一難去って
花祭りの日以降は冬に比べると極端に日が伸びて気候も温暖になる。
村へ行商人の訪れる頻度も上がるし、村人たちも春の陽気に誘われて本格的に活発化し始め、不必要に外で活動したりするようになる。
自然と笑顔も増えて村全体が明るい雰囲気になるのだが、ただ一人、ウィリアだけは毎日、診療所の談話室に居座ってズーンと落ち込んでいた。
一人の時は一生懸命に針仕事を行っているのだが、近くに人間が通るとあからさまに項垂れ、構ってもらおうと画策し始める。
特にカルメが近くを通ると額をテーブルにぶつけたまま、指先でパシパシパシッと机上を叩いてアピールし始めることが多かった。
「ウィリア、埃が立つ。それと掃除の邪魔だから外に出ろ」
丁度、談話室の掃除をしに来たカルメが箒と塵取りを携えて部屋に入ると、ウィリアは普段通りにパタパタと指を動かし始めた。
「だから、埃が立つって」
「お喋り聞いてくれたら~、止めます~」
どんなに気分が落ち込んでいても能天気な話し方は変わらないようだ。
カルメがウィリアを無視して部屋の掃除を始めると、今度の彼女は無言でカタカタと椅子を鳴らし始めた。
とんだお子様が来院したものである。
「鬱陶しいぞ、ウィリア」
カルメが眉間に皺を寄せて低く唸るように声を出す。
だが、ウィリアの方はすっかりカルメに慣れてしまったのか、彼女に怯えたりするそぶりも見せず平然としている。
「だって~、カルメさんが~、全然話を聞いてくれないから~!」
ウィリアが詰まらなさそうに頬杖をついてプクッと頬を膨らませると、カルメはうんざりとしたように溜息を吐いた。
「お前がセイを振ったって話だろ? もう何回も聞いたわ」
「全然、聞いてくれてないですよ~! 何で振ったの~、とか、どうしてそんなに落ち込んでるの~、とか、もっといろいろ聞いてくれてもいいじゃないですか~!!」
わぁん! と喚いて落ち込むウィリアが机に顔を突っ伏して足をジタバタとさせ、激しく落ち込むが、やっぱりカルメは知らんぷりだ。
「聞かねーよ。別に興味も無いし。大体、思うところがあって振ったならそれでいいだろ。セイの方だって、振ってからは何も連絡をよこしてきてないんだろ? それなら後腐れなくていいじゃねーか。昔、私が所属してた村ではストーカーとかいう化け物が発生していてだな。その化け物は振られた腹いせに女の子にメチャメチャ付きまとって精神を病ませてたぞ。当時の私が可哀想だと感じたんだから相当だよな。結局、ストーカーを捕まえたのも私だったし」
当時を思い出したカルメが遠い目をする。
盲目な狂信者の目をした例のストーカーは一切言葉が通じなかった上に、カルメが武力で制裁を加えても全くもってひるまず、何度も女性に付きまといと嫌がらせ行為を行い続けていた。
まだ人間を信じることができておらず、取り敢えず他人を見たら睨め! をモットーに行動していたカルメが被害に遭った女性に、
「私が何とかしてやるから」
と、励ましの声をかけていたのだから、ストーカーのヤバさたるや推して量るべしといったところだろう。
最終的に例のストーカーは島流しの刑に処して他の村へ押し付けたのだが、それまでストーカーから女性を守るべく激しい攻防戦を繰り広げていたカルメは、ストーカーを村から追放した瞬間、力強くガッツポーズをとって勝利に浸っていた。
今でもカルメ史に残る重大な事件である。
「ストーカーって~、本物は見たことがないから分かりませんが~、ログとかサニーはその気がありますよね~。特にログは~、カルメさんに嫌がられても~、付きまといを続けてましたし~」
「おい! ログに失礼なこと言うなよ。ログは根気強いだけだ! それに、結局私はログのこと大好きだったんだし、別にいいんだよ」
「その思想、危ない気がしますけどね~」
「うるさいな」
フン! と怒ったカルメが止めていた手を動かして黙々と清掃を続ける。
「あたしも~、セイにストーカーされたいですよ~」
本物の恐怖とヤバさを知らないウィリアが呑気に呟いた。
「滅多なこと言うなよ、ストーカーってマジで怖いんだからな! 話通じないのがマジでヤバい。大体、セイ云々に関してはお前が振ったんだろ。それなのに、ストーカーされたいって、どういう心境なんだ? そもそも振らなきゃよかったじゃねえか」
自分の恋愛話に口を挟んでもらうというのは他ならぬウィリア自身が望んだことのはずだったのだが、あまりにもカルメの言葉が強すぎたのか、彼女は無言で立ち上がるとモフッとカルメに抱き着いた。
「おい、暑苦しいぞ」
カルメが鬱陶しそうにウィリアの腕を薙ぎ払う。
しかし、ウィリアは嫌々と首を振るとムギュッとカルメに抱き着いた。
実はふわふわとしていて抱き心地が良いカルメが少しウィリアの心を癒す。
「ねえ、カルメさん。セイはもう、あたしのこと嫌いだと思いますか?」
「少なくとも、もう好きじゃねえからアッサリ別れ話を受け入れたんだろ」
ちょっぴり肉がついてきた癒しのカルメボディは柔らかく、良い匂いがして優しいが、体の持ち主は全くもって優しくない。
ログ以外のことは傷つけても全く苦しくないと豪語するほどの腕前で、早速ウィリアに精神的なダメージを与えた。
下手に煽られたりするよりもキツいカルメの正論にウィリアが「うっ!」と声を漏らして涙目になる。
「カルメさん、優しくない~! 人としての優しさが一ミリも無いですよ~!」
「そうかよ。それなら優しくしてくれる奴の所に行けばいいじゃねえか」
「でも、でも~、知り合いの中なら~、カルメさんが一番優しいんです~。だって~、私のこと追い出さないですし~」
既にセイのことでうるさくしまくっていたウィリアは、
「お前がいると仕事にならないから」
という理由で、お針子仲間の集団から仕事場において一時的な出禁を食らっていた。
そうなればウィリアが相談をする先は頼れる親友のサニーなのだが、彼女も春先で仕事が忙しくなっておりなかなか捕まえることができない。
こうなると、多少、厳しいところのある人物だろうがカルメに頼らざるを得なくなってくるのだ。
「お前、意外と人望ないんだな」
いつも人に囲まれているウィリアが居場所を探している状態が意外で、カルメが素で驚く。
すると、ウィリアも自覚があるのか、ますます落ち込んでしまった。
「皆、ぜんぜんお喋り聞いてくれない」
「みんな、お前みたいに暇じゃないんだよ。大体ウィリア、話を聞いてください~って言う割に、実際には何があったのかとか、なんでセイを振ったのかとか、ぜんぜん話さないじゃねえか。大事な話ははぐらかしてばっかりで、何を言うのかと思えばセイへのしょうも無い愚痴と『まだあたしのこと好きかな~』ってだけ。相談にすらなってない奴の話を聞く時間は大人にはねえんだよ。ミルクとかにでも聞いてもらえ!」
ビシッと塵取りを向けてくるカルメの言葉は図星だらけだ。
ウィリアは言葉というナイフでめった刺しにされて膝から崩れ落ちそうになったのだが、何とか堪えると今度はカルメの腰にしがみついた。
ギロッと鋭い目つきで睨んでくるカルメにウィリアが涙目で首を横に振っていると、不意に談話室のドアが開いた。
中に入ってきたのはカルメとお揃いの白衣を身に着け、同じような掃除道具を持ったログだ。
「お待たせしましたカルメさん。一階の掃除、終わりましたよ」
にこやかに仕事の完了を伝えてくるログに、
「あ! 良い所に! ログ!」
と、カルメが瞳を輝かせる。
それからウィリアを軽く引っぺがすと、そのままログの元へと向かった。
普段は人前でログとイチャつくのが苦手で、とてもじゃないが人目のある場所では彼に抱き着けないカルメが、今回ばかりは勇気を出して彼の胸に飛び込む。
そして、真っ赤な顔だけを上に向け、下からログの顔を覗き込んだ。
「あ、あのさ、ログ、私、私、ログのこと、その、す、す、す、すごく、すごく、す、好きだ!」
抱き着くのよりもさらに難易度が高い『好き』という言葉を人前で発したカルメは、顔が真っ赤に茹ってプシュプシュと湯気を溢れさせている。
唇を細かく震わせ、ちょっぴり目元に涙を浮かべる恥ずかしがり屋さんなカルメの姿にログも大満足である。
ログはにんまりと嬉しそうに口角を上げると、無言で屈んだ。
丁度、カルメがつま先立ちをしてキスをできるくらいの高さに調整する。
「え!? ログ!? ま、まさか……」
既に何度も「す」を連呼してしまうほどパニックになっていたカルメが更に混乱して慌て始める。
しかし、ログは真っ赤になって狼狽えるカルメに肯定も否定もせず、ただ無言の圧力を送った。
ウィリアの存在を再確認してしまったらカルメはこの場でキスができなくなってしまうから、決して彼女の方は見ない。
カルメは素早くログの背後にある景色を数度眺めて心を和ませると、恐る恐る彼の唇に自分の唇をくっつけた。
「ありがとうございます、カルメさん」
恥ずかしくなったカルメは原則ログの白衣の中に逃げ込む。
今回のキスを見越してか、既に白衣の前のボタンを開けて置いていたログは目論見通り服の内側にカルメが逃げ込んで真っ赤になりながら震えているのを見ると、ホクホクとした笑顔を浮かべた。
これに対し、自称「振られた」ウィリアは幸せなカップルを目の当たりにしてセイとの日々を思い出し、目元に涙をにじませる。
あっという間に潤んで歪んだ瞳からはボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「ひ、酷いですよ~、カルメさん、ログ~! 失恋している人の前で、こんな~!」
非人道的な非リア追い返しシステムに屈したウィリアが、「カルメさんたちのお馬鹿~!!」と捨てセリフを残して診療所から逃走する。
診療所は嵐が去った後のように妙に静かになっていた。
「全く、アイツも毎日毎日こりない奴だよな」
カルメが小さくため息を吐きながらログの元を離れようと体を動かす。
しかし、カルメの体はガッチリとログに捕まえられているようで、なかなか簡単には彼から離れることができなかった。
「ログ?」
見上げて首を傾げれば、ログが困ったように眉尻を下げた。
「せっかくカルメさんが抱き着いてくれたので、もう少し」
「でも、ここ最近はずっと私から抱き着いてるだろ。好きも、ちゅーも」
「そうですが、でも、それはウィリアを追い返すための物でしょう? 俺のための好きやキスはくれないんですか?」
少し目線を落とし、声のトーンも落とすログはしょぼんとしており、一見すると落ち込んでいる。
だが、このウィリアが去って以降のやり取り自体も基本的には毎日一緒なのだ。
ログの側にカルメに「言わせたい事」や「させたい事」があるのよく分かっていた。
『毎回、引っ掛かるのもアホな話なんだけれどな』
ログに落ち込まれると放っておけない自分自身に呆れを感じるが、それでも彼を構うのが楽しいのだから仕方がない。
「ログ、その、好きだ。ウィリア云々関係なく」
つま先立ちをしてログの耳に自分の唇を寄せつつ、真っ赤な顔で小さく囁く。
すると、カルメはログに、
「ありがとう、俺もだよ」
と、お返しで額にキスをされてしまって、しばらくの間一人で悶えることとなった。
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