第壱幕 六

「これも見て見ぬふりをするんですかっ!」ホルスターから拳銃を抜き放つと、銃口をくいっと天空に向けて構える。コンテナの壁から泉のように酒がわんさか湧き出している。

「いんやあ、ちょっと見て見ぬふりはできない量だよ」金色が混じった太い眉毛を悩ましそうにぎゅっと中央に寄せながら、ピエールは弾倉の中をのぞき込んだ。

「きっと、全部のコンテナにぎっしりと詰まっているに違いないわ。まとめて釣り上げれば、妖頭會に相当な打撃を与えられるはずよ」茜は両肩をぐっと立てて、銃把を握った両手を前面に押し出す。

 嗅ぎつける。商売道具を見破られておちおち寝転がっている妖頭會ではない。

 ばぢりばぢり、目を覚ます。

 船の上には隠れる場所はたくさんある。いくら、僕らの目が肥えているといっても、全てを見通せない。奴らは僕らの調査中に息を潜めて隠れていたのだ。

 挨拶代わりの弾丸が飛んできて、コンテナに当たった。鼓膜を破らんばかりの甲高い金属音。びっしゃと密輸酒が噴出する。米軍は何をしているのだ。自分たちの領域で銃撃戦があったら、黙っているとは思えない。もしかすると……。

「米軍は僕らを亡きものにするつもりですか」

「首相も酒類取締課の創設は勇み足だったと思っているらしいからね。潰すには丁度よい機会なのかもしれない」絶望が笛を鳴らして言葉を編み出したような声色でピエールが言った。

「怖いわ。課の人間が全部消えたら、麻薬取締部が黙っていないと思うけど」覇気のある茜の声。太っちょの臆病風を吹き飛ばそうと躍起だ。

「これが黙っているんだなあ。田島くーん、知っているかい? ピエールたちはねえ、厄介者なんだよ。鼻をつままれて、疎んじられている。法律と法律の狭間でごりごりと消えてくれないかなと思っている上層部は結構多いよ。我々は、日米地位協定のミンチになるんだ」ピエールが泣き出す。豚汁ならぬ、鼻汁が唇の上でてかてかと光っている。

「ミンチなんて、課長だけで充分だわ。うちは必ず切り抜けてみせる」

「田島くーん。頼りにしているよー」

 コンテナの影から茜が身を乗り出して、引き金を引く。つんざくような発砲音。さすがの腕っ節。

「二時の方向にひとり、十時の方向にひとり。狐のお面を被った野郎よ」

「米軍は?」

「いなかったわ。本当にうちらを見殺しにするのかもしれない」

「台本から外れないでほしいなあ。実はピエールのパパは共和党の重鎮なんだよね」ピエールが人差し指をつんつんとやりながら、上目づかいで僕を見やる。

「嘘ですよね?」

「ちょっと待って、そのアイディアはいいかも」

「茜先輩まで何を言っているんですか?」

 茜はコンテナの入り口から外を窺い、敵の様子を確認しながら、即興で練り上げた作戦を諳んじる。

「あーあー、妖頭會諸君、聞こえますか。こちらは、麻薬取締部酒類取締課です」

 茜がコンテナの外に聞こえるように携帯用拡声器に声を吹き込む。妖頭會からの反応はない。

「今すぐ、我々を解放しなさい。そうすれば、このコンテナの枠に埋め込まれていた酒だけを押収して帰るわ」

 銃弾がコンテナの扉をはじく。

 頭を抱えたピエールがひっと声を上げ、僕も怯みかけたが、茜は恐れるどころか、声が通りやすいようにコンテナの扉を広げた。

「答えはそれですか。ならば、こちらにも考えがあります。ただいま、アメリカ合衆国共和党上院議員のピエール・トランプ氏のご子息をお預かりしています。日本の酒類取締の最前線を見てみたいとのご要望から、アメリカ合衆国政府から正式に依頼があってのものです。この襲撃もそのシナリオと解釈してよろしいのでしょうか」

「田島くーん。そんなの嘘に決まっ……」

 ピエールがしゃべれないようにハンケチを猿轡にする。今年の期末手当の査定は厳しいものになるだろうなと思ったが、そもそも、生きて帰らなければ期末はやってこない。

 動きはない。

 狐のお面を被った野郎どもは観察を続けている。はったりであると見抜かれているのかもしれない。

「証拠を出さないと」

「そうね。課長、ちょっと顔を出して」

「ええ、嫌だよ」ピエールは後ずさりをして茜から離れる。

「安保理じゃないんだから、拒否権はありません」

 茜はピエールの襟首を引っ掴み、コンテナの外へ引きずりだす。僕もその背中を消極的に押して、ささやかに、穏やかに、手伝う。

 ピエールの上半身を一瞬だけコンテナの外に晒して、すぐに引っ込める。銃弾は飛んでこなかった。茜はふうと安堵の溜め息を吐いた。妖頭會からは猿轡をはめられた白人男性の姿が映っただろう。茜が吐いた一世一代の大嘘に若干の信憑性が混じるに違いない。

「反応はどうですか?」

「戸惑っているわ。散らばっていた狐が顔を寄せ合っている。敵はふたり、他にはいないみたいね」

「ひいい。銃弾が、血が……」

 猿轡を解いたピエールが体を撫で回して、ごそごそと無事を確かめているが、撃たれてはいないはずだ。

「米軍が動くまで待ちますか? 今の発言は聞かれていたと思います」

「嘘がバレたら、消されるわよ。突破して、この船から降りる必要があるわ」

「か、課長はどう思いますか」

「ピエールは田島くーんを信じているから。彼女はとても優秀だから、ゆうしゅしゅしゅだから」蒸気機関車の煙突のように唇を尖らせる。

「うちが先頭を行くわ、酒之助は最後尾をお願い。誰かが死んでも立ち止まらないで」

「しぃ、死にたくないよう」がくがくと震える手でピエールは拳銃を握る。今にも、その手を口の中に突っ込みそうであったが、ぎりりと歯を噛みしめてなんとかこらえている。

 勇気を振り絞り、角張った緊張感を打ち破ってコンテナの外に出た。姿勢を低くして、相手に居場所がバレないように移動する。

 一列になり、射線に晒す面積を少なくする。普段は踏み台にしているであろう木箱のそばに転がり込むと、妖頭會の連中の姿を見やる。

 どうやら、彼らは話に夢中らしく、こちらの移動には気づいていない。

 腕組みをして、ふんふんと頷きながら話を聞いている狐は、短い金髪を針鼠のように尖らせている。面は本物の狐の皮のように黄金色の毛並みを蓄えており、うっすらと光沢を放っている。右目に当たる部分には黒い眼帯をつけており、頬の部分には皮膚を切り裂いて拵えたような乱雑な赤い傷跡が『Gold Fox』の文字を刻んでいる。体躯にはぴったりと体の表面を覆い尽くす黒いボディースーツを身につけており、目立つ凹凸は存在しない。

 片や、両腕を大仰に動かし、唾を跳ね散らかしてしゃべり続けている狐は、短い銀髪を海胆のように尖らせている。面は本物の狐の皮のように白銀色の毛並みをぞろりとさせており、うっすらと光沢を纏っている。左目に当たる部分には茶色い眼帯を当てており、頬の部分には刃物で表皮の内側に血を擦り込んだような乱雑な赤い傷跡が『Silver Fox』の文字を刻んでいる。体躯にはぴったりと体の表面に張り付いたグレイのボディースーツを身につけており、うっすらと筋肉の線が浮かんでいる。

「金狐が上ね」

「どうして分かるんですか?」

「手前の銀狐は身振り手振りを交えて、感情的になっているけど、金狐のほうは体を動かさず、じっと何かを考え込んでいる。本当の強さとは動きを最小限にして、相手に気づかれないことよ」

「田島くーんは鋭いね」ピエールは体が木箱の影からはみ出ないように用心しながら言った。

「金狐を制圧しましょう。妖頭會は薄情なところがあるから、たとえ、銀狐を人質に取れたとしても容赦なく見殺しにすると思うわ」

「子狐は駒ですからね」

「コンテナの影を渡り歩いて、三方から狐を囲んでしまいましょう。合図がしたら、一斉に攻め込むっていうのはどうかしら」

「ええ、バラバラになるのかい? ピエールは田島くーんのお尻に引っ付いていたいんだけど」ぴと、ピエールが茜の尻に掌を近づける。

「触わんな! それともどうする? 投降でもするの? 殺されるわよ」茜が鬱陶しそうに接近したピエールの掌を払いのける。

「妖頭會は容赦ないですからね。課長、ここはやるしかないですよ」しぶしぶといった具合にピエールは首を縦に振った。課長決裁、クリア。

 コンテナの影から影を飛び石のように渡り、配置につく。もちろん、足音は最小限に抑え込み、悟られないように心がける。僕は、金狐の真後ろに陣取った。銃を構えたまま、しゃがみ込んで、狐たちの様子を窺う。

「どうするんだよ? 今回の取り引きがぽしゃったら、芭蕉様になんて言われるか」乱暴な銀狐の声。その風貌から想像していたよりも、声色は甲高い。

「慌てるな。まだ、失敗したわけじゃない。米軍も、船に上がってくる様子はなさそうだしな。奴らはコンテナの中で袋のネズミ。息の根を止めてしまえば、死体は芭蕉様が処理してくださる」金狐の言葉には余裕。茜の見立ては間違っていないらしい。

「だけどよう。あの、共和党のなんたらっていうのはどうなんだ? 殺したらヤバいんじゃないか」

「ありゃあ、はったりだよ。米軍の情報は芭蕉様に筒抜け。そういう情報があったら、真っ先に自分たちに飛んでくるさ」冷静な言葉の中に動物特有のキイキイとした響きが混じる。まさか、本当に狐……なのか。

 見抜かれている。とくに、金狐は只者ではない。こりゃあ、銃撃戦になるかも。僕は銃把をしっかりと握り直した。

 夕焼け小焼けの赤とんぼ。

 合図が鳴った。コンテナの影からぱっと飛び出して、狐に照準を合わせる。打ち合わせのとおり、ピエールや茜も同じように反応していた。

 僕は金狐が銃を握っている右肩を撃ち抜く算段であった。が、心臓が一拍も動かぬうちに、金狐の姿は失せていた。尋常ではない速さ。飛びかかる前から、居場所は筒抜けだったのかも。

 発砲音が迸る。味方か敵か分からぬ弾丸が、ぶうんとした蜂の羽音を真似て空気中を突き抜け、ばしゃっと対象にぶち当たる。

 あっちかこっちか分からぬうちに、銀狐はぐにゃりと倒れる。

「確保、確保ー」ピエールは叫びながら、銀狐の上で腹ばいになると、手錠をかける。たとえ、軽傷だったとしても、あの巨体をひっくり返すのはなかなか難しいだろう。

「金狐は?」

「飛び出した瞬間に消えたわ。きっと、コンテナの影に紛れたに違いない」茜は油断なく、銃を構えている。微かな火薬のにおい。きっと、茜が銀狐を仕留めたに違いない。

 ひゅーるりと甲板を冷たい風が吹き抜ける。

 金狐の足音や息づかいが聞こえて来ないだろうか。

 殺気を感じないだろうか。

 集中。

 相手は常識外れの場所に隠れているはずだ。

「二時の方向、ドラム缶の後ろ」

 茜の声に合わせて、銃口の向きを変える。引き金が人差し指にかかったが、ぎりぎりのところで発砲をするのをやめた。ドラム缶には燃料が積み込まれているという警告シールが貼られている。確実に敵を撃破できるが、同時に僕らも吹っ飛んでしまう。

 一歩、二歩、近づくと、銃底でドラム缶を慌ただしくがっつんがっつん、叩く音が聞こえた。茜と視線で合図を送り、このまま近づくのは危険だと判断をする。

「奴は無事か?」

「無事だと思う。押し潰されてなければね」

 銀狐は死んだように動かない。死んでしまったかもしれないが、余計なことはしゃべらない。

「酒類取締官っつーのは、間抜けな連中だと思っていたよ。しかし、こうも手際よく追い詰められてしまうと、凄みを認めざる得ないな」

「舐めてもらっては困るわ。我々は相当な訓練を積んでいる。妖頭會のようなチンピラ集団とは訳が違うの」

「っけ、チンピラか、言ってくれるじゃねーの。必死なんだよ。今日にこぼれ落ちた餌を啄むので精一杯なんだ」

 籠城戦は覚悟するべきか。なんとかして、燃料缶に当てずに、金狐を倒せないだろうか。思索を巡らせていると、「おい、酒之助」という言葉が金狐から飛んできた。

「お前、どこでその名前を」

「わたしがいつ、どこで、誰が、何を、どうした、なぜ、どのようにあなたを知ったといちいち説明しなければならないの? 話したら、解放してくれる? 酒を見過ごし、危機的状況から脱するための救いの手を差し出してくれる? 相埜谷酒之助くん」透明感のある声。喉の調子が変わった。頭の奥にきんと響くそれは、聞き慣れたあの声とマッチングする。風貌に惑わされて、男だと思い込んでいた。

 茜の問い詰めるような視線が飛んでくる。

 女なのか。

 バレてしまった。

 僕が酒類取締官で、妖頭會に近づくために女を利用していたのが白日の下に晒されてしまった。秘密はもちろんだが、僕は同時に重要なものも消失に危機に瀕していることに気づいた。

 女の存在そのもの。

 もう、あの甘露な恋の情事はおしまいなのだ。

 言葉にならない叫びが鼻の奥を掻きむしる。

 惜しい。

 息を吸う、

 上手く吸えない。

失いたく、ない。

 走り出す。

 疾駆が踵からつまさきへと鮮烈に伝播する。

「酒之助、止まりなさい」茜の声が鋭い警告を発する。

 いやだ。

「止まらないと撃つわよ」

 止まる、止める、急停止、

 ひょいとのぞき込めば、

 燃料缶の裏側、

 金狐が隠れるその場所に手が届く距離。

 僕には二つの銃口が向けられていた。

 使い古されて傷が目立つ金狐の銃口と、

 整備が施されて、志を同じくする銃口が、

 僕の死ぬ方角を指し示していた。

 タイミングを見計らっていたかのように、投光器が薄暗くなり始めた甲板を照らし出し、なだれ込むような足音が聞こえた。語気の鋭い英語が乱れ飛び、銃を手放すように言われた。

 僕はまぶたをぐっと見開き、面を被った金狐の姿を見やった。

 ぐわっと右手を伸ばしたが、金狐は颯爽と僕の手を払いのけた。

 ふわり、風が舞い上がる。

 鼻をかすめたのは、花の香りだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る