第6話 帝都出立
リリーがウルド国へ向けて出発する日、帝都グランゲートは見事な晴天に恵まれた。キラキラと輝く紙吹雪が摩天楼の谷間を舞い、沿道を埋め尽くす人々は小旗を手にしてリリーの到着を今か、今かと待っている。
いくら『
リリーは依然として『
リリーは軍服を
──お母さま……。
リリーは胸の前で手を合わせると指を絡ませながらそっと目を閉じた。
× × ×
10年前、リリーの母ルシアはガイウス大帝より『餓死刑』を賜った。それは、父ルキウスがアルメリア共和国との戦場で
リリーの兄であるアレンが皇太子に決まると『
なぜ突然に『
リリーにとって最も残酷だったのはルシアとの面会が許されたことだった。リリーは毎日ルシアの幽閉先を訪れ、日に日にやせ細ってゆくルシアをその青い瞳に焼き付けることになった。
普通なら母への理不尽な仕打ちに怒り、嘆き悲しんでもおかしくはない。だが、気丈にもリリーはそうしなかった。『死にゆく母』の前で笑顔を絶やさなかった。
「お母さま、ソフィアというお友達ができました。今度、ご紹介いたします」
「お母さま、宮廷音楽家の先生に歌が上手くなったと褒められました。今度、聞いてくださいね」
「お母さま、
『今度』なんて絶対にないとわかっている。それでも、リリーは日々のできごとを朗らかに伝えた。それは、明るく振る舞い、笑顔を見せることがルシアを悲しませない唯一の方法だと考えたからだった。しかし……。
ある日、リリーはルシアのもとへ向かう途中で転んでしまった。普段なら泣かないが、リリーは大声で泣いた。大して痛くもないのに「お母さん痛いよ!!」とついに泣き叫んだ。
「どうしたの、リリー。泣かないで」
ルシアは鉄格子の合間からやせ細った手を伸ばした。そして、自分と同じ銀色の髪をなでながら、
「皇女たるもの簡単に涙を見せてはいけません。その涙のために死ぬ人もいるのですから」
と、優しい口調で諭した。飢餓と戦う人間とは思えないほど、威厳と慈しみにあふれる態度だった。リリーは真っ赤になった顔を上げ、泣きはらした目でルシアを見つめた。
「はい、もう泣きません。お母さま、お約束いたします……」
リリーがドレスの袖で涙を拭うとルシアは安心したように柔らかな笑みを浮かべた。
「わたしの可愛いリリー。わたしは遠くへ行ってしまいますが、誰も恨んではいけませんよ。わたしの温もりや感触はあなたのなかに息づいています。どうしても悲しくなったらこの手の温もりを思い出して」
「……はい」
ルシアは愛おしそうにリリーの頬をなでる。どれほどその手を握りたかったか……リリーは奥歯を強く噛んで我慢した。今、母の手を握ってしまえば、きっとまた泣いてしまう。約束を破るわけにはいかなかった。
やがて、死期が迫るとルシアは「『
『
大勢が見守るなか、ルシアは
ルシアの触れた部分に
限界まで肉が削ぎ落ちた頬、カサカサに乾いた唇。ルシアは窪んだ青い瞳を爛々と輝かせて広場をひと睨みする。その凄まじい
──お母さま!!
リリーは喉元まで出かかった言葉を呑みこんだ。なぜかわからないが、「お母さまを呼び止めてはいけない」と思えたからだった。すると、そんなリリーを見てルシアは微かに唇を動かした。
「……」
聞き取れない言葉を残すとルシアは両手を広げ、『
「「「ルシアさま!!」」」
我に返った侍臣や侍女たちが慌てて駆けよるが、叩いてみても『
ルシアが消えたことは伏せられ、かわりに『先帝皇后ルシアは神聖グランヒルド帝国の繁栄を願いながら死んでいった』と大々的に喧伝された。『
リリーは国葬の場で涙一つ流さなかった。むしろ、平然と涙を流すガイウス大帝や国民たちを醒めた目で見つめていた。子供らしからぬ冷徹な眼差しを見て人々は「感情が欠落した子供」と決めつけた。
大人たちは真実を嘘で塗り固め、平気で事実を捻じ曲げる……幼いながらも、そのことに気づいたリリーは世界を見る目が変わった。
餓死刑を命じたガイウス大帝も。
餓死刑を止めなかった兄弟や廷臣たちも。
餓死刑を褒めたたえる国民も。
リリーには神聖グランヒルド帝国のすべてが腐臭を放つ醜悪なものに見えた。
──醜いものは浄化しなければならない……。
それは、幼いリリーが抱いた純粋な決意だった。
× × ×
──あのとき、お母さまは何とおっしゃったのですか? 塔のなかで何をご覧になったのですか?
今までに何度そう問いかけただろう。広間での光景を思い出すたびにリリーの胸は締めつけられた。
──お母さま、わたしは少しの間だけ留守にいたします。すぐに帰ってきますので、それまでどうか安らかに……。
黙祷が終わるとリリーは静かに目を開ける。太陽に黒光りする『
──このわたしに不遜な態度をとっていられるのも今のうちよ。
リリーは塔を見上げながら不敵な笑みをこぼした。
「『
リリーは塔に背を向けると喪章を外した。その姿を見てソフィアとクロエも喪章を外す。リリーは二人の間を歩きながら手をかざしてサッと振り下ろした。
「リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤの出陣である。ソフィア・ラザロ、クロエ・ベアトリクス、供をせよ」
「「畏まりました。リリー殿下に栄光を」」
ソフィアとクロエは声をそろえて頭を下げる。そして、リリーが通り過ぎると後ろに続いた。3人が広場を出ると整列した『皇女親衛隊』と『皇女
リリーは車体が金銀で装飾された
「「「リリー殿下、ご結婚おめでとうございます!!!!」」」
熱狂的な祝福の声を聞いたリリーは暗い馬車のなかで薄い唇の端を微かに上げる。誰をも魅了する青い瞳には、世界を凍てつかせる狂気の炎が揺れていた。
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