変化する悪夢

 真っ暗な空間の中で幼い姿をしたログが一生懸命に網を振るう。

 ログが捕まえたのはキラキラと七色に輝く甲虫の形をした宝石だ。

「綺麗」

 ニコリと笑って腰に下げた虫かごに仕舞った。

 今度は花の形をした宝石を手折ってリュックに仕舞い、人間の形をした宝石を連れ歩いて笑った。

 しかし、一生懸命に貯め込んでいたはずの宝石がドロドロに腐って何処かへ逃げてしまう。

 最初は一生懸命に追うが、段々に気力も無くなって諦めてしまう。

 苦しくてうずくまっていると自分の中からもキラキラとした何かが抜け出してしまう。

 寂しく空虚な体だけを手に入れたログが真っ暗な空間の中でポツンと取り残されてうずくまる。

 これが、今までのログの悪夢だ。

 だが、ようやく大切だと思えるものを見つけ、手に入れることができたログの悪夢は彼の心の変化に合わせて形を変えていた。

 最近のログは夢の中で現在の体のまま十二歳の頃の実家に戻って、過去の自分の行動を見せつけられている。


「ログはやってみたいことはない? 将来は何になりたい?」

 優しく問う母に、十二歳にしてはやけに大人びた雰囲気のログが、

「俺は皆が好きだから、将来は家業を手伝っていきたいと考えているよ」

 と、ニッコリ笑って答えた。

 だが、細まった瞳の奥が異常に冷酷で空虚であり、心から笑っていないのが一目でわかった。

『ああ、あれじゃ皆にバレるわけだ。取り繕うのが下手すぎる』

 一見すると微笑ましい派はこのやり取りを俯瞰するログの感想は厳しい。

 この頃の自分自身がログにとって最も嫌悪感を催す存在だ。

 ヘラヘラと笑い、取り繕い続ける幼い自分を見ていると吐き気すら感じる。

 ログは大嫌いなはずの自分の写真をニコニコと笑いながら姉と眺めているかつての自分を見ていられなくなって、幼い自分に背を向けた。

『あの頃は、どうしてあんなに空虚な人間になってしまったんだろうって嘆いたけど、多分、元からだな』

 唐突に全てがどうでもよくなったログだが、実は、幼い頃からその兆しはあった。

 簡単に言えば幼い頃のログは何かを捕まえることが好きな子で、欲しかったものを手にしてしまえば、その瞬間から対象に興味を失う子だった。

 そのため、綺麗なタマムシをつかまえて興奮していても、手の中でもがくのを見ていれば、

「逃がしてあげようかな?」

 と、思って草むらに放っていたし、花を千切っても、

「なんか、要らないかもな」

 と、置き去りにしてしまうような性格をしていた。

 いくつか持ち帰ってはいたが、基本的にしまいっぱなしで取り出すということをあまりしなかった。

 だからこそ、机の中身があんなにゴチャゴチャしていたのだろう。

 宝箱は多分、ずっと昔からゴミ箱だった。

 また、ログのソレは人間に対しても近しいところがある。

 初めて出会った友達と遊ぶのは楽しかったし、積極的に人に近づいていたのだが、

「また明日ね!」

 と、声をかけられると、

『どうしても遊びたいわけじゃないけど、まあ、いっか』

 と、内心で呟いてからコクリと頷く子だった。

 正直、知り合いと友人関係になることや、友人になった後にもマメに連絡を取り合うことに取り立てて関心を覚えない子だった。

 人と一緒にいるのが嫌いなわけではなかったが、一人でもあまり寂しいとは思わないタイプで、すぐに他人が煩わしいと思ってしまう性格をしていた。

『でも、本当の独りぼっちは寂しいとか、大切が欲しいとか、卑しい性格をしてたんだろうな、昔から。大切だなんて思えるものをロクに持ってなかったくせに、概念だけは欲しがった』

 ログは大切だと思えるものに囲まれてニコニコ笑っていた過去の自分が好きで、宝物を宝物とも思えず捨ててしまえる、冷たくて寂しい十二歳以降の自分が嫌いだ。

 だからこそ、当時は改めて知ってしまった自分の本当の性格が嫌で価値観も心も変わってしまったのに以前と同じような振る舞いをしていた。

 宝物を溜め込むことはしなかったけれど、兄と姉から誕生日に貰った書き心地の良いペンなど、客観的に見て大切そうなものは机にしまい込むようになった。

 人と会うときは笑顔を心がけて、優しく振舞った。

 だが、無理やり笑う生活は苦しくて、すぐに無理がたたった。

 胡散臭い笑顔に、親しかった人と会っても、綺麗なものを見ても動かない心臓。

 だんだんログは人と会うのを控えるようになって、遊びに行くことも無くなった。

 図鑑を見返すこともなくなったし、あれが欲しい、コレをしてみたいと願望を話す事も無くなった。

 というか、そもそも願望自体が消え失せた。

 知り合いや会う頻度の減った友達程度だったらログの取り繕った姿に特に違和感を持つことも無かっただろうが、彼を大切に思っている家族だけは違う。

 感情の起伏が乏しくなり、物事に対して表立って興味を示さなくなったログを、

「年齢が高くなってきたから大人っぽくなってきたのかな」

 と判断しつつも、どうにもそれだけではなさそうな彼を心配して、特に母親が定期的に声をかけてくるようになった。

 夢を執拗に問いかけたり、ログを知ろうと質問を重ねたりするのもその一環だ。

 母親以外の家族もやんわりとログを気遣うような雰囲気を見せ始めた。

 それが最初は苦しいながらも嬉しくて、いつしか、酷くうっとうしくなり、痛いだけになった。

 愛情深い家族に愛情を返せないどころか感謝の気持ちも何も湧かず、出て行きたいと思い始める自分を知って、ログは自分自身が冷酷な異常者なんだと思った。

 過去の自分から目を背けるため、クルリと振り向いた背後には鏡があったらしい。

 そこに映る自分は、現在のカルメに出会えた後の自分の姿をしていた。

 少なくとも薄緑の瞳は空虚を映しておらず、綺麗に真直ぐ前を見つめている。

 ほんの少しだけ、カルメが絡めば好きだと思えるようになった自分自身だ。

「薄情者」

 鏡の中の自分がポツリと呟く。

 ログは一瞬目を丸くしたが、少しするとコクリと頷いた。

「お前は、自分が薄情者で寂しい人間なのが嫌だった。取り繕った後も意外と周りには人間が残っていて、無駄に手先が器用だったからできることも少なくなくなかった。割と幸せな生活を送っていたのに、それなのに、日々を楽しいと思えなかった。特別に好きなものがないのが苦しくて悔しかったんだな。加えて、自分を大切にする家族すらまともに愛せなかった。それが酷く嫌で、吐いてしまうほど自分が嫌いだった。それがお前の悪夢だった。そうだよな?」

 ログがコクリと頷く。

「カルメさんには言えなかった。贅沢すぎるバカの過去だからだ。苦しい思いをしたカルメさんに、過酷な過去を送ってきたカルメさんに、異常なだけの心情を打ち明けられなかった。それがけっこう苦しかった。そうだろ?」

「そうだよ。今でもカルメさんには言えないね。だって、大好きで嫌われたくないからさ。弱みを見せてって言われても難しいんだ。でも、きっとカルメさんなら受け入れてくれるから平気だよ。言うほど苦しくないし、もう、怖い事もあんまりないよ。そうだろ?」

 困ったように眉を下げるログの笑顔は優しい。

 今のログは過去の自分を抱き締めて、

「いつか大切な人が現れるから大丈夫だよ」

 と慰めてあげられるような、慈愛と包容力に満ちた姿をしていた。

 それが歪んだのは、鏡の中の自分がにたりと笑ってカルメの形に姿を変えた時だった。

 夢の中でもカルメに会えて一瞬だけ嬉しそうな表情になったログが、冷酷な目をした彼女に、

「嘘を吐くなよ、薄情者。だったら何で、さっさと言わねえんだよ。格好つけてんじゃねぇよ、クズ」

 と吐き捨てられて、肩がビクリと怯えるように揺れた。

 大好きなカルメの深緑の瞳がドロドロと濁って自分に絡みつく。

「ログは少し前まで大切なものが見つけられず、大切にされても愛情を返せない薄情者だった。そして、今は小さな頃とおんなじだ。大切に思えても捕まえたら満足して、要らなくなって捨てたくなるクズだ。私のことも、一回手に入れたらどうでもよくなるんだろ?」

 嘲笑うカルメの姿は出会ったばかりの頃の彼女に似ている。

 ログが一生懸命に求愛して、手に入れようとしていた彼女の姿だ。

 夢の中だというのにログは全身に冷や汗をかいて口内をカラカラに乾かした。

 心臓がバグン、バグンと大きく拍動する。

「違います!」

 震える体を奮い立たせて大慌てで否定する。

 しかし、カルメが真っ暗い湖の底のような濁りきった冷たい瞳でログを射抜いた。

「違わないだろ。だって、自分で疑っていたんだから」

 カルメの言葉にログがピシリと固まった。

 半分だけ、図星だった。

 カルメと恋人になったログは一日だけ、本当に彼女を大切に思っていられるのか、捨ててしまった宝物のように要らなく思えてしまわないか気になって眠れない夜を過ごした。

 だが、翌日に見たカルメは出会った頃と変わらぬままに綺麗で、手に入れたというのに彼女の存在を渇望して抱き締めたくなってしまった。

 照れるカルメをモギュッと抱きしめ、心の中を安心で満たしながら杞憂を笑った日が、一日だけあった。

 たった一日だけ。

「確かに、自分を疑った日があったことは認めます。でも、結局、俺はカルメさんが凄く大事でした。今だって、カルメさんのことを要らないと思ったことは一回もない。カルメさんは何にも興味がなくなった俺が唯一、心を惹かれた存在なんです」

 明晰夢の中のカルメにだって自分の心を信じてもらいたくて、ログはキリッとした表情で彼女を見つめた。

 だがカルメは、

「信じられるわけないだろ」

 と、小さく吐き捨てた。

 それからカルメは俯いていた顔を上げ、寂しそうに笑った。

「ログ、私、親に捨てられてるんだ。だから、いつか捨てられるんじゃないかって怖いんだよ」

 いつの間にか鏡を抜け出していたカルメがログの隣で囁く。

「カルメさん、怖がらなくても大丈夫ですよ。俺がずっと一緒にいますから」

 優しく抱き締めようとした両腕が空ぶって、ログは自分だけを抱き締めた。

 気がつけば、カルメは机の目の前に移動していた。

「ログ、宝物がたくさん入っているな」

 カラリと開けた机には子供の頃のお宝がぎっしりと詰め込まれている。

 だが、それも三秒と待たずにドロドロに腐って地面に落ちて行き、消えてしまった。

「あれ? 変だな? 宝物はどこに行ったんだろな? これは大切じゃないよな? コレも、アレも」

 ガサゴソとカルメが机の中を漁っていく。

 そしてカルメは机の中にかろうじて残っていたプレゼントのペンを片手で砕き、アルバムを破り捨てた。

 ログはそれを、黙って見ていた。

「ログ、これも要らないよな?」

 カルメが最後に取り出したのは深緑と黒っぽい紫が水に溶けた絵の具のように混ざり合って揺れる、不思議な色味をした宝石だ。

 ハートの形にカットされた宝石は多分カルメだ。

 ペンとアルバムに関しては戸惑ったまま壊されるのを眺めていたログだが、宝石が取り出されるのを見るとギョッと目を丸くして、慌てて彼女に駆け寄った。

 だが、ログが触れる前に宝石はカルメによって砕かれ、小さな破片に姿を変えた。

 ゴトゴトと大きな音を立てながら無造作に床の上へぶちまけられ、輝きを鈍くしたまま揺れている。

「カルメさん! カルメさん!」

 狼狽したログが大慌てで砕け散った宝石をかき集めて腕の中でギュッと抱く。

 怒りと恐怖で震えるログの背中にカルメが慈愛の笑顔を浮かべた。

「私の前だからって得意の取り繕いを披露してくれなくていいんだぞ」

 柔らかく声をかけられ、ログがキッと鋭い瞳で彼女を睨みつける。

「違います! 俺のカルメさんに酷いことをしないでください! いくらカルメさんでも」

「カルメ? 違うだろ。私は、お前だぞ? カルメの形をとっただけのログだよ、私は。だから、宝石を砕いたのも、濁らせたのも、全部お前だ。本物がこんなに冷たくて汚らしい人間なわけないだろ。本物のカルメさんは綺麗だよ。知ってるだろ?」

 どこまでも人を小馬鹿にする笑みを口元に浮かべ、両腕を広げる姿はログが割と好きだったトゲトゲカルメに酷似している。

 だが、深緑の瞳だけが異様に冷たい。

 初めは心が凍っていた頃のカルメの瞳が映し出されているだけかと思っていたのだが、改めて見てみると、その瞳はいつかの空虚で自己嫌悪に満ちたログの瞳だった。

 ヒュッと喉の奥が鳴り、固まって動けなくなるログにカルメの形をした自分自身がニチャリと汚く嗤う。

「カルメさんは綺麗だからさ、汚くて冷たくて物を捨ててばっかりのお前とは一緒にいたくない、信じられない、いつか自分を捨てるから先に自分から捨てちゃいたい、だってさ」

「嫌です! だって、ずっと一緒だって約束してたじゃないですか。俺、カルメさんのこと、ずっと大好きです! 俺の、たった一つの宝物なんです」

「だから、それが信じられないって言ってんだろ。馬鹿だな」

「でも、本当に大切で」

「それしか言えないのかよ。馬鹿の一つ覚えみたいだな。少しは説得してみせろよ」

 矢継ぎ早に出していた言葉が止まった。

 喉の奥に粘土がへばりついたみたいになって、脳みそは鳥かごにでも入れられてしまったみたいだ。

 言葉を出すための両方の器官が封じられたログは悔しそうに黙りこくっていた。

「本当は私のことなんか大切じゃないから、何も言えないんだろ?」

 ログがブンブンと首を横に振る。

「一緒にいてください。本当に大事なんです。本当に」

 ようやく言葉を吐きだせた口から、ドロドロとした粘着質な何かが吐きだされた。

 手のひらにくっついたソレが指と指の間にへばりつくのを見て、思いついたように宝石の欠片を弄り出す。

 ログは粘着質な何かを接着剤のように扱って、宝石を元に戻そうと苦心し始めた。

 だが、欠片と欠片はくっつかず、粘着質に埋もれて姿を消してしまう。

 どんなに黒い何かを引っ張って奥を探っても、一度消えた欠片は帰ってこなかった。

 グチャグチャ、カチャカチャと必死で宝石と粘着質をこねくり回すログにカルメの姿をした彼が侮蔑の目を向ける。

「相変わらず汚いな、お前の執着心。もうカルメさんは好きじゃないってよ、お前も、執着も、全部……うわっ」

 目尻に涙を浮かべながら粘着質ごと宝石を飲み込むログを見て、彼がおぞましいものでも見たかのように瞳孔を大きくし、口元に手のひらを当てた。

「うえぇ……きったな……なあ、死ぬならお前ひとりりぼっちで死ねよ。大切だって言い張ってるカルメさん、傷つけんなよ」

 咳き込み、吐きだしそうになりながら全部飲み込んだログが、今度は腹を抱えて脂汗をかく。

 まるで、食あたりでも起こしたかのようだ。

 彼は最期までログを侮蔑の目で見て、カルメの姿をしたまま、どこかへ去って行った。

 今のログの恐怖は、過去の自分の心の在り方をカルメに知られ、嫌われ、どこかへ去られてしまうことだ。

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