聖女マリア編⑤

 他に何かもっと言い拒否の仕方ができたのではないか? それこそ、あの一言でもしかしたら……ジャンゴも傷ついていたり……するのかもしれない。私と彼は所詮、今日出会ったばかりなのだし、彼が脆い人間である可能性も否定しきれない。

それから私は、あてもなく町を歩いた。どれくらいの時間経ったのかは、分からない。けど、歩いている間ずっと考え事をしていた。周りは、静かだった……気がする。何にも耳に入って来なかったからきっと静かだったのだろう。

 別に……仕事を引き受けても良かったんじゃないのか……? 今更になってから半分だけ私は、そう思っていた。だけれど、残り半分は、やっぱり引き受けたくないって気持ちが強い。

 確かにアイツは……ジャンゴは、強い。それは、二度も戦っている所を見た事のある私が、この町で一番よく分かる事だ。

けど、行かせたくない。ただの普通の平民が貴族の領主に逆らう事が良くないって事以外にも思う所があったからだ。

 相手は、シャイモン。あの金持ちの爺さんは、本人も言っていた通り、確かにこの町で一番力のある人間だ。それは、財力とか権力とかそう言った類のものに限った話ではない。

 あの奴隷市場のすぐ傍で戦った時は、たまたまジャンゴのガトリング(だったっけ?)の威力に驚いて、何もしてこなかっただけで……シャイモンとて、超一流の魔法使いだ。あのエロジジイは、今では髪の毛も枯れ果てて、お腹もどうしようもない位に肥大化してしまい、あんな風だが、昔はとても優秀な魔法使いとして王家で騎士団長として働いていた経験もある超凄腕。今でも王家と密接な関りを持ち、たびたび王様と会っているらしい。それこそ……いつぞやの新聞にも載っていた勇者召喚の儀で、国王の召喚魔法を手伝ったのもシャイモンだったと聞いた事がある。

 勇者召喚の魔法は、一度行うごとに尋常じゃない魔力を使うため、国王と信頼できる貴族の者達でしか執り行う事はできない。そのやり方も極秘のため普通の人間は、そもそもやり方さえ分からないし、一般の人程度の魔力では、不可能なのだ。

 これらの情報は、私がこれまで入所してきたシャイモンに関する情報の中でもかなり信頼できるもの。

 そんな大魔法使いのいる屋敷に乗り込もうとか……嘘でも考えて欲しくない。グラウトを瞬殺したとはいえ屋敷の中には、まだまだシャイモンの忠実な部下達が待ち受けているに決まっている。しかもそれが後、何人いるかは……全く見当がつかない。私の情報網をもってしてもそこまでは、把握しきれていないのだから、おそらく相当な数が屋敷の中に潜んでいるに決まっている。

そんな強大な力を持つ相手に戦いを挑もうなんて無謀すぎる。無事じゃ済まされないに決まってる。

「……これも彼のためよ。そもそも私達みたいな一般の平民が、貴族に反旗を翻そうなんて考えない方がいいに決まってる」

 町を歩きながら、私はそんな事をずっと考え続けていた。しかし、少しして冷静に自分を客観視してみると私の頬が、またしても紅く染まり始めていた事に気付いた。

 それと共に恥ずかしさのようなもどかしい気持ちが心の中に波紋のように広がっていくのが分かり、心臓の鼓動が少しずつ早くなっていく。

「……なっ、なんで…………なんで私が、こんな……。さっき出会ったばかりの人の事を……こんなに……」

 自分の心の鼓動が、早く……早くなっていくのを自覚するたびに頬も紅く、熱くなっていく。やがて、自分が今、ここにいる事そのものが恥ずかしくなってきて、私は両手で顔を隠した。

 ジャンゴと出会ったのは、本当にさっき。今日一日の出来事だ。出会ってからたった数時間程度しか経っていない。

「……そんなのに、どうしてこの私が……。だいたい、何なのよ。アイツ、本当に考えている事がよく分からないんだから! クールな感じを気取って、全然笑ったりもしないし。かと思えば、突然さっきみたいに怒り出すし……ホント、何考えてるんだか訳分からない……。ていうか、仮にも相手はこの辺の領主なのだし……もしも、行かせたらそれこそ、国から追われる事になるのに……そう言う所まで考えているの? アイツは……」

 ふと、頭の中にホテルでの一件が浮かび上がる。シャワー室から出て来て、タオルを一枚巻いただけの格好の私を見てもドキドキしている様子なんて何処にもなかった。それどころか、興味無さそうな感じというか……いや、こっちを見てくれもしない。思い出しただけでムカッとしてくる。

「あの時だって……。ホント、何考えてるのよ……。カッコつけちゃって……」

 モヤモヤした気持ちが頭と胸いっぱいになり、顔を隠していた両手も力を失くして、だらんとぶら下がる。熱い太陽の下、私はボーっと地面を見つめていた。

「……」

「……少し、町を散歩しようかな……」

 そうして、体を180度回転させて、振り返ってからさっき歩いていた道をもう一度歩き始める。

 すぐに先程、ジャンゴと話をしていた酒場の近くに到着したが……既にそこには、ジャンゴの姿はなかった。

「あれ……? アイツ、一体何処に……」

 何処に行ったのか、一瞬だけ気になったりはしたが……探そうとは思わなかった。……って、いやいや、待った待った。訂正訂正。そもそも気になってすらいないもん。

 そっ、それにしても今日は、凄く色々な事があった気がする。ジャンゴと出会って……二度も命の危機を感じた。あの男は、魔法じゃなくて、なんだか変な武器を使って戦うし……。結局、俺のいた世界って一体どこの事なのか……それもよく分からない。基本的にずっとポーカーフェイスだし、ホント……もう……。

 けど……あの男、確かに何処か遠くにいるような感じはする。ここじゃない何処かから来た感じで……心までも遠くにあるように感じる。

「……本当に、何から何まで不思議な人……」

 と、そんな事を思いながら町を真っ直ぐ歩き続けているとその時、ちょうど私は先程、ジャンゴに案内した鍛冶屋の前を通りかかるのだった。先程入ったばかりの店と言う事もあって、ボーっとお店の中を覗いてみようと窓からチラリと見てみると……そこには、見知った男の後姿があった。

「……って、ジャンゴ。こんな所に……」

 私が、お店の中へ入ろうとドアノブへと手を伸ばしたその時だった。たまたま、お店の中にいるジャンゴと鍛冶屋の店主の2人の話し声が、外にいる私の耳元にうっすらと入り込んで来た。

「……お前が、言っていたこの弾丸というやつ……とりあえず、多めに作っておいた」

「ありがとう……。これだけあれば、充分だ」

 私は、外まで聞こえてくる店主とジャンゴの2人の話し声を聞くために壁に耳をつけて中の音を聞こうとする。すると、先程までうっすらとだけ聞こえていたはずの2人の声ももう少し鮮明に耳に入って来るようになった。

「……って、この建物どれだけ壁が薄いのよ……」

 思えば、この建物はかなりやっすい作りで、まるで動物の家畜小屋みたいな薄い木で作られた建物だった事に気付きつつ、私は彼らの話のその先を聞く事にした。

「……お前、あの金持ちのジジイと一触即発あったみたいだな。大丈夫なのか?」

「あぁ……問題ない」

 ――問題、大有りよ……!

 先程、奴隷市場の前で起こった事を思い出しながら私は、ドア越しにイライラして拳をギュッと握りしめ、それから店のドアに向かって思いっきりパンチしようとしかけたけど、やめた。

 私とて、もう大人だ。ここは、落ち着くべき……。落ち着いて最後まで話を聞いてやろうじゃない。一応、命を二度も救ってくれた人だし……そうよ。深呼吸深呼吸。さぁ、続きを喋りなさいな。ジャンゴさん。

 すると店主が、うんうんと頷きながら告げた。

「そうか。まぁ、それなら別に良いが……お前さん、どうしてこの町に来た? ここは、旅人でさえなかなか訪れない人界領の最果て……そんな場所にわざわざ来るなんて、よっぽどの物好きか……あるいは、バカしかいない……」

「……そうだな。まぁ、大した理由はない。ただ旅をしていたら、たまたま辿り着いた。それだけだ……」

 ジャンゴが、そう告げ終わってから数十秒ほどの長い間の後に鍛冶屋の店主は、呆れたもの言いで告げた。

「……だとしたら、お前は馬鹿だな。お前も……あの嬢ちゃんも。こんな所、そんな気軽な気持ちで来て良い場所なんかじゃねぇ……」

「……魔族か?」

 ジャンゴが、そう尋ねると店主は呆れを通り越して大笑いし始めて、彼にこう言った。

「はっ! 魔族? そんなもん怖くなんかねぇよ……。確かに魔族領は、ここから近いし……戦争になれば、この町は焼け野原にされるであろう筆頭候補ナンバー1の土地だ。けどな、そんなんじゃねぇ。案外、魔族なんか……こっちからちょっかい掛けなければ、どうって事ねぇな。……覚えとけよ。カウボーイ、この世界で一番怖いのは、俺達自身さ。俺達人間の方が、どんな魔族やドラゴンよりも怖い。特に自分が望んでいる以上の力を持ってしまった者、与えられてしまった者ってのは、どんなものよりも怖いんだぜ。……シャイモンだって、その1人だ。アイツは、俺達からあらゆるものを奪ってきた。金も……妻も……娘も……全部、あの男に奪われた。恐ろしい奴だぜ。本当に……」

「アンタ……もしかして……」

「良いか? カウボーイ……。これからお前が何をしに行くのか、そんな事は聞かなくても分かってるつもりだ。俺にお前を止める権利はないし、やってくれるってんなら……むしろ、止めない。思いっきりやってこい。だが、これだけは警告してやる。あのシャイモンのジジイを最後まで侮るな。あのハゲは、あれでも物凄い魔法使いだ。魔法の使えないお前さんが……敵うかどうか……」

「忠告ありがとう。それじゃあ、単刀直入に言おう。シャイモンの家が何処にあるのか、それを教えてくれ。俺は、奴を倒さなければならない……」

 ジャンゴが、そう言った次の瞬間、私の体は動き始めていた。先程、抑えていた拳が無意識にお店のドアを思いっきり殴り込んでおり、その殴った勢いと同時にドアが物凄い勢いで開かれる。

「……ダメ!」

 たった数秒もしないうちの動作であったにも関わらず、私は物凄い息切れを起こしていた。心臓の鼓動も物凄い早い。そんな中、突然お店の中に入り込んで来た私の事をまじまじと見つめてくる鍛冶屋の店主とジャンゴに私は、告げた。

「……行っちゃダメよ! 相手は、本当にとんでもない位強くて……しかも私にも分からないくらいの凄い数の傭兵を雇っていて、尚且つ貴族! 全員がかなり手練れの魔法使いで……。屋敷の中に入れたとしても……そもそもシャイモンのいる場所に辿り着けないかもしれないの! そんなのを相手にしたら……返り討ちにされるに決まってる!」


 ジャンゴは、必死に説得をする私の事をじーっと見ているだけだった。しばらく何も言わずにいたが、彼は自分の後ろに立っている鍛冶屋の店主から弾丸を受け取ると、それを棺桶の中に突っ込み、ポケットからお金を何枚か取り出し、店主に渡した。

 そして、一歩だけ前へ歩き出すのと同時に彼は私にこう言ってきた。

「それでも……俺は、行く」

 彼は、不愛想な感じで微笑んだりもせず、素っ気ない無表情といった具合にそう言うと、ドアの前にいる私を避けて、外に出ようとする。

 しかし、彼の引きずる棺桶を咄嗟に避けた私だったが、ジャンゴがお店の中からいなくなる直前に私の心が咄嗟に動いた――。

「このバカバカやろぉ! 危険だって言ってるでしょう! ここに来て一日も経ってないくせに正義のヒーローぶっちゃって……何カッコつけてるの! このバカ! バカバカぁ! どうして、そこまでして戦いに行こうとするの……? あのエロ親父は、この辺りの貴族の領主でもあるのよ! それなのに……もしも、国にバレたら貴方は、大犯罪人よ! 見つかり次第、打ち首! 処刑! 磔刑! ……だから分かったでしょ……。何が貴方をそこまでしようとするの……? 私は、貴方を心配して、ここまで必死に止めてあげてるのに……。だいたい、魔法が使えないって……さっき言われてたじゃない! 最初に会った時から魔力の匂いがしないから、ずっと……もしやと思っていたけど、そんなんじゃ今度こそ貴方死ぬよ!? それでも良いの!?」

 私が、彼の背中を見つめたままそう言い終えると……ドアノブを掴んだままのジャンゴは、何も言わずしばらく立っていたままだった。

 諦めてくれたのか……? 一瞬そうも思ったが、なんだか違っていそうだった……。案の定、彼はしばらくしてから告げた。

「……言われたんだ。助けてって……」

「……は?」

「あの奴隷の女に……助けてって言われたんだ」

 この時、私の脳裏にも薄汚い奴隷の格好をしたマリアの声が蘇って来た。彼女は、シャイモンの飼い犬のように首輪をつけられた姿で、奴隷市場の前で私達と会った時……何かを言っていた。

「……けて……」

 ……なるほど。今改めて思い返してみるとあの時、彼女は確かにそう言っていたのかもしれない。だがしかし――。

「だから行くの?」

 ――バカじゃないの? 相手は、奴隷だよ? 人じゃない……。そんなのの頼みなんて聞く意味は……と、続きを言いそうになったが、やめた。それを言ってしまえば、それでは“ジャンゴ自身の事まで否定する事”になってしまう。それは、私にとって……なんか嫌だった。ジャンゴも本質的には、あの女奴隷と同じ、魔力のない人間で、本当だったら奴隷階級の人間であるはずなのに……。ううん。人だなんて考えてはいけないはずの者達なのだ。

 すると、ジャンゴはさっきよりも少しだけ強い力の籠った声で告げた。

「あぁ。……俺は、元々ここの世界の住人じゃないからな。この世界での当たり前ってのが、よく分からんが……少なくとも、俺のいた世界では奴隷なんていなかった。人間は、皆平等だ。そういう風に教え子達にも教えてきたつもりだ。だから、俺に助けを求めてきたのなら……行ってやるのが年長者のしてやれる事だし、それに帰る場所のない旅人である俺が国から追われる事になろうが……別に大した問題じゃねぇよ。」

「意味が分からない! 俺のいた世界って……貴方、何処の出身よ!」

「日本。……東京都東村山市栄町」

「は? トーキョー? 何処?」

 ほんっっとうに……今さっき言っていた言葉は、何1つ私の耳には届かなかった。まるで、別の言語で話しかけているみたいだ。

 すると、混乱する私にジャンゴは、視線だけ向けた状態で背中を見せながら告げた。

「ずっと遠くの……この世界の果ての果てに……あるかもしれない場所だ」

「……え?」

 果ての果てって……そんな遠くの場所……海外って事なのか? 大陸を超えて、海を渡った向こうと言いたいのか……はたまた違う。もっと別の場所を指しているのか。私には、何となく後者のように聞こえる。

「もう帰る事もできない場所だ。そんな所の事なんか……思い出しても仕方ない。それよりも……俺は、今いるこの世界で自分がしようと思った事をやるまでさ。気に入らないものは、貴族だろうが……王族だろうが、ぶっ潰す。そして、あのマリアという女は、美しかった。だから行く。……行きたい。それだけだ」

「……」

「どうせ、死にぞこないの……”既に死んだも同然の家無し子”だ。今度こそ処刑して貰えるんなら喜んで打ち首になるぜ」

「……」

 何も……言い返せなくなっていた。どうしてだか、この男の言う事には説得力のようなものがあった。打ち首にされる事を心の何処かで望んでいるようにも聞こえるが、しかしそれだけじゃない。シャイモンを殺したいという殺意も彼からは伝わって来る。

 ――カッコいいけど……でもアンタって、そういうの言うタイプじゃないと思ってたんだけど……。解釈違いって言うか……。ちゃんと、そこの所は人間臭いというか、やっぱり男なのね……。綺麗な女だから助けたい、か……。私のお風呂上りには、ピクリとも反応しなかったくせに……もう……。

 しかし、悪くない。悪い気分には、ならない。むしろ、やっぱりカッコいいって……思った。そうやって見ず知らずの……しかも一瞬しか出会ってない“奴隷”に手を差し伸べようとする所が、素敵だなと思った。

 同時に、彼の背中からとても力強い何かを感じた。「気に入らないものは、ぶっ潰す」この言葉は、何処か響くものがあった。そして、それを言えるだけの説得力のようなものが、この男にはあるんだと直感的に分かった。

 ――殺しにいくつもりなんだ。本気で……。あのクソ領主のシャイモンを……。それが、どれだけ危険な事だと分かっていても……。

 覚悟は、伝わって来た。「何がなんでもぶっ潰してやるのだ」という覚悟が。だから、私は深呼吸をしてから口を開いた。

「……分かった。私の負けよ。良いわ……。教えてあげるわよ。あのエロジジイの屋敷の場所と……構造を……。ただし……」


 ――To be continued.

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