眠れない夜のお喋り
春というのは穏やかに見えて不安定な季節だ。
四季の移り変わりがハッキリとしているカルメたちの村では春もその特色を色濃くしており、日中と夜間の寒暖差や突然の雨、低気圧なんかで人々の体調を悪化させ、精神を蝕んでいる。
また、春というのは人間を含めてあらゆる生命体が活発になる季節だが、そのぶん疲れやすく、こまめな休憩がカギとなる。
どこまでが季節の影響であるのかは不明だが、少なくとも最近のログは疲れやすくなっていて悪夢ばかりを見ていた。
おかげで毎夜はね起きることになり、肉体だけでなく精神も疲弊してかなり不安定になっている。
しかも、ログがはね起きると彼の異変に聡いカルメまで起きてしまうため、彼女を起こさないように、悪夢を見ているとバレないように、と神経を使った結果、明け方ギリギリまで眠れなくなってしまい、慢性的な睡眠不足に陥ってしまうという有様だった。
目の下には薄っすらとクマができており、時折カルメが心配そうに見つめている。
眠れないのかと問われた時にはドギッと心臓を鳴らし、どう誤魔化したものかと頭を悩ませたものだ。
『眠れない。いい加減に寝ないと、またカルメさんが心配してしまう』
真っ暗闇の中、ベッドの上で脱力したログが溜息を吐く。
頭の中では毎晩のように夢の中で怒鳴りつけてくるカルメの、
『お前みたいな空虚で薄情者で人間の心がない男は嫌いだ。信用できない。どうせ私のことも、手に入れたらどうでもよくなるんだろ。すぐに捨てて、空っぽのなったままフラフラ旅にでも出るんだろ。気持ちが悪い。今すぐ私の前から消え失せろ』
という罵声がグルグルと巡っていた。
架空の暴言は一度もログの鼓膜を揺さぶっていないはずなのに、何故か耳の奥にこびりついて離れない。
ログは苦しくなってギュッと耳を塞いだ。
『情けないよな、いつまでもこんな夢を見て。悪夢だって、辛いトラウマを引き起こすカルメさんの物に比べればたいしたこと無いのに、怯えて眠れないなんて馬鹿みたいだ』
悪夢の内容は自分の本性を知ったカルメに手酷く振られ、目の前から去られるというものだ。
一度は和らいだはずの自己嫌悪が今更になって喉元までせり上がる。
カルメに恋をして以降は治まっていたはずの悪夢がかえって強化され、心臓を深くえぐった。
今も閉じた瞳の奥には、自分を睨みつけ、怒鳴るカルメがいる。
酷い焦燥感を覚えて喉が渇いた。
去り行く彼女に絶望を感じて、寂しさが癒えない。
『……嫌だ』
疲労を積み重ねて情緒不安定になっているログは、何度も鮮明に悪夢を思い出して目元に熱を集中させた。
苦しくなって何かを破壊したくなる。
ギリッとシーツを握り潰した。
『落ち着け。こんなんで泣くとか、どうかしてる』
ハァハァと荒くなる呼吸に合わせ、目頭の熱も増していく。
それでも涙腺をせき止めるような心持ちでギュッと目を瞑っていると、少しずつせり上がっていたものが水位を低くしていって落ち着くことができた。
『俺がこんなだって知ったら、カルメさんはどう思うんだろう』
ログは格好つけだ。
頼る事よりも頼られることが好きで、いつだってカルメにとって「凄い人」でありたいと願っている。
しょぼんと落ち込むカルメを穏やかに抱き締めて励まし、安心を与えられるよう、密かに努力をし続けているのだ。
そんな彼にとって小さな悪夢に怯えてカルメに縋り、プルプルと震えるなど論外である。
たとえカルメに願われても、本当はあまり弱さや情緒不安定な姿を見せたくなかった。
何度も溜息を口内で噛み殺していると、てっきり眠ったものとばかり思っていたカルメが不自然にモゾモゾと動く。
それからログの背中にギュッと抱き着いた。
「ログ、あんまり離れたら嫌だ。明日は多分、花祭りで私の誕生日だから、ずっと抱き締めてくれるって約束しただろ。起きても抱き締めたままでいてくれるって。どうしても暑くて駄目なら私が我慢する。でも、そうじゃないなら約束やぶっちゃ嫌だ」
プクッと膨らませた頬を不満そうに擦りつけている。
随分と甘えたな姿に癒されて、ログの口元には自然と柔らかな笑みが浮かんだ。
「ごめんなさい、カルメさん。うっかり寝返りを打ってたら離れちゃいました」
「そんなんで離れられるのは嫌だ。もっとちゃんと抱き締めてくれ」
カルメがグイグイと腹に回した腕を引き、ログをひっくり返そうと試みる。
しかし、いくら引っ張ってもログの身体はビクともしない。
「ログが全然こっち向かない。なあ、ログ、抱き締められたい。抱っこされたいってば」
カルメにはそれなりに腕力があるし身体強化の魔法も使えるので、ログを無理やり動かすこと自体は簡単だ。
しかし、そうやって力づくで抱き締めてもらうのではなく、自らの意志でふんわりと抱き締めてくれることが重要なのだ。
カルメは既に膨らんでいた頬をプーッとさらに膨らませた。
「ログが意地悪だ! 今日は、その、あの、いっぱい甘やかされたい気分だったのに……!」
「ごめんなさい、カルメさん。抱っこを要求する姿が可愛かったので」
すっかり拗ねてそっぽを向いていたカルメだが、楽しそうに笑うログに後ろから抱き締められ、ゆっくりと頭を撫でられていると絆されてしまい、数分もしない内に胸の中へ帰って来た。
「ログ、今日は甘やかされたいんだからな!」
これ以上は意地悪をするなよ! と圧をかけ、甘やかしてくれと全力で語りかけながら全身の力を抜く。
妙に偉そうな甘えっ子にログはクスクスと笑いを溢した。
「分かってますよ。さっきは少し意地悪したくなっただけです。ちゃんと抱っこしていてあげますから」
ギュムッと抱え直し、二人でホクホクと温まる。
しかし、普段ならば全身が温まった時点で眠ってしまうお子様カルメがソワソワとしたまま身じろぎを続けている。
モソモソと手を伸ばしてログの髪を弄ったり、腕の中で何度も寝返りを打ったりと一向に眠る気配がない。
「もしかしてカルメさん、眠れないんですか?」
何の気なしに問いかければ図星を吐かれたカルメがギクッと固まって、それから恥ずかしそうにコクリと頷いた。
「実は、そうなんだ。明日が楽しみで、早く寝なきゃいけないのに眠れないんだ。明日が誕生日だったらいいなって。ま、まあ、全然違う日かもしれないんだけどな。でも、なんか、ドキドキしちゃって眠れないんだ。本当は、ちゃんと寝なきゃいけないのに」
たまにカルメを神輿で担いだり、彼女に一斉に祈りを捧げたりするようなロクでもない祭りもあったが、基本的に村の祭りといえば仲間たち全員ではしゃぐ楽しいイベントだ。
祭りでは収穫物などを使用して盛大に騒ぎ、努力してきた日々に褒美を与えたり、これまでの平和に感謝を捧げて今後の実りを祈ったりする。
互いの苦労をたたえ合い、次に進むための重要な行事だ。
村の実りや平穏には確実にカルメが関わっているわけで、そういった意味では彼女が最も参加資格があるのだが、彼女は基本的に祭りという存在に参加してこなかった。
村人たちで和気藹々としているところに自分が入り込んでも周囲を委縮させ、気遣わせるだけであるし、何よりも彼女自身、他者とイベントを楽しむ方法を知らなかったのだ。
どの村にいた時もカルメの家は大抵、村から少し離れた山の中にあるのだが、それでも祭りで音楽を演奏したりご馳走を作ったりすれば、自宅まで音や香りが届く。
楽しそうな笑い声だって届く。
それに、祭りの日は何故か周囲の空気がパキッと変わってしまうのだ。
感覚が鋭いカルメは肌で祭りの雰囲気を感じてしまっていた。
周りが楽しそうであるのに自分だけは独りぼっちで家にいるのかと思うと寂しくて、苦しくて、悲しくて、むしゃくしゃして、けれど泣くのもなんだか悔しくて。
祭りの日のカルメは独りぼっちのまま、一歩も外に出ず、ふて寝を繰り返して一日を潰していた。
昨年の花祭りだってそうだ。
サニーに村や森が花まみれになることを聞いていたから、祭り当日に家の外を眺めたりはしたが、花壇に水をくれたらすぐさま自室に逃げ帰って枕を抱き締めながら眠った。
今回の花祭りはカルメにとって初の誕生日であるだけでなく、初めての「まともな楽しいお祭り」なのだ。
期待と不安で眠れなくなってしまったカルメはモゾモゾと動き、ログの胸に唇を押し付けた後に、
「子供みたいだろ。祭りなんて去年もあったし、別に珍しいものでもないのに」
と、モゴモゴ呟いた。
声は落ち込んだ風だが、少しだけ覗く深緑の瞳の奥は水面のようにキラキラと輝いている。
複数の感情がないまぜになって揺れている姿は、思春期の子供が遠足にはしゃいでしまい、それをひた隠しにしようと必死になっている姿にも似ていて、少し大人ぶった捻くれぎみの素直さが溢れていた。
「カルメさん、無邪気でかわいいですね。じゃあ、お喋りでもして眠気がくるのを待ちますか。そうだ、カルメさん。花祭りの伝承は知っていますか?」
「花祭りの伝承?」
「ええ。花祭りにまつわるおとぎ話です」
「知らない。おとぎ話があるっていうのは聞いたことがあるけど、内容は全く知らないんだ」
カルメは読書好きで物語が好きだ。
特に可愛い恋愛話や冒険譚、童話の類が好む。
地域に伝わる伝承なんかにも興味があったので、カルメは興味津々にログの顔を見つめた。
「よかったら、お話ししましょうか?」
「聞きたい!」
ワクワクが止まらない様子の彼女に毛布を掛け直してポンポンと上から撫でるように叩く。
それからログはゆっくりと口を開いた。
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