第16話 呪詛

 ダルマハルを出発してから二日目の昼。戦列艦『キースリング』の甲板かんぱんに立ったレインは前方に巨大な城壁を確認した。城壁の向こうには爽やかな青みをびたウルディード城がそびえ立っている。希少きしょう価値かちの高い『青い大理石』で造られたウルディード城はウルド国の豊かさと繁栄を物語っていた。



「ジョシュ、ウルディードが見えてきた。船速せんそくを落としてくれ」

「わかった……帆をしぼれ!! 減速しつつ、左に旋回!!」



 ジョシュが命じると『キースリング』はゆるやかに減速して左へ旋回する。右舷には貿易船が停泊するみなとや人々で賑わう市場が見えてきた。人々のなかには『キースリング』に気づいて手を振っている人もいる。



──リリーはウルディードを気に入ってくれるかな……。



 レインは久しぶりの故郷を眺めながらふとそんなことを思った。すると、ダンテが『キースリング』の入港先を確認してくる。



「レイン、このまま貿易港に入りますか?」

「いや、軍港ぐんこうに入ろう。リリー殿下が乗っておられる」

「わかりました。ジョシュ、このまま軍港へ向かってください」

「わかった。おい、信号旗しんごうきをかかげろ!!」



 ジョシュが声を張り上げると青と黄色の信号旗しんごうき帆柱マストに高々とかかげられる。それは「レインが乗船している」という意味だった。



「城壁に回答旗かいとうき!! 城門、開きます!!」



 帆柱マストの上から船員の大声が飛ぶ。それと同時に砂船専用の巨大な城門が開き始めた。城門が開ききると今度は鉄柵が引き上げられる。鉄柵からは大量の白い砂が滝のように流れ落ちていた。



×  ×  ×


 

 レインたちが軍港に降り立つとすぐに城兵が駆けよってくる。そのなかにはベル・クラウスもいた。ベルはまだ幼さが残る少年のような顔つきで、柔らかな栗色の髪がよく似合っている。彼もまたレインの幼馴染であり、ウルディードの政務官を務めていた。



「レイン、ジョシュ、ダンテ、お帰り!!」



 ベルは嬉しそうにみんなと抱擁を交わす。そして、レインを見つめながら目を輝かせた。



「レイン、婚約おめでとう!! 僕、とっても嬉しいよ!!」

「ありがとう、ベル」

「それで? リリー殿下はどこなの?」 

「それは……」



 ベルが尋ねるとレインは振り返って『キースリング』を見上げる。答え辛そうにしているとかわりにジョシュが口を開いた。



「リリー殿下は自分たちだけで下船するらしいぜ」

「え!? 荷駄の搬入は??」

「手伝いは無用だとよ。城を案内する兵士だけ欲しいそうだ」

「そうなんだ……ご挨拶できるのを楽しみにしていたのにな」



 ベルはあからさまにがっかりして肩を落とす。ダンテは苦笑しながらレインへ視線を向けた。



「どうやら、落胆しているのはレインだけではありませんね」

「……」



 レインは鉄仮面の奥で口を閉ざしている。ジョシュはベルに顔を近づけると小声で話すフリをした。



「レインはリリー殿下と一緒に下船できると思いこんでいたみたいだぜ。少しでも一緒にいたいらしい」

「ジョシュ、聞こえてるぞ」



 からかわれたレインは不機嫌な口調で答え、一人で先に歩き始める。ジョシュ、ダンテ、ベルはレインの反応が面白かったらしい。顔を見合わせて笑顔になると、すぐにレインを追いかけた。



×  ×  ×



 リリーはレインとの下船を断っていた。皇女であるリリーが『花嫁としての準備があります。どうかそっとしておいてください』と頼めば誰も何も言えない。ソフィアやクロエと一緒に下船すると城兵に案内されて貴賓室へ向かった。


 貴賓室はウルディード城東部の高所に用意されており、広々とした部屋には天蓋付きのベッドや帝都から取りよせた豪華な化粧台まであった。リリーはベッドに腰を下ろし、窓辺で外を確認するソフィアへ話しかけた。



「ソフィー、後発の親衛隊が到着するまでどのくらい?」

「移動距離を考えると早くて明日の夜といったところかな……」

ガイウス大帝おじいさまの到着はいつになるのかしら?」

「今からちょうど三週間後になる。ウルド砂漠南のカリム海を通ってくるはずだ」



 ソフィアが答えると今度はクロエの方を向いた。



「クロエ、荷物の搬入は無事にすみましたか?」

「うん。ドレスも武器もばっちりだよ。皇女殿下の私物ということで近侍きんじたいが警備してる」

「そう。じゃあ、ガイウス大帝おじいさまやお兄さまたちの寝所は?」

先遣隊せんけんたいがもう調べてる。帝国正規軍、ウルド騎兵隊の駐屯場所も押さえてあるよ」



 クロエは大理石でできた机の上にドレスを広げながら答えた。



「二人とも優秀ね。さすがだわ……」



 リリーはベッドから立ち上がってテラスへ向かう。ソフィアとクロエも後ろに続いた。白石しろいしを加工して造られたテラスはとても広く、ウルディードの街並みを一望できる。



「本当に綺麗な街ね。白い砂に白いレンガの家屋かおく……灰色の帝都とは違って純粋な美しさを感じるわ。何より、あの忌々しい塔がない」



 リリーは振り返って二人を見た。



「ウルディード城はわたしたちが旗揚げする場所として申し分ないわ……二人ともそうは思いませんか?」

「そうだな。華やかなリリーに相応ふさわしい」

「うん、リリーにぴったりだよ」



 ソフィアはそっと長剣を握り、クロエは明るく頷いた。二人を見ていたリリーはかすかに笑みをこぼした。



「わたしは『傾国姫けいこくき』という異名いみょうを気に入っています。その名に相応しい決断を下すわ。結婚なんかしない。結婚なんて皇帝になるための道具に過ぎないの」



 リリーは外へ視線を戻し、照りつける太陽へ向かって手を伸ばす。やがて、太陽をつかむように手の平を握りこみ、青い目を細めながらささやいた。



「わたしはガイウス大帝おじいさま弑逆しいぎゃくし、兄弟たちを殺戮して皇位にきます。『神聖グランヒルド帝国』を手に入れる」



 リリーの美しい口元が狂気に歪んで残虐な笑みをつくる。ささやきはまるで呪詛じゅそのようだった。語る者も、聞く者も、『誰も逃さない』という怨念がこめられている。今さらながら、ソフィアとクロエはリリーの心の奥底にある深い闇を垣間かいま見た気がした。リリーのさくら色の唇はさらに動いた。



「今日の夜、わたしはレインの寝所を訪れます……クロエ、をここに持ってきて」

「はい、畏まりました」



 クロエは運びこんだ荷物のなかから金属でできた小箱を取り出した。蓋には『昏い静寂の塔アグノス』の紋章が彫りこまれ、厳重に封がされている。リリーは小箱を受けとると細い指先で紋章をなでた。



「まずは……狼の皮膚病を治して手懐てなずける」



 リリーの青い瞳は冷たく、不気味に輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る