聖女マリア編④

 フォルクエイヤの町を出て、少し進んだ所には広大な畑が広がっている。麦やとうもろこしなどの作物を育てている農家の人々が、この町の近くのあちこちに住んでいて、彼らが町へ自分の作った作物を送る事によってフォルクエイヤの町の人々は、日々ご飯を食べる事ができている。


 そんな町の食糧庫たる畑の広がる地域を進んだ先に大きな豪邸があった。大きな庭に噴水があって、美しい花々と新鮮な緑色をした葉が、あちらこちらに広がるガーデン。そして、その奥に白い豪邸は存在した。周りを大きなレンガで囲んだその豪邸には、この町一の大金持ちであり、大地主でもあるシャイモンという年寄りのお爺さんが住んでいた。



 そんなシャイモンは現在、馬車に乗っており、まだかまだか……と無事に家に着く事を祈っていた。彼の隣ではフォルクエイヤの裏路地で奴隷を売っていた商人の男が1人乗っており、彼らは2人とも落ち着かない様子で座っていた。


 シャイモンが、手に持った鎖を右手で内出血してしまうくらい強く握りしめて、怒りだす。


「……ええい! まだつかぬのか!」


 すると、外で馬車を動かしているボディガードの男が、申し訳なさそうに告げる。



「……もっ、もうそろそろお屋敷でございます! だいぶ見えてきましたよ!」


 シャイモンは、強く舌打ちをして、とてもイライラしていた。彼の隣に座っていた奴隷商人もシャイモンのイライラした様子に怯えた様子で、とてもビクビクしていた。



「……あの男……。わけの分からぬモノを棺桶から取り出して……いきなりワシの兵隊を……グラウトを撃ち殺してしまうとは……。貧乏人のくせに小癪な……」



 シャイモンが鎖をギュッと握りしめて、軽く引っ張ると、彼の向かいに座り、鎖のとりつけられた奴隷である私は……もうじき到着予定の大きな豪邸を窓から覗いて見つめながら……自分の手首につけられた手錠に触れて俯いた。



 私は現在、奴隷だ。奴隷の身分となっている。手首、足首には、錠がつけられていて、首にもチョーカーがつけられている。着ている服もボロ雑巾のような布一枚で、お風呂にだって、もう1、2週間ほど入っていない。


 ……逆に1、2週間前までは、毎日お風呂に入っていた。もっと言うなら1、2週間前まで手錠もチョーカーもそう言ったものは、何もつけていなかったし、服だってしっかりしたものを持っていた。食事も1、2週間前までは、もう少しまともな食べ物を食べていた。この名前だって、マリアという名前を神から頂いた。奴隷としての名前なんかじゃない。



 私は、窓の外をぼんやり眺めながら過去の事を思い出していた。



 1、2週間前まで、北部の大都市で暮らしていた。とある小さな教会で修道女として慎ましく生活していた私は、昔から癒しの魔法を得意としていた。あらゆる人々の病気や怪我を治療できるので町の人々からは「聖女」と呼ばれるようになった。


 噂は、一気に広まっていき、様々な人々が私に助けを求めて教会へ来るようになった。私は、ただひたすら人々の治療に専念した。それが、神のお導きだと考えたからだ。神が私に癒しの力を与えて下さったのは、きっと「聖女マリア」として人々を癒してあげるためなのだ。……その先に皆の願う幸せがあると私は、思っていた。


 所がある時、私は何者かに突然、捕まってしまった。気づいた時には……知らない男の前で手足を縄で結び付けられて、身動きが取れない状態。口元も喋れないように塞がれてしまい、正真正銘……何もできない状態。男は、どうやら奴隷商人のようで、私が目覚めたその場所では、男女様々な奴隷たちが丸裸にされた状態で棒立ちになっていた。


 そんな男に……私は、無理やり服を脱がされ……丸裸にされて……体中に泥を塗ったくられた。彼らは、私に「小綺麗な状態では、売りにも出せない」と言って、私の体中に泥を塗り、そして……初めて……人生で初めて……私は、最低な思い出を……あの大きなものに刻み込まれた。



 しかし、彼らは私の事を犯したりはしなかった。……何故かそれだけは、絶対にしなかった。それもこれも……どうやら今、私の目の前に座っているこの男――シャイモンの命令があったかららしい。


 どうやら、私はこのフォルクエイヤの貴族の領主であるシャイモンに、かなり前から目をつけられていて……そして、この男のものになるべく……奴隷商人達に賄賂を渡して、拉致させ……そして、シャイモンの慰みモノとして売り飛ばされる羽目になったみたいだった。


 そのため、シャイモンは「初めてヴァージンだけは残しておけ」と商人達に命令を下したのだった。


 全ては……私を買いに来たあの瞬間に……全てを理解した。



 そんなこんなで、一晩にして私は身分も人としての人生も……それから、女として守らねばならないものも……何もかもを失った。



 失って……失って……失って……私は、奴隷になって……そして、気づいたら……シャイモンの下僕になっていたのだ。



 私の人生……神を信じて……自分や町の皆の事を真剣に考えて、なるべく天にいけるように頑張っていた……はずなのに、私の人生は報われませんでした……。



 この目の前に座っているシャイモンに人生の全てを奪われた。今、目の前に見えているあの大きなお屋敷も……とても綺麗だというのに……まるで、それは地獄のようにしか見えない。



 できれば……神を信じる聖職者としては、良い事ではないかもしれないが……私は、恋をしてみたかった。そう、思うのです……。


 うっすら……1人の男性の姿が目に浮かんでくる。顔に傷を負い……棺桶を引きずりながら奇怪な武器でシャイモンの手下の魔法使い達を蹴散らす……あの男。名前は……ジャン……ちゃんとは覚えていなかった。しかし、奴隷市場で私を見つけた時……彼と目が合った時、私の心が少し跳ねた感覚を覚えたのを今でも覚えている。


 つい、うっかり「助けて……」などと言ってしまったが、あの男性は……まだ私の事を覚えていてくれているのだろうか? それが気になる。もう会えるかも分からないのに……あの男性の事が……私は……気になって気になって仕方がない。



 神というのは、残酷な事をする。……もう自分は、お嫁どころか……一生誰とも結ばれる事ができないというのに……最後の最後に出会ったあの男性の事が頭から離れない。



 あぁ……地獄の門が……シャイモンの屋敷の門が開く……もう私は、逃げられないのだろうか……。




                  *


 シャイモンの配下の魔法使い達との戦いの後、私=シーフェとジャンゴは再び酒場に戻って来ていた。先程までビリィ達に荒らされて客も店主も姿を消していたはずのお店の中は、いつの間にか人気が戻ってきていて、まるで何事もなかったかのように通常営業をしていた。


 私が、グラスを拭く店主の元に姿を現すと、マスターは、私の顔を見るなり驚いた様子で、またしても手に持っていたウイスキーグラスをポロっと床に落としていた。



「……えーっと、落としたよ? ひっ、拾いなよ……」



「あっ、あぁ……うん」



 何となく気まずい……。気まずさのあまり、私はミルクを一瓶頼んだ後、すぐにお店を出る事にした。



 外に出ると、酒場の入口の傍に立つ柱の傍では、外を見渡しながら煙草を吸うジャンゴの姿があった。私は、彼の傍まで歩いて行き、ミルクの瓶を開けて口につけた。



 半分ほど飲み終わった所で一度、私は牛乳の瓶から口を離して一息ついた。すると、ちょうど煙草を吸い終わったジャンゴが抑揚のない声で告げてきた。



「……口の周りが白いぞ」


「……へ!?」


 自分でもびっくりした。今までこんな甲高い声を出した事なんてなかった。急に恥ずかしくなった私は、口の周りを自分の手でゴシゴシ拭き、しばらくの間ずっと固まっていた。




「……」


 どうしたのか? たかだか、口の周りに牛乳をつけてしまった程度でこんな恥ずかしいと思うなんて……。今までこんな事は、一度もなかったのに……。気のせいなのか、頬っぺたが少し熱い気がする。



 と、その時だった。ちょうど私達が立っている目の前、酒場の正面に見える墓を作るお店。――小さな掘立小屋のような見た目をしたボロボロの木造建築で、大きな木製の十字架や安っぽい木材で作られた棺桶の数々が、お店の前のあちこちに置かれている。


 お店の正面では、釘を打って十字架を作る背の小さなお爺さんの姿があり、彼の元に5人の女達が集まって来て、彼女達が十字架を作っている店主に話しかけている。


 女達は皆、目から涙を流し……悲しそうに、そして寂しそうに……店主のお爺ちゃんに一言だけ告げるのだった。



「……お墓を1つ、用意して……。それから、埋葬もお願いね……」


 女は、目から涙を流して鼻水を啜りながら苦しそうな声でそう告げると、彼女の周りにいた他の女達も次々と店主に告げる。



「……私もお願いします」


「私も……」


「私は、2つよ……」


 彼女達が全員そう告げ終わると店主は、女達の立っている方に視線を移し、そして告げた。



「……全員、夫か?」


「はい……」


 女達が次々と返事を返す中、1人だけ激しく泣き出す女性がいた。彼女は、その場で泣き崩れて店主に訴えるように告げた。



「私は……私は、息子もよ! 息子も……夫も……あの男に殺されたのよ! あの……金持ちのクソ野郎のせいで! 殺したい……殺してやりたい……」


 泣き崩れる女に他の4人の女性達が、手を差し伸べて背中を擦ってあげる。そして、立たせてあげると彼女達は、そのまま歩いて……お店から離れて行った。



 たまたま、そんな光景を見てしまった私とジャンゴは、しばらく固まってしまった。彼は、煙草をポイっと捨てると私に尋ねた。



「……今のは?」


 私は、ため息交じりに自分達以外の他の誰にも聞かれないように小さな声でボソボソと呟くように説明をした。


「さっき窓から見たでしょう? シャイモンのゲームを……。あれで、殺されてしまった男達の妻や……それに母親なんかが、あぁやってお墓を買いに来るのよ。この町では、よくある事。みたいね……」



「……そうか」


 二度見してしまった。ジャンゴの返事があまりにも冷たく感じて……私は、ついうっかり二度見をしてしまった。あんな悲惨なものを見て……いつもと変わらない調子で返事ができる彼を疑った。あまりにも冷たすぎる。そんな風に思ったのだ。



 しかしこの時、私が見たジャンゴの横顔は、思っていたのとは違った。いつものような抑揚がなくて、何を考えているのか分からないクールな感じではなく……それ以上に力強かった。否、怒っている事がすぐに分かった。その目は、酒場でビリィ達を殺した時の……いや、それ以上の殺意を持っており、そして普段は、何も感じない。無味無臭の男から……この時は、強い殺意を感じた。それは、人間誰しもが感じ取る事のできる魔力よりも色濃く……彼の体から「殺意」が溢れ出ていた。



 しばらくすると、彼は墓を売る店を見つめたまま私に告げてきた。



「……シーフェ、お前……いくら出せば働いてくれる?」



「え? 働くって……」



「情報屋だろ? いくらで、仕事を引き受けるか、おおよその相場が知りたい……」



「……もしかして、アンタ?」


「……」


 ジャンゴは、何も答えなかったが……私には分かった。彼が今から何をしようとしているのかが……。だからこそ私は、言ってやった。




「……アンタみたいなよく分からない人に売る情報なんて1つもないわ! もしも、私から情報を買いたいと思っているのなら……もう少し男を磨いてくると良いわ!」



 そう言って……私は、牛乳瓶の中に残っていた牛乳を全て一気に飲み干すと、瓶を地面に叩き落し、すぐにその場から早歩きでいなくなる事にした。



「……」


 ――これ以上、アイツに危険な事はさせられない。……なのに、どうして……あんな言い方……。


 後になってから、そんな思いが……私の心の中をいっぱいにした。

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