第26話 前夜祭02

「レイン、よく我慢したね……」



 レインが宴会場を抜けると付き添うベルは声を震わせた。人気のない廊下に出ると肩までも震わせる。



「こ、ここまで侮辱されなきゃいけないのかな?」

「ベル……」



 ベルはレインと一緒に武術大会へ随行している。レインが理不尽な八百長に巻きこまれたことを知っていた。



「レインは仕方なく負けてあげたんだ。『弱い』のはあいつらの方じゃないか。それなのに、みんなの前でバカにするなんて……なんだか……僕……」



 ベルは瞳に涙をたたえてレインを見上げた。



「悔しいよ」



 ベルの茶色の瞳からポロポロと涙がこぼれた。そして、それを握りこぶしで不器用にぬぐう。悲しむベルを見ていたレインはすぐに思い当たった。



──ああ、そうか……ベルもつらい思いをしていたんだ……。



 ベルはウルディードへやってきた大貴族たちの饗応きょうおうを担当している。傲慢な大貴族たちから何度も心ない言葉をかけられていたのだろう。ずっと我慢していたが、レインを侮蔑されたことで感情のせきが決壊していた。



「僕は知ってる。レインは優しくて強い。それにリリー殿下のため、戦争でもないのに大軍を用意したじゃないか。みんなが慕う勇敢な狼なんだ。犬とか言われる筋合いなんてない……」


──ベルは僕の代わりに泣いている。



 そう思うとレインは居たたまれなかった。ベルの肩にそっと手を回して静かに語りかける。



「ベル、あいつらは僕たちを『弱い』とバカにすることで自分たちが『強い』と言いたいんだ。相手にするだけ無駄だよ」



 言っていて虚しくなるほど軽薄な言葉だった。結局は理不尽なさげすみを受け入れろと言っている。レインはベルの友情や忠誠を踏みにじっている気がした。



──僕はなんて情けないんだ……。



 レインにできることは言葉を選んでベルを慰めることだけだった。



「婚礼が終わるまで……明日までの我慢だ。そうすれば、また静かな日常が戻ってくるよ」

「う、うん……」



 ベルの涙が止まったころ、レインたちは側防塔そくぼうとうに着いた。側防塔とは城壁に設けられた煉瓦の塔のことで、最上部からはウルド砂漠やウルディードの街並みが見下ろせる。


 この場所はレインやベル、ジョシュやダンテにとって特別な場所だった。戦時中は別として、めったに衛兵も来ない。レインたちは幼い頃からここを『秘密基地サザリア』と呼んでいた。


 厳しい戦闘訓練で根を上げそうになったとき、大切な人を失った悲しみに耐え切れなくなったとき、そしてこっそりお酒を飲もうとしたとき……レインたちはこの場所に集まって、自分たちの未来やまだ知らぬ恋について語り合った。


 ウルディードの風景を眺めながらとりとめのない話をする……たったそれだけだが、レインたちにとってはかけがえのない時間だった。



『何かあったら秘密基地サザリアへ行け。きっと誰かが待っている』



 レインたちにとって秘密基地サザリアは今も心のよりどころだった。



×  ×  ×



 側防塔そくぼうとうを上りきると涼しい夜風がレインとベルの間を吹き抜ける。辺りを見回した二人は先客がいることに気づいた。矢を防ぐ胸壁きょうへきにジョシュが座っている。ジョシュは紙巻きタバコを吸いながらボンヤリと夜の街並みを見下ろしていた。



「ジョシュ、どうしたんだ?」



 レインが呼びかけるとジョシュはすぐに振り向いた。ボンヤリとしていた表情がだんだんと険しくなってゆく。



「やることがねぇから、暇潰しをしているだけだ」

「暇潰し?」



 ジョシュには街の警備という任務がある。暇になるはずがない。レインが疑問に思っているとジョシュは先回りして答えた。



「ガイウス大帝が連れて来た帝国正規軍の奴ら、なぜか傭兵がほとんどで急造の軍隊みたいなんだ。軍紀も何もあったもんじゃねぇ。街でデタラメに騒ぎやがった。酒代は払わねぇ、物は壊す、女や子供には乱暴する……まるで野盗の集団だよ」



 ジョシュは目つきを暗くして奥歯をギリッと噛んだ。



「普段なら問答無用で取り押さえるが……俺たちが皇帝直属の兵士を怪我させたら大問題になるだろ?」



 神聖グランヒルド帝国には帝都グランゲートを世界の中心と考え、それ以外を蛮土ばんどと考える習慣がある。帝国正規軍を自負する兵士たちが『辺境のウルディードでは好き放題をしても構わない』と考えてもおかしくはなかった。



──そこまで軍紀が乱れているのか?



 レインが眉を顰めるとジョシュは胸壁から降りて近よってきた。



「なあ、レイン。帝都の連中が暴れるたびに俺たちが出動して何をしたと思う?」

「……」

「……土下座だよ」

「え?」

「驚いただろ?」



 ジョシュは自嘲気味に笑いながらタバコを深く吸いこんだ。



「酒を飲んで暴れる兵士たちに、『おやめください』と言って土下座。殴られても、『おやめください』って懇願しながら土下座。『おやめください』とひたすら連呼するんだよ……どうだ? 面白いだろ? お前に忠誠を誓う戦士たちが、妻や恋人、子供たちの前でペコペコ頭を下げるんだからよ」



 煙と一緒に吐き出された言葉はレインの想像を超えていた。レインはリリーとの結婚ばかりに気をとられ、こういった場合の対処を考えていなかった。ただ、自分が悪いとわかっていても、『他に言い方があるだろ?』と思えて苛立った。



「……で? 持ち場を放棄したのか?」

「するわけねぇだろ。邪魔だって言われたから警備兵を解散させたんだ」

「解散させた? 父上が命令したのか!? そんな命令、僕は聞いてないぞ!!」



 レインは思わず語気が荒くなった。すると、ジョシュは苦笑いを浮かべながら肩をすくめる。



「ロイドさまは関係ない。俺たちが兵士たちの乱痴気騒らんちきさわぎを押さえこめないもんだから、ソフィアが皇女親衛隊を街に繰り出して綱紀こうき粛正しゅくせいしたんだ」

「ソフィアが親衛隊を?」



 ソフィアはレインやリリーと一緒に宴会場にいた。それでも、ウルディードの街中へ気を配っている。ソフィアの気配りと抜け目のなさは驚嘆すべきものだった。レインが驚いているとジョシュは続けた。



「ああ。街中に展開させて、帝国正規軍の上級大将と連名で軍令を出した。『リリー殿下の婚礼を乱暴狼藉でけがやからがいれば、身分を問わず即決裁判の上で斬罪ざんざいに処す』……だとよ」



 ジョシュはレインとベルを交互に見つめた。



「ソフィアはラザロ家の御令嬢で、しかも『リリーの冷たい狂剣バルサルカ』とか呼ばれているだろ? みんなビビっちまっておとなしくなったよ。で、俺らは治安維持の邪魔になるから解散しろってさ。帝国正規軍からの命令だ。従うしかねぇだろ……上級大将さんに言わせれば、俺たちは『自分の街も守れない腰抜け』らしいぜ」

「……」



 レインは納得がいかなかった。ジョシュの話が本当なら、最初に乱暴狼藉を行ったのは帝国正規軍になる。ジョシュたちへの理不尽な扱いに怒りを覚えた。



「こっちが悪いみたいに言うなんておかしいよ。軍紀が乱れていたのは向こうだろ?」

「その通りだレイン。でもよ、何もできない俺らはただの邪魔者だ。評判は右肩下がりだ。街のみんなはソフィアに大感謝。親衛隊なんて無法を正す正義の軍隊扱いだぜ」



 ジョシュは再びウルディードの街並みへ視線を送る。



「俺たちの知ってるウルディードじゃねぇ。こんな屈辱、初めてだよ」



 ジョシュは苦々にがにがしく呟きながら胸壁きょうへきでタバコをもみ消す。レインが何も言えないでいると、ジョシュはベルの泣き腫らした顔に気づいた。



「……ベル、何があった?」

「え!? こ、これは……えっと……」



 ベルはチラチラとレインを確認する。話してよいものかどうか躊躇ためらっている様子だった。



「いいよ、ベル。僕が話す」



 レインはベルを手で制し、自分で事情を説明した。宴会場での出来事を聞いたジョシュは怒るどころかレインに同情した。



「俺も、レインも、ベルも……みんな散々じゃねぇか」



 ジョシュはため息をつき、悲しげにレインとベルを見つめた。



「なあ、俺たちはこの先ずっとこうなのか? 帝都の連中に頭を下げて生きていかなきゃいけないのか?」

「「……」」


 

 レインとベルは何も言えずに黙りこむ。陰鬱な顔を見合わせていると誰かが側防塔の階段を駆け上がってくる足音がした。

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