もう一人の物思い

 春時期は冬の間に壊れた建物や道路を修復するため、大工も中々に忙しい。

 この間は雪で崩れた柵を直したし、また別の日には雨漏りの酷くて冬場、応急的に直していた家屋の屋根を本格的に修理した。

 この日は、雪解けに合わせて修理した村と外を繋ぐ大きな橋を補強していたのだが、予想外にあっさりと仕事が進み、昼にさしかかる頃には作業が終わってしまった。

 いつもならばセイは恋人であるウィリアの様子を見に行ったり、何となく村の中を散歩して子供と遊んだりしているところなのだが、今回は大人しく帰宅して家に籠っていた。

 何かをする気力が一切わかなかったのだ。

『完成したところで、意味はないんだけれどな』

 魂が抜けたように椅子に座り込んでいるセイの手元には、気がつけばいつも触ってしまう真っ白なマフラーがある。

 幅も細めで両端に花の飾りが縫い込まれているマフラーは明らかに女性ものであり、セイがウィリアのために作成したものだった。

 自分だけ花祭りのプレゼントをもらえないと嘆いていたウィリアだが、実はセイも恋人のためにと編み物をするログとコールに触発されてマフラーを編んでいたのだ。

 しかし、凝り性を発揮したセイはマフラーを作り込んでしまって、なかなか納得のいくものを作れずにいたし、そもそも激化する仕事に追われて帰宅するなり寝落ちをするような生活を繰り返していたから編み物の時間自体を十分に取れていなかった。

 当然、マフラーが当日までに完成することはなかったのだが、セイは花祭りに遅れてしまってもいいから編み切って、遅くならない内にウィリアに渡そうと考えていた。

 花祭りの日、セイの家では未完成のマフラーが活躍の時を待ちながら、のんびりお留守番をしていたのだ。

『我ながら、女々しいな』

 ウィリアに別れを告げられて、それを受諾した時点でマフラーを完成させても、それが彼女の下に渡ることは無いと知っていたはずなのに、傷心するセイは無心で編み物を続けていた。

 完成したマフラーは非常に可愛らしく、きっとウィリアによく似あったことだろう。

 自作したマフラーとウィリアから貰ったマフラーを並べ、ため息を吐く。

『俺の何が、あんなにウィリアを怒らせたんだろうな』

 頭によぎるのは、別れの間際に発したウィリアの最後の言葉だ。

『俺はウィリアを愛してる。今も、振られた時も、愛しているつもりだった。でも、ウィリアは俺の何を見て、俺がウィリアを愛していないって、思ったんだろう。何が、約束を破ったことになったんだろう。ウィリアはどうして、あんなに泣いていたんだろう』

 宝石のように輝く目元から溢れた真珠のような涙が頭を離れない。

 振られたあの日、セイは真っ白になる頭を抱えてウィリアの涙に見惚れていた。

 ウィリアとセイでは圧倒的に価値観が違う。

 物理的にも精神的にも近い距離間で愛を囁き合うようなロマンチックな関係に憧れるのがウィリアで、特にそういった物事に関心を覚えず、どちらかというと自然体でのんびりとした時間を共有したいと考えるのがセイだ。

 愛情を伝え合う言葉をアレコレ探して投げかけ合うよりも、その日に起きた出来事や美味しかった食事なんかを話していたいと思っている。

 そもそも、ウィリアに対して感じた「かわいい」とか「好き」という感情を逐一、伝えようとする発想がなかったし、別にウィリアから言葉を投げてもらおうとも思っていなかった。

 ただ、おっとりとした性格が故か多くのことを許容できるため、ウィリアの方から求められれば、できるだけその通りに愛情を返すようにしていた。

 だが、繰り返すようだがウィリアとセイの価値観は全くもって異なる。

 そのため、いくらセイがウィリアの望みを叶えてやりたいと思っていても、彼女が事細かに説明をしなければ、望みが彼に正確に伝わることはなかった。

 そのため、彼女の発した、二人きりの花祭りを楽しみたいというニュアンスの言葉をセイは、

「花祭り中は可能な限り二人でいたいが、その空間の中に他人がいることに関しては特に問題がない」

 というように受け取っていた。

 そのためセイは平気で子どもたちを連れてきてしまっていた。

 加えて、そもそも彼は花祭りという存在をウィリアほど神聖視していない。

 だからこそ、どうしてウィリアがあんなにも祭りにこだわって特別扱いを求めてきたのか、理解できていなかったのだ。

 想いを踏みにじったと評されたマフラー貸し出しの件についても、ウィリアに向けている一途で強い恋愛感情が彼女には伝わっていないことについても、セイは何一つ分かっていなかった。

 反対にウィリアには、どうして周囲の大多数の人間が理解できるロマンチックさをセイが理解できていないのか、分からなかった。

 違った環境に価値観で育った他人同士が密接に関わり合う以上、互いの考えや思いを言葉にして伝え合うことは必須ともいえるのに、ウィリアはセイに対して、

「このくらい言わなくても伝わるだろう、察してくれるだろう」

 という考えで接していた。

 言葉の重要性を軽んじ、セイに甘え過ぎていた。

 そして、そのまま時間を過ごして癇癪を起し、別れを告げてしまった。

 噛み合っているようで何も噛み合っていない、コミュニケーションすらまともに取れていないカップルがウィリアとセイだった。

 呆然とした頭によぎったのがカルメとログの仲良し夫婦だ。

 セイは、よくウィリアがログに翻弄されるカルメを眺めて、

「カルメさん可愛い~! いいな~!」

 と、羨ましそうに笑っていたのを思い出した。

『女の子がお姫様に憧れるのと同じような感覚だと思っていた。でも、もしかしたら違ったんだろうか。やっぱり、ウィリアのことはよくは分からないが、ただ、少なくともログはそういうの得意そうだ。ウィリアはログのような男性が好きなのだろうか』

 ログのカルメに対する気遣いや態度、情熱的な言葉には毎回、脱帽してしまう。

 歯が浮くようなセリフもサラリと言ってのける姿や、自分にはないロマンチックな発想には舌を巻き、セイは恋愛一年生なコールと共に感心の目を向けていた。

 きっとログならばロマンチックなウィリアを喜ばせる案がいくつも出てきて、彼女を楽しませることができるのだろう。

 自分以上にウィリアの頬を染め上げ、ふわふわと笑わせるのだろう。

 寂しい顔も、失望した顔もさせずに済むのだろう。

 あのね、あのね、とキラキラの瞳でお願いを積み重ねるウィリアと穏やかに可愛い我儘を受け止めるログの姿を想像して、セイの心臓がギュッと縮み、痛くなった。

 ウィリアのクルクルと変わる表情や鈴を転がすような可愛い声。

 キラキラと輝く宝石のような瞳に上気する頬、ムニンと柔らかく緩む口元。

 移り変わる関心。

 数年前のセイはウィリアの全てを独り占めしたくて、もっと彼女と会話をする時間が欲しくて、彼女に告白をした。

 ウィリアに対して一途で深い愛情を抱き続けていたセイだったから、彼女の隣に誰かが並ぶのを想像するだけで吐き気を催すような嫌悪感を覚えた。

『可愛いウィリアは、この先、きっと誰かに恋をして恋人をつくるだろう。家事が得意で頑張り屋なウィリアだ。きっと、子どもと旦那さんを大切にする素敵な奥さんになる。そんな彼女がいる村で、俺は生活ができるだろうか』

 考える余地もなく無理だと思った。

 セイは漠然と、村を出ることを考え始めた。

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