花に囲まれた朝
星花は単体では香りの薄い控えめな花だが、密集するとスッキリとした清涼感の中に柔らかな甘みを持つ、非常に良い匂いを放つようになる。
むせかえるような濃さは無いがシッカリと存在を感じられる香りは、家の壁などを貫通して屋内で過ごす者さえ癒す。
朝からふんわりとした甘い匂いに鼻孔をくすぐられるということは、辺り一面を星花が覆っているということであり、必然的に花祭りの開始を意味する。
カルメはログの腕の中で目を覚まし、非常に良い気分でムフフと含み笑いを浮かべた。
『私、ログに抱きしめられたままだ。良かった。ログは寝相が悪いからな。起きたらそっぽ向いちゃってるかと思ってたんだ。ログも星花もいい匂いだし、温かいし、良い朝だ!』
どうせログも眠っているのだろうから、このまま狸寝入りを続けて癒しを堪能しよう。
そんなことを企みながらモゾモゾと蠢き、ベストな抱っこポジションを探したり、ログの衣服を良い感じに乱したり、髪の毛まで弄ったりして遊んだりしていたのだが、
「カルメさん、どうしたんですか? 朝から甘えん坊ですか?」
と、くすぐったそうに話しかけられ、ビクッと肩を跳ね上げた。
「うわっ! ロ、ログ! おはよう……」
慌ててパッと手を放し、バツが悪そうに目をそらして毛布に潜っていくとログが楽しそうにクスクス笑いだす。
「そんなにビックリしなくてもいいじゃないですか。カルメさんが俺で遊ぶのなんていつものことですし」
「いや、それはそうだけれど、油断してたというか。内緒で遊んでる気分の時に声をかけられると、ちょっとビックリするというか。それに、ログが朝から起きてること自体、珍しいし」
朝はログからの反応が得られないのが寂しい反面、恥ずかしがり屋のカルメが随分と好き勝手をして彼に甘えられるサービスタイムでもある。
起きても寝惚けている時間が長く、のんびりとした反応ばかり返してくるはずのログにシッカリと瞳を見つめられ、揶揄われてしまい、ドキドキと心臓を痛めた。
高鳴る胸と真っ赤な顔を自覚しながら少しだけ毛布から顔を覗かせ、ログの顔をジッと甘く睨みつける。
そうやって毛布の中でモゾモゾしていたカルメだが、不意に彼の目元に違和感を覚えて、「ん?」と首を傾げた。
「ログ、もしかして、また寝てないのか? クマが濃くなってる。目もしょぼしょぼしてるぞ」
ログの頬に手を伸ばし、そのまま指の腹で優しく顔の輪郭をなぞる。
朝日に晒される目元は、薄っすらではあるが昨日よりも確実に黒ずんでいた。
「また、怖い夢を見たのか?」
言葉には出さなかったが、心配そうなカルメの瞳が確実にそう語っていた。
「アハハ……分かっちゃいますか。大丈夫ですよ。俺も昨日はカルメさんと一緒で、ワクワクしすぎて寝れなかっただけですから。それに、眠れないとは言ってもずっと起きてたわけじゃないですから。結構、元気ですよ」
明るい言葉は嘘だらけだ。
結局、ログは悪夢のせいで夜中にはね起きるのが嫌で一睡もしていなかった。
おかげで眠くないのに眠たくて、首筋と後頭部がやけに痛み、脳内には常にモヤがかかっているという最悪の状態だ。
全身もやたらと凝っていて、特に顔面と肩甲骨周りが酷い。
顔面に至っては、皮膚と骨の間にずっしりと重い砂が入り込んでギチギチと固まっているかのような錯覚を覚えるほどだった。
試しに押してみれば、指圧した場所を中心に鈍痛が広がる。
胃がもたれて淀んでいるような気がするし、体の内外ともにボロボロになっている気がした。
典型的な寝不足の体調である。
正直な話、遊ぶのに全く向いていない状態だった。
しかし、今日は花祭りでカルメの誕生日だ。
カルメがずっと楽しみにしていた日を自分のせいで盛り下げてしまうのもなんだか申訳ない。
ログは痩せ我慢でニッコリと微笑んだ。
しかし、あいにくカルメはログが我慢しやすい性格であることを知っているので簡単には納得をしない。
釈然といかない表情を浮かべ、子ども体温のような温かい指先でムニムニとログの頬を揉みこんでいる。
「くすぐったいですよ、カルメさん。そんな顔をしないでください。本当に大丈夫ですから。それにしても、妙に良い香りがしますね。甘いわりに嫌な感じがしないといいますか、香水とも違う自然な香りですね」
ログが村にやってきたのは昨年の春だが、少しタイミングがずれてしまい、到着したのは花祭りの後だった。
そのため、ログは前回の花祭りに参加しておらず、一夜にして濃くなった不思議な香りの正体も知らない。
鼻をスンスンと鳴らしながらコテンと首を傾げると、カルメがニヤリと悪戯っぽく口角を上げた。
「ログ、それが祭りの合図なんだ。家の中にいても匂いがするくらいだからな、外は凄いぞ! さっそく見に行こう!!」
ピョンとベッドから飛び出して、ろくに身支度も整えぬままグイグイとログの手を引く。
子供っぽく、朝から元気なカルメに少し呆れてしまったログだが、あんまりにも彼女が屈託なく笑うから仕方がないなと微笑み返して彼も外へ出た。
ガチャリと玄関のドアを開けると、柔らかな太陽光と大量の星花が家の中へ入り込む。
一見すると随分、幻想的な景色なのだが、実際にはその勢いが尋常ではなかった。
ビュウッと突風が吹き、まるで雪崩でも起きたかのように一塊となった花が家の中に押し込まれる。
「うわぁ!」
驚いたカルメが声を上げ、ログに至っては反応することもできずに固まる。
二人とも受け身をとる時間すらなく、あっという間にモフモフの花に包み込まれてしまった。
いくら単体では香りの少ない花とは言え、これだけ大量の星花が至近距離にあれば、流石に香りも強烈になって二人を咽させる。
二人がクシュン、クシュンとクシャミをして涙目になっていると、どこからかクスクスと笑う楽しそうな声が聞こえてきた。
「ログ、笑うこと無いだろ。こんな風になったら誰でもビックリするって」
星花に押されてコケていたカルメが恥ずかしそうに体を起こし、尻の辺りを叩いて部屋着についた汚れを落としていると、ログも涙目になったままキョトンと首を傾げた。
「え? 俺、笑ってないですよ。むせて笑っている場合じゃなかったですし。カルメさんこそ笑ってませんでしたか?」
「いや、私も笑ってないけど」
ログとお揃いのキョトンとした表情になったカルメがコテンと首を傾げる。
「でも、笑い声、聞こえましたよね」
「聞こえたな」
「なんか、やけに聞き覚えがある声じゃありませんでしたか?」
「優しい感じというか、不思議な響きの声だったな。確かに聞き覚えがある気がする……」
しばしキョトン、キョトンと首を傾げ合う。
やがて互いの真剣な表情がおかしくなって、二人はほぼ同時にププッと吹き出した。
「花祭りの不思議現象ってことで良いかもしれませんね」
「そうだな。なんだか得をした気分だ。お祭りが一気に楽しくなった!」
ふわふわと笑い合いながら互いの体中に付いた花を落としてやり、揃って家の中に帰っていく。
それを一歩引いたところで眺めていた花の集合体が、
「楽しいお祭りに一役買えたようでよかったわ、パパ、ママ。後でお喋りしましょうね」
と優しく微笑み、森の奥へ去って行った。
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