未練タラタラお話
突然ちぎられるようにして終わった関係にメスを入れ、修復か、あるいはスッキリとした終わりを迎えようと動き出すセイは前向きだ。
ズンズンと色彩豊かな道を歩いて行き、真直ぐにウィリア宅へと向かう。
玄関前までやって来ると、普段はのんびりとリラックスしてばかりなセイの心臓も流石に騒がしくなって、体中にピリピリとした緊張が走った。
今すぐにでもウィリアと会って話をしなければならないような、酷い焦燥感に駆られる。
『落ち着け。落ち着かなきゃ、ちゃんとした話はできない』
セイは心の中で自分自身に「焦るな」と言い聞かせると、それから一度、深く呼吸をして胸中に渦巻く悪感情を緩和した。
優しいノックを数回繰り返して、静かにウィリアからの返事を待つ。
待っている間に再び激しくなる鼓動を安心させたのは、ウィリアの、
「は~い」
という呑気な返事だ
玄関先の人間を調べることも無いまま、
「どちら様ですか~?」
と元気に声をかけすウィリアはあっさりとドアを開き、にこやかにセイの前へ姿を現した。
「え!? セイ!?」
来るはずのない客人に驚いて、ウィリアの丸い瞳がさらにがまん丸になる。
言葉を失ったままジッとセイを見つめるウィリアを、彼も静かに見つめ返した。
特に、彼女の柔い頬に伝う涙の痕や腫れぼったくなったまぶた、擦れて真っ赤になってしまった目元なんかを注視していた。
「泣いていたのか?」
セイの問いかけにウィリアはハッとした表情になると、それから恥ずかしそうに頬を染めて頷いた。
「ちょっとね~、ちょっとだけ感傷的な気分になっちゃったの~。でも~、大したことはないのよ~? え~っと、セイは~、何のご用事~?」
たいしたことはないと語るウィリアだが、ガラガラになった声は掠れていて聞き苦しく、アハハ~と乾いた笑みは非常に白々しくて胡散臭い。
また、困ったような笑みを浮かべるウィリアの顔にはストレートに警戒心が張りつけられていた。
別れてしまったとはいえ、随分と遠い心理的距離感をとるようになってしまったウィリアに対し、セイは寂しさを覚えた。
「可能なら、少し話をしたかった。でも、今がまずいのなら今日は出直す」
「うぇ!? お話?」
「ああ。難しいなら、今日でなくても構わない。でも、近い内には必ず話をしたい」
セイは真直ぐ真剣な瞳でジッとウィリアを見つめている。
これに対し、彼女の方は桃色の瞳を気まずそうにあちこちと動かして、モジモジと指先を擦り合わせた。
「えっと~、あたしね~、なんのお話かは分からないけれど、でもね~、セイがお話をしようと思ってくれたことは~、嬉しいの。ただ~、今はちょ~っとお部屋が散らかっていて~」
眉尻を下げてしょぼんと落ち込んだ表情をするウィリアは、眼前で餌を取り上げられた犬のような態度をしていて実に情けない。
ウィリアの言葉を彼女特有の遠回しなお断りだと受け取ったセイは、
「それなら、やはり、出直した方がいいか」
と、呟くとクルリと踵を返して自宅の方へ歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待って、セイ!」
素早い判断に慌てたウィリアが大急ぎでセイの腕に手をかける。
勢いあまってコケかけるウィリアは、半無意識的にシッカリとセイの腕を掴んで引っ張っていた。
「どうした? ウィリア」
「えっとね~、散らかっていても平気なら~、上がっていってほしいな~って」
少し乱れた長髪を耳に掛け直して笑うウィリアの表情には、多様な感情が混在していて曖昧であり複雑だ。
だが、
「平気だ」
と、セイが頷くと、ウィリアはホッと安心して少し緩んだ笑みを浮かべた。
「別に、散らかっていないな」
綺麗に清掃された廊下を眺めて、セイがポツリと言葉を溢す。
しかし、苦笑いのウィリアにリビングまで通されると、彼女の言葉の意味が分かったようでセイはパシパシと瞳を瞬かせた。
失恋で気が狂ったウィリアが連日、昼夜問わずに暴れまくり綺麗なリビングをグチャグチャに荒らしてしまった、というわけではない。
むしろ、リビングはいつも通りに整理整頓されていて清潔だ。
小さな食器棚に仕舞われたカップや小さな皿、陶器の人形なんかも綺麗なままであり、傷一つない光沢を放っている。
フローリングだってピカピカであるし、綺麗に磨かれた窓にはヒビどころか曇りの一つだって無い。
可愛らしい小物の散りばめられたウィリアお気に入りのリビングは今も健在なわけなのだが、ただ一つだけ、部屋の中央に置かれている丸テーブルだけが、とんでもなく強い異彩を放っていた。
「呪いか?」
丸テーブルの上にドカッと乗せられている大鍋の中身を確認して、セイがボソッと呟く。
黒ずんだ鍋の中には焚き木と一緒に可愛らしいぬいぐるみや複数枚の写真、アクセサリーに服などが投げ込まれていた。
しかも、投げ込まれている品々の全てが、過去にセイがウィリアへプレゼントした品なのだから違和感も強くなる。
一定数、失恋をきっかけに相手への愛情を憎しみへと変えてしまう者が存在するが、まさか過去のプレゼントを触媒に呪いを与えようとするほど憎悪が強いとは驚きである。
セイは色々な意味でショックを覚え、ウィリアに対して淡い恐怖を抱いた。
疑念と畏怖の目を向けてくるセイに、ウィリアが大慌てで首を横に振る。
「違うの~。えっと~、これはね~、呪いとかの為じゃなくて~、ただ、燃やそうと思って準備していただけだったの~」
ポリポリと頬を掻くウィリアは困ったような笑みを浮かべていて、非常に気まずそうだ。
これに対し、まだウィリアに気があって、場合によっては復縁も考えているセイとしては過去のプレゼントを全消去されそうになっていたという事実に動揺を禁じ得ない。
この世には「えへへ」笑いで済まされないことが大量にあるのだ。
急にアッパーを食らったような衝撃に頭が真っ白になるセイは、フラフラと鍋の方へ近寄ると、中に放り込まれていたウサギのぬいぐるみを取り出した。
「俺は、ウィリアが喜んでくれるかと思って、買った。あんまり、ほしい物じゃなかったのか……」
かつては真っ白でふわふわとしていて、幸せそうな笑顔を浮かべるウィリアに抱きしめられていたウサギのぬいぐるみだが、今ではすっかり毛羽立ってボサボサになっていた。
全体的に汚れは少ないが、一部だけ濡れているあたり、既に液体燃料でもかけられたのかもしれない。
セイは酷く傷ついた眼差しでジッとウサギを見つめた。
彼の苦しい横顔にウィリアが小さく首を横に振る。
「違うわ~。それをもらった時は本当に嬉しかったし~、すごく大切にしようと思ったもの」
「なら、何故こんな仕打ちを?」
ウサギとセイの両者が揃ってウィリアの方を向く。
ウィリアは純真無垢なウサギの瞳と明確な非難のこもるセイの瞳に当てられて、「うっ」と声を漏らした。
「それは……」
バツが悪そうな表情でだんまりを決め込んだウィリアは俯き、唇を一直線に結んでテコでも動かないように固定している。
「ウィリア、黙らないで話してくれ。俺は、話をしに来たんだ。普段、無口だと言われる俺だが、それでも今日は話そうと思ってきたんだ。ウィリアも、ちゃんと喋ってくれ。そうじゃなきゃ、意味がない」
固いセイの声は怒っているようにも聞こえるが、言葉の根底にあるものは怒りではなく対話を望む純粋な誠実さだ。
自他の感情に鈍感なセイに対して、ウィリアは自分にも他人にも敏感な性格をしている。
ましてや長年一緒だったセイが、わざとウィリアに向けて開示している真直ぐな心根を彼女が読み取れないわけもなかった。
ウィリアはギュッと両手を握ると覚悟を決めるようにコクリと頷いた。
「分かったわ~。でも~、もう、愛想なんて尽かされちゃってるのに~、今でも~、失望されたり嫌われたりするのが怖いなんて、馬鹿ね~」
ポツリと独り言のように呟いて、目尻にほんの少しだけ溜まった涙をバレないようにして指先で拭った。
「燃やそうと思ったのはね~、未練を打ち切りたかったんだ~」
ウィリアは自嘲気味に笑うと、セイからそっとぬいぐるみを受け取って腕の中に収め、優しく撫でた。
「未練?」
「そうよ~、未練。ずっと大切にしてたセイからの贈り物や思い出の品~。こういうの、ぜ~んぶ捨てられたら、あたし、次に進めるかな~って思ったの。でもね~、無理だったんだ~」
苦笑してケバケバになったウサギのお腹を撫でる。
真っ白い腹についたシミの正体は、液体燃料ではなくウィリアの涙だった。
ウィリアは思い出と未練の廃棄に失敗していたのだ。
思い出の品を鍋にかき集めて、燃やすための燃料もそろえて、後は外でキャンプファイヤーをすればいいだけの段階には、すぐに進めたのだが、いざ外に運ぼうとすると駄目だった。
沈静化して、そのまま焼き殺してしまうはずだった未練や後悔がジワリと体を侵して脳や心臓に這いまわる。
ウィリアは、つい、ぬいぐるみや写真を手に取ってしまっていた。
そうすると、灰になって風に紛れ込んで消えていくはずだった思い出が色鮮やかに脳内で蘇ってしまう。
自分の隣に並んで少しだけ笑うセイを写真越しに眺めていると、かわいくて心臓がキュンと鳴ったし、その日にお菓子を分け合って食べたことなんかも思い出してしまった。
話題の渦中にあるウサギに至っては、プレゼントされたのが去年の誕生日であるだけに思い出も真新しい。
ピタリと側面を合わせた両手のひらに鎮座する、大きすぎも小さすぎもしない、ちょうどいいサイズのウサギ。
ウサギのモフモコな毛並みに触れ、つぶらで無垢な瞳を見つめ返し、おまけにセイが、
「こっちの方が、ウィリアが喜んでくれると思ったから」
と、追加でたれ耳に巻いてくれた桃色のリボンなんかを見つめていると、酷く感情が揺さぶられた。
挙句、
「これは~、セイが、あたしに似てるってくれた~、大切な大切なウサちゃんなのよ~!! 捨てるなんて嫌~! 燃やせない~!!」
と、号泣しながら縋りつく羽目になった。
そして、その後も情緒を滅茶苦茶にやられたウィリアは激しい後悔を胸中に渦巻かせて、
「別れなきゃよかった! 別れなきゃよかった! 別れなきゃよかった~!」
と号泣して、ぬいぐるみに顔面を擦りつけていたのだ。
結果、ハンカチ代わりに涙を受け止め続けたウサギはケバケバのボサボサになって、小汚くなってしまっていた。
『まさか~、次のための行動で~、あんなに未練をぶり返されるとは思わなかったな~』
セイが帰宅してからも捨てられそうにない物品を見て、酷く惨めな思いに駆られる。
ウィリアは未練たらしくて弱い自分の心が憎くて恥ずかしかった。
「なあ、ウィリア」
「なあに? セイ」
「未練って、どういう未練だ? 俺が思っているもので、合っているんだろうか? 希望的な観測が入ってしまうから、俺では判別しがたい」
真面目な表情で問われ、ウィリアの顔色がボンッと赤くなる。
だが、「えっ、あっ、え!?」と、言葉を詰まらせるウィリアをセイは静かに見つめて、無言で言葉を促した。
「言わなきゃ、駄目……?」
両手でウサギをしっかりつかみ、顔の下半分を隠して赤っぽい目元だけを覗かせるウィリアが上目遣いに甘える。
キュルンとした態度は愛らしいが、セイは決して甘やかすことなく首を横に振って拒否した。
「俺はさっき、ウィリアと話しに来たといったが、正確には俺を振った理由やどうしてウィリアが俺の愛情を疑ったか、そういうのを聞きたくて来たんだ」
「えっ!?」
「話をしようと考えた時、ふと気がついた。俺たちは、あんまり会話をしないカップルだったんじゃないかって。おしゃべりはするけど、互いの気持ちはあまり伝え合わないカップルだったんじゃないかって、思うようになった。察し合うんじゃ駄目だ。俺はウィリアの気持ち、分からないことばかりだし、分かってもらってるつもりじゃ、良くなかったんだと思う。だから、今日は些細なことでもきちんと伝えてほしい」
普段通りの綺麗な瞳をするセイからは、特に打算的な感情を感じない。
きっと、セイは真直ぐなウィリアの言葉を聞きたがっているのだろう。
セイに話を聞いてもらえるというのは、ウィリアにとってどうしようもなく嬉しい事だった。
また、色々と逃げがちなウィリアではあるが、だからと言ってセイに嘘を吐くという考えは、彼女には毛頭ない。
だが、そうすると、我儘な願いや未練も赤裸々に話さなければならないようになるため、ウィリアには激しい羞恥心が募るようになった。
「でも、でもね~、だってあたし、身勝手だし~」
渋るウィリアの両手をセイがキュッと包み込む。
「それでも構わない。話してくれ」
澄み切った透明ではなく、いくつか色の層が重なり合わさったような深みのある宝石を思わせる、セイの灰色の瞳が美しい。
触れられたことも合わさって、ウィリアの心臓が甘く疼いた。
つい、口を開いた。
「未練って~、だって~、あの、別れたくなかった、みたいな~?」
真っ赤な顔で目を逸らしながら、気まずそうな疑問形でふわふわと言葉を出す。
「別れたくなかった? 何故?」
桃色の浮ついた瞳を捉え直して首を傾げるセイは酷く不思議そうだ。
ウィリアは、「別れたくない」の後ろにある感情を察してもらえなかったがために口頭で言う必要が出てしまって、軽いパニックに陥り、口をパクパクと開閉させた。
「何故って、本当に分からないの~!?」
八つ当たり気味に絶叫するが、セイはコクリと頷くばかりである。
「分からない。だって、ウィリアは俺が嫌いになったから、俺を振ったんだろう。それなのに別れたくなかったのか?」
「え!? だって、あの、その……大体、先にあたしのことを嫌いになったのは、セイじゃない!」
リンゴのように頬を赤く、熱くするウィリアが逆切れをする。
唐突に恋人を振るという荒業をみせた花祭りの日以降、ウィリアはセイに対してひたすら罪を重ねている。
そろそろセイは本格的にキレてもいい頃かもしれない。
だが、精神的にどっしりと安定していて、のんびりしている分、余裕のあるセイはキレ返さなかった。
そして代わりに、キョトンとした表情になってウィリアを見つめた。
「別に嫌いになっていない。でも、そうだな、あの日もウィリアはそんなことを言っていたな。どうして、そう思ったんだ?」
問われて一瞬固まったウィリアが再度セイに名前を呼ばれて、渋々、恥ずかしそうに口を開く。
腹をくくって溢れさせた愚痴のパレードに、セイがパシパシと瞬きを繰り返した。
「ウィリアがロマンチックなことに憧れているのは知っていた。だが、それをしなければ好きじゃないってことになるのは、知らなかった」
ポツリと言葉を出すセイは愕然としている。
マフラーの件も、これまで頻繁にかわいいと告げてこなかったことも、他のアレやソレも、やっぱりセイにとってはそんなに重要なことではなかったのだ。
酷く驚くセイに対し、拗ねたウィリアがプクッと頬を膨らませる。
「だって~、恋人が可愛かったら可愛いって言ったりしないの~? 好きだなって思ったら好きって言ってくれてもいいし……手だって繋ごうとしてくれたり~、キスだって~、もっとしてくれても良かったのに~! セイが望むなら~、ちょっとだけ、ちょ~っとだけ、過激な事しても良かったのよ!」
ポコポコと怒るウィリアが妙に寂しそうに言葉を出す。
話している間にも、やっぱり自分ばかりが相手のことを愛していたような気がしてきて、ウィリアはズンと沈んだ。
このまま放置すると泣き虫でいじけ虫なウィリアが完成し、布団へ潜りに行ってしまうわけだが、今日は目の前にセイがいるので彼女はミノムシになるのを取りやめた。
代わりに、ウィリアは恨みがましくセイを見つめている。
「でも、ウィリアもあんまり、俺に格好良いとか好きとか言わなかった気がする。何故?」
「質問で返さないでよ~! だって~、恥ずかしかったんだもの。セイも~、恥ずかしくて、照れちゃって言えなかったの~?」
それなら仕方がないけどさ~、と落ち込むウィリアに対し、セイは少し考えて首を横に振った。
「いや。別に言えなくはない」
「じゃあ、何で~?」
「……言わなきゃいけないと思わなかった。心に留めているだけで十分かと」
「言われなきゃ、分かんなかったわよ~! セイがアタシのこと、どう思ってたかなんてさ~」
不服そうなウィリアが口を尖らせる。
こんがらがった問題を解くには、まずは単純なものから一つずつ。
セイはまず、「自分がウィリアを愛していなかった」という誤解から解くことにした。
「俺にとってウィリアは、とにかくキラキラした女の子だった」
そう前置きするセイは、ウィリアに言葉を伝えるためにも彼女に告白した日を思い出し始めた。
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