4-5 いい? 絶対に覗いちゃダメだからね?




「いや、これは参ったな……」


 木の陰に身を寄せながらアルフは一人ため息まじりにぼやいた。

 周辺の小型魔獣をすべて倒し終えた後、アルフはリナルタから離れるよう告げられた。まだ魔獣が残っているかもしれず危険だ、とアルフは反論したが、続けられた彼女の「着替え、覗きます?」というセリフには赤面するばかりで二の句を告げられなかった。


「いい? 絶対に覗いちゃダメだからね?」


 なので結局こうして近くの木の裏に隠れてるわけだが、どうにも落ち着かない。一人でいるとどうにも先程眼の前に迫った彼女の顔が頭を過ってしまうのだ。

 クリっとしながらも少しだけつり上がった瞳。特徴的な桃色の髪を揺らめかせながらいたずらに笑った顔に、わずかにかかった吐息が忘れられない。

 リナルタも美人だとは思う。しかし、これまで彼女より整った容姿の令嬢に幾人も言い寄られたが、まったく心は動かなかった。だというのにリナルタについてだけはまったく逆で、彼女の仕草一つひとつを目で追ってしまいそうになる。


「参ったな……」


 彼女の魅力は自分の語彙力も溶かしてしまうらしい。口からはまったく同じセリフしかでてこない。彼女を自分に惚れさせて、皇城内部の情報収集に使おうと思っていたのに、これでは完全に逆である。

 でも、それもありかもしれない。アルフは、彼女の吐息がかかった口元を指先で触れた。

 帝国を立て直すなんてだいそれた思いを、そして皇子という立場を捨てて彼女と暮らすのも良いだろう、と妄想を膨らませる。だがそれを咎めるように胸がチクリと痛んだ。やはり自分は帝国という国を見捨てることはできないらしい。

 相反する二つの感情を持て余してまたため息を漏らしたアルフだったが、俄に風が強まってきたのを感じて顔を上げ、そこで気づいた。

 木を挟んで彼とは反対側――つまりリナルタのいる方からかすかな声が聞こえてきた。押し殺した声はまるで歌っているようで、それだけなら微笑んだだけで終わっただろうが声と一緒に仄かな光が届いてきていた。しかもそれは魔力的な光で、どうしてだろうか、肌がざわざわと粟立つ感じがした。


(彼女に何かあったんじゃ……!)


 声に切羽詰まった様子はないのだが、それでもアルフは居ても立ってもいられない。不安に駆り立てられ、彼はリナルタへと走った。

 茂みをかき分け、頭に葉を乗せながら首だけを何とか突き出す。そこで彼は言葉を失った。

 そこに広がっていたのは幻想的な光景だった。空中にいくつもの魔法陣が描かれ、さらにリナルタが踊りながら魔法陣を書き足していっている。

 控えめながらも美しい詠唱に耳を奪われ、軽やかに舞う彼女の姿に目を奪われる。完全にアルフは虜となっていた。

 やがて彼女の動きが止まり、中心に置かれた黒く四角い箱のようなものに周辺の空気が吸い込まれていく。開いていた箱が勝手に閉じ、心なしかどこか粘っこくも感じていた辺りの空気が清々しく変わった気がした。


「はい、これにて完了っと」一仕事終えたリナルタが吐息を漏らして振り返った。「後は――そこの覗き魔を成敗するだけだね」


 心を完全に奪われ放心していたアルフは、そこでようやく自分が何をしてしまったのかに思い至った。リナルタと目が合う。やばい、完全に笑っていない。なんとかせねば、と彼は得意のイケメン皇子様スマイルを浮かべてみるが、彼女の心にはまったく響いていないようだった。それどころか、ますます怒りを増幅させてしまったような気さえする。

 笑顔のまま彼女が寄ってくる。一歩一歩の足音が、まるで死刑の足音に聞こえた。「まるで」ではない。事実、これは死刑の執行の音なのだ。逃げねば、と本能が告げるが、先程の上級魔獣を前にした時以上の威圧感が彼を縛り付けていた。


「覗くなって――言ったでしょうがぁっ!!」


 そして彼は、衝撃に意識を飛ばされた。






「お疲れさん。まさか依頼に向かったその日に討伐まで終わらせて帰ってくるなんてな。リナルタに任せて良かったぜ」


 カウンターの上に置かれた特大の魔力石を前にして、エルヴィラがタバコを吹かせながらホクホク顔で労ってくれた。それを奥にしまって、代わりに金貨のたくさん入った袋をドンと置いてくれたので中身を確認する。うん、思ってた以上の報酬だね。ありがたいありがたい。


「いやいや~、運が良かっただけだよ」

「だとしても、だ。他の傭兵どもを手配する手間考えると、私としてもありがてぇ限りだよ。しかしまあ……ずいぶんな強敵だったみてぇだな。リナルタの運が良かった分、隣のイケメンは運が悪かったってわけか?」

「ははは……まあそんなところです」


 エルヴィラが話を振ると、アルフが喋りにくそうに苦笑いした。

 私にしこたま殴られたせいでイケメン顔は見るも無惨に腫れて元の面影も無くなってる。乙女の秘密を覗いたんだからしかたないね。

 皇子様をボコボコにするってとんでもないことだけど、ここにいるのはあくまで「傭兵のフレッド」だから問題なし。アルフもきっと私に殴られたとは言わないだろうし、これで私のことをとんだ暴力女だと思ってアプローチが減ってくれれば万々歳だね。


「ま、勉強代だと思うんだな」

「ふぁい……」


 理由はともかく私に殴られたと気づいてるんだろうけど、エルヴィラは深く追求するでもなくそう言って、アルフはガクリとうなだれた。

 依頼を終えた後の諸々の手続きを終えて、アルフと一緒にギルドを出る。と、建物を出たところでエルヴィラに呼び止められて、振り返ると剣を一振り投げ渡された。ああ、こないだマッサから没収した魔導剣か。


「何だい、それ?」

「こないだちょっと事件があって、その迷惑料みたいなもん」


 こうして渡してくれたってことは、無事に私のリクエストが通ったみたいだね。良かった良かった。


「ちょっと見せて。これは……すごく良い剣だね」


 まあね。何せかつて勇者レオンハルトが使っていた逸品だし。たぶん収集品としても相当な価値がつくと思う。別に売りはしないけど。

 皇城へ戻りながらアルフは剣を眺めて「へぇ」だの「ははぁ」だのうめいてる。私は剣の良し悪しなんて分かんないけど、使う人からすれば分かるんだろうね。

 そんなことをしながら、皇城近くまで到着する。二人一緒に帰るとなんやかんやとめんどくさいことになるのでアルフを先に帰らせ、私は辺りを適当にぶらついて時間を潰してから裏口にある使用人入口に入った。


「ただいま戻りました~」


 そう言って中で休憩してた同僚たちに声をかけた――んだけど、私を見る目がなんだか妙な感じ。

 いつもだったら不在中にアルフと私の恋バナを妄想してニヤニヤしながら迎え入れてくれるのに、今の下女仲間たちはどこか不安そうで、何か言いたげなんだけど距離を置かれてるような……


(何かあったのかな?)


 私ものんきなもので、妙な空気に気がつきつつも特に気に留めなかった。どうせ暇だし他の人のお手伝いでもしよっかな、なんて思って休憩室から出ると、皇城を守る近衛騎士の方たちが洗濯場に来ていた。珍しいこともあるもんだね。

 彼らはいかにも厳しい顔つきで他の下女を詰問してたんだけど、私に気づくとそれを切り上げ、そしてあっという間にグルリと私を取り囲んでしまった。なに? なんなのさ?


「リナルタ、だな?」

「はい、そうですけど……? 何か御用ですか?」

「ああ、そうだ。貴様を――逮捕する」


 ……はい?




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