第23話 期待

 レインは初めて異性を好きになっていた。人々がリリーを『傾国姫けいこくき』と呼ぼうが関係ない。レインにとってリリーはやまいから救い出してくれた救世主であり、美しくて慈悲深い皇女だった。



「リリー、待って!!」



 城館を出たレインは先を歩くリリーを追いかける。振り向くリリーは宝冠ティアラのかわりにツバが広いキャペリンハットをかぶっていた。服装もノースリーブドレスと同じ色合いのワンピースに着替え、靴もパンプスから黒革のブーツにかえている。



「レイン、遅いですよ!!」



 レインが追いつくとリリーは帽子のツバをつまみながらその場で一回転してみせる。スカートが軽やかにふわりと揺れた。



「この格好はどうですか? クロエが『目立たないように』と言って用意してくれたのですが……」



 リリーは少し気恥ずかしそうに続けた。



「宮中では『はしたない格好だ』とされていますが、帝都の街中ではこのように上下がつながった服が流行っています。スカート部分も短いですし、とても動きやすいのです。レインはどう思いますか?」



 リリーは歩きながら上目づかいでレインの顔を覗きこむ。レインはリリーのワンピース姿を見て感心した。宮廷ドレスのような権威あふれる華やかなよそおいも似合っているが、ワンピース姿はとても新鮮で可愛く思えた。



「とてもよく似合っています。リリーは流行に敏感なのですね」

「そんなことはありません。服装、装飾品アクセサリー……色々と知らなければ宮中での話題についていけないのです。知っていますか? たいていの場合、流行は帝都の街中から生まれるのですよ」

「そうなのですか?」

「ええ。街中へ出かけた貴族が民と触れあい、そして真似をするのです。何度羨ましいと思ったことか……」



 リリーは視線を落として寂しげに語る。そんなリリーを見ていたレインは、『皇族として生きるリリーにはあまり自由がないのかもしれない』と考えた。



──リリーには少しでも自由を感じて欲しい。



 レインの素直な心は行動を少しだけ大胆にさせた。初めて自分からリリーの手を握り、優しく微笑みかける。



「リリー、ウルディードにも帝都ほどではありませんが、活気のある城下町があります。二人で行きましょう。きっと楽しいですよ」

「は、はい……」



 リリーは驚いた様子で目を丸くしていたが、やがてレインの手を強く握り返した。レインの心臓は破裂しそうなほど高鳴り、足取りもどこかぎこちなくなる。それでも、会えなかった時間を惜しむようにリリーの手を引いた。



×  ×  ×



 ウルディード城外の貿易港近くには大きな泉がある。泉を取り囲むようにして樹々がしげり、ちょっとした草原も広がっていた。レインとリリーは泉にそって設けられた煉瓦レンガの遊歩道を歩いた。


 遊歩道にはいろんな屋台が並び、様々な格好をした人々が行きっている。彼らは貿易船や観光船の船員や乗客で、思い思いにいこいの一時ひとときを楽しんでいた。


 リリーはレインの左腕に右手をかけて歩きながら物珍しそうに周囲を見回し、すれ違う隊商を物珍しそうに眺めている。少し進むと飲み物の屋台をいとなむおばさんが声をかけてきた。



「あら、レインさまじゃないの!? 鉄仮面を外すと色男だねぇ。やまいが治って本当によかったよ!!」

「ありがとうございます」



 レインが答えるとおばさんは両手をこすり合せた。



「さあて、商売の時間だよ!! レインさまも買っておくれ。暑気しょきばらいにピッタリな飲み物ときたもんだ!!」

「あ、ちょっと待ってください。今、硬貨を……」



 レインはポケットに手を入れて硬貨を探した。リリーはキョトンとした顔つきで見守っている。やがて、おばさんはリリーに気づいた。



「そちらのお嬢さん……も、もしかしてお嫁さんになる、こ、皇女さまかい!?」



 おばさんの顔はだんだんと強張こわばってゆく。それは周囲の客たちも同じで、それぞれ緊張して顔を見合わせる。みんなの視線が集まるとリリーはレインの左腕を放し、帽子をとってお辞儀をした。



「レイン・ウォルフ・キースリングの妻となるリリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤと申します。帝都グランゲートから来ました。みなさん、どうぞよろしくお願いいたします」

「と、と、とんでもないことです!! 皇女さまに頭を下げられたんじゃ、わたしゃ心臓が止まっちまうよ!! どうか顔を上げておくれ!!」



 おばさんは大きく手を振り、慌てて頭を下げる。リリーはそんなおばさんに「どうか、畏まらないでください」と言いながら微笑みかけた。



「わたしはみなさんと仲良くしたいのです」



 笑顔のリリーはかざがなくて親しみやすい。群衆を前にしたときの威厳あふれる姿とはまるで別人だった。ホッとした様子のおばさんは飲み物の入った木製のコップを二つ、レインの前へ差し出した。



「レインさまのご病気を治してウルドへ嫁いでくださる……それに、えらい別嬪べっぴんさんときたもんだ。レインさまは本当に果報者だよ。これは婚礼のお祝いです。お代はけっこうですよ!!」 

「あ、ありがとうございます……」



 レインは恐縮しながら受け取り、片方のコップをリリーに手渡した。すると、緊張の解けたおばさんがリリーへ話しかける。



「リリー殿下、これは南方で取れる果実を絞ったジュースでございます。どうぞ、お飲みになってくださいまし!!」



 おばさんは豪快に飲み物をすすめてくる。リリーは一瞬だけ戸惑う表情を見せた。



──リリーは屋台での飲食なんて、したことがないのかもしれない……。



 そう考えたレインは先に飲み物へ口をつけた。ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干す。ほのかな甘みと酸味が口いっぱに広がる爽やかな飲み物だった。



「リリー、とても美味しいですよ」



 レインが空になったコップを見せると、リリーは戸惑いながらもコップを口へ運ぶ。白い喉元がゴクッという音を立てると、見る間にリリーの顔が驚愕へと変わった。



「お、美味しいです!!」



 リリーが嬉しそうに微笑むとおばさんや周囲の人たちも笑顔になった。レインは屋台を取り囲む人たちと談笑しながらリリーが飲み終えるのを待っている。リリーはジュースを飲みながら不思議そうにレインを見つめた。



──レインの周りには自然と人が集まってくる。それはきっと、鉄仮面をつけているときから変わらないのね。



 レインに優秀な副官が仕えていることも、大軍を集めることができたのも、きっとレインの人柄があってこそだろう。レインには人を惹きつける魅力がある。何より、リリー自身が今、レインを見つめていた。黒髪の青年はリリーの視線に気づくと、やはり優しく微笑みかけてくる。



「リリー、どうかしましたか?」

「いえ、なんでもないわ。とても美味しいから感動していました」



 リリーは口元に笑みを浮かべ、残りのジュースを飲み干した。やがて、二人は再び遊歩道を歩き始める。リリーは感動した様子でレインを見上げた。



「民にしたわれているのですね」

「そうでしょうか……」

「みんな気軽にレインへ声をかけてきます。ちょっと……驚きです」

「……」



 レインは少し考えてから口を開いた。



「僕はこのウルディードで生まれ育ちました。小さな街ですから、ほとんどの人が知り合いみたいなものです。リリー殿下からすれば、民との距離が近すぎるのかもしれません。お許しください……」

「謝らないでください。わたしは褒めているのです」

「そうでしたか。褒めていただけると嬉しいです」



 レインが照れ臭そうに笑うと黒い瞳が優しい光を帯びる。それは、レインと初めて出会ったときから変わらない、鉄仮面の奥で煌めいていた輝きだった。リリーは心が温かくなり、思わず見とれてしまった。



──このまま、レインとウルディードで平和に暮らす未来も……。



 そう考えた瞬間、リリーは自分の浅はかさにゾッとした。自分の覚悟は男にほだされて変わってしまうほどのものだったのかと恐怖する。



──何のためにレインと会わなかったの? 覚悟が鈍らないためだったはずよ。



 リリーがレインと会わなかった理由がそこにある。レインの涼やかな声、優しげにまたたく瞳、それらは出会った瞬間からリリーを魅了していた。そして、レインの身体に触れたとき、その感触と体温はリリーの心を麻痺させた。『もう一度レインに触れたい。そしてさわられたい』という感情は理屈では語れない、本能がささやく誘惑だった。



──このわたしが自分から男を求めるなんてありえない。ましてや、会ったばかりの男を……。



 今は反乱を控えている。余計な感情に流されている場合ではない。リリーが自分へ言い聞かせていると、泉で水遊びをする子供たちの歓声が聞こえてきた。泉は浅瀬になっており、子供たちにとって格好の遊び場だった。楽しそうな子供たちを見たリリーは気を紛らわせるようにレインの左腕を引いた。



「レイン、わたしたちも泉に入ってみましょう!!」

「い、今からですか!?」


 

 戸惑うレインを差し置いてリリーはブーツを脱ぎ捨てる。スカートを少したくし上げると泉のなかへ入ってゆく。水深はリリーのふくらはぎ程度だった。水は青く透き通り、白い砂の底についた足跡まで見える。



「冷たくて気持ちがいいです。レインも早く来てください!!」

「わ、わかりました……」



 レインは鉄のプレートが付いた軍靴ぐんかを脱ぎ、ズボンをまくって泉に入った。泉のなかを進んでゆくと、奥からリリーが引き返してくる。



「意外と足を……取られ……ッ!?」



 急いだリリーは砂に足を取られて転びそうになった。それをレインが転ぶ寸前で抱きとめる。レインの腕の中でリリーは困ったように笑った。



「ありがとうレイン。もう少しでクロエに怒られるところでした……」

「き、気をつけてください」



 レインはやはり顔を赤らめる。やがて、リリーはレインへ背中を預けるようにして周囲を見渡した。



「すべての景色がこんなにも輝いているだなんて……」



 リリーの口から感動のため息が漏れた。



「本当に素敵なオアシス都市です。貿易港もありますし、帝都で聞いていた話しと全然違います」

「帝都ではウルディードをどのように聞いていましたか?」

「そ、それは……『城は美しいが、あとは砂とほこりだけの田舎町』と聞いておりました……」



 リリーは俯きかげんで申し訳なさそうに告げる。レインは「そうだろうな」と思いながら苦笑した。



「あはは。ほとんど当たっています。でも、帝都グランゲートと比べられたら、どんな街だって田舎町になってしまいます」

「そんなことは……」



 リリーが返答に困っていると、コツンと脚に何かが当たった。それは木でできた小さな玩具おもちゃの舟だった。



「?? これは……?」



 リリーは小舟を拾って不思議そうに見つめる。小舟は軍船の形をしていた。子供たちが水遊びで使うもので、近くで遊ぶ子供たちの小舟だった。すぐに、バシャバシャと水音をたてて少女が小舟を取りにくる。



「ごめんなさい。わたしのお船さんが……あ……」



 少女はリリーの前まで来ると立ち止まって顔を見上げた。目を丸くしてリリーに見入っている。



「お姉さんは女神さまですか?」



 子供は正直だった。少女はリリーを見ながら素直な感想を口にする。



「さあ、どうかな……」



 一瞬、リリーの眼差しは暗くなった。それでも、すぐに微笑みなかけながら少女へ小舟を返した。



「ハイ、転ばないようにね」

「ありがとう、女神さま!!」



 少女は嬉しそうにうなずいて戻ってゆく。やり取りを見ていたレインは感動した。



──素晴らしい女性ひとだな。リリーならウルドの民も愛してくれる……。



 リリーは皇女という立場を偉ぶるわけでもなく、子供にも優しく接している。レインはリリーと築くであろう未来を想像して期待に胸を膨らませた。リリーが垣間かいま見せる影に気づくことはなかった。



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