ダルダルセーター

 すっかりセイと仲直りし、以前よりもずっと気持ちを通じ合わせることができるようになったウィリアはご機嫌だ。

 村を歩いていても、友人知人とお喋りを楽しんでいても、あるいは仕事をしていても、いつもニコニコ笑顔で、背中にいくつも花束を背負っているかのような浮かれっぷりを見せている。

「最近は~、セイも~、たくさんおしゃべりしてくれるようになったんですよ~! あたし~、セイの~、い~っぱいお喋り聞いてくれるとこ~、好きだったんですけど~、お喋り聞くのも~、話してくれるのも~、凄く嬉しいな~って~!!」

 目元を濃い桃色に染めたウィリアが両手で軽く頬を覆い、体全体を大きく揺らしてキャーッと悶えている。

 談話室でウィリアの惚気話の餌食になったカルメは、耳にタコができるほど聞かされた話にうんざりとした表情を浮かべた。

「それは昨日きいたって。次はアレだろ? セイにほっぺにチューしてもらった話するんだろ。もういいって。聞き飽きたって」

 頬杖をつくカルメが露骨にため息を吐く。

 面倒くさそうに睨む瞳がギッとウィリアを捉えるが、彼女はカルメの視線などどこ吹く風で、ニマニマと上がってしまう口角を手で押さえつけながら「うふふ~」と笑っている。

 どうあがいてもテンションの下がりそうにないウィリアに再度ため息を吐いた。

『散々愚痴を聞かされた後は惚気三昧って、やってらんねーよ、本当に』

 浮かれていても落ち込んでいても周囲を掻き回してくれる友人に頭を痛める。

『ウィリアって妙に愛嬌があるのがズルいよな。追い出しきれねーというかさ』

 カルメが甘くてチョロいだけと言われれば、もちろんそれまでなのだが、しょぼんと落ち込んだり、ニコニコと無邪気に笑ったり、素直に感情を表現するウィリアを見ていると何だか毒気が抜かれてしまって、カルメは悪い態度をとりきる気になれなかった。

 そのため、愚痴は何だかんだウィリアが満足するまで聞いていたし、今も軽口を叩いたり、ケッと毒づいたりしながらも大人しく惚気を聞いている。

『まあ、ウィリアも別に悪い奴じゃないんだよな。普段だって話をするのは、まあ、それなりに楽しいし。ただ、そろそろいい加減に疲れたというか、ログに癒されたいというか、なんというか……』

 若干の眠気すら感じて、小さく欠伸を噛み殺す。

 そうしてしばらく時を過ごしていると、キィと音を立ててドアが開き、室内にのんびりとログが入ってきた。

「カルメさん、そろそろ休憩はおしまいですよ」

「ログ!」

 優しいログの笑顔に少しささくれ立っていたカルメの心が和んで、透明な猫耳が嬉しそうにピンと立つ。

 それからカルメは勢いよく席を立つとログの元へ向かって行った。

 ログはやはりニコニコと笑ってカルメを見つめている。

『前までと違ってウィリアは別に弱ってねーし、ログとイチャついてウィリアを追い出すのは難しいかな』

 呑気に、「あら、ログ~、こんにちは~」と挨拶をしているウィリアの方を振り返って、ひっそりと思う。

 内心、迷いながらカルメがチラッとログの目を覗き込む。

 すると、ログは不思議そうに小首を傾げた。

 どうやら今日はログの方からカルメにアプローチをかけるつもりはなさそうだ。

 イチャつくにしろ、なんにしろ、カルメの方から行動を起こさなければならなさそうである。

「なあ、ログ」

 ボソッと彼の名前を呼んで、グイグイと白衣の袖を引く。

 軽く屈んだログが自分の口元まで顔を近づけたのを確認すると、カルメは少し顔を赤くして「抱っこ」と小さく強請った。

 突然の要求にログの目が少しだけ大きく開かれる。

 だが、すぐにニコッと笑って「いいですよ」と返事をするとカルメを自身の胸元に引き寄せて、ギュッと抱きしめた。

「ログ、もうちょっと、もうちょっと、なんかして」

 だいぶ距離の近くなったログにカルメが小さな声のままポツリと強請る。

 コクリと頷いたログが少し屈んでカルメの頬にキスを落とす。

 すると、一連の流れを眺めていたウィリアが、

「キャ~ッ! おねだりカルメさん、可愛いです~! あたしもセイに甘えてこよ~! じゃあね、カルメさん、ログ~!」

 と、まん丸い瞳をキラキラに輝かせてはしゃぎ、浮かれ切ったまま談話室から出て行った。

 カルメとしては、自分がログにあれこれ要求していたのはウィリアにばれていないつもりだったから、彼女の言葉に羞恥心が増して頬が少し熱くなる。

 しかし、それでもウィリアを穏便に部屋から追い出すことには成功したから、まあ、いいか、と思えた。

 パタンとドアの閉じる音が聞こえ、互いの鼓動や呼吸の音ばかりが目立つようになるとログと室内で二人きりである事実が実感でき、カルメはホッと安心することができた。

『もっとくっついていたい。癒されたい』

 しかし、ペタリとログに引っ付いて脱力し、油断するのも束の間。

 ふと気を抜いた瞬間にログが自分のもとから離れてしまいそうになって、カルメは慌てて彼を抱き寄せると、

「なんで離れようとしたんだよ。意地悪か?」

 と、口を尖らせた。

 だが、ログの方はムッと不機嫌な表情になるカルメにコテンと首を傾げている。

「ウィリアが出て行ったから、もういいのかと思って。それに、さっきも言いましたけど、そろそろ休憩時間も終わりますし」

「ウィリアは追い出したかったけど、でも、まだくっついてたかったんだ。仕事と私、どっちが大事なんだよ」

「まあ、今日は大した仕事もありませんし、カルメさんですかね」

 どことなくキョトンとした雰囲気のままログが言葉を出せば、合格だ! と言わんばかりのカルメが偉そうに「ん」と頷いている。

 それから足で近くに置いてあった椅子を引き寄せると、カルメはログにモギュッと抱き着いたままで、

「甘えたい」

 とだけ要求した。

「いいですよ」

 優しく微笑むログにカルメが小さく頷いて、そのまま彼の腹の辺りに柔く圧力を加える。

 ログはそのままカルメに従うと後ろ向きに椅子に座って、自分の上に彼女を座らせた。

 彼と向き合う形で膝の上に乗っかっているカルメはペタリと胸板に頬をくっつけて、グッタリと脱力している。

 まるで、母親に寄り掛かる眠りかけの子供だ。

「……重いか?」

 眠たそうな声のカルメが、いつもの不安を問いかける。

 日によって座り方が異なるカルメだが、今回は太ももの上にガッツリと座り込んでいる上に全身をログの上半身に預けているわけだから、重くないはずがない。

 しかも、最近のカルメは肉付きが良いから重みも一塩である。

『幸せの重みだと思っておこう』

 最近、特にカルメの重圧を感じることが増えたログだ。

 彼は心の中でボソッと呟くと、カルメに「大丈夫ですよ」と微笑みかけた。

『まあ、この光景が眺めていられるなら、実際に悪くない代償か、太ももの負担なんて』

 寒い日の猫みたいに自分に寄り掛かってぬくぬくと暖を取るカルメの頭を撫でると、ログはクスクスと笑った。

「なあ、ログさっきは、不機嫌になって悪かった」

「さっき?」

「抱っこ、せがんだ時」

「ああ、あの時ですか。別に気にしてませんよ。ただ、妙に甘えん坊ですね。どうしました」

「いや、なんか、ウィリアと喋ってると疲れて……いや、でも、本当は多分、甘えたかっただけだ。ウィリア関係なく」

 ウィリアはただの口実だと呟くカルメにログはおかしそうに笑って、

「そうですか。素直ですね、カルメさん」

 と、彼女のサラサラの髪を指で梳いた。

「私、素直か?」

「素直ですよ。前にも言いましたが、カルメさんは顔と態度に感情がよく出るので、すごく素直です」

「そっか。そしたらさ、最近、私がログに嫌われたらって不安になってたの、気がついてたか?」

「え!? いや、すみません。気がついてませんでした」

 少し眠そうな淡々とした声で問いかけてくるカルメにログがギョッと目を丸くする。

 それから慌てて謝ると、カルメは小さく首を横に振った。

「いいんだ。今回は不安がっているのがバレないようにって、考えてることとか、感情とか、隠してた。自分の不安くらい自分で対処できるようになりたくて。それに、考えてることが表に出てるなんて、格好悪いだろ?」

「俺はかわいいと思いますが。それに、カルメさんは意外と無茶をすると言いますか、必要以上に我慢をして、不安とか寂しさとかを溜め込んで、それで一人で震えたりするから、そうなる前にちゃんと俺を頼ってほしいと思います」

 ジッとカルメを見つめる真摯な薄緑の瞳にカルメが苦笑いになる。

「無茶をするっていうのと、肝心な時に私を頼ってくれないってのは、ログも一緒だけどな。でも、それは一旦おいておいたとしても、やっぱり私は今までの自分って良くないなって思った。素直って言葉は悪くないけど、でも、あんまり子供っぽいのもさ、良くないだろ」

 自嘲気味に笑うカルメにログは「そんなこと無いですけど」と、不服そうな声を上げる。

 優しいログを、カルメは少し眩しそうな眼付きで眺めていた。

「なあ、ログ、ログはさ、どうしてウィリアとセイが別れたのかって理由は知ってるか?」

「え? ウィリアとセイ? 急ですね。一応は聞きましたけど、何でしたっけ、ウィリアがセイの愛情を疑ったとかですっけ? もしかしてカルメさん、俺のこと疑ってます?」

 カルメがログの愛情を疑うのは今に始まったことじゃない。

 昔、親から捨てられた影響で愛情そのものを今一つ信じ切れないカルメは今でも発作のようにログを疑い出し、不安感に溺れ、動悸を激しくしたり呼吸を浅くしたりすることがある。

 その状態のカルメを放置してしまうと碌なことにはならないし、何より彼女をタップリ愛して大切にしたいと願っているログには、はなから彼女を見捨てるという選択肢が存在しない。

 酷く苦しむ前にカルメを安心させたいと考えたログが、慎重に言葉を出す。

 しかし、そんなログに対してカルメはフルフルと首を横に振った。

「いや、違う。そうじゃなくて、私、普段からログに好きとか言ってなかったから」

 それきり黙ってしまうカルメの代わりにログが一生懸命彼女の言葉簿続きを考える。

「もしかして、俺に心を疑われて、最悪、セイみたいに振られるんじゃないかって思ったんですか?」

 ログの予想は当たったようで、彼の問いかけにカルメはコクリと頷いた。

「別に疑ってませんけどね。大体、最近のカルメさんはウィリアの目の前で俺に愛を誓ってくれてたじゃないですか」

「でも、要求されて言ってたから」

「まさか、本心じゃなかったんですか?」

 クスクス笑いのログが揶揄うように言葉を出す。

 すると、

「違う! それは違う!」

 と、顔を真っ青にしたカルメが大慌てで身を起こし、必死にログの顔を覗き込んで訴えた。

 カルメの瞳にログに意地悪をされた時の甘い感情は宿っておらず、代わりに強い恐怖と怯えが映りこんでいた。

 ふざけ合っていたつもりだったログの目がキョトンと丸くなる。

「そっか、もう既に、拗らせちゃってたんですね」

 心を恐怖と不安でカチコチに凍らせてしまったなら、溺愛を流し込んで溶かしてあげるしかないだろう。

 ログは酷く怯えた表情で自分を見つめ続けているカルメをギュッと抱き寄せると、それから、今度は自身の胸板に顔を仕舞い込むようになっていた彼女の頬に手を差し入れ、小さな顎を下から優しく支えた。

「カルメさん、逃げないで俺を見てください」

 シッカリとカルメの顔を上に向かせ、彼女の彷徨う視線を深緑の瞳を綺麗な薄緑の瞳で捕まえる。

 それからログは優しく彼女を見つめ続けて、ゆっくり愛情を流し込んだ。

「カルメさん、俺はカルメさんからの愛情、疑ってませんよ。俺のことを見つめ返してくれる目が、すごく綺麗で愛おしいですから。そんなに心配しなくてもいいんですよ」

 ニコリと告げて、きっと夜中に涙を伝らせていただろう頬にキスを落とした。

 連夜、ひっそりと呼吸をおかしくするほど酷い寂しさにさいなまれて愛情が不足したような、辛くひもじい思いをしていたカルメだが、ストレートな溺愛のおかげでみるみるうちに心が愛に満たされていく。

 ズッシリと心臓まで溜まった愛情を放置したら、いずれ喉までせり上がってきて、溺死させられてしまうような気がする。

 恥ずかしさと危機感でプイッと顔を背けようとしたが、カルメの顎を捕まえたままにしていたログに阻止されて、彼女は少しも顔の向きを変えることができなかった。

「ログが意地悪してる」

「されたかったんでしょう?」

「うん。でも、そろそろ、あの」

 キョロリ、キョロリとカルメの視線が忙しなく動く。

 そろそろ見つめられるのは終わりにして、他の方法で愛情を示してほしいようだ。

 ログはカルメの顎から手を放すと、代わりに彼女を抱き寄せて額や頬に何度もキスを落とした。

 唇にも勿論キスを落として、深いものも幾度と重ねる。

「なんか、今日のカルメさんは大人しいですね」

 普段なら、ある程度回復した段階で恥ずかしい、恥ずかしいとジタバタもがいたり、真っ赤になって震えたりする。

 そうしてログを拒否しながらも実質的には溺愛を強くしてほしいという我儘を繰り出してくるのが基本なのだが、今日のカルメは顔を赤くしても泣くことはなく、多少震えても彼の顔を押し返すことはなく、静かに愛を受け止め続けている。

 あまりにもノーリアクションで受け身なカルメの姿にログは調子が狂ってしまったし、

「もしかしたら、普段のイチャイチャでは回復できないほど落ち込んでいるのか?」

 と、不安になってしまったりもした。

 心配そうに自分を見つめるログに対し、カルメは少し赤い顔のまま俯いている。

「ログがしてくれること、好きだ。だから、あんまりケチをつけたくなかった。それに、出来るだけ素直になりたかったから、恥ずかしくて逃げたくなっても態度に出さないようにしてた。でも、結構キツイ」

「あの、無理しなくてもいいですよ」

 逃げているところを追い詰めて困りきったカルメの姿を眺めたり、拒否しきる彼女から「恥ずかしい本心」を引き出して甘やかしながら意地悪をするのがログの趣味だ。

「ログに対して素直で可愛い態度をとりたいから」という理由で溺愛を受け取りきれるよう、定期的に頑張るカルメだったが、「趣味のためにも、今後もカルメには適度に捻くれていてほしい」というのがログの嘘偽りない本心だ。

 ただ、それはそれで我儘だという自覚のあるログが言葉をオブラートに包んでカルメへ伝えると、彼女はムッと口を尖らせた。

「無理じゃない!」

「そんなにムキにならなくても」

 プーッと頬を膨らませて向きになるカルメにログが苦笑いを浮かべる。

 すると、ログの引きつった口角にカルメがそっと指先を当てた。

「ログ、まだ私は耐えられる。逃げたり恥ずかしがったりしないで、ちゃんとログから愛情を受け取れるからな!」

 フニフニとログの唇を弄るカルメが少しだけ物欲しそうな目をして宣言をする。

「それは、まだキスをしてほしいってことですか?」

「したかったら、してもいいってことだ!」

 フスッと鼻息を荒くし、今度こそ素直な人間になるんだ! と意気込むカルメだが、残念ながら既に言い回しが素直ではない。

 しかも、カルメは自分が思い描く、可愛くて素直な人間からガッツリとかけ離れた存在になってしまったことには、まるで気がついていなかった。

 これに対して、ログの方は勿論、カルメが既に拗らせ始めて迷走し始めたことに気がついている。

 だが、ログはログで、

『まあ、自信満々にしている姿もかわいいし、別にいいか。それに俺、ドヤって他カルメさんが恥ずかしくて泣きだすの好きだから、それも見られそうでいいし』

 と、カルメの拗れに便乗することを決めると、早速、彼女の唇を貪った。

 先ほど同様に何度もキスをして、頬や鼻先を齧って、目を見つめて愛を誓う。

 首筋に鼻先や唇を埋めて味わったり、フスフスと嗅ぎ回ったりして彼女をくすぐる。

 深いキスも跡の残るキスも繰り返して、しばらく焦らしてから熱くなった耳たぶを弄った。

『おかしいな。顔は異様なほど真っ赤になっているのに、泣いてないし震えてない。そして、唇をかみしめてもいない』

 今までカルメが恥ずかしがって真っ赤な涙目になってくれたことをフルコースでやってみたのだが、期待よりもずっと薄い反応にログがジワリと焦り始める。

『まずいな、カルメさん、今回は本気だ。本気で耐えようとしている。俺としては何とかして泣いてほしいけど、他に残ってるスキンシップは外でするのがはばかられるようなイヤらしいものばっかりだし……』

 もう一度同じ行動を繰り返すか、あるいは何とかして新しい悪戯を考えるか。

 迷うログの鼻孔に、ふと、鉄の匂いが広がった。

『血?』

 首を傾げながらも匂いのありかを探ると、カルメのギューッと握り込まれた拳が目に入る。

 よく見れば、指先を伝って折り曲げられた第二間接に赤いものが溜まっていた。

 ログの体からサッと血の気が引く。

「カルメさん、手! 手!」

 大慌てでログがカルメの握りこぶしを指差すと、彼女が「え?」と首を傾げて、それから呑気に両手を開いた。

 手のひらにはクッキリと爪の跡が残っており、一部からは出血が、また一部にはうっ血がみられている。

「耐えた名誉傷だ」

 ログから送られてくる愛情に耐えきったカルメの見てくれは普段よりもずっと涼しかったが、その実、中身は熱でやられて非常にポンコツになっていた。

 だからこそログに指摘されるまで自身の手のひらが負傷していることに気がついていなかったし、怪我を知ってからも脳内ではポーッと彼との甘いやり取りを反芻するばかりだ。

 怪我のことなど、たいして気に留めてもいない。

『ピリピリする。ログに舐められたら、甘い感じがするかもしれない。大丈夫、耐えられる』

 そんなことを考えて、カルメは「まだいける。平気だ」とふわふわ口走った。

「行けるって、どこに!? 大体、こんなに血を出して平気わけがないでしょうが。傷、治しますからね」

「うん。優しくしてほしい」

「優しく? まあ、魔法は基本的に優しいはずですけれど」

 治すと称して手のひらを舐めてもらえると思っているカルメに対し、ログは真剣に彼女の傷を癒そうと考えている。

 そのため、ログが治療の魔法を使ってカルメの手のひらを元の傷一つない、しなやかで真っ白なものに戻すと、自身の手を見つめたカルメが、

「舐めなかった」

 と、不服そうに呟いた。

「流石にカルメさんが怪我をしてる時にまでイチャつこうとか思わないですよ。でも、舐めて欲しかったなら舐めますよ」

「いや、いい。怪我もしてないのに、変だ」

 要らないと言いつつもやはり不満そうである。

 だが、今回に関しては多分、カルメは舐めても喜ばないので、代わりにログは彼女の手のひらを噛むことにすると、カプカプと歯で指先や手の甲を挟み込んだ。

 決して痛くないが何となく衝撃と甘い余韻の残るログの歯にカルメの欲しがりで小さい心臓がガタガタと震え出す。

 堪えきれなくなって、手を引いたり、もういいと言ってしまいそうになるカルメはギュッと両目をつぶると、齧られていない方の手のひらを握り込んだ。

『耐えきろうとしているカルメさんはかわいいけど、やっぱり、もう少し素直に反応を……ん?』

 何か、見過ごしてはならない強烈な違和感が頭をよぎった気がして、ログがパキリと固まる。

 とろけるような愛情たっぷりの甘噛みが止まってしまって、カルメがジトッとログを睨んだ。

「あの、カルメさん」

「なんだ? ログ」

「もしかして、今のカルメさんってひたすら意地を通して受け身に徹してるだけで、全くもって素直ではないんじゃないですか?」

 確かに、身に溜まる羞恥心を必死に隠しこんで「平気だ! まだいける!」と嘘を吐く姿は、一般的に言う素直さからはかけ離れている。

「俺が色々した時に『好き』とか、『気持ちいい』とか、『もう少し』とか、そういう言葉をかけてくれるなら、まあ、素直かなとは思うんですが」

 言葉を重ねられると、既に熟れていたカルメの頬が更に赤く色づいていく。

 必死でせき止めていた汗と涙が噴き出し、恥ずかしくて堪らなくなったカルメはログの白衣の中どころかセーターの中にまで入り込んで彼から逃げ出した。

「ロ、ログのおバカ! 気がついてたなら、もっと早くに教えてくれてても良かっただろ!!」

 耐えきれた! 私は今、過去一で素直だ! とドヤっていたからこそ恥ずかしさも余計に増して、やり場のない怒りをログにぶつけて八つ当たりをする。

「いや、これに関しては俺もさっき気がついたんですよ。もうちょっと素直に泣いて……感情を表してほしいなって思った時に」

「今、なんか変なこと言いかけなかったか?」

「いえ、何も」

 カルメは絶賛ログのセーターの中に退避中なので、直接、彼の顔を見ることはできていなかったが、それでも彼が涼しい顔でうそぶいているのを察するとムググと悔しそうに噛み締めた唇を波打たせた。

「今日は私、もうここから出ないからな。ログ、動くの大変になっても、村人から変な目で見られても、知らないんだからな!」

 理不尽にポコポコと怒って、無防備な素肌にしがみつくカルメにログが苦笑いを浮かべる。

「それは流石に止めておきませんか? カルメさんだって大変でしょうし、それに、俺、今日一日この服を着て活動してたんですよ。動いて汗かいたから、当然服にも嫌なにおいが染みついてますし、それに、カルメさんは今高温だから、蒸れちゃいますよ?」

「いい。このままでいい」

「俺がよくないんですが」

 大きな子供が入り込んだせいでビヨンビヨンに伸びたセーターを眺め、困ったように頭を掻いていると中でカルメがモゾモゾと動き始める。

 カルメが湿ってふやけた頬をモチモチと自分の腹や胸にすりつけているのを感じた。

「くすぐったいですよ、カルメさん」

 ログからは自分の姿が目視できないからこそ、カルメは多少、強気なのかもしれない。

 少し咎めるようなログの震え声を無視して、カルメはチュッと彼の腹にキスを落とした。

 すると、ログがセーター越しにカルメの肩を掴んで遠くへ押しのけようとする。

 だが、カルメはガシッとログにしがみついて更に頬を彼の胸元にくっつけると、ブンブンと首を横に振った。

「まだ出たくない! 一日中は冗談だけど、でも、もうちょっとここにいたい。その、変な意味じゃないぞ! 変な意味じゃないけど、温かくて、スベスベで、モチモチで、柔らかくて安心するログのお肌が、その、す、好きだ。だから、もっとモチモチしてたいし、その、ちゅ……その、もうちょっと色々していたい!」

 ムギューッとログにしがみつくカルメが、今すぐ追い出されても悔いが残らないようにと必死で頬を彼の胸にくっつける。

 カルメ曰く、そうやって素肌が触れ合ったところから互いの境界が分からなくなり、一体化しているような錯覚を覚えることができるのが堪らないらしい。

 カルメにひたすら甘いログが、ヒシィ! と抱き着いて必死に懇願を繰り返してくるカルメをペッと追い出せるはずもない。

 結局、迷ったログは、

「仕方がないですね。でも、あんまり変な事しちゃ駄目ですよ。ここは外ですし、流石に俺も恥ずかしいですから」

 と、困り笑いを浮かべてカルメの滞在を許可してしまった。

 ログから甘い返事をもらえれば、カルメも落ち着いて彼の素肌をモチモチするようになる。

 毛布を踏み文する猫のようにログの薄い腹を撫でて、「分かった」と頷いた。

「なあ、ログ」

 既に甘え切っている状態のカルメがさらに甘えた声を出す。

「何ですか? カルメさん」

「お家に帰ったら、もう一回、同じようなのやってほしい」

「同じようなの?」

「うん。毛布とかブランケットに入って、ログのこと、モチモチさせてほしい」

「……もしかして俺、上裸ですか?」

 嫌な予感を口に出すと、セーターの中で気まずそうにカルメがログの腹を揉みこむ。

「駄目か? 寒いか? 出来るだけ、私もログのことあっためるけど」

「寒さよりも見た目の滑稽さの方が問題です。あの、なんか恥ずかしくないですか? 上裸でベッドに入り込んでるのって。途中からならともかく、最初からはちょっと……」

「別に滑稽じゃないだろ。ログはいつでも、どこでも、どんな見た目をしていても、その、格好良いし」

「そうですかね? ところでカルメさん」

「なんだ? ログ」

「カルメさんは、けっこう欲に忠実だから、してほしい事とかがあるとすごく素直になるんですね」

 笑顔はにっこり優しいログだが、そんな彼から出された言葉はそれなりに攻撃力がある。

 そのままストンと受け取って「そうだな」と頷くのも恥ずかしいし嫌だったので、とっさに否定しようとしたカルメだったが、すぐに自分の行動を思い返してログを否定する方が無茶だと悟ると、ズーンと落ち込んだ。

『もしかして、前から要求だけはログにちゃんと伝えられたのって、そういうところが関係しているのかな』

 今日の行動一つ振り返っても、つくづく自分は我儘ばかりな人間なのだと自覚する。

『しょうもないポンコツだな、本当に』

 ため息を吐くと腹の敏感な皮膚を刺激してしまったのか、ログがビクッと震える。

『かわいい』

 ログは臭いだろうと言ったが、彼の匂いで満ちているセーターの中はカルメにとっては天国だ。

 自分の匂いと混ぜ込んでセーターの中で深呼吸をしていると異様なほどに落ち着くことができて、カルメの中で「この世で最も安心できる素敵な場所」がログのいる自宅から彼の服の中に移り変わった。

『あんまりわがまま放題するの良くないから、やっぱり出ようかと思ったけど、でも、本当は、どうしても、まだここにいたい。家でもやってほしい』

 何なら、自宅はログのセーターの中が良い。

 カルメは要求の多い甘えん坊だから、自主的に出るどころか欲求ばかりが膨れてしまった。

「なあ、ログ、あのさ、私、自分のことつくづく我儘だって実感したんだ。でもさ、あの、明日からもうちょっと素直で物わかりのいい子になるよう頑張るからさ、だから、今日はお願いを聞いてもらってもいいか?」

「別にいいですけど。それ、前も言ってませんでした?」

「え!?」

 思い返せば、カルメは何回か我慢強い子になろうと頑張ってログに甘えるのを控え、その度に酷いリバウンドをして彼にベタベタと甘えるというのを繰り返していた。

「出なきゃ、駄目か」

 自分では約束を守ることができないと察したカルメが渋々、ログのセーターから這い出ようとする。

 だが、セーターから出て行こうとするカルメをログが上から抱き締めて阻止した。

「そもそもカルメさんに良い事か、忍耐強さとか、そういうのは求めてませんから、気にしなくていいですよ。我儘なカルメさんも聞かん坊なカルメさんも好きですし、欲に忠実な姿も好きですから。甘やかすのだって趣味ですし。ただ、今回に関しては俺の胸元に潜り込んで楽しいのか? とは思ってしまいますが」

「楽しい。そうだ、ログ、本当に私の我儘が気にならないなら、もう一個お願いしたいことがある」

「何ですか? カルメさん」

「少し難しいかもしれないけど、今のまま、力の限りギューッと私を抱き締めてくれ」

「力の限りですか」

「そうだ。圧死するんじゃないかと思うほど、強く」

「そんなにですか?」

「うん。ログは一度寝ると滅多なことじゃ起きないから、多分、気がついてないと思うんだけど、たまに寝てるログの懐に入り込むと潰されるんじゃないかと思うほど強く抱き締められる時があるんだ。私は、その、アレが結構、気に入ってて。ログの服の内側、すごく落ち着くから、そこでギュッとしてもらいたい」

 ウィリアとセイの別れ話を聞いて、自分もログに振られるんじゃないかと不安に思っていたカルメは夜中に悪夢を見て飛び起きることもあったのだが、そうやって起きる度に隣にあるログの健やかな寝顔を見て癒されていた。

 おまけに彼の懐に潜り直した時にギチギチと締め上げるように抱き締められていると、未来永劫ずっと捕まえ続けてもらえるような幸福を覚えて、カルメは胸に宿る恐怖を少し浄化しながら眠れた。

 甘えて少しは回復したが、今度は甘え過ぎたせいで自分って我儘だなと一人で落ち込み、余計に悲しくなったりもしている、なんとも残念なカルメだ。

 まだ、彼女の胸の奥には恐怖がへばりついている。

 そのため、服の中に入れて甘えさせてもらったまま、ギチギチと締め上げてもらえたら強い愛情が感じられて一気に憂鬱や不安感が浄化される気がして、カルメはおねだりをしてしまっていた。

「まあ、構いませんが」

 服に入るのと同様、何が良いんだ? と内心で小首を傾げるログが少し不思議そうにしながらも頷く。

 カルメは服の中で嬉しそうに笑うと体の位置を直してログに抱きしめてもらう準備を進め、

「ログ、もう少し強く。可能なら足も使ってくれ」

 とか、

「もう少し、もう少し力を強めてくれ。私は潰れないから」

 とか、

「ログ、このままもう少し抱っこを続けてほしい」

 と、要求を繰り返した。

 中々に面倒くさいカルメだが、要求にこたえたいログが一生懸命に彼女を抱き締める。

 途中、モゾモゾと動く大きな布の塊をギチギチに抱き締める自分を客観視してしまい、

「俺は一体何を?」

 と、虚無りかけたログだが、それでも出来るだけ気を抜かず、抱き締める手を緩めずにカルメを締め上げ続けた。

 そうしてしばらく時間が経つと、強い抱擁に満足したのかホコホコと温まったカルメがセーターから這い出てくる。

 カルメの髪は静電気でモチャモチャになっており、ログが指で軽く治すと彼女は恥ずかしそうに笑った。

「カルメさん、これ、けっこう大変です」

 全身に力を込めたため、すっかりくたびれたログが疲労を溢す。

 すると、カルメはバツが悪そうに彼から視線を背け、恥ずかしそうに俯いた。

「ごめん、ログ。でも、その」

「気に入っちゃったんですか?」

 恥ずかしそうにモジモジと組みかけた両手を揺らしたまま、カルメがコクリと頷く。

「今日以外はできる時だけでいいから。今後もしてほしい。あ、でも、あのさ、さんざん我儘を言った後で悪いんだけど、でも、その、ログの服の中に潜り込むの、その、癖に、なっちゃって……もう一度だけ、家でたっぷり甘えさせて欲しい。そしたら、本当に明日からしばらくは、こんなに我儘言わないから。ちょっとで我慢するから」

 仮に精いっぱい要求を抑えていても、「ちょっと」が一般的な「ちょっと」にならないカルメだ。

 だが、それでもカルメ視点では約束を守りきれたつもりになっているため、明日以降の自分の行動を担保にログに愛情表現を要求する。

 ログは上目遣いが可愛いカルメの姿を眺めていると、やがて、ふわりと笑った。

「いいですよ。一人で不安になられるよりはいいですし、さっきも言いましたが、カルメさんに要求されるの、好きなので」

 くたびれた体の中に確かに感じる満ち足りた感情を自覚して、ログがコクリと頷く。

 すると、カルメは瞳をキラキラと輝かせて「ありがとう!」と、満面の笑顔になった。

 後日、一番気に入っているギチギチ抱き締めはログの負担が大きいので要求しないものの、カルメは定期的に服の中に入りたいと彼にせがむようになった。

 ダルダルになった数着のセーターはカルメを抱き締める専用として、タンスの上の方に丁寧に仕舞い込まれている。

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