2-1 深夜の一仕事
皇城のほとんどが寝静まった深夜。
私は一人部屋を抜け出して街の外を走っていた。こっそりと皇都外縁部に築かれた壁を乗り越え、しんとした夜の街道を駆け抜ける。
「えーっとぉ……確かこの辺だったっけ?」
行商のおじさんから聞いた辺りに差し掛かったところで街道から外れ、整備されていない区域に入り込む。低木を飛び越え、林立する木々の隙間を縫ってしばらくしたところで私は足を止めた。
「あー……たぶん発生源はここだね」
林の中にある開けた平地。そこにずいぶんと濃い魔素が溜まっていた。
ジッと目を凝らせば、夜の闇よりもずっと暗い靄のようなのが渦巻いてるのが見える。地形的な要素なのかもしれないけど、こんなところで魔術を使う人間なんてそうそういないだろうし、定期的に「掃除」して魔素を散らしてあげないといけないのかも。
「まー私にとっちゃ好都合だけどね」
平べったい懐から黒い箱の形をした「キューブ」を取り出して地面に置く。指先をその中に一度突っ込んで引き抜けば、青白い魔力の光がまるで絵の具みたいに付着した。
それを使って、私は魔法陣を宙に描いていく。
「~~、~~♪」
鼻歌を口ずさみ、ステップを踏みながら。始めた頃は淡々と「キューブ」を中心とした空中に魔法陣を描いてたんだけど、魔法陣を描く作業って単調で退屈なんだよね。だから退屈しのぎに歌ったり踊ったりしてたらすっかり習慣になっちゃった。そういえば、この歌も「キューブ」をくれた時にレオンハルトが教えてくれたんだっけ。アイツの芸術的センスは壊滅的だったけど、歌のチョイスはなんともナイスだったね。
気分が乗って高らかに歌い続ける。どうせこんなところに来るやつなんていないし。いや、別に見られたところで恥ずかしくもなんともないんだけどさ? ただこの魔法陣自体は見られるわけにはいかない。めんどくさい人間を引き寄せかねないからね。
「終ーわりっとぉ」
最後の一文字を書き上げる。すると途端に「キューブ」自体が輝いて、あれだけ溜まっていた魔素がどんどん吸い込まれていく。
ものの数分のうちにこの付近の魔素は空っぽ。代わりに清浄な空気が吐き出されて辺りは浄化は完了。どんだけの時間をかけてここの魔素が溜まってたか知んないけど、ま、これで当分は魔獣も生まれないっしょ。
深夜の一仕事を終えて背伸びを一つ。さーて、それじゃ帰って寝ましょっか。
来た道を戻り皇都の外壁にたどり着くとジャンプしてよじ登り、背中を向けてる衛兵さんに一度敬礼。深夜に見回りご苦労さまです。
外壁を飛び降り夜の街を歩いて、皇城の使用人区画にある自分の部屋に向かう。
しかし夜中とはいえさすがは皇都。酒場の近くを通れば楽しそうな声が聞こえてくる。もっとも、街の人は高い税金のせいで酒を飲むのを控えてるからか、かなり行商人か傭兵さんの割合が目に付くんだけどね。
近道するために細い路地に入ると、目につくのはぐでんぐでんで寝転んだ酔っぱらいに、店から出てきた酔っ払いをカモにするための娼婦たち。その前を鼻歌を歌いながら通り過ぎたところで――
「なぁ、坊っちゃん、嘘を言っちゃいけねぇなぁ」
そんな声が聞こえてきた。つい気を引かれて曲がり角から覗き込むと、少年らしきシルエットと酔っぱらい二人が目に入る。あらあら少年、かわいそうに。阿呆に絡まれちゃったか。
臙脂色のフードを頭からかぶってるから容姿自体はちゃんとはわからないけど、シルエットを見る限り細身でまだ成長期にもなってない子どもだと思う。それでもそこいらのごろつきや物乞いの孤児とは違って高貴そうな雰囲気は分かる。
「う、嘘じゃないです。本当にお金は持ってないんです……」
たぶん、世間知らずな貴族の御子息サマが興味本位で夜中の路地に入り込んで、酔っ払った強面のおっさんにカツアゲされてるってところかな? こんなところじゃ貴族のお父様も守ってくれないだろうし、うん、これも社会経験だよ。
「はっはっは。貴族の坊っちゃんは言い逃れが上手だな。金は持ってなくっても他のもんは持ってるじゃねぇか。たとえば……その指輪とか、な?」
「だ、ダメです!」気弱な坊っちゃんが慌てて指輪を隠した。「これはお父上がくださったものなんです。だからこれだけは……」
「なら勉強代としてちょうどいいじゃねぇか」
酔っぱらい傭兵の片割れが坊っちゃんに手を伸ばした。だけどフードの坊っちゃんはひらりと身をかわした。
それを見たもう一人も鼻白んで襲いかかっていく。二人がかりでなんとか高そうな指輪を取り上げようとするけれど、おやおや意外や意外、坊っちゃんはひらりひらりと避けていく。へぇ、やるじゃん。緊張してるからか足さばきは少しぎこちないけど、あれは結構ちゃんとした訓練を受けてるね。
そうしていると二人組はお互いの足がぶつかって、そろってゴミ溜めに頭から突っ込んでった。あら、ばっちい。
「だ、大丈夫ですか?」
私から見たら完全に酔っ払いどもの自業自得なんだけど、さすがは育ちの良い坊っちゃん。カツアゲされてるのに相手を心配する気配りを見せた。
にもかかわらず。
「……こんの野郎」
傭兵ってのは短気で頭に血が昇りやすい人間が多いんだけど、コイツらもその例に漏れなかった模様。アルコールで赤らんだ顔を怒りでさらに真っ赤っ赤にして、そろって剣を抜いた。
気持ちは分からんでもないけどさぁ?
「はーい、そこまで」
子供相手にカツアゲしてる時点で人間として終わってるけど、剣を抜くのは完全にアウト。目撃しちゃった以上、このまま明日の朝に子どもの死体が新聞に載るのも目覚めが悪いし、口を挟まざるをえないっしょ。
「さすがにそれ以上はやりすぎじゃない?」
「なんだテメェは! どっかのメイドかぁ? 下女なんかが邪魔すんじゃねぇ!」
「引っ込んでろっ!」
「まぁまぁ落ち着いて。カモにしようと思ってた坊っちゃんにチンチンにバカにされて頭がスチームポットになるの分かるけど、いい大人が子ども相手に剣を抜いちゃダメでしょ」
カツアゲとか一発殴られたくらいなら貴族もプライドあるしそこまで大事にしないだろうけど、剣で怪我させたり最悪死なせちゃったらギルド含め絶対黙っちゃいないよ?
私はそう思うんだけど、元々おつむが弱いうえにアルコールでやられたおじさんたちはそこまで頭が回らないらしい。問答無用とばかりに私に向かって剣を振り上げてきた。
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