宝物の宝物
「目、覚めたのか?」
「はい」
「どいてくれ」
「はい。すみません」
気まずそうに目を逸らすログの脳内では、カルメに対してとってしまった行動の数々がグルグルと流れている。
タラリと冷たい汗を背中に伝わせながらカルメから降り、ベッドの上に戻ると速やかに正座になって彼女の叱りを受ける体制に入った。
だが、ログは自分では気がついていないようだが、彼の体は高熱の中で無茶をしたせいで既に限界を迎えていて、背筋を伸ばした上体がグラグラと揺れていた。
冷や汗をかく以前に全身から汗を拭きださせており、目元に溜まっているのが涙なのか流れる汗なのかさえもよく分からない。
顔どころか全身が火照って真っ赤になっており、微かに開いた唇からは苦しそうな熱い吐息を漏らす。
きっと、唾を飲み込むどころか空気をするのすら苦しいのだろう。
呼吸のたびに喘ぐような嫌な音を喉が鳴らした。
そんな酷い状態にあるというのに、ログは意識が曖昧になって油断すれば倒れそうになるのを体へ力を込めて、必死に生座を維持している。
無茶しっぱなしなログをカルメがギロリと睨みつけた。
「ログ、寝ろ」
「いや、でも……」
「さっき、ログはさんざん無茶したよな?」
「いや、まあ、無茶をしたというか、無茶をさせたというか」
「無茶したんだ!」
ログの体調や精神状態を気遣って声を抑えていたカルメだが、グラグラとした正座を続けながら謎の抵抗を続ける彼を見て、つい声を荒げてしまった。
照れて怒ったり、軽い怒りを飛ばしてきたりと、とても普段から怒らない性格だとは言えないカルメだが、ここまで真剣で強い怒りをログ相手に飛ばしたのも随分と久しぶりである。
潤む瞳でカルメを捉えたログがコクリと一回だけ頷くと、ようやく体を横に倒した。
「お説教は後にしてやるから、とにかく今日は寝ろ。出来るなら水とお薬を飲んで、後は大人しく眠てくれ」
両腕を組んでブチ切れたカルメが仏頂面で水の入ったコップと薬を差し出してくる。
水ならば少し飲めそうだったので、ログはカルメからコップを受け取って数口だけ中身を飲んだ。
それから頑張って薬も飲むと再びベッドに横になる。
ゆっくりとしか動かせない体も、ぶり返したように上がり続ける熱も、全てが重病人と評されるにふさわしい姿となっている。
「この様子じゃ、ご飯を食べるのは無理か。ヨーグルト、冷蔵してくる」
カルメたちの家に冷蔵庫のような箱の中身を常に一定の温度に保つ魔道具は存在しないが、代わりに彼女がそれらしい効果を持つように魔法陣を駆使して作った箱がある。
見よう見まねどころか冷蔵庫の噂を聞いて勘で作ったので、あまり大きくないがヨーグルトの入った器くらいならば収納しても余りあるほどのサイズがあった。
ヨーグルトの器を返し、台所から寝室へ戻ってきたカルメがログの姿を見てため息を吐く。
ベッドで横になったログがパチリと目を開けていた。
「ログ、まだ寝てなかったのか? ログの体は限界が近いんだ。頼むから寝てくれよ。どうしてもって言うなら、明日のお説教も、その次のお説教もなしにしてやるからさ」
困ったように首を振るカルメをログがぼんやりと見つめる。
「カルメさん」
虫が鳴くような細くザラついた声でカルメを呼ぶ。
それから、ログはカルメの返事を待たずに無言で少しだけ毛布を持ち上げた。
「ログ、私はログの看病をしなきゃいけないんだ。一緒には寝れないぞ」
「カルメさん、俺が汗だらけだから嫌ですか? それとも、風邪がうつるから?」
「ログ、話聞いてないな? 風邪がうつるって言うなら、さっきのでとっくにうつってるだろ。入らないって言った理由はそれじゃないよ……分かった。入る」
ジッと見つめられ、呆れた様子で布団に入ったカルメだが、弱ったログにキュッと引っ付かれると少しだけ胸がキュンと鳴った。
『怒ってたのに、なんか悔しいな……』
苦しそうな咳とともに跳ね上がり、汗だらけでこわばった背中をゆっくりと撫でる。
ギュッと彼の体を抱き締めると、毛布でゆっくりと温まった普段の穏やかな体温とは違い、急激にぶち上げられた、どこか冷たい病人の熱を感じた。
『ログの体、熱いのに引っ付いてると私の体温が奪われているみたいで不思議だ。汗が冷えてるのかな? 手とか足とか首筋とか、色んなとこがちょっとだけ冷えてる』
手を握ってログの足先に自分の足を絡める。
背中を撫でていた手も首筋にピトッと当てて、とにかく彼の体を温めるのに注力した。
そうしていると、少しずつログの体の緊張が解けていき、カルメと一体化するかのようにフニャフニャと全身の筋肉を緩ませ始めたのを感じられた。
『ちょっとだけ落ち着いたか? でも、まだまだ弱ってるな。そういえば、ログが駄目になったら甘やかすって、約束してたっけ。今日も、元々は約束を守って、シッカリ看病してやろうと思ってアレコレ準備してたわけだし』
ログに抱きつかれたまま、ベッドの横に魔法で水球を作る。
そこにベッドの端から転げ落ちそうになっていたタオルを突っ込むと、その中でタオルを揺らしてシッカリと全面に水を染み込ませる。
それから水球の真上にタオルを出すと、床に水滴を溢さぬよう、その場で器用に絞り始めた。
そうしてカルメはログ用に冷たい濡れタオルを作っていたのだが、ベッドから体をはみ出させてモゾモゾと作業をしていると、抗議するように後ろからログがモフッと抱き着いてきた。
カルメがチラッと後ろを確認すればログが腰にしがみついて、そのまま顔を腰付近へ埋めているのが見える。
「出て行かないでください。寒いです、カルメさん」
「ん? ああ、私とログの間に隙間ができたからか。悪かったよ、ログ。ログの額に置くように濡れタオルを作ってたんだ。ほら、気持ち良いぞ」
汗で額にへばりついた前髪をよけてやり、その上にタオルを被せる。
だが、ログはフルフルと小さく首を振ってタオルをずり落とすと、代わりにカルメの手のひらを自分の額にペタリと押しあてた。
「俺はこっちが好きです、カルメさん。こっちの方が冷たくて、柔らかくて、気持ちいい」
「私の手のひらじゃ、すぐにぬるくなっちゃって気持ちが良くないだろ。全く、甘えん坊でかわいいな」
ワシワシと頭を撫でると、ログが「ん」とだけ返事をしてくる。
それがかわいくて、カルメは何度もログの頭を撫でた。
「ねえ、カルメさん、俺、眠いけど寝れないんです。変に頭がさえちゃって。でも、あんまり喋るのは嫌なんです。のどが痛くて。だから、代わりにカルメさんがお喋りしませんか?」
カルメを自身の胸の中にギュッと押し込んだログが、咳き込み、ガタガタになった声で小さくお願いをする。
「全く、ログは仕方がないな。急に言われても、話題なんかないぞ」
そう言いながらも話題を探すカルメは、メグに教わった本当のフロネリアの話やサニーがコールにスカートを履かせた上で捲る計画を立てていた話、最近ウィリアの様子が少しおかしい話など、世間話程度の話題をいくつも見つけて、ログに一方的に語り続けた。
最初は曖昧に相槌を打っていたログも段々と眠くなったようで、ゆっくり、こっくりと舟をこぐようになる。
やがて、スー、スーと寝息を立て始めたログを見守って、カルメはホッとため息を吐いた。
「やっと寝たか。なあ、ログ、私はさ、ログに襲われてビックリしたけど、ログが嫌だったわけじゃないんだ。無茶されたからさ、すごく心配したんだよ。実際、起きた直後のログは未だかつてないほどに寝惚けてて、風邪で酷い状態だったのに様子がおかしいままで、その、アレだったし」
ログの様子を思い出して照れたカルメが少し頬を赤くする。
優しく語り続けるカルメにログは何の返事も寄こさない。
だが、ログに安静に眠っていてほしいカルメはピクリとも反応せずに熟睡し続ける彼に満足して、ただ吐きだしたいだけの言葉を出すために口を開いた。
「今も心配で仕方がないよ。このまま風邪が悪化して死んじゃったらどうしようって、心配に思う。私たち病院で働いてるからさ、風邪をこじらせて死んだ人の話、たくさん聞くだろ。本当に怖いよ。本当に」
言いながら怯えて、カルメはキュッとログを抱き直した。
心臓に耳を当てると少し落ち着いたような鼓動が聞こえる。
呼吸の音も少し苦しそうなままだが概ね安定していて、普段の安らかな寝息に近づきつつあった。
万が一がないとは言えないが、ログの年齢や肉体に残っているだろう体力を考えても、ひとまず風邪の悪化で死んでしまうことはなさそうだ。
カルメの震えあがった心臓も、少し落ち着きを取り戻した。
「私さ、私にも怒ってたんだよ。ログのこと、気がつけなくてふがいないなって。倒れた時に怯えるくらいなら、何で毎日、もっと見てなかったんだろうって。どうして夢のこととかを気遣って、日常的にフォローを入れてやれなかったんだろうって、思った。でもさ、ログはさ、多分、夢のこととか聞いても答えてくれないんだろ? 私は、どうしようもない事でも良いから教えてほしいよ。何であんな風に『信じてください』って繰り返したのかとか、何であんなに私の名前呼んでたんだろうって、すごく気になる。まさか、私がログのこと苦しめてるってことはないよなって、不安だ」
もしかしたら自分の声が聞こえているのではないかと、ほんの少しだけ期待してログの顔を見上げる。
しかし、当然ながら眠っているログにはカルメの言葉が一切届いておらず、意識を手放したまま沈黙を貫いていた。
「答えないか。まあ、今は眠っててほしいから、それでいいんだ。それに、明日とか、明後日とか、その次とか、ずっと言えなくてもいいんだ。言いたくないなら、言えなくてもいい。でも、やっぱり寂しいよ。頼ってもらえないのは寂しいよ、ログ。ログなら分かるだろ。でも、それでもログは、こういう時は頼ってくれないんだろうな。意地っ張りだから」
頬をつつきたくなったが、起こしたくないのでやめておく。
代わりに、カルメはほんの少しだけログの柔い瞼を睨んでやった。
カルメが予想した通り、ログは絶対に彼女へ夢や恐怖の内容を明かさない。
理由は三つだ。
まず、カルメがボソッと呟いたように、ログが意地っ張りな格好つけで基本的に弱みを明かしたくない性格をしていることが一つ。
もう一つは悪夢でも明かしたように、夢の内容を話すことでカルメが自分の過去を知り、軽蔑した上で逃げてしまうのが恐ろしくて堪らないからだ。
そして最後の一つは、ログ自身が「例の恐怖を持つ自分」を受け入れられていないからだった。
そもそもログは、自分の恐怖の根源となった感情や過去を空虚で醜悪で汚らしくておぞましいものだと考え、忌み嫌っている。
そのため、ログは空虚に支配されていた過去の自分を含め、基本的に自分自身があまり好きではない。
これに加えて、母親に崖から突き落とされて捨てられ、酷く蔑まれながら旅を続けてきたという凄惨な過去を持つカルメに比べたら、自分の持つ過去も感情も恐怖も、全てがちっぽけで馬鹿らしく見えて仕方がない。
幼い子供が暗闇で揺れるカーテンに怯える程度の些細な悩みで眠れなくなるのが愚かで仕方がない。
カルメと違って温かい家族も友達もいたのに自分自身が弱くて汚かったせいで、
「こんな自分のことなんてカルメさんは嫌いになって何処かへ行ってしまうかも!」
と、勝手に激しい恐怖を感じ、かつてのカルメと同等に怯えて悪夢まで見るのが情けなくて、恥ずかしくて、とても彼女には伝えられそうになかった。
もちろん、悪夢で見たように恐怖や過去を伝えてカルメに去られてしまうのが一番恐ろしい。
だが、万が一にでも恐怖を伝えてカルメに受け入れてもらえたとて、いつか嫉妬心を伝えた時のように彼女からヨシヨシと慰められでもしたら、ログはいたたまれなくなって自分自身を許せなくなってしまう。
今回の恐怖はログにとって、カルメに堂々と開示できるほど立派な背景や理由のある、持ってしまっても仕方がないような真っ当な恐怖ではなかったから、余計に彼女には絶対に言えなかった。
カルメもログも二人とも相当に頑固な性格をしているが、こういう時にひとまず負けてしまうのはログを傷つけたくなくて、彼の頑固さを仕方がないなと許容してしまうカルメの方だ。
彼女がちょっぴり寂しいなと落ち込むのも、もはや必然である。
『暑いからって、布団から逃げちゃ駄目だろ。全く……』
腕や足、肩なんかを布の塊から脱出させ、スヤスヤと眠るログにカルメが苦笑いを浮かべる。
シッカリ首元まで毛布を掛け直し、最後に彼の胸の中に戻ってすっぽりと収まるカルメは、一つ欠伸をして疲れ切った瞼を閉じた。
互いにすっかりと眠った深夜。
ログは再び夢を見た。
十二歳くらいの少年に戻ったログが、深緑と黒っぽい紫の混ざりあった美しい宝石を大切そうに抱き締めている夢だ。
夢の中で宝物を抱き続けているログは、現実でも幸せそうな表情をして無意識にカルメを抱く力を強めている。
ずっと見たかった幸せな夢は、カルメが風邪で暴走した後のログにも優しい態度をとり、彼の腕の中で丸まって眠ったからこそ見ることができた夢だ。
ログを癒したい、甘やかしたい、大切にしたいと一生懸命に行動しようとするカルメだが、実は直接的に行動を起こさずとも、「ログの側を離れない」という選択をし続けているだけで彼を和ませていることを、肝心の彼女はよく分かっていない。
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