魔族の少女ココ編④
少女は、なかなか落ち着かなかった。彼女は、私と光矢を見るなり、泣き続けて私達から逃げようとしている様子だった。私達がなかなか話しかけても落ち着くどころか、どんどん激しく涙を流す少女を落ち着かせるため、サレサさんが少女に少しだけ眠りの魔法をかけた。
これによって、少女はちょっとの間眠りについた。気持ちよさそうに眠っている彼女の寝顔を見ながら私は、光矢に話しかけた。
「……ねぇ、この子……魔族……だよね?」
光矢は、何も言わなかった。ただ黙って、少女の事をジーっと見ているだけだった。私に返事を返してくれたのは、ルリィさんで、彼女は目を細くして少女の事を見つめ続けていた。
「……そうですわね。そして、この子……もしかして……?」
ルリィさんは、少女の事で何か気づいた様子だったが、しかしそれ以上は何も言わなかった。私達が、少女が目を覚ますのを見守っている中、ようやく少女の瞳は開けられた。彼女は、とろんとした細い目を開けると、空の上をぼーっと眺めていた。
「あれ……?」
少女が寝ぼけた声でそう告げると、彼女の事をジーっと見つめていたルリィさんが最初に話しかける。
「……御目覚めの様ですわね」
少女は、目を擦りながらゆっくりとルリィさんの事を見て、それから眠たそうに喋り始めた。
「……お姉ちゃん、誰? ここは……何処?」
「アタシは、ルリィ。貴方と同じ魔族ですわよ」
ルリィさんが、とても優しくそう言うと少女は、少し安心した様子で納得した。だが、次の瞬間には、そんな少女の安らぎは、すぐに失われる事となる……。
意識がはっきりしてきた少女は、辺り一面を見渡す。すると、少女と私の目が合ってしまい、彼女の表情が途端に険しいものに変化する。徐々に暗みを帯びてくるその顔を見ていた私は、まるでじわじわと胸に差し込まれていくナイフのように痛い思いを心に負っていた。
少女は、告げた。
「……にん、げん?」
そして、次の瞬間に少女は、先程と同じように恐怖に染まった顔をし始める。
「……いや、人間。怖い……! いやぁ!」
私は、少女に手を伸ばし、何とか自分が少女の味方である事を訴えた。
「……待って! 違うよ! 私、貴方の敵なんかじゃない! 貴方に悪い事なんて絶対にしないよ!」
だが、少女は聞く耳など持たなかった。彼女は、体を少し震えさせた状態で目をカッと見開いたまま私と光矢の事を見つめて、少しずつ後ろに下がって行こうとしていた。
「……来ないで。いや……! 人間……怖い……」
その恐怖に染まった顔をもう一度見てしまった私は、やはりショックだった。だが、そんな少女の事をルリィさんが、優しく抱きしめてあげるのだった。
これには、私達もそれから魔族の少女もびっくりした様子で、しばらく何が起こっているのか誰も分からない様子だったが、すぐにルリィさんは、優しい声で少女に告げるのだった。
「……大丈夫ですわよ。ここにいる方たちは皆、アタシの仲間ですわ。だから、誰も貴方に悪い事はしませんわ。落ち着いて……」
ルリィさんが、優しく彼女の頭を撫でてあげていると次第に驚きと恐怖で固まって口も開きっぱなしにしていた少女は、段々とルリィさんの事を小さい手で抱きしめ始める。……そして、少女は次第に涙を零し始めた。
そんな少女の事をルリィさんは、優しく抱きしめてあげながら頭を撫でる。
「……よしよし。もう大丈夫ですわ。お姉さんがついてますわ」
少女は、泣きながら叫んだ。
「……ママァ!」
その叫び声は、私の心の奥底までしっかりと響いてくる。
*
しばらく経ってから、ようやく落ち着き始めた少女。私達は、俯いている少女が話し始めるのをじーっと待ち続けた。日が落ちかけて、そろそろ暗くなってしまう頃に光矢は、火をつけてあらかじめ持っていた木の枝を棺桶から取り出すと、早速並べ始める。そして、ライターで木の枝に火をつけて、じっくり焚火を始めるのだった。
やがて、少女も光矢の点けた炎に興味を示したのか、ゆっくりと顔を上げ始めてボーっと前を向き始めた。
「……ねぇ、貴方は何処から来たのです? ご両親は、何処にいるんですか?」
私は、少しゆっくりめに少女へ尋ねてみるが、少女は私が話し始めた途端に怖くなったのか、隣に座っていたルリィさんの元へ駆け出し、彼女へ甘えるように抱きついて、その背中へ隠れて行ってしまう。
そんな少女をルリィさんは、まるで自分の妹であるかのように頭を撫でてあげたりしていた。
「ほ~ら。よしよし……もう大丈夫ですわよ。良い子でちゅね。……あのお姉さん、とってもとっても怖いでしゅね~」
「ルリィさん……?」
後で、お説教しようと思った。
――すると、隣からサレサさんがこちらを向いて来て真剣な顔で告げてきた。
「……マリアさん」
彼女は、私の目を真剣に見つめて首を縦に振ってきた。……私に任せて欲しいと、そう言いたいのだろうか? 私は、サレサさんに返事を返すつもりで同じく首を縦に振った。
それからサレサさんは、少女の傍までゆっくり歩いて行って、彼女と目線を合わせるためにしゃがむと、優しい微笑みを浮かべながら隠れている少女へ告げた。
「……大丈夫。私も魔族。貴方と同じ。……それに、ここにいる人間達も皆、悪い人達じゃない。怖がらないで……」
サレサさんが、そう告げるも少女は体を震えさせて涙ぐみながら告げた。
「……人間、皆……怖いよ……」
悲しそうにそう言う少女にサレサさんは、言った。
「……どうして、そんなに人間を怖がる? 何かあったの?」
しかし、少女は簡単には口を開いてはくれなかった。しばらく口の中をモゴモゴさせて、何も言わない魔族の少女。その手で、ボロボロの布切れと化していた服をギュッと握りしめている。
サレサさんが、優しい言葉で少女に言った。
「……私達、貴方の力になりたい。だから、ほんの少しで良いから……勇気を出してみて。大丈夫。話すのはゆっくりで良い。私達、貴方には何もしないから……。私に聞こえるくらいの小さい声で良いから……勇気を出してみて」
少女の表情が先程までの恐怖で震えた様子ではなくなり、少しずつ雪が解けていくようにジワジワと、涙も止まっていき、緊張も和らいでいく。やがて、少女はゆっくりとルリィさんの背中から離れて行き、小さいな体を私達にも見せてきた。
そんな様子を見ていると、先程までショックだった私の心もほんの少しだけ明るくなっていったように感じた。
少女が、再び焚火の前に座って、ボーっと下を見つめている中、サレサさんも自分がいた場所に座りにいき、私達はいよいよ少女が話を始めるのだと心の準備を始めた。
「……わたし、パパとママ達とお出かけしてたの……」
――少女の話をまとめると、こうなる。
数十年前、この少女の魔族は、この辺りを旅していた。どうやら、元々あちこちを移動する民族だったようで、その日もいつも通り、あちこちを転々と移動していた。旅の仲間には、少女の父と母。そして、友達やその家族も一緒に旅をしていた。
旅は、とても楽しくて少女にとって、旅の中で出会った景色や自然は、どれも新鮮でワクワクした。
だがある時、事件は発生した。少女が、父親と喧嘩をしてしまって、テントから出て行っている間の出来事だったらしい。何故かそこに突然人間の軍隊が馬で突撃してきたのだ。
人間達は、少女の家族や友達の住んでいるテントに次々と火をつけて、燃やす。そして、燃えたテントから出てきた者達を待ち伏せして、次々と捉えられてしまう。しかし、少女だけは、たまたまテントの外にいた事もあって、被害を受ける事はなかった。
少し離れた所でテントの様子を見ていた少女に彼女の母は、魔法で「逃げなさい」とテレパシーを送り、怖くなった少女は、母親の言う通り逃げた。
こうして少女は1人、食べ物も飲み物もほとんどない状態で広い荒野の中を彷徨いながら歩き続けた。
*
話を全て終えた少女は、前に起こった出来事を思い出してしまったせいか、涙を流していた。私は、そんな少女の事を見ているうちに心の奥底から怒りが沸き上がって来るのが分かった。
「許せません! そんな事……! 何も悪くないのに……そんな突然、襲うだなんて……!」
しかし、私がそう言うと泣いていた少女が言った。
「……違う! わたしが、悪いの……」
私達全員の視線が少女に集中し、見守る中……少女は、ゆっくりと口を開け、話し始めた。
「……わたしが、パパに酷い事言っちゃったの……。わたしね、ママと一緒にパパのお誕生日プレゼントを作っていたの。でも……内緒で作ってたのにパパがそれを見ちゃってて……わたし、とっても嫌で。なんだか、すっごくそれが気に入らなくて……せっかくお楽しみにしていたのに……見られたのが嫌で嫌で仕方なかった。それで……パパなんか大嫌い。帰って来ないでって、言っちゃった……。そしたら……」
少女は泣いていた。泣いて泣いて……その涙で、目の前の炎さえも消せてしまうくらい激しく……。
「……わたしが悪いの。わたしが、あんな事言うから……。悪い子だったから……!」
私は、少女の事をジーっと見つめていた。不思議と少女を見ている間は、瞬きする事も忘れてしまう。あの涙、そしてこの心の痛み……涙を流す少女の姿を見ていると私は、少し前の自分を思い出してしまう。
シャイモンに売り飛ばされていた頃の自分。あの時の自分もあんな風に涙を流していた気がする。
そんな事を少女を見つめながら私が、思っていると向こうに座っていたルリィさんが目線でこちらに合図を送ってきた。
どうやら、ちょっと向こうで話そうと言っているみたいで、私とサレサさんは立ち上がって少女から少し離れた場所に移動した。
少女に聞こえない所までやってきた私達にルリィさんは、言った。
「……あの子は、おそらく”魔犬族”ですわ」
「魔犬族……?」
何も知らなかった私が、そう言うとサレサさんが思い出した様子で口を開いた。
「……確か、あちこちを移動しながら生活する文化を持つ魔族。ルリィ同様、人間によく似た姿と魔族としての姿の両方を持っているらしい」
「そんな魔族もいらっしゃるのですね……」
すると、今度はルリィさんが言った。
「……えぇ。あのモフモフした耳、それからあちこちを移動しながら生活をしているという特徴から……そうである可能性は高いですわね。しかし、ある日突然人間が襲い掛かって来るだなんて……やっぱり、とんでもないですわね。人間って……」
サレサさんもルリィさんと同じく首を縦に振って、同意している様子だった。私は、そんな2人に言った。
「……多分なんですけど、あの子の言う通り何十年も前にあの子の家族達が、旅を始めたのだとすると、その何十年かの間に人界領と魔族領の境界線が変わったんじゃないかと思うんです」
「と、言いますと?」
「……開拓の進んでいない西部の方ではよくある事らしいです。数十年前までは、魔族領だったはずの土地が、気づいたら人界領になっていて、人間に攻撃されたとか。逆に人界領だと思っていたら魔族領になっていて、襲われたとか……。人間と魔族で住む場所を変えようって話になったは良くても……結局それが何処からなのかという部分が色々曖昧だったり、人間と魔族が、細かい小さな戦いを続けているせいで、人間の住む場所が増えたり減ったりしていくせいで、こうなっているらしいです」
なるほど……。そう、彼女達は納得していた。もう一度、遠くから少女の事を見てみる。……やはり、寂しそうで、その潤んだ瞳から一筋の涙をポロリと流していた。頬を伝わるその雫に私達までもらい泣きしてしまいそうだ。
悲し気な表情が私の心を更に抉り込む。……誰が悪いとかじゃない。そんな事は、どうでも良かった。それよりも……あの悲しそうな顔を何とかしてあげたかった。
すると、少女を見ていた私の視界にコーヒーカップを1つ手渡す光矢の姿が映った。少女は、手の先を追いながら顔を上げるが、光矢と目を合わせた途端に少女は、また怖くなったのか体を震えさせて、後ろへ逃げようとし始めた。
恐怖のあまり、彼女は声すら出ないようだった。しかし、光矢はそれでもカップを少女に渡すのをやめない。彼の目が少女をジーっと見つめる。
やがて、光矢はしゃがんで少女と変わらない高さで彼女の事を見つめる。少女は、震えながら光矢から離れようと後ろへ……後ろへ下がる。
その光景を見ていたルリィさん達が、光矢を止めようとしているのか、一歩前へ飛び出していきそうになったが、瞬時に私は、彼女達の足を止めた。そして、サレサさんとルリィさんに対して首を横に振ってみせる。
光矢は、後ろへ離れて行こうとする少女の事を決して追わなかった。追わずにしゃがんだままカップを持った手を伸ばすだけ。しかし、とうとう少女が光矢の手の届かない所へまで逃げてしまった事で、彼はカップを地面に置いた。彼は、少女に告げた。
「……今日は、色々疲れただろう? そう言う日は、うんと甘い物を飲むと良い……。冷めないうちに飲むのをおすすめするぜ。きっと、体も心も……ホッとする」
光矢は、そう告げると立ち上がり、少女から離れて行った。彼は、再び火の番を続けながら作ったコーヒーをそれぞれのカップの中に淹れていった。少女は、そんな彼の姿をぼーっと眺めながら向こうに置かれたカップの方へゆっくり近づいて行った。
少し遠くにいた私達も少女の傍にゆっくり近づいていっていた。
……炎の明かりに若干照らされた真っ白いカップ。少女が、それを上からゆっくり覗き込んでみると、温かい湯気が柔らかく空気中へ溶け込むように立ち上っている。
カップの中には、夜の闇より明るいブラウンの液体が入っており、私達の元にも甘ったるいカカオの優しい香りがしてくる。
「ココア……?」
私が、カップの中の飲み物の正体に気付いて、光矢の事を見てみると彼は、少しだけ笑っていた。普段は、いつも牛乳も砂糖も一切入れない真っ黒いコーヒーばかり作る光矢が珍しくココアを入れていたのが何となく意外だった。
少女が、恐る恐るカップを手に取り、ジーっとその中を見つめながら匂いを嗅ぎ、安全を確認した後にゆっくり口をつける。すると、途端に少女の目がカッと見開かれ、彼女はそのままココアを一気に飲んでいった。
「……美味しい」
少女が、そう言うと光矢の顔が更に優しくなった。彼は言う。
「……そりゃ良かった。おかわりもあるぞ……」
すると、少女は一気にカップの中のココアを飲み干すと手を伸ばして光矢に突きつける。
「……」
しかし、少女はまだ少し緊張しているようで、何も言わない。何も言わずにカップを突き付けている姿に光矢は仕方なさそうにココアを注いであげた。
「……口の中、火傷しないようにな。気を付けて飲むんだぞ」
「……あ、ありがとう……ございます」
「おう……」
光矢は、あえて素っ気なく返事を返すと、少女はココアを淹れて貰ったカップを両手で持ちながら光矢の事をジーっと見つめていた。
光矢が、コーヒーの準備をしている中、少女の事に気付いた様子で尋ねる。
「……どうした? おかわりなら……全部飲み終わってからだぞ?」
少女は、緊張した様子で告げた。
「……名前は、なんて言うの……?」
少女が、精一杯の言葉を言うと、光矢は帽子を少しだけあげて少女の目を見つめながら告げた。
「……ジャンゴだ」
「わたし、ココ……」
「そうか……。よろしくな」
少女は、口と目を大きく開ける。少しして、カップを両手に持ったまま少女は、少しだけ大きな声で言った。
「うん……!」
少女は、すぐに走って自分の座っていた場所に戻り、ココアを飲み始めた。そんな様子を見ていると、光矢が、私達に言ってきた。
「……ほら、コーヒー出来たぞ」
「「「はーい」」」
私達も元々いた場所に座って光矢のコーヒーを飲む事にした。彼の淹れてくれるコーヒーは、美味しい。ブラックコーヒーなのに少し甘みがあって、飲みやすくて……熱すぎず冷めすぎてもいない。ちょうどいい温度の他人に優しいコーヒー。
そんなコーヒーをゆっくり飲んでいる中、ルリィさんが言った。
「うふふ! 殿方様のコーヒーですわ! 今日も沢山、飲みますわ!」
「私だって負けない。……いっぱい飲む」
ルリィさんとサレサさんが、謎の対決を始める。けど私は、そんな事などどうでも良かった。少女が少しだけ優しい顔をしてココアを飲んでいる姿を眺める。……その顔は、今日の月の輝きよりも美しく……何処の星より輝いて見えた。
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