聖女マリア編④

 フォルクエイヤの町を出て、少し進んだ所には広大な畑が広がっている。麦やとうもろこしなどの作物を育てている農家やの人々が、この町の近くのあちこちに住んでいて、彼らがそれぞれ自分の土地を領主であるシャイモンから受け取り、畑を耕している。農民たちは、町へ自分の作った作物を送る事によってフォルクエイヤの町の人々は、日々ご飯を食べる事ができている。

 そんな町の食糧庫たる畑の広がる地域を進んだ先に大きな豪邸があった。大きな庭に噴水があって、美しい花々と新鮮な緑色をした葉が、あちらこちらに広がるガーデン。そして、その奥に白塗りの豪邸は存在した。周りを大きな赤いレンガで囲んだその豪邸には、この町一の大金持ちであり、大地主でもあるシャイモンという年寄りのお爺さんが住んでいた。シャイモンは、偉大な魔法使いであり、貴族としての位も高い。尊敬すべき人なのだ。

 しかし、その裏では大の女好きで、裏では気に入らない者を“ゲーム”と称して殺しまくる残虐非道な人間だった。

 そんなシャイモンは現在、馬車に乗っていた。まだかまだか……と無事に家に着く事を祈りつつ、とても焦った様子で、馬車の窓をチラチラ見て、そわそわしていた。

彼の隣ではフォルクエイヤの裏路地で奴隷を売っていた商人の男が1人乗っており、彼もまたシャイモンと同じように落ち着かない様子だ。商人なのに、貧乏ゆすりをし続けていた。彼らは2人とも溜息をつきながら座っていた。

 シャイモンが、手に持った鎖を右手で内出血してしまうくらい強く握りしめて、とうとう怒りだす。

「……ええい! まだつかぬのか!」

 彼は、窓を開けて馬車を運転している自分の部下達に文句をたれる。すると、外で馬車を動かしているボディガードの男が、申し訳なさそうに告げる。

「……もっ、もうそろそろお屋敷でございます! だいぶ見えてきましたよ!」

 シャイモンは、強く舌打ちをして、窓をバタンと大きな音をたてて閉める。とてもイライラしていた。彼の隣に座っていた奴隷商人も先程までは、彼と同じようにイライラした様子で貧乏ゆすりをしていたのに、シャイモンの怒った姿を見て、怖くなったのか足の動きを止める。

商人は、シャイモンのイライラした様子に怯えた様子で、とてもビクビクしていた。

「……あの男……。頬っぺたに傷を負ったあの男め……。わけの分からぬモノを棺桶から取り出して……いきなりワシの兵隊を……あのグラウトまでを撃ち殺してしまうとは……。貧乏人のくせに、しかも魔法を使わないであんな変なものに頼ってくるとは小癪な……」

 シャイモンが鎖をギュッと握りしめると、それに便乗して、首輪を取り付けられていた私の首元が急激に苦しくなる。

更にシャイモンが、鎖を軽く引っ張りだすと、首輪のとりつけられたほとんど真っ裸の状態で、彼の向かいに座っていた私は、顔を前に突き出した。

ボロ雑巾のような布切れ一枚をお風呂上がりのバスタオルのように体に巻き付けた奴隷である私は……もうじき到着予定の大きな豪邸を窓から覗いて見つめながら……自分の手首につけられた手錠に触れて俯いた。

 私は現在、奴隷だ。奴隷の身分となっている。手首、足首には、錠がつけられていて、首にもチョーカーがつけられている。着ている服もボロ雑巾のような布一枚で、お風呂にだって、もう1、2週間ほど入っていない。そのせいか、自分の周りが物凄く匂う。自分がこれまで経験した事もないような悪臭だ。

 ……そんな私も1、2週間前までは、今とは真逆に毎日お風呂に入っていた。もっと言うなら1、2週間前まで手錠もチョーカーもそう言ったものは、何もつけていなかったし、服だってしっかりしたものを持っていた。食事も1、2週間前までは、もう少しまともな食べ物を食べていた。この名前だって、奴隷として買われるために商人につけられたのではなく、私は、生まれた時から「マリア」という名前を神から頂いていたのだ。決して、奴隷としての名前なんかじゃない。

 私は、窓の外をぼんやり眺めながら自分が今日ここに至るまでに歩んできた自らの過去を思い出していた。

1、2週間前まで、北部の大都市で暮らしていた。私は、とある小さな教会で修道女として慎ましく生活していた。毎日、神に祈りを捧げ、世界平和や恵まれない人々への救済を祈り続けていた。

そんな私は、昔から癒しの魔法を得意としていた。あらゆる人々の病気や怪我を治療できる便利な魔法だ。生まれた時からこの魔法で様々な人達を助けていた私は、成長して修道女になった頃、町の人々からは「聖女」と呼ばれるようになった。

 「治癒の聖女がいる」という噂は、一気に町中へ広まっていき、様々な人々が私に助けを求めて教会へ来るようになった。私は、ただひたすら人々の治療と祈りに専念した。それが、神のお導きだと考えたからだ。

神が私に癒しの力を与えて下さったのは、きっと私が「聖女マリア」として人々を癒してあげるためなのだ。そうする事で、人々は救済されて健やかな未来が待っている……その先に皆の願う幸せがあると私は、思っていた。

 所がある時、私は何者かに突然、拉致されてしまった。気づいた時には……知らない男の前で手足を縄で結び付けられて、身動きが取れない状態。口元も喋れないように塞がれてしまい、正真正銘……何もできなくされていた。

男は、どうやら奴隷商人のようで、私が目覚めたその場所では、老若男女様々な奴隷たちが丸裸にされた状態で棒立ちになっていた。商人の男は、時々奴隷たちに八つ当たりするかの如く、鞭を振るって叩いていた。

 そんな男に……私は、無理やり服を脱がされ……丸裸にされて……体中に泥を塗ったくられた。彼らは、私に「小綺麗な状態では、売りにも出せない」と言って、私の体中に泥を塗り、そして……初めて……人生で初めて……私は、最低な思い出を……あの大きなものに私の口は、刻み込まれた。

 しかし、彼らは私の事を決して犯したりはしなかった。……何故かそれだけは、絶対にしなかった。それもこれも……どうやら今、私の目の前に座っているこの男――シャイモンの命令があったかららしい。

 どうやら、私はこのフォルクエイヤの貴族の領主であるシャイモンに、かなり前から目をつけられていて……そして、この男のものになるべく……奴隷商人達に賄賂を渡して、拉致させ……そして、シャイモンの慰みモノとして売り飛ばされる羽目になったみたいだった。

 そのため、シャイモンは「初めてヴァージンだけは残しておけ」と商人達に命令を下していたようだった。

 全ては……私を買いに来たあの瞬間……シャイモンが商人から私を買いに来た時、彼が商人の男に言っていた言葉を聞いて全てを理解した。

「……約束通り、貴様らの薄汚いブツでこの女の中を汚したりは、しておるまいな?」

 商人達は、当然頭を下げつつもヘラヘラと笑いながら、はっきりと否定していた。彼らの言う通り、私はここ1、2週間の間中、変な事は何度もされたが、汚されてはいなかった。シャイモンも商人と私の目を見て、その事を察知し彼は、喜んで私を購入。その際に、商人の男にも後で屋敷に来るようにと告げていた。

 ……そんなこんなで一晩にして私は、身分も人としての人生も尊厳も……それから、女として守らねばならないものも……何もかもを失った。これから更に失う。

 失って……失って……失って……私は、奴隷になって……そして、気づいたら……シャイモンの下僕になっていたのだ。

 ――私の人生……神を信じて……自分や町の皆の事を真剣に考えて、なるべく皆が天にいけるように導いていた。頑張って修道女として、聖女として日々の責務を全うしていた……はずなのに私の人生は、結局何1つ報われませんでした……。

 この目の前に座っているシャイモンという……私の両親よりも年上の男に人生の全てを奪われた。今、目の前に見えているあの大きなお屋敷も……とても綺麗だというのに……まるで、それは地獄のようにしか見えない。

 ――そんな私にも、1つだけ願いがあった。それは、神を信じる聖職者としては、良い事ではないかもしれない。しかし……できれば私も、1人の女として恋をしてみたかった。そう、思うのです……。それが、幼い頃からの切実な願いだった。

 ふと、そんな私の脳裏にうっすら……1人の男性の姿が目に浮かんでくる。顔に傷を負い、棺桶を引きずりながら奇怪な武器でシャイモンの手下の魔法使い達を蹴散らす……あの男。名前は……ジャン……なんとか。

今更だけど、名前をちゃんと覚えておけばよかった。しかし、奴隷市場で私を見つけてくれた時……彼と目が合った時、私の心が少し跳ねた感覚を覚えたのを今でも覚えている。あれは、一体何なのだろう。あの気持ちは……。

 つい、うっかり「助けて……」などと言ってしまったが、あの男性は……まだ私の事を覚えていてくれているのだろうか? それが気になる。彼は、あの戦いの後も私の事を助けに来て来ようと……いいや、そんな都合のいい話は……流石にないか。

彼には、もう会えるかも分からないのに……。あの男性の事が、私は……気になって気になって仕方がない。

 しかし今、聖職者でなくなってしまったからこそ思える事だけれども、神というのは本当に残酷な事をする。……もう自分は、お嫁どころか一生誰とも結ばれる事ができない。それなのに……最後の最後に出会ったあの男性の事が頭から離れない。それも、むしろ忘れようとすればするほど、鮮明に思い起こされていって、次第に胸の鼓動も速さを増していくばっかりなんだ。

 あぁ……地獄の門が……シャイモンの屋敷の門が開く……もう私は、逃げられないのだろうか……。最後にあの方ともう一度会って、今度はお話をしてみたかったな……。


                  *


 シャイモンの配下の魔法使い達との戦いの後、私=シーフェとジャンゴは再び酒場に戻って来ていた。先程までビリィ達に荒らされて客も店主も姿を消していたはずのお店の中は、いつの間にか人気が戻ってきていて、まるで何事もなかったかのように通常営業をしていた。

 私が、グラスを拭く店主の元に姿を現すと、マスターは、私の顔を見るなり驚いた様子で、またしても手に持っていたウイスキーグラスをポロっと床に落としていた。

「……えーっと、落としたよ? ひっ、拾いなよ……」

「あっ、あぁ……うん」

 先程のビリィとのいざこざがあったせいか、お互いにどうしようもなく喋りづらい雰囲気だった。何となく気まずい……。店主の方も私に何か言いたげな様子だったが、どうも口をモゴモゴさせていて、よく分からない。

次第に私達は、気まずさのあまり話をしようとする事をやめた。私はミルクを一瓶頼んだ後、すぐにお店を出ていき、瓶の蓋を開けながらウエスタンドアを勢いよく開け放った。

 ――外に出ると、酒場の入口の傍に立つ柱の傍では、外を見渡しながら煙草を吸うジャンゴの姿があった。私は、彼の傍まで歩いて行き、ミルクの瓶を開けて口につけた。

 半分ほど飲み終わった所で一度、私は牛乳の瓶から口を離して一息ついた。すると、ちょうど煙草を吸い終わったジャンゴが抑揚のない低い声で告げてきた。

「……口の周りが白いぞ」

「……へ!?」

 自分でもびっくりした。今までこんな甲高い声を出した事なんてなかった。急に恥ずかしくなった私は、口の周りを自分の手でゴシゴシ拭き、しばらくの間ずっと固まっていた。

「……」

 どうしたのか? たかだか、口の周りに牛乳をつけてしまった程度でこんな恥ずかしいと思うなんて……。今までこんな事は、一度もなかったのに……。気のせいなのか、頬っぺたが少し熱い気がする。

 ――いや、だって……さっきだって、牛乳飲んだ時は、口の周り白かったはずだし……それなのに、どうして……。ていうか、なんでさっきまで何も言ってこなかったのに、今になって突然、指摘してくるのさ……。

 と、あれこれ思っていると、その時だった。ちょうど私達が立っている目の前、酒場の正面に見えるお墓を作っているお店。――小さな掘立小屋のような見た目をしたボロボロの木造建築で、大きな木製の十字架や安っぽい木材で作られた棺桶の数々が、お店の前のあちこちに置かれている。

 お店の正面では、釘を打って十字架を作っている背の小さなお爺さんの姿があり、彼の元に5人の様々な年齢層の女達が集まって来て、彼女達が十字架を作っている店主に話しかけている。

 女達は皆、目から涙を流し……悲しそうに、そして寂しそうに……店主のお爺ちゃんに一言だけ告げるのだった。

「……お墓を1つ、用意して……。それから、埋葬もお願いね……」

 女は、目から涙を流して鼻水を啜りながら苦しそうな声でそう告げると、彼女の周りにいた他の女達も次々と店主に告げる。

「……私もお願いします」

「私も……」

「私は、2つよ……」

 彼女達が全員そう告げ終わると店主は、釘打ちをやめて女達の立っている方に視線を移し、そして告げた。

「……全員、夫か?」

「はい……」

 女達が次々と返事を返す中、1人だけ激しく泣き出す女性がいた。彼女は、その場で泣き崩れて店主に自らの気持ちを訴える。その言葉には、強烈な重みと悲しみが感じられる。

「私は……私は、息子もよ! 息子も……夫も……あの男に殺されたのよ! あの……金持ちのクソ野郎のせいで! 殺したい……殺してやりたい……殺してやりたいのに……何も。私は、何もできない……」

 泣き崩れる女に他の4人の女性達が、手を差し伸べて背中を擦ってあげる。そして、ゆっくりと背中を支えてあげながら立たせてあげると彼女達は、そのまま歩いて……お店から離れて行った。

 たまたま、そんな光景を見てしまった私とジャンゴは、しばらく固まってしまった。彼は、煙草をポイっと捨てると私に尋ねた。

「……今のは?」

 私は、ため息交じりに自分達以外の他の誰にも聞かれないように周りに配慮しながら小さな声でボソボソと呟くように説明をした。

「さっき窓から見たでしょう? シャイモンのゲームを……。あれで、殺されてしまった男達の妻や……それに母親なんかが、あぁやってお墓を買いに来るのよ。この町では、よくある事。みたいね……」

「……そうか」

 二度見してしまった。ジャンゴの返事があまりにも冷たく感じて……私は、ついうっかり二度見をしてしまった。あんな悲惨なものを見て……いつもと変わらない調子で返事ができる彼を疑った。あまりにも冷たすぎる。そんな風に思ったのだ。

 しかし2回目に私が見た時、ジャンゴの横顔は、自分が思っていた冷たく突き放すようなのとは違った。いつものような抑揚がなくて、何を考えているのか分からないクールな感じは、声だけで。その内面は、違った。熱くて、燃え盛っている……それ以上に力強かった。否、怒っている事がすぐに分かった。その目は、酒場でビリィ達を殺した時の……いや、それ以上の“殺意”を持っており、そして普段は、何も感じず匂わない無味無臭の男から……この時は、強い殺意を目と鼻と心で感じた。それは、人間誰しもが感じ取る事のできる魔力なんかよりも色濃く……彼の体からまるで、太陽の熱気のように「殺意」が溢れ出ていた。

 しばらくすると、彼は墓を売る店を見つめたまま私に告げてきた。

「……シーフェ、お前……いくら出せば働いてくれる?」

「え? 働くって……」

「情報屋だろ? いくらで、仕事を引き受けるか、おおよその相場が知りたい……」

「……もしかして、アンタ?」

「……」

 ジャンゴは、何も答えなかったが……私には分かった。彼が今から何をしようとしているのか、彼の気持ちや考えている事が、すぐに分かった……。墓屋から遠ざかっていく未亡人達を強く見つめている所から、私の予想は間違いないと言う事も伝わって来た。

しかしだからこそ私は、言ってやった。

「……アンタみたいなよく分からない人に売る情報なんて1つもないわ! もしも、私から情報を買いたいと思っているのなら……もう少し男を磨いてくると良いわ!」

 そう言って……私は、牛乳瓶の中に残っていた牛乳を全て一気に飲み干すと、瓶を地面に叩き落し、すぐにその場から早歩きでいなくなる事にした。まるで、それは彼から逃げ出そうとしているみたいに。

「……」

 ――これ以上、アイツに危険な事はさせたくない。そのためには、ここは私が身を引かないとこの男は、ここからどんどん……この町の事に首を突っ込んで行きそうで、私はそれが……。けど……なのに、どうして……私は、あんな言い方を……。

 後になってから、そんな思いが……私の心の中をいっぱいにした。

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