嵐
あまりにも突拍子がないセイの言葉は、まるで冗談のようだ。
しかし、セイはどっしりとした灰色の瞳に強固な意志を浮かべていて、酷く真剣な横顔をしていた。
「出ていくって、本当に?」
驚いて問いかけるコールにセイがコクリと頷く。
「ああ。さっきまでは、そうしようかと思っていただけだった。でも、今は本気で思っている」
「そっか。あのさ、それなら、いつ頃に村を出るとか、どこに行くとか、そういう予定はもう立てているの?」
「いや、まだ細かい事は未定だ。だが、そうだな、今日か明日には出て行こうと思っている」
シレッと澄ました表情で随分な無茶を口にするセイにコールの目がまん丸くなった。
「急すぎない!? なんで!?」
「……もう、やり直せないから」
「何が!?」
何故、今すぐ出ていくなどという極端なことを決定したのか知りたがるコールと、細かい説明を一切省いて村を出ようと思った理由の一部だけを短く述べるセイでは、微妙に話が噛み合わない。
しかし、会話に違和感を覚えて困惑するコールに対して、セイは何かに納得したように鷹揚に頷いており、更なるすれ違いを生じさせていた。
「いや、うんうんじゃなくて」
呆れて苦笑いを溢すコールだが、セイの方は首を傾げていて反応が芳しくない。
セイとウィリアに関して、あまり事情を知らないコールなので分かったような口はきけないのだが、それでも頓珍漢なセイの態度を見ていると、つい、
「こういうところが別れる原因になったのでは?」
と、思ってしまった。
「セイ、出ていくのはこの際かまわないとしても、今日、明日は無理だよ」
ログが声をかけると、セイは「何故?」と不思議そうな表情を浮かべている。
「何故って、単純に行く当てがないからかな。村を出たところで、どこに行くのかとか、行った先でどういう生活を送るのかとか、ちゃんと考えないと出て行ってもすぐに帰ってきちゃうことになるだろ。最悪の場合、野垂れ死ぬようなことにだってなりかねない。それにお金だってかかるし、用意しなきゃいけない物だって出てくるし。大体、俺たちの村は小さすぎて他への移動手段が限られてるからな。行商人について行くのが一番楽だけど、それだって向こうへの挨拶とか手伝いとか、色々あるんだよ。少なくとも旅行気分で出ていくっていうのは無理だ」
一応、実際に旅人として村や町を転々としていたログだ。
ログだって緻密で完璧な計画を立てながら賢く旅をしていたわけではない。
旅人だということで甘く見られて、ぼったくられてしまったことだってあるし、金銭が足りなくて野宿をしたこともある。
基本の移動手段が「滞在している村にやってきた行商人について行く」だったから、行き先まで毎回きっちり決めていたわけでもない。
だが、それでも家を出る前には旅の経験がある人間に話を聞いてみたり、周辺の村や町について調べてみたり、働いて資金を貯めたり、それで必要な物資を購入したりと可能な限り準備をしていたのだ。
「なるほど。それは確かに」
「それに、セイが急にいなくなったら、みんな困っちゃうだろ。セイの職場の人たちだって、セイがいることを前提に仕事の予定を組んでいるんだろうし、セイはたくさん村の仕事をしてくれているだろ。セイを頼りにしている人たちって、実はセイが自覚するよりも、もっとたくさんいるからさ」
「もしかして、俺は村を出られないのか?」
「それは言いすぎだけど、でも、違うとも言い切れないかもね。少なくとも子供たちはセイが出ていくのを嫌がるだろうし、俺たちも、セイがいなくなるのは寂しいかな。セイには村に来たばかりの時、特にお世話になったからね。正直な話、あんまり出て行ってほしくはないよ」
ログが眉を下げて少し困ったような笑顔を浮かべる。
すると、ログを見て少し黙りこくっていたセイが、今度はコールの方をチラリと見た。
お前はどうなんだ? とセイから問われているような気分になって、コールの肩がビクッと跳ね上がる。
セイの無表情で無愛想な態度に定期的に威圧されてしまうコールだが、同時に彼はセイに対して確かに友情のようなものを感じている。
「僕、友達が少ないから、だから、友達は大切にしたい。セイは、その、僕は大事な友達だと思ってるから」
おずおずと頷くコールが自信なさそうに、
「セイは僕のこと、友達だと思ってないかもしれないけど」
と、付け足すとセイはフルフルと首を横に振って、
「コールも俺の友達だ」
とだけ頷いた。
パァッと表情が明るくなるコールの横で、セイが静かに考え込み始める。
他人の利益と自身の意向を天秤にかけ始める彼の肩をログがポンと叩いた。
「まあ、さっきはつい、自分の考えも先行しちゃって色々言っちゃったけどさ、俺は多少、誰かに迷惑をかけてもセイが出て行きたいと思うのなら、そうすればいいと思う。別に他人のために自分を犠牲にすることはないから。ただ、やっぱり外に出たいと思うのなら計画はきちんと立てるべきだし、そうなったら周囲にも挨拶しないといけないんじゃないかな。面倒かもしれないというか、実際に俺はちょっと面倒だったけど。でも、必要な事だからさ」
「そうだな。確かに、そうだ。俺にはお世話になった人も、仲良くしてくれた人も、たくさんいる。ログの言う通り、せめて挨拶はするべきだな。俺では思いつかなかった。ありがとう」
丁寧に頭を下げるセイに対し、ログは律儀で真面目だね、と優しく微笑んだ。
「ねえ、セイ、もう一つお節介を重ねてもいいかな?」
「なんだ?」
「挨拶する人の中に、ちゃんとウィリアのことを入れてほしいかな。それで、できるだけキチンと話をしておいで」
ログの言葉にセイの目がキュッと丸くなる。
それから、嫌そうにフイッとそっぽを向いた。
「何を話せばいいか、分からない」
「本当に?」
問いかけられて、セイは本当に黙り込んでしまった。
キュッと一文字に結ばれる太い唇の線は開かない。
ログはセイがこれ以上は言葉を発しないことを察すると、席を立った。
「コール、あんまり長居しても悪いからそろそろ帰ろうか。悪いね、セイ、せっかく家に上げてもらったのに説教臭くなっちゃって」
ごめん、と軽く謝罪の笑みを浮かべるログに対し、セイは何も言葉を発しない。
「セイ?」
不審がったログがセイの顔を覗き込む。
セイは眉間にギュッと皺をよせ、苦しそうで悔しそうな表情を浮かべていた。
「本当は、ウィリアに聞いてみたい事、たくさんある。どうして俺のことを嫌いになったのかとか、あんな風に怒ったのかとか……もう、やり直せないのかとか」
ギュッと握り込んだ両こぶしをテーブルの上に乗せ、絞り出すように言った。
「そっか」
優しく笑うログに、セイが「ああ」と短く返事をする。
それからセイはスクッと席を立って壁にかけていたコートを羽織ると、いそいそと出かける準備を始めた。
「セイ、急にどうしたの?」
「いや、ウィリアと話をしに行こうと思って」
「これはまた、随分と急だね」
驚くログに対し、セイは決意の宿る瞳でシッカリと頷いた。
「旅に出るのは急じゃ駄目だ。それは、ログに教えてもらって分かった。だが、ウィリアと話す事はその限りじゃない。行ってくる」
キリッとしたセイの勢いに押され、思わずログとコールは「いってらっしゃい」と、彼を見送ってしまった。
リビングを抜けて玄関を出ると、ガチャリと鍵を閉めてセイは真直ぐウィリアの家へ向かう。
当然だが、ログとコールはセイの自宅の合鍵を持っていない。
そうすると、二人は外へ出ても玄関のカギを施錠をすることができないため、彼の家を空き巣大歓迎状態にせねば帰宅できないようになってしまった。
平和な村だからということで平気で自宅の鍵を開けっぱなしにしてしまう者もいるが、流石に他人の家をその状態にはしておけない。
特に、鍵をかけることが当たり前な都会がで育ってきたログと猜疑心や警戒心の強いコールは、玄関を解錠した状態で場を離れることに強い抵抗があるため、余計である。
二人は物理的にはセイ宅を出られるが、心理的には彼の家から離れられない状態となった。
「ねえ、ログ、これ、僕たち、セイが帰ってくるまで家に帰れない感じかな?」
「そうだろうね。仕方がないからお留守番していようか」
よく真逆な人間同士だと言われるセイとウィリアのカップルだが、風のように気まぐれで嵐のように突如他人を巻き込むという、何ともアレな共通点があったようだ。
ログとコールは互いに困った顔を見合わせると苦笑いを浮かべ、それから、すっかり冷めた茶を啜った。
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