第15話 キースリング

 レインとリリーが戦列艦『キースリング』へ乗船するとそこにロイドとサリーシャも乗りこんでくる。甲板に立つレインは両親の姿を見るなり駆けよった。



「父上、母上、お久しぶりです!!」



 レインが嬉しそうに声をかけると二人も顔をほころばせる。ロイドはレインへ肩をよせて強く抱きしめた。



「レイン、船上にいる姿も凛々しいじゃないか。それに、あれほどの大軍を集めるとは大したものだ!!」



 ロイドはレインを褒めながら何度も頷く。すると、今度はサリーシャがレインへ声をかけた。



「レイン、元気にしていましたか?」

「はい、母上!! 父上と母上もお元気そうでなによりです。ウルディードの民もご壮健な姿を見たら喜ぶでしょう!!」



 レインは離れ離れになっていた時間を取り戻すように語りかける。幾つになっても両親の愛情はありがたいものだった。ロイドとサリーシャもまた、頼もしく成長したレインに目を細めている。しかし、再会を喜び合うレイン親子を複雑な眼差しで見つめる存在がいた。それはリリーだった。


 リリーはレイン親子から少し離れたところに立っている。後ろには合流したソフィアとクロエが直立しているが、二人ともリリーのただならぬ気配を感じて声をかけられなかった。



──わたしのお父さまは戦場の露と消え、お母さまは傲慢な塔に飲みこまれた。それなのに、レインは家族の愛に包まれている……。



 リリーは言い知れない怒りが湧いてくるのを感じた。理不尽だとわかっていても目の前の幸せな光景がどうしても許せない。平静を保とうとしても無理だった。ギリッと奥歯を噛み、両手を強く握りしめた。



──どうしてあなたばかりが幸せなの……レイン・ウォルフ・キースリング。



 リリーは少し顎を引き、下から睨みつけるようにレイン親子を凝視ぎょうしする。『すべてを見下ろす』という矜持を持つリリーにしては珍しい態度だった。レインはリリーがすでに失ったもの、恋焦がれるものをすべて持っている。それが気に入らなかった。



──しょせん、レインはわたしの駒。鉄仮面の狼なんて簡単に手懐てなずけてみせるわ。わたしにはそれができる。



 誰もが『気高く美しい』と称賛する青い瞳にはどす黒い感情が渦巻いている。ソフィアとクロエ以外はリリーの暗い感情に気づかなかった。特に、ロイドは息子と皇女の結婚を信じきっている。『リリーとレインを二人きりにさせる』と気をきかせたつもりか、サリーシャと一緒に後発の砂船すなぶねへ移った。



×  ×  ×



 三本帆柱マストが風を受けると戦列艦『キースリング』はゆるやかに発進する。白い砂の上を帆走はんそうする姿は勇壮そのもだった。右舷に立つクロエは感動して目をキラキラと輝かせた。



「ねえ、ねえ、すごいよ!! 砂が波みたいに跳ねてる!!」



 クロエは身を乗り出しながら歓声を上げた。



「リリーも早く見て!! かっこいいよ!!」

「わかったから少し落ち着いて……」



 リリーは苦笑しながら隣を見上げる。ソフィアも目を細め、優しげにクロエを見つめていた。二人はクロエのそばまでくると船縁ふなべりからウルド砂漠を眺めた。


 空は青く澄み渡り、白い砂漠は地平線の彼方まで続いている。青と白だけの単調な景色のはずだがリリーには新鮮で鮮やかな世界に見えた。



──この景色を三人で観れただけでも幸せだわ。



 壮大な光景を見ていると暗い気持ちも幾分か晴れてゆく。リリーはウルド砂漠を眺めながらぽつりとつぶやいた。



「最後に三人で旅行したのはいつだったかしらね……」

「確か、二年前にベトラス国へ行ったのが最後じゃなかったかな」



 すぐにソフィアが答えた。ベトラス国はリリーの母ルシアの祖国だった。ソフィアは吹き抜ける風に目を細めながら続けた。



「ルシアさまの故郷も綺麗だった。ウルド砂漠とは違い、湿地が広がってて神殿が多かったな……」



 ソフィアが言うとすぐにクロエも笑顔になる。



「そうそう、あのときは楽しかったよね!! 食べ物もおいしくて……それに……リリーが湖に落ちて……あのときのソフィアの顔、めっちゃ面白かった。あはは」

「「ちょっと、その話はやめて!!」」



 クロエがこらえきれずに笑い出すと、リリーとソフィアは口をそろえて止める。ただ、二人ともわざとらしく怒ったふりをするだけで笑顔だった。リリーは表情を崩したまま語りかける。



「今回の旅行も楽しくなりそうね」

「リリー、旅行ではなく遠征だ」



 ソフィアはすぐにたしなめる。クロエもソフィアに同調してうんうんとうなずいていた。



「そうだよリリー。わたしたちは戦いに来てるんだよ」

「クロエはソフィアの顔色を気にするのね」

「だって、親衛隊の隊長さんは怖いもん」

「確かに……いっつも難しい顔をしていて怖いわよね」

「ちょっと、二人ともやめろ。わたしは怖くないぞ」

「「ほら、難しい顔をしてる」」



 ソフィアが困り顔になるとリリーとクロエは声をそろえて微笑んだ。三人ではしゃいでいると本当に旅行へでも来ているかのようだった。ただ、リリーは背中に視線を感じている。それは、後ろで見守っているレインたちの視線だった。



×  ×  ×



「なあ、レイン。どうなってんだよ……」



 ジョシュはレインを肘で軽く小突き、小声で話しかけた。



「僕にだってわからないよ」

「俺たちは直立不動の近衛兵か? お前、リリー殿下と一緒に乗馬してただろ?」

「そうだけど……」

「じゃあ、なんで会話しないんだ? 親しくなったんじゃないのか?」

「だから、わからないって言ってるだろ」



 レインも戸惑っていた。戦列艦『キースリング』にソフィアとクロエがやって来たとたん、リリーはレインを無視するようになった。会話ができないからといって、立ち去るわけにもいかない。



──何か気にさわるようなことでもしたのかな……。



 レインに思い当たることはない。どう対応したらよいのかわからずにいると今度はダンテがレインを小突いた。



「リリー殿下はレインが話しかけてくるのを待っているのではないでしょうか……」

「殿下が? そ、そうかな……」

「このまま、ここでボーっと立っているおつもりですか? レインは婚約者なのですよ。リリー殿下と仲良くなってもらわねば、あえて乗船されなかったロイドさまとサリーシャさまのお気持ちが無駄になります」

「……わかった」



 両親の名前まで出されるとレインも頷くしかない。しかし、話しかけろと言われても適当な話題が思いつかなかった。



──リリー殿下はウルド砂漠に詳しかったな……ウルドの天候や星空のことを……いや、逆に帝都のこと聞くべきかな……。



 あれこれと考えているうちにリリーたちの後ろまで来てしまった。ソフィアとクロエはちらりと視線を送ってくるが、リリーは依然としてウルド砂漠を眺めている。



「あの、リリー殿下……」



 レインはやはり『殿下』と付けて話しかける。リリーは振り向くとわざとらしく頬を膨らませた。



「ごめん、



 レインが言い直すとリリーは満足そうに微笑んだ。



「レイン、どうしたのですか?」

「何かウルド砂漠の説明でもしようかと思いました。興味がおありのようでしたので……」


──余計なお世話よ。楽しく会話しているのが見えないの? 気のきかない男ね……。



  そう思いながらもリリーは笑みをやさなかった。



「嬉しいです。できれば、ソフィーとクロエにも聞かせていただけますか?」

「もちろんです!!」 



 レインは空気を読めずに張りきっている。ふと、リリーはレインの後ろに立つ二人の男が気になった。



「あちらのお二人は?」

「はい、ジョシュ・バーランドとダンテ・カインハルトと申します。二人とも優秀な副官であり、僕の幼馴染です」

「じゃあ、せっかくですから紹介してくださいますか?」 

「はい!!」



 レインはすぐにジョシュとダンテを呼ぶ。二人はリリーの前までくると片膝をついた。



「リリー殿下、わたしはジョシュ・バーランドと申します。我があるじレイン・ウォルフ・キースリングの副官にございます」

「同じく、副官を務めるダンテ・カインハルトと申します。リリー殿下にご挨拶できて光栄に存じます」


──この二人がレインの副官……。



 ジョシュとダンテはリリーに対しても気おくれしない。堂々とした姿からも『あるじであるレインに恥をかかせない』という気概と忠誠心を感じた。



──二人にとってレインは大切な主君なのね。



 そのことをさとるとリリーはレインの左手へ右手を絡ませる。『自分こそがレインにとって最も特別な存在である』とさりげなく誇示してみせた。驚くレインをよそに返礼を告げる。



「わたしはリリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ。レインの妻となるべくウルド国までやってきました。わたしも二人に会えて嬉しく思います」

「「ありがたきお言葉」」



 ジョシュとダンテは恐縮して頭を下げる。リリーは二人を立ち上がらせると、「それでは……」とつぶやきながらソフィアとクロエへ振り返った。



「二人も挨拶して」



 リリーがうながすと真っ先にクロエが進み出る。



「わたしは皇女近侍隊きんじたいの隊長でクロエ・ベアトリクスと言います。えっと……リリーの侍女武官です。よろしくお願いします!!」



 クロエは両手で給仕服のスカートをつまみ、片足を引いて挨拶する。気恥ずかしかったのか、「次はソフィーだよ!!」とすぐにソフィアの手を引いた。ソフィアはいつも通り淡々とした口調で挨拶を述べる。



「わたしはリリー殿下直属、皇女親衛隊の隊長ソフィア・ラザロ……よろしく」

「「どうか、こちらこそよろしくお願いいたします」



 皇女近侍隊や皇女親衛隊の隊長ともなれば将軍並みにくらいが高い。ジョシュとダンテは深々と頭を下げる。挨拶が終わるととリリーはその場にいる全員を見回した。



「わたしたちはこれから苦楽をともにします。どうか、みんなで仲良く過ごしましょう」

「「「はい、リリー殿下」」」

 

 

 リリーは内に秘める負の感情や燃える野心を隠したまま、普通の男女として接することを望んだ。皇女という権威もひけらかさない。『傾国姫けいこくき』と呼ばれる所以ゆえんがそこにあった。

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