若き狼たちの憂鬱
第26話 前夜祭01
婚礼の前夜祭は笑い声と音楽が飛び交うお祭り騒ぎになった。祝宴会場となるウルディード城内の大広間には、ガイウス大帝やアレンたち、そして大勢の大貴族が詰めかけている。この日ばかりはウルディードが神聖グランヒルド帝国の帝都になっていた。
大貴族たちはレインの
ウルド国がどれだけ強国であっても所詮は辺境国家の一つにすぎない。それは、父ロイドや母サリーシャが腰を低くして大貴族たちに挨拶する姿を見ていればわかる。レインは両親に恥をかかせないように精一杯気を使っていた。
レインとリリーの席には帝都から来たリリーの友人たちも一緒に座っている。彼らは大貴族の子女たちで、レインの知らない服装や音楽、絵画や装飾品の話しでずっと盛り上がっていた。会話についていけないレインは宴席のなかで孤立し、例えようもない孤独と不満を感じた。
知らない内容の会話に相槌をうちながら面白くもないのに笑う。酒がそこまで得意でないも手伝ってレインは苦痛を感じていた。一方、リリーは驚くほど酒に強い。どれだけ飲んでもケロッとした顔ですぐに杯を
リリーが友人たちとの会話で盛り上がっている間、レインは賓客たちの席を回り、ひたすらお酒を飲まされ、リリーの分も頭を下げながら酒を注いだ。フラフラになって席に戻ってくると
「レイン、大丈夫?」
「ああ、大丈夫……」
「大丈夫じゃないだろ? ホラ、これ飲んで」
ベルは小声でささやきながらグラスを手渡した。中には白みがかったジュースが入っている。
「林檎のジュースだよ。酔い醒ましの効果があるから……あと、少し風に当たってきなよ」
「ありがとう。そうするよ」
レインが林檎ジュースを飲み干すと向かいの席に座る男がニヤニヤと笑った。この男はケラー・ボルクスという。大貴族の息子でレインやリリーと年齢が同じだった。
「レイン殿は酒も弱いようですな?」
ケラーはわざと大声でレインへ話しかける。女の友人たちと話しこんでいたリリーも二人の方を向いた。
「ケラー、『酒も』とはどういう意味ですか?」
リリーが尋ねるとケラーは「コホン」と咳ばらいをして話し始めた。
「それはですな……レイン殿は2年前、ガトランドで行われた武術大会で大敗を喫したのです。大会は参加者の総当たり戦でしたが、レイン殿は全敗という記録をお持ちなのですよ。わたしも一撃でレイン殿を倒しましてな」
「「「まあ!!」」」
同席していた女たちは驚いた様子でレインを見る。リリーも目を丸くしてレインをを見つめていた。
──どうして今、そんな話をするんだ……。
ケラーの薄ら笑いを見たレインは嫌な記憶を思い出した。確かに2年前、武術大会で全敗を喫した。だがそれは大会を主催する大貴族たちに「息子たちに勝ってはならぬ。息子たちに恥をかかせるとお前の両親が苦労するぞ」と釘を刺されていたからだった。両親を想うレインはその言葉を信じこみ、全敗という不名誉を甘んじて受け入れた。本来の実力を発揮していれば簡単に優勝していたはずだった。
ケラーは実力でレインを倒したと思いこんでいる。腹が立ったレインは反論しようとも考えたが、寸でのところで思いとどまった。
──負けは負けだ。それに、こいつだって僕とリリーの結婚を祝福しようとウルディードまで来てくれた……。
レインは悔しい気持ちを顔に出さず、静かに答えた。
「そんなこともありましたね……」
「……」
ケラーは冷静に受け流すレインが面白くなかったらしい。その顔には「なぜお前ごときがリリー殿下と結婚できるんだ?」という不満がありありと浮かんでいた。ケラーはワインを煽って続けた。
「あのころレイン殿は鉄仮面で顔を隠しておりましたな。みなさんは知っておりますか? レイン殿は見るもおぞましい、醜い身体の持ち主だったのですぞ。サリーシャ殿が獣と交わってできた不義の忌み子という噂もありました」
ケラーは赤ら顔でニヤニヤと笑う。レインは全身の血が逆流するような怒りを覚えた。
──母上まで侮辱する気か!!
レインは爪が喰いこむほど両手を握りしめて我慢する。すると、隣で聞いていたリリーがレインの拳へ手をのせた。テーブルの下で重なった手はとても冷たく、レインの心で渦巻く怒りを鎮めてゆく。やがて、リリーはゆらりと首を傾げながらケラーを見つめた。口元には柔らかな笑みを
「ケラー、口が過ぎますよ。今のはボルクス家としての口上ですか?」
リリーが尋ねるのと同時にソフィアが席の後ろへやってくる。『
「と、とんでもない!! わたしはただ噂話をしただけでございます。レイン殿の回復はきっと聖母神ブリュンヒルドさまの
ケラーは苦し紛れに言い訳をする。だが、その性根はレインに対する
「レイン殿、どれだけ弱くてもめげないでくだされ。初陣がまだだとしても、恥じ入ることはありませんぞ。弱い人間でもこうやってリリー殿下と結婚できるのです。これこそ、聖母神ブリュンヒルドさまのご加護の証拠」
確かにレインは初陣がまだだったが、それはケラーも同じだった。ケラーは帝国のために戦ったことがない。ケラーどころか、帝都の大貴族たちはいつもウルド国や辺境国家に外征を命じるばかりで、自分たちが犠牲を払うことはなかった。ケラーはそんな自分たちを棚に上げてレインを侮辱した。
──僕が弱いだと?
レインは鎮まりかけていた怒りが再燃した。リリーの手は『怒ってはいけません』と語っているが、そのリリー本人の前で『弱いと侮辱された』という事実がどうしても許せない。愛する女の前で侮辱されることが、これほど怒りを覚えるものとは知らなかった。理性が吹き飛ぶ寸前で落ち着いた男の声が聞こえてきた。
「ケラー殿、もうやめましょう。せっかくの宴席なのですから」
レインが声の方を向くと目鼻立ちの整った金髪の青年が立っている。皇太子アレンに負けず劣らずの貴公子だった。
「リヒャルトお兄さま!! 来てくださったのですね!!」
リリーはレインの拳から手を放して嬉しそうに声を弾ませる。レインはリヒャルトを見上げながら記憶をたどった。
──お兄さまだって? リリーにはまだ兄弟がいたのか? そんなはずは……いや……この人は僕も知っているぞ……。
レインをよそにリリーは立ち上がってリヒャルトと抱擁をかわす。リリーの顔は恋焦がれる想い人とやっと出会えたかのように輝いていた。レインは見たこともないリリーの表情に戸惑うことしかできない。すると、リリーは満面の笑みでリヒャルトを紹介した。
「レイン、このお方はリヒャルト・ヴァンフリー。皇族に
「そ、そうでしたか。僕はレイン・ウォルフ・キースリング。ヴァンフリー家のご当主とご挨拶できて光栄です」
「こちらこそ。よろしく、レイン殿」
レインも立ち上がってリヒャルトと握手をかわす。すると、赤ら顔のケラーが再び大声を上げた。
「そうそう。リリー殿下、先ほど申しました武術大会で優勝したのがリヒャルトさまなのです。リヒャルトさまこそ真の勇士!!」
「ケラー殿、大袈裟ですよ」
リヒャルトは微笑みながら謙遜してみせる。その顔を見てレインは思い出した。わざと負けた相手のなかにはリヒャルトもいた。リヒャルトは馬上で一回剣を合わせただけで剣を落とし、危うく落馬しかけた。わざと負けるのにとても苦労した相手だった。
──本人は僕に大逆転勝利をしたと思って雄叫びを上げていたっけ……。
レインはそう思いながらリヒャルトを見た。リヒャルトも実力でレインに勝ったと思っている。レインを気づかうような眼差しになった。
「レイン殿、勝負は時の運。あまり落ちこまないでください」
「あ、ありがとうございます……」
レインは無理に笑顔をつくり、返事をしながらちらりとリリーを見た。リリーはリヒャルトから離れようとしない。
──リリーがこんなにも嬉しそうだなんて……リヒャルトとどういう関係なんだ?
レインが勘ぐっているとケラーがリヒャルトの席を作って座らせる。リリーもやっとリヒャルトから離れて自分の席に戻った。ケラーはレインを確認しながら武術大会の話を続けた。
「さあさあ、お座りください!! それにしても、あの大会はお見事でしたな!!」
レインに恨みでもあるのか、ケラーからは『レインを侮辱したい』という雰囲気がありありと滲み出ている。すると、リヒャルトが困り顔でケラーを
「昔の話しはもうやめましょう。それに、わたしは武芸を
リヒャルトが遠慮がちに言うと女たちは「素敵」という感嘆の声が上げ、羨望の眼差しを向ける。ケラーも感心した様子で頷いた。
「さすが、本当の武人とは
『犬』とはレインのことだろう。レインはやはり震えるほどの怒りを覚えたが、怒ってしまえば前夜祭が台無しになる。下唇を噛んで怒りを抑えた。
「ええ……そう思います」
レインがやっとの思いで答えると、リヒャルトが同情するように声をかけてくる。『もうやめましょう』と言っていた本人が武術大会の話を続けていた。
「レイン殿、武術大会でのことはどうか気にしないでください。人は何事にも得意、不得意があります。レイン殿も精進すれば、いずれ強くなることもあるでしょう」
「……」
レインはリヒャルトの本心を
「リヒャルトさまはお優しい。レイン殿、しっかりと今の言葉を覚えておくのですぞ。あきらめずに武芸に励めば少しは強くなれるかもしれません」
「……」
レインは怒りで気が遠くなりそうだった。だが、怒りを呑みこんで席を立つ。
「お気づかいとご指導をありがとうございます。あの……少し飲み過ぎました。夜風に当たってきます」
レインは一礼して歩き出した。すると、後ろからケラーが「砂漠の野良犬」と言うのが聞こえ、みんなの笑い声も聞こえてくる。ケラーは最後にこう付け加えていた。
「わたしは、リリー殿下はリヒャルトさまと結婚すると思っておりましたぞ」
ケラーは遠ざかるレインにも聞こえるように言っている。一瞬、レインはリリーの答えが気になったが足を止めなかった。すべてを無視して宴会場を後にした。
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