第24話 ガイウス大帝02

「お前の父ロイドは『砂漠の狼王ウルデンガルム』と称される藩王、そして母サリーシャは千里を駆ける勇将……だが、お前は何者だ?」

「……」



 ガイウス大帝は威厳をもってレインを問いただす。レインは委縮するばかりで目を伏せることしかできなかった。当たり前のことだが父ロイドも、母サリーシャも助け船を出さない。もちろん、リリーも黙って見守っている。返答に困っているとガイウス大帝は長く白い髭をなでながら首を傾げた。



「お前はリリーと結婚できるほどの男か?」

「……」

「余がなぜ、リリーの結婚を認めたかわかるか?」

「……そ、それは」



 困り果てたレインはようやく顔を上げた。ガイウス大帝の後ろには下船してきた廷臣ていしんたちも控えている。返答の仕方を間違えるわけにはいかない。



「皇帝陛下の御心みこころおもんばかるなど、臣下の身で畏れ多いこと。とてもできません」

「……ほう」



 必死になって言葉を絞り出すとガイウス大帝はニヤリと口元をほころばせた。



「お前がロイドのように強き藩王となり、サリーシャのように帝国に尽くすと考えたから結婚を認めたのだ」

「過分なお言葉を賜り光栄でございます」

「本当に光栄と思うなら、それならば……」



 レインが恐縮するとガイウス大帝の顔から突然笑みが消える。眼光も鋭くなり、辺りは一瞬にして緊張感に包まれた。



「レインよ、何があっても必ずリリーを守れ」

「はい。当然でこざいます」

「絶対だぞ。二言は許さぬ。明日の婚礼で『聖母神ブリュンヒルド』へ誓う前に、まずは今、余の前で誓ってみせよ」

「……」


──今、誓え!? どういう意味だ??



 困惑したレインは隣のリリーへちらりと視線を送る。しかし、リリーは微笑みを浮かべたまま見守っているだけだった。その柔らかな微笑びしょうが突き放しているように見えて、レインは例えようのない孤独を感じた。慌てて言葉を探し、緊張で乾ききった唇を動かした。



「リリー殿下の夫として、リリー殿下をこの身に代えても守り抜きます。我が父ロイドと母サリーシャの名にかけてお誓い申し上げます」

「よくぞ申した。余は目に見えぬ神に誓う人間よりも、父母の名にかけて誓う人間の方を信頼する。ロイド、サリーシャ、頼もしい息子を持ったな」



 ガイウス大帝のいかめしい顔が再び笑顔にかわる。控えていたロイドとサリーシャは「ありがたきお言葉」と頭を下げた。



「さて……」



 ガイウス大帝は満足げに頷きながらレインの肩へ手を置いた。皺だらけの手はとても大きく、レインは軍服の上からとてつもない重圧を感じた。



「リリーは余に似て気性の激しい部分もある。どうだ、リリーとは仲よくできそうか?」



 今度はレインに迷いがなかった。真っすぐにガイウス大帝を見つめ、真剣な口調で答えた。



「リリー殿下はわたしを気にかけてくれる、とてもお優しいお方。すでに、ウルド国の帝国臣民からも慕われております。仲睦まじく過ごせることと存じます」

「そうか……お前はロイドと違って口上が上手いな。リリー、レインはお前を想ってくれているか?」



 ガイウス大帝はレインに視線を落としたままリリーへ尋ねた。リリーの返答によってはそのままレインを捻り潰すようにも見える。レインのこめかみを冷や汗が伝うころ、リリーの明るい声が聞こえてきた。



ガイウス大帝おじいさまに申し上げます。レインとは出会ったばかりですが、わたしを大切にしてくれます。一緒に乗馬もしましたし、触れ合う肌からも優しさが伝わってきます。とっても優しく接してくれるの。優し過ぎてちょっと物足りないくらいです」

「そうか、そうか。物足りないか……ふははははははははは!!!!」



 リリーが意味深に答えるとガイウス大帝は空を仰いで哄笑する。笑い声で大地が揺れ、空気が震えた。上機嫌でレインの肩から手を放した。



「レインよ、花嫁を満足させるのも夫の勤めぞ。精一杯に励んで強き皇族を増やすのだ!!」

「は、はい。努力いたします……」

「では、参るとするか。レイン、お前の家族となる兄弟たちにも挨拶をいたせ」

「畏まりました」

「兄弟同士、手を取り合って神聖グランヒルド帝国を盛り立てるのだ」



 ガイウス大帝はそう言い残して盛装せいそう馬車ばしゃに乗りこむ。レインがひたいの汗をぬぐっていると再び乗船橋じょうせんきょうがざわめいた。



「アレン皇太子殿下のお出ましである!!」



 かけ声とともに降りてきたのはアレン・ルキウス・グランヒルド・ミトラスだった。アレンはリリーと同じ銀髪に碧眼で、青を基調とした式典用の軍服を着ている。短めの髪型の上には皇太子のみに許される聖冠せいかんいただいていた。



「君が僕の義弟おとうととなるレインか。初めまして」



 アレンは爽やかに微笑みながら右手を差し出した。レインを見つめる青い瞳はリリーと同じで、瞳の奥には慈愛あふれる光が満ちている。レインは痛いほど背筋を伸ばしてアレンの手を握った。



「皇太子殿下、お会いできて光栄です。わたしは藩王ロイド・ウォルフ・キースリングの息子、レイン・ウォルフ・キースリングと申します」

「僕は先帝の長子にして現皇帝の孫、アレン・ルキウス・グランヒルド・ミトラスだ。よろしく」

「こ、こちらこそよろしくお願い申し上げます!!」



 レインの声は緊張で上ずり、手も震えている。そのことに気づくとアレンはかすかに目を細めた。



「あはは、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」



 アレンは尊大に振るまうわけでもなく、親しげに語りかけてくる。だが、全身からは他者を圧倒する存在感と何者も届かない気高さが滲み出ていた。神々しいまでの威容を前にして、レインはただ見とれることしかできなかった。



──このお方がリリーの兄上、アレン皇太子殿下。まるで、神話に出てくる英雄だ……。



 アレンは廷臣や国民から慕われており、やがては慈悲深い賢帝になるであろうと期待されている。神聖グランヒルド帝国の未来そのものだった。レインが感動していると突然、アレンの後ろから可愛らしい宮廷服を着た少年がピョコッと顔を出した。少年はさらさらとした髪を真ん中で分けており、右側が銀髪、左側が黒髪だった。



「アレンお兄さま、リリーお姉さまは?」



 少年はアレンを見上げながら青い瞳を潤ませる。少年の名前はテオ・ルキウス・グランヒルド・テンティウス。皇位継承権第3位の皇子でリリーの弟だった。まだ14歳のテオはレインに目もくれず、落ち着かない様子で辺りを見回した。そして、リリーに気づくと顔をパァッと明るくさせる。



「リリーお姉さま!! お会いしたかったです!!」



 テオはリリーへ駆けより、思いきり抱きついた。リリーは無邪気に笑うテオの頭を優しくなでた。



「テオ、元気にしていましたか?」

「はい、戦列艦にもちゃんと乗れました!! でも、リリーお姉さまがいないから寂しいです……」



 テオが悲しげに眉をよせるとまるで悲嘆にくれる少女のようだった。リリーは少し困ったように笑うと再びテオの頭をなでる。テオの中性的な顔立ちはすぐに明るくなった。



──リリーの兄弟は、みんな仲がよいのだな……。



 レインには兄弟がない。再会を喜び合う姉弟を見ていると心が温かくなった。少しばかり羨ましく感じていると今度はテオの後方から鋭い声が飛ぶ。



「テオ、早く馬車に乗れ!! 皇帝陛下が待っておられるのだぞ!!」



 リリーと同程度の長い銀髪をなびかせた青年が乗船じょうせんきょうを歩きながら怒鳴っている。青年はアレンと同じ軍服を着た美青年だが、眉間みけんしわをよせ、神経質そうな顔つきをしていた。彼は皇位継承権第2位のソロン・ルキウス・グランヒルド・アムルダだった。



「お、お兄さまごめんなさい!!」



 怒鳴られたテオはビクッとしてリリーの影に隠れる。すると、すかさずアレンがソロンをたしなめた。



「すぐ怒鳴るのはソロンの悪い癖だよ。テオはまだ子供なんだ」

「兄上はテオに甘いのです。リリー、お前もテオを甘やかしすぎだ」

「ソロンお兄さま、申しわけございません。ほら、テオ。早く馬車に乗って……」

「う、うん……」



 リリーはテオを盛装せいそう馬車ばしゃへ急がせる。そして、あらためて二人の兄を見つめた。



「アレンお兄さまにソロンお兄さま。遠路はるばる足をお運びくださいまして、本当にありがとうございます」



 リリーが頭を下げると後ろにいるクロエも深々と頭を下げた。



「リリーも元気そうで何より」



 アレンは嬉しそうに頷いているが、ソロンは不機嫌そのものだった。レインはそんなソロンに近づき、恐る恐る挨拶をした。



「ソロン殿下、初めまして。わたしはレイン・ウォルフ・キースリング……」

「……」



 レインが挨拶を始めるとソロンは無言で睨みつけてくる。その瞳はリリーやアレン、テオと違って黒い。やがて、口元を歪めて冷笑した。



「お前の挨拶など求めていない」



 ソロンは吐き捨てるように言うとレインを無視して盛装せいそう馬車ばしゃへ乗りこむ。あまりの態度にアレンは苦笑した。



「レイン、ソロンは人見知りが激しくてね。どうか弟の無礼な態度を許して欲しい」

「皇太子殿下、わたしは何も気にしておりません。気にかけてくださり、ありがとうございます」

「君は寛容な男だね。それじゃあ、前夜祭と婚礼を楽しみにしているよ」



 アレンはレインの肩を軽く叩いて盛装馬車へ向かった。



──あとはリリーのお姉さんに挨拶すればいいだけだ。あと少しでこの緊迫した空気も終わる……。



 レインがそう考えているとリリーがレインの隣に立った。



「これからマリアお姉さまが降りてきますが、お姉さまの目を絶対に見ないでください」

「え?」

「いいから、約束してください」

「わ、わかった」



 リリーはいつになく真剣な口調だった。レインが訳もわからないまま頷いていると、乗船じょうせんきょうに幾人もの人影が現れる。人影は全員が黒衣をまとい、フードで顔を隠していた。そして、人影の中心には喪服姿の女がいる。彼女はリリーやアレンの姉であり、皇位継承権第4位の皇女。マリア・ルキウス・グランヒルド・アイリスだった。

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