魔龍ブルー・リー編③
――クリストロフ王国西部ラゲルクーリエ。ミシオン鉱山の麓……ミシオン洞窟。その洞窟の前には、これまで人々が働いていた跡が残されており、トロッコは乱雑に置かれていて、スコップなどもあちこちに放置されているような状態だった。まるで、全員夜逃げしてしまったかのように人の姿だけは、そこになく、洞窟の周りは何処か不気味な様子があった。
そんな洞窟の中をずっと進んで行った奥底……暗く、不気味な明かり1つない……まるで、黄泉に通ずる一本道の如く……ずーっとずっと先へ先へ続いている細い道を歩いた先から……微かに聞こえる人々の悲鳴。地上の洞窟の入口にまでは、届かないが……進んだ先から謎の悲鳴が聞こえてくる。
まるで、本当に……お化けにでも遭遇したかのような……自分自らが、あちらへ引っ張られて行ってしまいそうな時に……出てしまうような悲鳴。
悲鳴が発せられた場所を辿るように、洞窟の道をずっと進んで行くと……最奥に……謎の広い空間が存在した。
そこだけまるで、これまでの鉱山跡地という様子とは、かけ離れており、明らかに異質な……広くて、冷たい暗い空間だった。そんな場所から声がする。
一体誰なのか……闇の空間を照らしていた炎の灯されたランプが地面に落下し、硝子の割れる音が空間中に鳴り響く。
中で燃えていた炎も掻き消されていき、徐々に周りの景色は闇に染まる。
しかし、その炎が消えていく短い時の間に、1人の頑丈な鎧を着ていた男が、大量の血を流して倒れていく姿と、もう1つ。その男の死体の傍に巨大な龍がいた。
その龍は……所謂、ドラゴンとは違う。その姿は、蛇のような姿をしており、まるでそれは……竜というより、龍と言った方が似合う様子だった。
炎が消えゆく直前、暗闇の影に潜んでいた龍の影が突然、変わる。
その影は、人となり、影の形から……女の姿のようだった。もうじき、暗闇に包まれるその中で女は、倒れている男の死体の前で、一粒の涙を流すのであった。
涙が、地面に落ちると洞窟中に「ポタッ」という音が木霊する。女は、二度と目覚める事のない男を泣きながら見つめる。
「この男も……猛き者とは、違いますわね。一体、いつになったら会えますの……。お父様……お母様、必ず私が……御守り致しますわ……」
今にも泣き叫んでしまいそうな震えた声で、彼女はそう言うと――途端に、洞窟を灯していた炎は完全に消え去り、辺り一面が真夜中よりも真っ暗闇に染まるのであった。
*
ラゲルクーリエの町は、昼を過ぎた頃から突然、ざわつきだした。杖づくりを完全に終えた私と光矢は、町の外れからギルドまで一緒に歩いていた。
どうも、光矢曰く……クエストに行く前に報酬金の確認をしておきたいとの事で、一度ギルドに戻って魔龍討伐クエストの情報を見直そうと言うので、私はそれについて行っていたのだが、ちょうど私達がギルドへやって来た頃、ギルドの中が何やらざわついていた。
どうもギルドの受付や運営に携わっている人々が、深刻な顔をして話をしており、私と光矢は何があったのかと少し気になりながら掲示板の方へと歩いて行った。
すると、その時ふと私と光矢の耳にギルドの運営をしているオーナー(?)の白髭を生やしたお爺ちゃんの喋り声が聞こえてきた。
「……よもや、またしても冒険者様の御一行が、行方不明になってしまうとは……」
私と光矢は、その言葉を聞くや否や、目を合わせた。すると、向こうで集まっていたギルドの運営の人々は、話を続けた。
「……これまで、一体どれだけの数のパーティーが挑んだ事でしょうか。……このままだと、この町の財政は完全に……。オーナー、既に鉱山で働いていた人々からも、生活が限界だと苦情が来ています。このままですと、町は崩壊し……最悪の場合、洞窟の奥底の魔龍にこの町は、支配されてしまうかもしれません」
すると、白髭を生やしたお爺ちゃんが、告げた。
「分かっておる。……だが、慌てるでない。相手は、確かに強いが……しかし、今日まで魔龍は、洞窟の外へ出てこなかった。つまり、出てこれない理由があるのじゃ。だから、当分の間はこの町が魔龍に支配されるなどという心配も必要ないじゃろう。……しかし、うむ。オリハルコン鉱石で成り上がった我が町の経済ピンチ。……何か他に、そうじゃな。オリハルコン鉱石以外で早めに手を打たんと最悪な事になる」
「……それでしたら、我が町を観光地化して……より旅に来る人々が利用しやすい町づくりをするというのは、どうでしょうか……?」
・
・
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話を聞いていると徐々にギルドに限った話では、なくなっていった。この町の偉い人達も例の魔龍の件でかなり大変なのだろう。
一刻も早く何とかしないと大変な事になる……。
そう思った私達は、掲示板の確認が済み次第、すぐに魔龍が住むと呼ばれる鉱山……ミシオン鉱山へと向かったのだった。少しばかり山を登る事、おおよそ30分程度。私達は、ついに魔龍がいるとされている洞窟を発見した。
洞窟の周りは、つい最近まで仕事をしていた人達の使っていたスコップやトロッコが乱雑に置かれており、ぱっと見は普通の洞窟という感じだったがその場所に一歩、足を踏み入れた途端、私の背中がゾワッと鳥肌が立った。
「……なんでしょう? この悪寒は……」
名状し難い何かが体中に駆け巡る中、私は洞窟の中の闇を見つめた。
……間違いなかった。どんよりした闇の気配……正しく魔族の魔力だ。人間とは違う。異質な魔力を感じる。その匂いは、なんと表現するべきか……言葉にできない。独特な香りだった。
私の様子に光矢も気づいたらしい。どうやら、魔力を持たない彼には、私のこの感覚が分からないみたいだ。彼は、私を心配そうに見つめながら訪ねてきた。
「大丈夫か? 今ならまだ引き返せる」
「いえ、平気です。初めて魔族の魔力を感じたもので、慣れていなかったのでつい……。ですが、もう大丈夫です。心配いりません。それに……この依頼の報酬、100万スヴェルですよね。それだけあれば、1ヶ月は働かなくてもある程度、過ごせますし……。だからその……このクエストが終わったら私、光矢と……その、もっと良いホテルに泊まって……」
最後まで言うのは、恥ずかしかった。だから、セリフの途中で途切れてしまったが、彼は私が何を言おうとしているのかを理解したらしく若干、頬を赤く染め上げていた。少し強張った声で光矢は、告げた。
「そっ、そうだな。まぁ、クエスト終わったら派手にパーッとやろうか……」
「……」
「……」
私達は、とても緊張しながら洞窟の中へと入って行った。それは、まるで初めてデートをする恋人達が、手を繋ごうとするその直前のような……何ともこの危険なクエストには似つかわしくないスタートを切ったのだった。
こうして、洞窟の中に入った私と光矢。前を歩く彼が、ランプを持っていた。彼は、私の歩くスピードに合わせてなるべくゆっくり歩幅を合わせてくれていた。
私を危険な目にあわせないように……いつ私が、ピンチの時でもすぐに銃を抜けるように一定の距離を保ってくれている……。この何気ない彼の気遣いが凄く嬉しい。
でも、中に入ってみて少し以外に思った事があった。
「……さっきは、凄い悪寒がしたけど……中は意外と普通ですね……」
洞窟の中は、外にいた時からずっと感じている悪寒とは違って特段、怪しさがあるわけでもなく……本当に普通の鉱山って感じだった。トロッコの線路が地面には敷かれており、また、あちこちに既に使われなくなったランプが、端っこに等間隔で並んでいた。また、所々に作業された跡も存在しており、壁に穴が開いていたり、地面が掘られていたりしていた。
こんな所に魔族が潜んでいるなんて……まるで、休日の誰もいないってだけにしか……そんな風にも見えるのに。
しかし、しっかりと魔族の気配はしていたし、むしろ進めば進むほどに……魔族の魔力の匂いは、濃くなっていく一方だった。
順調に歩いて行く私達だったが、そんな時に前を歩いていた光矢が、後ろにいた私に話しかけた。
「……さっきは匂いがしなかったが、今なら少し分かるな。……血の匂いだ」
「え……?」
「……間違いない。この洞窟の奥で人が死んだ。俺は、この世界に来てからこれまで何度も死臭と血の香りを吸ってきた。だから分かる。……この奥にいる大量の人間。それも……もしかしたら、死体がな」
「……!?」
驚きのあまり、私は何も言えなかった。しかし、この光矢の推測はおそらく正しい。この奥から微かにだが、ほんのりと死んだばかりの人間の魔力の匂いもする。
人間の体内を流れる魔法のエネルギー……魔力。それは、生きている間はその人の体臭のような感じで匂いとして感じ取る事ができる。しかし、死ぬと魔力を持つ人間は徐々に無臭になっていく。
この微かに匂う感じ……おそらく、死んだばかり。死人の魔力の香りは、時間と共に匂いが抜けていく都合上、普通はこんなにはっきりと匂わない。なのに……ほんのりと感じる事のできる程度に匂うという事は……。
「……」
私は、少し気分が悪くなった。やがて、前を見る事ができなくなってしまい、私はしばらく下を向いて歩いていた。
光矢に作ってもらった大きな杖も重たく感じる。……段々、歩く事も辛く感じる。足が重い。
――しかし、そんな時だった。
「……!?」
ふと、私の後ろから何か感じる。……それは、これまであった悪寒とは、また違う。全く別の性質の魔力。
「……って、もしかして!?」
気づいた時には、もう遅かった。私が背後を振り返って見るとそこには――。
「魔族!?」
上から小さなゴブリンが3匹。緑色の不気味な肌とゾッとするような邪悪な笑みを浮かべていたゴブリン達は、私を見るなり涎を垂らしながら、その手に持った棍棒を振り回し、襲い掛かる。
瞬間、恐怖心が心の中を駆け巡り、私の意識と体が一瞬だけ動けなくなってしまう。このゴブリン達の視線……シャイモンと同じだった。魔族もまた、人と同じ邪悪な側面を持っている。
いや、人と大きく違うのは、やはり人とは全く性質の異なるこの魔力の感じ。明らかに別の生き物としか思えないようなこの異様な感覚と嗅いだ事のない匂いが、私の恐怖を掻き立てる。
私は、これまでの人生の中で魔族に恨みを持つような出来事は、なかった。だから、当然怨んでなんかいないし、平和にいきたいとさえ思っていた。
しかし、そんな思いも一瞬グラついてしまう位にこのゴブリン達の放つ魔力の匂いは、近くで嗅ぐと異様だった。
――ヤバイ……! このままだと……。
自分のピンチを悟ったその時だった。突如、背後から強烈な銃声が洞窟中に鳴り響き、それと同時に絞ったトマトのように深紅の液体が、私の元へ降りかかってきた。
ゴブリンに襲われる恐怖のあまり目を閉じていた私だったが、顔に血をかけられた後、ふと目を開いてみると……先程まで私を襲う気満々だったはずの3匹のゴブリン達が、全て死んでいた。
「……あ」
こんな僅か1秒もしないうちに、敵を圧倒できる者は、この場で1人しかいない。
「光矢……!」
後ろを振り返ると、ちょうど腰から銃を抜いて撃ち終えていた彼の姿があった。光矢の手に持っている銃の先から煙が立ち上り、それがまるでゴブリン達へ向けた線香のように見えた。彼は言った。
「……怪我はないか?」
「うん。……ありがとう」
光矢は、ホッと息をついた様子だ。私が、無事である事が嬉しかったのだろう。すぐにまた歩き出した。
私達は、それからも一定の距離を保ちながら周りに気をつけつつ先へ進んだ。
「……」
だが、私は先程のゴブリン達の襲い掛かって来る姿が頭の中から離れない。あのゴブリン達の野獣のような顔。今にも私を襲おうと飛び掛かる恐ろしいゴブリン達。
初めて出会った魔族の姿は、想像以上に恐ろしいものだった。
――魔法を発動する余裕さえなかった。ただ、杖に魔力を込めるだけなのに……それさえ、できる余裕もなかった。
ここでようやく私は、光矢が言っていた事の意味を理解した。
……魔族。一度も会った事がなかったからこそ、その怖さを知らなかった。彼らに対して私は、為す術もなかった。……それこそ、先程も光矢がいなかったら……私は、ゴブリン達に襲われて……。シャイモン以上に酷い仕打ちを受けていた事だろう。恐ろしさのあまり、自分の手が震え始めていたのが分かった。
――どうしよう。こんな事なら、確かに……私なんかいない方が……。その方が彼の為にも……。
「……マリア」
と、その時だった。前を歩いていた光矢の足が止まった。彼は私の顔を見つめてきて、そして優しい顔で告げた。
「……安心しろ。俺がついている。さっきのを見たろ? 相手が魔族だろうが……銃は、魔法より強しだ」
そう言うと、彼は再び前を向いて歩き始めてしまった。私もすぐに一定の距離にいようと早歩きで彼の後を追いかける。
……光矢、ありがとう。
ほんの少しだけ手の震えも治って来た。先程まで感じていたような恐怖も今では、かなり治まっていたのだった……。
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