星花

 少し前までは身の凍るような極寒に覆い尽くされていた村だが最近では春が近づいていて、日中にはポカポカとした陽気を感じられる。

 高く降り積もっていた雪は淡く溶け始めており、露出した地面からは若々しい緑の雑草が水滴で体を濡らしながら力強く生えていた。

 冬眠していた森の小動物も段々に起床し、自然に親しむことが大好きなカルメの散歩も活発化し始める。

 森や野原で小さな春を見つけて嬉しそうに笑うカルメの姿を隣で見守るのがログのささやかな楽しみだった

 ところで、浮かれた散策は完全にカルメの趣味だが、そこで見つけた植物にサニーは並々ならぬ関心を寄せていた。

 今日も朝の森歩きを済ませてから村にやって来るカルメたちの所へ、サニーがタタッと駆けてやって来た。

「カルメさん、どうでしたか? 例の花は咲いていましたか?」

 問いかけるサニーの眉間にはクッと皺が寄っていて、声は低く潜まっている。

 花という穏やかな話題に対してサニーは妙に剣呑な雰囲気だ。

 例の花という言葉も、彼女の気迫が合わさって何やら後ろ暗いものをカルメに探させているようである。

 あんまりにも必死なサニーにカルメはつい苦笑いを浮かべた。

「見かけたらちゃんと報告してやるのに、診療所どころか門を通り抜けるまでも我慢できなかったのか?」

「はい。準備の開始時期で祭りのクオリティに雲泥の差が出ますからね! 花祭りは村人みんなが大好きなお祭りですから、手は抜けないんです!」

 グッと両腕に力を込め、張り切った様子のサニーにカルメが苦笑いを深くし、ログがキョトンと首を傾げた。

「そんなに大切な祭りなら、花が咲くのよりも先に準備を始めたらいいじゃないか?」

「ログもそう思うよな。私も去年サニーに提案したが、それじゃ駄目なんだってさ」

 カルメたちが話題にしているのは「星花」についてだ。

 星花は丸っこく小さな白い花弁を五枚身に着けているシンプルな花で、一か所に何十と集まって咲く習性があり、春になると村や近隣の野原、森のあちこちで見かけることができる。

 あんまりにも大量に、どこにでも咲くので春の風物詩であるとともに少しうるさい花でもある。

 この花自体は何の変哲もない雑草に近しい野花なのだが、ある時期だけ、村中の関心を一気に集める。

 その時期こそが冬から春への移り変わりの時期であり、ちょうど今だ。

 カルメたちの村には「花祭り」という村の中ではかなり規模の大きい祭りがあるのだが、その開催の合図こそが村で一番初めに咲いた星花だったのだ。

 どういう訳か何百年も昔からカルメたちの村やその周辺は、星花の咲き始めから約一週間後に一気に春へと変貌する。

 森の中には美しい花が密集するフラワーサークルが発生し始め、日数経過とともに数を増やす。

 気が付けば白っぽかった殺風景な景色が色彩で溢れるようになる。

 そうやって徐々に春が迫り始めるのだ。

 極めつけは一夜にして村や周辺の地面を全て覆う星花であり、村人は毎年、絵本の中にでも送り込まれたような奇妙な感覚に見舞われる。

 一応、この異常な変化を理由づける素敵なおとぎ話があるが、理屈で村の不思議を説明できる者は今のところ存在しない。

 都会の方から学者がやって来て調査を進め、釈然としない様子で帰っていく村の素敵な七不思議だ。

 そして、星花によって春へと塗り替えられた日こそが「花祭り」の開催日だった。

 自由気ままな自然に合わせて祭りを開くため、毎回、開催日が微妙にズレる。

 大体の予測はできるが、必ずズレる。

 村人たちは春の訪れと祭りが楽しみで雪が解け始めた頃からソワソワし始め、暇を見つけては星花を探し始めるのだが、サニーなんかは運営側であり、しなければならない準備が山ほどあるので少しでも開催日のヒントが欲しくて必死に辺りを探し回ったりする。

 わざと見えにくい場所でコッソリと咲く意地悪な星花に翻弄され、へとへとになるサニーもまた春の風物詩だ。

 そんなサニーは植物を眺めるのが趣味であり、森に入り込んで散策するのが大好きなカルメに協力を仰ぎ、星花かフラワーサークルを見つけるように依頼していた。

 実際、前回の合図を見つけたのも彼女だったのだが、カルメは当時から何故サニーが花の咲く前に準備を開始しないのか甚だ疑問だった。

 ログも同感のようで、仲良く首を傾げ合う夫婦にサニーがフフンとドヤ顔をする。

「全くカルメさんたちは祭りの何たるかを理解していませんね! 去年もお伝えしましたが、『花祭り』には由来となるおとぎ話があるのです。そして、祭りの準備は星花が咲いてから、という言い伝えもあるのです。こういうのを順守するからこそ、いいんじゃないですか! お祭りっていうのは!!」

 フンフンと鼻息荒く語るサニーだが、彼女を見つめるカルメの深緑の瞳はちょっぴり冷たい。

「その割には随分とやり方を弄ってるけどな。私が魔法で骨組みを作ることになってる精霊像、あれ、本当は蔓草で編んで作るんだろ? いいのかよ、大切な精霊像の作り方を変えちまって」

 ニヤニヤと揶揄うように笑うカルメだが、その程度の文句ではサニーにかすり傷も与えられない。

 サニーはむしろドヤッと胸を張って、

「良いんですよ! 守るべきところは守って、変えるべきところは変えるのが伝統なので。それに、作業効率を上げないと私は準備どころか当日すらも忙しく働きまわって、世界で一番! 最高に愛らしすぎるコールさんと花祭りにかこつけてイチャついたり、スケベな嘘を拭き込んだり、どさくさに紛れてセクハラしたり出来なくなっちゃうんで!!」

 と、欲望をひけらかしながら堂々と開き直った。

「お前、動悸があり得ないくらい不純だな。せめて新しい伝統を切り開くとか言っとけよ。実質村長なんだからさ」

「サニー、コールを揶揄うのは良いけど、あんまり祭りの風紀を乱さない方が良いと思うよ。村長なんだから」

 仲良し夫婦に冷ややかな目線を向けられ、サニーがタジタジと怯む。

「何ですか、二人とも! 寄ってたかって! 大体、カルメさんだってログが頭に花冠つけたエチエチ衣装で外を闊歩してたら嬉しいでしょうが!」

 追い詰められた小動物のように威嚇するサニーがカルメに一枚の髪を手渡す。

 そこには、より詳細な衣装が描かれていた。

 色とりどりの花を使用した大きな冠に、麻布の短パンや素肌の部分を毒性も細かな棘も無い綺麗な蔓草を巻き付けたデザイン。

 衣装というか、もはや変態による辱めに近い。

 また、ちょくちょく書き込まれている、

「コールさんは色白だから濃い色の花が似合う!」

 とか、

「セクシーなところは花で隠すべきか、両手で隠してもらうべきか」

 とか書かれているのが最高に気色悪い。

 まじまじと内容を読んだカルメとログの顔が、強烈な酸味と苦みと辛味と渋みを同時に摂取したような酷い表情になっていた。

「お前、正気かよ。マジでド変態だな。ログがそんな格好してたら……ちょっと面白い」

「カルメさん!? 何を想像してるんですか! 俺、そんな格好しないですからね!」

 紙を突き返しながらログの姿を見てププッと笑うカルメに彼も大慌てである。

 その隣で、二人に変質的衣装を笑われたサニーがムッと口を尖らせた。

「ちょっとカルメさん! 私が考えた最高にかわいくてドスケベな春の妖精コールさんをバカにしないでくださいよ! よく考えてください! これを着た場合、照れ屋なコールさんは確実に雄っぱいを腕で隠して頬を赤らめながら村を闊歩するんですよ! 花で隠れていてもモジモジなんですよ!! 蔓草で隠された美しさ! 蔓草這う美しさ! まあ、実際には流石に着させませんが、それでも! かなりはかどっちゃいますよ、妄想が!! ああ、春の妖精さんみたいなコールさんに悪戯を繰り返し、蔓草を退かしてセクシーを拝んだり、聖女のような笑顔のコールさんに授乳されたりしたい!! コールさん!! 私に春をください、コールさん!!!!」

 オレンジの瞳が色欲の甘いピンクハートで埋もれだす。

 熱のこもった息をハァハァと吐きだし、丸っこい犬歯から透明な唾液を滴らせる。

 心臓をグッと押さえつけるように胸元の衣服を激しく掴み、前傾姿勢になって崩れかける彼女はジタバタと暴れ出す寸前だ。

 かなりキている。

「お、おい、落ち着けよ! ここは野外で雪解けの水たまりがあちこちに転がってるんだからな! ここでゴロゴロしたら泥だらけになっちゃうぞ!」

「分かってます! 分かってますが、うっかり興奮しすぎちゃって!! 今すぐコールさんに抱き着いて揉みくちゃにするか嗅ぎまわすかしないと落ち着けなさそうです!!!!」

 サニーはゴロゴロと転がる代わりに大地を踏みしめ、「コールさん! コールさん!!」と、激しく愛しい名前を叫び散らかす。

 はた目から見ても友人として見ても完璧な異常者であり、間違ってもかかわってはいけない類いの人種だ。

 すっかりドン引きしたカルメとログが音を立てぬよう慎重になって後ずさりをし、彼女から距離をとり始める。

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