとうに用意されています」



 ダンテは切れ長の目をいっそう細くする。美男の顔立ちが神経質そうな表情にかわった。



「親衛隊は皇女の身辺警護を任務としています。重武装が当たり前と言えば、そうかもしれませんが……生活用品がないなんてあまりにも不自然です。それに、ウルド砂漠で消えた皇軍も気になります」



 ダンテはハイゼル将軍から『ウルド砂漠で皇軍が消えた』ということ聞いている。不穏な口ぶりになるとジョシュが頷いた。



「確かにな。俺たちの庭で大軍が消えるなんてありえねぇ。消息をつかませないなんて、何か思惑があるとしか思えねぇな」

「お、思惑って何?」

「……」



 ベルが不安そうに尋ねるとジョシュは黙りこむ。やがて、ダンテがおもむろに答えた。



「今、ウルディードには神聖グランヒルド帝国の皇帝、皇太子、皇族が集結しています。帝位簒奪を目論もくろやからがいるとすれば、絶好の好機となるでしょう」

「……バカな話はやめてくれ」



 それまで黙って聞いていたレインがダンテを制した。ダンテの話は突飛で、リリーやその家族を疑うものだった。下手をすれば婚礼を危うくする考え方であり、レインは黙っていられなかった。



「僕は明日リリーと結婚するんだぞ。変なことを言わないでくれ」

「そうでしょうか……皇軍といえども『誰の軍隊か?』『目的は何か?』がわからなければ恐ろしいものです。ウルド国には今、正体不明の軍隊がいるのです。慎重に行動するべきでしょう」



 ダンテは淡々とレインへ進言する。忠臣としての気位がそうさせていた。そのことを知るだけにレインは黙りこむ。するとダンテはジョシュとベルに語りかけた。



「ジョシュ、バーランド家の兵士はウルディードにどれほど残っていますか?」

「4、500人といったところだ。市中警備の任を解かれちまったからな。みんな暇にしているぜ」

「わかりました。ベル、クラウス家の兵士はどうですか?」

「300人くらいかな。でも、饗応や城内警備に人を割いてるから動かせるのは100人くらい……」

「なるほど。わたしのカインハルト家は500人ほどがウルディード市内にいます。わたしたちが動かせるすべての兵士をレインの城館に集めましょう。用心するに越したことはありません」



 ダンテは鋭い視線のまま物事を決めてゆく。ジョシュとベルも同意するように頷き合っている。レインは今さらながら困り顔になった。



「少し大げさ過ぎないか? 父上や母上、重臣たちには何て説明する?」

「レイン、あなたはウルド国の次期藩王であり、リリー殿下と結婚すれば皇族に連なるのですよ? 説明なら『身辺警護を厳重にする』という名目だけで十分です。何かあってからでは遅いのですから……」

「……」



 レインは大げさに思えたが、ダンテたちの気持ちを無下にすることもできない。それに、悪夢のことも気になった。



「それじゃあ、ダンテの助言に従うよ」



 レインが頷くとダンテは緊張した雰囲気をなごませるように表情を崩した。



「さて、だいぶ時間がたちました。そろそろ戻りましょうか。主役がいなければ前夜祭は盛り上がりません」



 ダンテが皮肉をこめて言うとレインたちは苦笑しながら宴会場へ戻った。しかし、不思議なことに大広間へ近づいても貴族たちの騒がしい声が聞こえてこない。それどころか、弦楽器の美しい音色が聞こえてくる。



──え……!?



 会場へ入ったレインは思わず目を疑った。大広間の中央ではリリーとリヒャルトが静かな曲調に合わせてダンスを踊っている。柔らかな表情で見つめ合い、手をとり合って軽やかに舞っていた。二人は想い合う恋人同士そのもので、大貴族たちは美しく舞う姿に見とれて声を失っている。


 聞いたことのない旋律。優雅に舞う銀髪の皇女と金髪の貴公子。すべてがレインの知らない世界だった。レインはそこにリリーが本来いるべき世界を見た。楽しそうなリリーを見ていると、悔しさ、悲しみ、そして怒りが湧いてくる。説明のつかないグチャグチャとした感情が心を支配した。



──リ、リリーは僕の妻となるひとだぞ!! 気安く触れるな!!



 レインは叫びたくなるのを辛うじてこらえた。衝撃で身体が硬直しているが、目だけは美しく舞うリリーの姿を追いかけてしまう。


 『ここに僕の居場所なんてない』『立ち去ってしまいたい』とも考えたが、『立ち去ったら負けだ!!』と心の奥底で自負心が叫んでいる。ただ……自分がみじめだと思えば思うほど、レインの心臓は痛いくらいに強く脈打った。

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