夢心地

 カルメがログを担いで帰宅してから約一時間が経った頃だろうか。

 以前、ログに看病してもらった時のことや診療所での仕事を通して学んだ患者に対する扱いを思い出しつつ、カルメは黙々と彼の看病を進めていた。

 酷く熱い体温を下げるべく、何度も冷えた濡れタオルを作って彼の額に置く。

 近くの棚の上には、すぐに食べさせられるようにドライフルーツのはちみつ漬けを置いているし、ログのための薬も用意してある。

 目が覚めた場合のケアもキチンと整えていた。

『うなされてる。苦しそうだ。何て言ってるんだろう?』

 異常に高い体温ももちろん心配なのだが、それ以上にカルメを不安にさせるのが悪夢でうなされるログの姿だ。

 全身に酷く汗をかき、眉間に皺を寄せながら唸り声を上げたり、ポロポロと泣き出したりするログは、何だか痛々しくて見ていられない。

 本当は夢にの中に入ってログのことを抱き締めてやりたかったし、それができないのならば、せめて代わりに毛布の上から彼の体を抱き、大丈夫だと頭を撫でてやりたかった。

 だが、そういった行為をとってもカルメの心がホクホクと満ちるだけで、ログの病状が回復することも無ければ、精神が安定することもない。

 結局のところ、カルメにできることといえば病魔に襲われるログの姿を見守って、熱心に看病を続けることだけだ。

『分かってても歯がゆいな』

 小さくため息を吐きながらログを見守り続ける。

 すると、不意にうなされていたログがパチリと目を開けた。

「カルメさん?」

 カサカサにひび割れた唇が、呻くように小さく言葉を発する。

 すると、ログが意識を取り戻したことに喜んだカルメがパッと表情を明るくし、嬉しそうに笑った。

「ログ! 目を覚ましたのか!? よかった。具合はどうだ?」

 ワクワクと問いかけるカルメだが、ログの方は未だに半分以上も脳を夢の中に置き去りにしているようで、ぼんやりと彼女を眺めて黙りこくっていた。

「……な……い」

 何か言葉を発したようだが、寝起きの上に風邪で掠れた声はボソボソとしていて、うまく聞き取ることができない。

「どうした、ログ。あんまり無理をしないで、眠ってていいんだぞ」

 優しく微笑みながら、ログの言葉を聞きたがったカルメが彼の方へ近寄っていく。

 すると、屈んだカルメが自身の真横にきた辺りでログがシュッと両腕を伸ばし、彼女の体に飛びついた。

 油断を狙った素早い動きは、まるで狩りをする獣だ。

「行かないでください、カルメさん。信じてください」

 的確な動きに対し、うわごとのように繰り返す言葉は曖昧だ。

 現在、ログの脳の動きは風邪の影響で最大限に鈍っており、マトモな思考をできないほどになっている。

 その上で酷い悪夢まで見てしまった彼は異常なほどに気を動転させてしまい、激しいパニックに陥っていた。

 現実のカルメも今のログには夢の中で自分を激しく非難し、拒絶した方のカルメと同一人物になってしまっている。

 夢の中で感じていたカルメへの飢えまで引き継いでいるため、激しい喪失感と寂しさに心臓をキュゥッと締め付けられ、心を粉々に崩壊させられそうになった。

 何とか心の隙間を埋めて安心したい欲求に駆られ、ギチギチとどこまでもカルメを抱き締める腕に力を込めていく。

 これに対し、初めはログの奇行にギョッとしていたカルメも、すぐに彼が寝惚けたままで行動しているのだと気がつくと、

「大丈夫だ、ログ。私はどこにも行かないから、落ち着いて、取り敢えず腕を放してくれ。看病がしにくい」

 と、優しく諭しながら彼の腕をポンポンと叩いた。

 しかし、焦点の合わない瞳でカルメを見つめるログは決して首を縦に振らない。

「放せって、何でですか?」

 グルグルと牙を剥く声には確実に非難の響きが混じっている。

「看病がしづらいからだよ。ログ、今自分がどんな姿勢をしているか分かってないだろ。寝てなきゃいけない人なのに、中途半端に体を起こして私をギュって抱っこしてるんだぞ。ちゃんと寝転がって休まなきゃだめだ」

 カルメが少し厳しい口調で丁寧に叱る。

 だが、夢の世界の住人として拒絶を激しくするカルメと争っていたログは、真直ぐに彼女の言葉を受け取らない。

「そう言って俺から離れるんですか? 信じてくれないんですか?」

「え? いや、違うって。とりあえずログは目を覚ませ」

 夢心地なままで決して目を覚まさないログに、

「寝起きが悪いにもほどがあるだろ」

 と、苦笑いを浮かべたカルメが、軽く彼を押しのけてクルリと背を向ける。

 すると、キッパリとした拒絶に見えるカルメの行動に神経を刺激されたログが狼狽して体を起こし、

「嫌だ! 行かないでください、カルメさん!!」

 と、大慌てで後ろから彼女に抱きついた。

 そのまま押し倒せば、あまりにも酷い奇行に驚いたカルメが「キャッ!」と悲鳴を上げ、床で仰向けにされたままギロッとログを睨みつける。

「ログ、急に押し倒したら危ないだろ! 危うく、私は床に頭をぶつけるところだったんだぞ。ログだって変にこけてたら、腕や足を床とかテーブルにぶつけてたかもしれないし。それに、土足で歩くから床は不衛生なんだ。風邪を引いた人が寝転がる場所じゃない。ベッドに戻れ!」

 自身の異様に高い運動神経を駆使して押し倒された瞬間にクルリとログの方を向いたカルメは、自分の後頭部を腕でガードし、綺麗に受け身をとりつつ、倒れ込んでくる彼のこわばった体を受け止めて、衝撃をシッカリ殺したまま床に寝転がっていた。

 こんな芸当をできるのは、おそらく村ではカルメだけだろう。

 そのカルメでさえ、一歩反応に送れていれば対処しきれずに怪我をするところだったのだ。

 寝惚けたおふざけにもほどがあるぞと、しっかりログを叱りつけるカルメの目つきは鋭く、口調もかなり厳しい。

 だが、悲しいかな。

 今のログには通じない。

 思いやりも、理屈も、何もかもが通じない。

「拒絶しないでください、カルメさん」

 ただただ、悲しく呻く声に流石にイラっとしたカルメが舌打ちをしかける。

「ログ、いい加減に」

 目を覚ませ。

 そう怒鳴りかけたカルメの唇を、素早くログの唇が覆った。

 勢いよく滑り込んできたログの舌に目を丸くしつつも、傷つけないようにカルメが歯を動かすのを止めれば、彼の分厚い舌が激しく彼女の口内をまさぐる。

「んぅ、んっ! んんっ!」

 普段ならば優しく歯や歯茎をなぞったり、柔らかく舌を擦りつけたりして、徐々にカルメの口内を解しながらキスを深めていくログだが、今はよほど余裕がないのか、彼女の舌を見つけると素早く自身の舌を絡ませて抉り始めた。

 風邪で高温になるログの舌が、一切の手加減なしに自分の舌をゴリゴリと擦り、付け根部分を押し込む。

 正面を見ているはずなのに、どこも見ていないログの薄ぼやけた瞳はもちろんカルメの表情を確認しておらず、独りよがりな舌も一点ばかりを嬲り続けている。

 おまけに、あまりにも力強いキスに根を上げたカルメがログを押しのけようと彼の頭や肩を押せば、抵抗を嫌った彼がますます体重をかけて覆い被さってくるようになる。

 それと同時にキスも深く、強くなった。

 ただでさえ、自身の舌を激しく擦って抉り、ビリビリと痺れさせてくるログの飢えた舌に脳を甘く溶かされ、顔を真っ赤にして目尻から涙を溢していたカルメだが、これまで抗った分をとがめられるように舌ごと口内を力強く吸われると体中から力が抜けた。

『息をしないと、死ぬ』

 息も絶え絶えなカルメだが、割と冷静な判断を下す。

 カルメは髪をモチャモチャとかき混ぜるだけになっていた両腕をグッタリと下ろすと、既に脱力していた体から意図的に力を抜き、可能な限り肉体の緊張を解いた。

 そして、意識を鼻呼吸にのみ集中させ、呼吸を安定させる。

 だが、そうして究極的な受け身の耐性を築いたとて、体全体にのしかかる圧力やログの高すぎる体温、ぢゅくぢゅくという自身を貪る水っぽい音に荒い息遣い、嬲り続けられる舌の痺れとぼやける脳の快感が無くなるわけではない。

 むしろ、一度抗ってしまったばっかりに強められたソレらが弱る体に余計に響くようになり、カルメは恥ずかしくて堪らなくなってボロボロと涙を溢した。

『早く終わってくれ!!』

 体を固くしたり、ログの舌を自分の下で弾き飛ばしたりすれば抵抗と捕らえられかねず、ただでさえ激しい彼の勢いが増しかねない。

 カルメは変に力を入れて羞恥を逃がすこともできないまま、耳を真っ赤にしてログが落ち着くのを待った。

 すると、カルメの涙がこめかみを伝って床に流れ始めたくらいになって、ようやくログが休憩のために唇を離した。

 鼓膜を揺さぶる苦しそうな呼吸音が自分の物なのか、はたまたログのものであるのか、病人に無茶をさせられてしまったカルメには分からない。

 だが、ゲホゲホと激しく咳き込む音だけは間違いなくログが発しているものである。

 カルメの胸にログへの心配が募った。

「ろふ、あんまりむちゃしちゃ、らめら(ログ、あんまり無茶しちゃ駄目だ)」

 舌だけでなく唇まで麻痺させたカルメが半泣きになりながら湿った口を開く。

 すると、カルメに覆い被さったまま、肩で息をしていたログがピタリと動きを止めた。

「ろふ、おちふいはのか?(ログ、落ち着いたのか?)」

 カルメが未だに呂律の回らない舌を鈍く動かして、心配そうに問いかける。

 だが、優しく心配をするカルメに対してログは焦点の合わない薄緑色の瞳を鋭く細めると、ギロリと彼女を睨みつけた。

 憎悪の塊のような冷たい瞳に晒され、茹っていたカルメの肌にゾワゾワとした怖気が走る。

「ろふ?(ログ?)」

 不安になって問いかけると、ますますログの目つきが鋭くなって、ギリッと歯を食いしばるのが見えた。

「ロフって誰だ……?」

 絞り出された声は風邪でくぐもっていて、音も普段より数段低く、ドスが利いている。

「カルメ、俺を捨てるだけじゃなくて、他の奴の所に行ったのか? 俺しか愛せないって言ってたのに?」

 どうやら、未だに脳を夢に置き去りにしてしまっているログの中ではカルメが「ロフ」という人物と浮気したことになっているらしい。

 もちろんカルメにログの事情が伝わるわけもない。

 やたらと怨念の籠った頓珍漢な言動にカルメが、

「何の話だ!?」

 と、目を白黒させていると、彼が一人でに怒りを増幅させ始めた。

「信じられなくなったからか? 信じられなくなったから、他に行くのか? 浮気をするのか?」

 うわごとのように問いかけるログが素早くカルメの両腕をひとまとめにして手首を掴み、床にギチリと固定する。

 それから彼女の頬や顎、鎖骨を手当たり次第にキツく吸い始めた。

「キャッ! ログ! 待てって! 何の話だってば! ログ! 恥ずかしいから、ログ!!」

 既に赤く染まり、敏感になっていた柔肌が何度も吸われ、更に真っ赤な跡を残すようになる。

 キスをされた時と違ってボヤけていない脳では起こっている事態を受け止めきれない。

 ログの熱い唇や舌が自分の肌を這っていることに強い羞恥を感じたカルメがビクリ肩を跳ね上げ、モゾモゾと恥ずかしそうに体を揺らした。

 だが、キスの時と同様にカルメが抵抗の意思を見せれば、その分だけログの勢いも増し、行動も激しくなる。

「拒絶しないで。信じてくれよ。俺はカルメさんが好きだ。大切だ。愛してる。本当だ」

 とうとう瞳を潤ませ始めたログが空いていた片手でカルメの胸元の衣服を引っ掴み、ビリッと引き裂く。

 衝撃でいくつかのボタンが宙を舞い、隠されていた柔肌が露わになってプルンと揺れた。

「ログ!? 何をしてるんだ!? 駄目だって! そこには何も無いって! ログ!」

 涼しくなる胸元に狼狽したカルメが叫び声を上げながらジタバタともがく。

 すると、大きくはだけた胸が激しく揺れ、中身がこぼれ落ちそうなほどになった。

 風邪で高熱になっているログも汗ばんでいるが、一連の騒動で赤くなったり暴れたりと騒がしかったカルメの方も酷く汗をかいている。

 やんわりと湿っていて、キラリと輝く雫を谷間まで滴らせる柔らかい果実を見ていると、腹の奥にあった黒っぽい欲がグルリと蠢く。

 ログが小さく唾を飲み込んだ。

「あるだろ」

 ボソッと呟いて、ガシリと片方の実を鷲掴む。

 声量の増したカルメの騒ぎ声を無視して、ゆっくりと彼女の胸に顔面を近づけた。

 そして、最後に薄桃色に染まった谷間の辺りに舌を這わせると、本格的にカルメを貪る前に何やら違和感を覚えたらしいログが「ん?」と呻いて、ピタリと動きを止めた。

「ロ、ログ……?」

 胸元で固まるログが気になって、カルメが恐る恐る顔を上げる。

 すると、同じように顔を上げてカルメの表情を覗き込んだログが訝しげに眉根を寄せた。

 確認でもするかのような微妙な態度でペロリとカルメの目尻についた涙を舐めとる。

「もしかして、しょっぱい? 少なくとも、温かい?」

 風邪で味覚が死んでいるものの、少なくとも涙や汗に宿った温度は感じたらしい。

 ようやくログが、

「もしかして俺は起きているのか?」

 と、明晰夢風だった現実に疑いの目を向けると、丸っこい目つきを鋭くしたカルメが、

「当たり前だろ! 涙なんだから!!」

 と、彼を叱りつけた。

 カルメの怒声に二度ほど瞬きをしたログの瞳には光が戻っており、すっかり焦点も合うようになっている。

 どうやらログは、やっと正気を取り戻したらしい。

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