本当のお話

 今から数百年と昔のこと。

 村にはフロネリアという精霊が住んでいた。

 太陽のように煌めく金髪に黄金の美しい瞳を持つ彼女は村で語り継がれているような聡明で慈愛に満ちた聖母のような存在……ではなく、ただの寂しがり屋で悪戯好きな女性だった。

 しかも、氷像で描かれているようなボン、キュ、ボンの見目麗しい、才色兼備な容姿もしていない。

 実際は少女と見紛うほどの小さな背丈に幼児体形、童顔の無邪気な笑顔が良く似合う子供っぽい女性である。

 外部者に自分の存在がバレ、住処を追われたり村に迷惑をかけたりするのが忍びなくて村はずれでひっそりと暮らしていたが、本当は人と一緒にいるのが好きな子だった。

 そして、そのくせして捻くれ者だった。

 構ってほしいのに上手く伝えられなくて大人に悪戯を繰り返したり、気まぐれに手伝いをしたり、あるいは同じように暇そうな子供を連れて森で遊んだりしていた。

 無邪気に笑って村の繁栄を助けてくれるフロネリアは、まるで村の小さな守り神だ。

 大人たちは、農作物やきゅうりの漬物を盗み食いされたり、急に後ろからモギュッと抱き着かれて驚かされたりと無邪気ないたずらに困らせられることも少なくなかった。

 だが、いずれも小さな頃に遊んでもらった記憶や一緒に大人へ悪戯をしかけにいった記憶、村が基金に喘いだ時に助けてもらった記憶などがよぎり、

「相変わらず、仕方のない悪戯っ子だな」

 と、笑ってフロネリアを受け入れていた。

 祖父の世代から存在し、いつまでも若々しいフロネリアだ。

 村人たちのうち誰も、フロネリアと共にある未来を信じて疑わなかった。

 しかし、悲しい事にフロネリアは神ではなく精霊だ。

 精霊とは非常に特殊な存在で生まれた頃は肉体を持っているのだが、それが年齢を重ねるとともに魔力の塊へと置き換わってゆく。

 肉体を構成する全てが魔力へと変化した段階で成長が止まり、そのまま寿命までは老いることがない。

 ただし、不老であるのは容姿のみで精霊の生死を左右する魔力生成器官は時と共に衰えていく。

 精霊の死の条件は少しメグと似ていて、何らかの事情で保有していた魔力が枯渇してしまった時と体が激しい損傷を受けた時だ。

 そうすると彼らは魔力生成器官が停止し、肉体を維持できるほどの魔力すら作れなくなった時に寿命を迎えることとなる。

 生まれ持った魔力生成器官の強さや魔法の使用頻度、一度に使う魔力の使用量などによっても生死が左右されてしまい、あまりにも無茶な使い方をした場合、そのまま絶命してしまうことだってあり得るのだ。

 フロネリアの場合は他の悲劇に終わった精霊たちとは違って無茶を強いられなかったため、順調に寿命を迎えたが、同族には早死にする者も少なくなかった。

 精霊の死は美しくも残酷だ。

 精霊は生命活動が停止すると肉体を魔力の粒へと変化させ、宙へ漂わせる。

 空中をフワフワと漂う、かつて精霊だった魔力はやがて大地や木々、川や海などにぶつかってそこに溶け込み、最終的には世界を巡る魔力の一部となる。

 まさしく世界と一体化し、骨などの遺体は一つも残らない。

 精霊がいたことを証明するのは人々の記憶のみだ。

 また、寿命で亡くなる場合も少し特殊で、まず精霊は唐突に体が半透明になることで魔力生成移管が停止したことを知ることになる。

 そこから全く魔法を使わずに過ごせば一週間から二週間ほどは存在することが可能で、目視できなくなるほど体を透明にしていき、自我を薄れさせながらゆっくりと眠りにつくことになる。

 フロネリアの場合も、夜中に何の前触れもなく寿命がやって来て体が薄れた。

 明確に死へと向かう体を見て、フロネリアが抱いたものは死への恐怖と村への懸念だ。

 村人たちにとって突然だったフロネリアの死だが、彼女にとっても死は唐突なものだったのだ。

『私がいなくなったら土地が瘦せてしまう。魔法で食用の植物を生やしてあげることもできないから、皆、死んでしまうかもしれない。今更だけれど、もっと早くに対策を打っておくべきだったな』

 元々、フロネリアの所属する村は恵まれておらず、痩せた土地とまともに農作物の実らぬ畑を抱えてその日暮らしをする者が集まる悲しい村だった。

 村や森の中には一本、大きな川が通っていて水だけは潤沢だったが天候によっては洪水等が起きてしまい、簡単に壊滅に追い込まれる破滅が確定した村だ。

 放浪を続けてきたフロネリアは、当初、滅びの村に親近感を抱いて数日間だけ滞在をした。

 通常、豊かな人間には余裕があって他者に施しを与えたり、気遣ったりと優しくなれるものだが、貧困にある人間は自分自身のことで精一杯であり、優しさなど欠片も持ち合わせてはいない。

 フロネリアを狙う人間には豊かでありながら更なる富を狙う者もおり、そちらから逃げる方がやっかいだったが、日常的に襲ってくるのは夜盗や山賊、チンピラなどの貧しい者が圧倒的に多かった。

 ただでさえ人間の醜さばかりを見せつけられていたフロネリアは、滅びの村の住民が自分に優しさをくれるなどとは思っていなかったが、ただの気まぐれで中に入り、羽を隠して人間のふりをして過ごした。

 しかし、フロネリアの予想に反して村の人々の心は温かく、少ない食料を分け合ったり数枚しかない毛布を共有して身を寄せ合足りしながら、互いを気遣って暮らしていた。

 いつか消えてしまうかもしれないからこそ、大切なものを抱えて日々を一生懸命に生きよう。

 刹那的なようで自暴自棄ではない、美しい生き方にフロネリアは共感し、心を洗われた。

 そして、よそ者であるはずのフロネリアにも食料を分け、

「子供が体を冷やしちゃ駄目だ」

 と、毛布の真ん中へ手招きする人々を見て彼女は初めて人間を好きになり、救いたいと強く願った。

 それからフロネリアは自身の魔法で大地を潤し、その場しのぎに作り出した果実や野菜を分け与えて村を豊かにして行ったのだが、当然ながら魔法にも効果時間というものがある。

 フロネリアが定期的に魔法をかけ直さなければ数年のうちに豊かな大地は痩せた土地へと逆戻りし、村は再び貧困と飢饉に喘ぐことになる。

『今なら、まだ魔法が使えるかも』

 フロネリアは一つだけ、魔法を使った。

 それは、本来世界中に霧散するはずの自分自身の魔力を村と村周辺の森のみに範囲を絞って定着させ、かつ自分の魔力体を触媒に範囲内の大地を潤し続ける魔法だ。

 川の流れや大地の震動、風のざわめきなどから生じるエネルギーや森で眠る動物の死体、人間の亡骸から魔力や栄養を吸収できるように設定し、それらを使用して魔法を発動させ続ける、極めて特殊で精霊にしか使うことができない複雑な魔法だ。

 当然、魔力の使用量も激しく、本来ならば二週間は生きられるはずだった体が死に直行する。

 ブワリと火柱が上がって燃え尽きてしまうような死に方は予想ができていたのでショックではなかったが、ただ、どうしても死ぬ前に愛した人々の顔が見たくなってしまった。

『こんな姿は誰にも見せられないな』

 村人たちの前ではいつでも気丈に、明るく振舞う村の守り神でいたいという小さなプライドが、弱った姿を見せることを拒否して彼女に魔法を使わせた。

 自分自身を大きな星花という、彼女オリジナルの花に変える魔法だ。

『湿っぽいのは嫌だな。笑ってほしい』

 フロネリアは魔力の使い過ぎで痛む体を押さえながら、もう一つ魔法を使った。

 村人全員の脳へ言葉を送りつけるテレパシーの魔法だ。

「皆、綺麗なものがあるからさ、家に遊びにきてよ! 笑わせてあげる! 楽しいからさ、来てよ!」

 飛び切りの明るい声で笑った。

 しかし、フロネリアは夜明け前には消えてしまうというのに、待てども暮らせどもテレパシーを送った村人たちは家にきてくれない。

『当然か』

 花になったフロネリアが溜息を吐く。

 現在の時刻は深夜二時だ。

 多くの村人はフロネリアが夜中に悪戯をしかけたのだと考え、二度寝についていた。

『キュウリをかっぱらってみたり、干し草を荒らしてみたり、唐突に村人を集めてかくれんぼ大会を開いてみたりしてたからかな。日頃の行いが悪かったってことか。これでも空気を読んで、本当に駄目そうなことはしてないつもりだったんだけれどなぁ』

 もう一度テレパシーの魔法を使えば、その瞬間に息絶えてしまいそうだ。

 せっかく村人を呼び寄せても看取ってもらえないのでは意味がない。

 寂しくなったフロネリアが花びらからポロポロと涙を溢れさせ、夜露に濡れる花のように身体をきらめかせていると、

「フロネリア様?」

 という声がドアの方から聞こえてきた。

 花部分を上げて前を見てみれば、フロネリアと一番仲の良かった少年、ロジーが寝間着姿のままで突っ立っているのが見える。

「ロジー! 会いにきてくれたの!? 夜中なのに!」

 パァッと花弁を発光させて嬉しそうに笑えば、ポヤポヤとした茶髪を寝癖でグチャグチャにしたロジーが苦笑いを浮かべる。

「フロネリア様が呼び出したんでしょう! 綺麗な物って、お花? 確かにキラキラ輝いてて、ふわふわした光を出してる。綺麗だね。ねえ、フロネリア様、どこにいるの?」

 不安そうなロジーの声が震えている。

「僕、フロネリア様が泣いてるような気がして、夜中だけど会いに来たんだよ。ねえ、フロネリア様、綺麗な花を一緒に見よう。いつもみたいに遊ぼうよ」

 フロネリアと仲の良い彼は知っていた。

 彼女が意外と気を遣いながら悪戯をしていて村人の生活を狂わせるような事だけはしないということを。

 テレパシーで聞こえたフロネリアの震える声も相まってロジーは嫌な予感を覚え、大急ぎで家へ駆けつけていたのだ。

 花を見ていると胸の中にあるモヤモヤとした不安が大きくなる気がして、ロジーはフロネリアから目を逸らし、ギュッと両手を握り締めた。

「ごめんね、ロジー。私が花だから、一緒には見てあげられないの。もう、死んじゃうんだ」

「なんで!? 今日遊んで、バイバイってするまで、ずっと元気だったのに! メリッサばあちゃんみたいに何日も眠ったり、ゴホゴホ咳をしたりしなかったじゃん! 僕、僕、フロネリア様はずっと一緒なんだって、死なないんだって思ってたのに!」

 ロジーの年齢は十歳前後。

 まだまだ捲し立てるには舌の回転が足りない。

 所々で噛み、幼い脳を動かして必死に言葉を組み立てる。

 しかし、フロネリアは茎をフルリと震えさせて軽く花の部分を振った。

「精霊の死は、そういうものなんだ。でも、安心して。村にお野菜が実らなくなっちゃわないように、大地を半永久的に豊かにする魔法を使ったから。だから、昔みたいな悲しい事は起こらないよ」

 村のことで頭がいっぱいなフロネリアが、ロジーや村人たちのことを安心させてやろうと優しく笑う。

 しかし、ロジーはフロネリアのあやしに抵抗してブンブンと首を振った。

「何の話をしているのか分からないよ! 僕、そんなことよりもフロネリア様が死んじゃうほうが嫌だ!!」

 とうとう、ロジーは両手を握り締めて体を固くしたまま、ボロボロと泣き出してしまった。

「ロジー、泣かないで。私、皆に笑ってほしくて花になったのよ」

 フロネリアがオロオロと声をかけるがロジーは決して首を縦に振らない。

「フロネリア様は泣いている子供を見ると、絶対に優しくしてくれるんだ。意地悪を止めてくれるんだ! だから、僕は泣き止まない。僕が泣いてる間、フロネリア様が生きていてくれるなら、僕は絶対に泣くのを止めないんだ!」

 寿命は意地悪ではない。

 精霊だから死を超越できるだろう、泣けば魔法で寿命を延ばしてくれるだろう、というソレは子どもらしい頓珍漢な考えだ。

 残念なことに、彼が泣こうと泣き止もうとフロネリアは確実に死ぬ。

 だが、意固地になっているロジーはフロネリアがそのことを説明してもブンブンと首を振るばかりで聞き入れない。

「そうだ、ロジー。こっちに来て、私に触れて。とびきりのプレゼントを上げる」

 柔らかいフロネリアの声にグスグスと鼻を鳴らしたロジーが歩み寄る。

 そして、ゆっくりと花弁に触れた途端、花全体が淡く発光し始め、辺りが柔らかな白に包み込まれた。

 それから間もなくして家の中で天井からポツリポツリと星花が降ってくる。

 辺りは柔らかで良い匂いに包み込まれた。

「わぁ! 凄い! 凄いね、フロネリア様!!」

 先程まではしゃくりあげて泣いていたというのに、幻想的な光景を見ればピタリと泣き止んで笑顔になる。

 この単純さと素直さがフロネリアは好きで愛おしかった。

「綺麗でしょう。来年も見せてあげる。それに、ゲームだって用意してあげる。生命が活発化する春は大地が元気になって、たくさん魔法を使えるから、その分プレゼントもたくさん用意するわ。だから、もう泣かないで。それと、できたら私のことを忘れないで。皆で覚えていて」

「うん!」

 ふわりとフロネリアに頭を撫でられた気がして、ロジーが顔を上げた。

 だが、大きな星花が咲いていたはずのベッドにはシーツに植物が根を張っていたらしき跡が残っているばかりで、花そのものは忽然と姿を消していた。

「あれ? フロネリア様?」

 問いかけても誰も答えない。

 フロネリアは自分の元へ駆けつけて泣いてくれたロジーのために最期の力を振り絞って魔法を使い、それっきり、本当に死んでしまった。

 部屋の中を満たし、ゆっくりと玄関や窓から外へ去って行く淡い光の粒は彼女の遺骸であり、元は彼女だった魔力の塊だ。

 ロジーは静かに泣きながら天井から降り続ける星花を眺め、太陽が昇って花も何もかもが消えてしまうと家に帰った。

 村では夜中の内に家を出たロジーを心配して、彼の捜索が行われていた。

 ロジーを抱き締めて叱る両親に、彼は昨晩の出来事を伝える。

 フロネリアが死んでしまったことも伝えると、ロジーの両親がピシリと固まった。

 話はすぐに村中にいきわたり、フロネリアの生死の確認が行われる。

 やがて、正式にフロネリアの死が確認されると遺体の無い葬式が行われた。

 その後、村人そろって食事をとる機会があったのだが、会場はしんみりとお思い雰囲気に包まれており、誰も、一言も言葉を発さなかった。

 村人の胸中にあるのは、ただの悪戯だと思って夜中の言葉を無視してしまい、彼女を看取ることができなかった罪悪感や、心臓をむしり取られたような、重要な何かを奪われた喪失感だ。

 家族を亡くしたことがあるものも少なかったが、いつでも村人たちを安心させていた守り神が消えた不安感と喪失感は特殊で大きく、それぞれに苦しさに苛まれていた。

 そんな中、ロジーがゆっくりと口を開いた。

「フロネリア様はさ、よく分かんないけど、魔法を使って村の土をずっと元気にしてくれるんだって。それでさ、来年から僕らを笑わせてくれるプレゼントをくれるんだって言ってた。どんなものかは分からないけど、きっと、素敵なものだと思う。それでさ、村が大好きなフロネリア様は皆に忘れないでほしいって言ってた。ずっと前にね、精霊は死んだら体が無くなって、人の記憶の中にしか自分がいなくなっちゃうから、忘れられるのが怖いんだって言ってたんだ。僕にはフロネリア様の気持ちは理解できないけど、優しいフロネリア様が辛いのは嫌だなって思うよ。だから、年に一回、フロネリア様のことを思い出す日がほしいと思う」

 考えながら出された言葉は途切れがちで聞き取りにくい部分もあったが、村人たちは口を挟まずに話を聞き続けた。

 そして、最後には頷いた。

 元々、フロネリアを思い出す日、すなわち彼女の鎮魂祭は命日である春に行う予定だった。

 だが翌年の春に、フロネリアが死の間際に使った一つ目の魔法と四つ目の魔法の複合物である花祭りの魔法が作動し、森の中にフラワーサークルができたり、夜空に星花が降ったりするのを見ると、誰ともなく鎮魂祭をこの日に設定するようになった。

 今でも祭り当日に村のどこかで咲く、ひときわ大きな星花は当時、誰かに見つけてもらいたくて堪らなかったフロネリアの寂しさの表れだ。

 フロネリアを知っている世代は夜空から降り注ぐ彼女に黙とうを捧げていたが、世代が変わってくるとただの綺麗な異常気象になる。

 フロネリアの命日はフロネリア祭に名前を変え、最終的に花祭りとなった。

 これらが、時の流れによって形を変えた伝承の本当のお話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る