後日譚
地獄というのは、炎と闇の世界だと教会にいた頃に教わった。それは、死後に人の魂が行くとされる場所で、生きている人間がその場所に足を踏み入れる事は、決してないと幼い頃、様々な本に描かれた地獄の姿を見たものだ。
――しかし今、私は地獄という存在を目の当たりにしていた。
私を奴隷の身分へ落とし、ここまで連れてきた貴族の男シャイモン。その彼の家が今、燃えていた。今、私の隣にいる棺桶を引きずる男……ジャンゴとシャイモンの戦いが終わった後、屋敷は炎に包まれて……私達は、ギリギリ屋敷から出る事ができたが、外から見たシャイモン邸の炎に包まれたその様子は、まさに本で見た地獄そのものだった。
さっきまであの場所で……地獄の大魔王に仕える事になりそうだった自分の事が、少し嫌いになった。だが、今はそんな事を考えている暇はない。
私とジャンゴは、燃える屋敷を出て……少し歩いた先に見える川の傍で焚火をし、そしてジャンゴの傷を私は癒してあげるのだった。
私の得意な魔法は、癒しの魔法。どんな生物であろうとモノであろうと……その傷や病を治す事ができる。私は、彼の太ももと肩、それからボロボロになってしまった両手に何度も何度も癒しの魔法を施して、治療にあたった。戦いで服もボロボロだった彼は、上半身を全て脱いでおり、苦しそうに焚火の傍で横になっていた。
夜の闇も深くなってきた頃、私は治療を終えた。
「こっ、これで一応、傷は全て塞がりました……」
「ありがとう……」
横になったまま彼は、空に浮かぶ月を眺めていた。しばらくの間、彼は何も言わず月を見つめてボーっとしており、少し気まずい空気が私達の間を流れた気がした。
「……あっ、あの……その……助けてくれてありがとう……ございます」
ここへ来るまで片足が上がらず、引きずっていたジャンゴを必死に支えてあげたり、治療したりと忙しかったせいで、伝えられていなかった事をようやく伝えられた。
けれど、私が意を決してようやく伝えられた思いだというのに……肝心のジャンゴは、空を眺めたまま……素っ気ない返事を返すだけだった。
「……あぁ」
途端に、恥ずかしさともどかしさが同時に心の中を埋めつくして、何も喋れなくなってしまう。
彼の傍で座っていた私は、彼と同じく空に浮かぶ月を眺めてみたりなんかして……この時間を過ごしてみる事にした……。
すると、ちょっと経ってからジャンゴは口を開いた。
「……君こそ、治してくれてありがとう。痛みもすっかり引いた。本当に感謝するよ……」
「……いっ、いえ! 命を助けてくれたんです。……こっ、これ位は……普通です……」
緊張する……。話さないとアタフタしてしまうし……話すとドキドキする。この人の前では、何をしていても、心がバタバタ動き回ってるみたいだ。
――また、少し間が空いてからジャンゴが話しかけてきた。
「……それだけ素晴らしい魔法があるのに……どうして奴隷なんかに? この世界じゃ、奴隷は魔法が使えない奴がなるものだろう?」
「それは……」
私は、自分の身に起きた出来事を話した。王都で修道女だった事。攫われた事……それから、シャイモンの奴隷にされてしまった事……。全てを打ち明けた。同じ月を見つめながら……。
ジャンゴは、黙って私の話を聞いてくれた。彼は、決して途中で口を挟んだりはしなかった。ただ、黙って時々頷いたりしながら……私の話をゆっくり聞いてくれた。
「……それで、西部まで来て……あの男の屋敷に連れてこられたというわけで……」
「……そうか。大変だったな」
「いえ……そんな……。結果的に……あの状況になって私は、一度神を裏切ってあの男のモノになろうとしました。あれは……試練だったんです。私は……それに負けてしまった。所詮、その程度の人間だったのだと思います……。神もそれを初めから見抜いていたから、だから私はこんな所へまで追放されてしまったのだと思います」
追放……。まさにその言葉がふさわしかった。自分のような人間が、これ以上教会にいても他の修道女の子達に迷惑だったはずだ。……きっと、そうに違いない。
「そんな事は、ないと思うぞ……」
しかし、ジャンゴがかけてくれた言葉は、違った。
「……え?」
これまでボーっと空を眺めているだけのジャンゴが、今度は突然話をし始めた。
「……君は、凄くよくやっていたと思う。……少なくとも俺が君なら、町の人達のために自分の癒しの力を使いまくるなんていう行為は、できない。だから君は……凄い女だと思うぞ」
初めてそんな事を言われた。私が……凄い? 私なんて……ただの修道女で……人に褒められた事なんて一度もなかった。
だから、彼がそう言ってくれたのが私は、とても嬉しかった。
「優しいのですね……。ジャンゴは……」
「優しくなんかない。……俺は、何もないだけさ」
「え?」
「いきなり、知らない世界に連れてこられて……誰も助けてくれなくて……ただ、生きるしかなくて……俺は、君と違って何もない。何も持っていない。……だから、持っている君が絶望するのはおかしいって……そう思っただけだ」
その瞳には、悲しみが映っていた。虚ろで……虚しい顔。……だから、私は――。
「……話してくれますか? 貴方の事を……」
ジャンゴは、しばらくポカーンと私の事を見つめているだけだった。まるで、信じられないという顔だったが、私はそんな彼に微笑んで告げた。
「……これでも私、教会で懺悔を聞いてあげたりもしてたんですよ? 悩みを聞くのは、得意です!」
ジャンゴは、少しだけ笑って……それから、しばらくしてから口を開いた。
「……。今からもう……何年も前になるのか? それは、分からない。数えてないからな。昔、俺は……」
ジャンゴも私と同じく……自分のこれまであった事を全て話した。初めて聞く彼の事……こことは違う別の世界に元々住んでいた事。その世界での生活がうまくいっていなかった事。ある日突如、勇者として召喚されたはずなのに魔力がないという理由で追放された事。殺されかけた事。それから……あてもなく荒野を彷徨い続けた事。……そして、現在に至るまで。彼は、全てを私に懺悔してくれた。
全て話し終わった後で彼は、言った。
「……あちこちを旅していくうちに俺は……この世界も前の世界と同じように歪んでいて、間違いだらけである事を知った。だから、銃の腕を上げて……俺は、この世界の許せないものを撃とうと心に決めた……。早撃ちを極めていくうちに俺は、魔法よりも早く攻撃する実力を手にした。けど、そうやって力を手にした事で、段々俺は……この世界で”血染めのサム”とかいう名前をつけられるようになった……。それを隠すために自らを
「そうですか……。貴方は、ずっとそんな……辛い旅を続けて来て……」
「ジャンゴなんて名前……俺みたいな人間には、似合わねぇのにさ。血染めのサムだって……。でも、この世界の人達は、俺の名前なんて誰も知らないし、誰も……俺の名前をちゃんと呼んじゃくれない」
「……」
――名前をちゃんと呼んでくれないか……。私は、ふと教会にいた頃の事を思い出す。人々は皆、私の事を「聖女様」「聖女様」と呼ぶ。……ただ1人を除いて。
そう考えると、私も彼と同じように他人から名前で呼ばれた事なんて、もしかしたら一度もないのだ。
ジャンゴは、続けて言った。
「……思い返せば、前の世界でもそうだったような気がする。自分より年下のガキどもに馬鹿にされて……。こういう人間だからさ……君を救い出せた時は、少し嬉しかった。初めて……誰かの為に本気になれた気がして……。俺には、昔から何もなかったから。無気力で……とうとう帰る場所もなくしちまった。……すまない。こんなジジイが、ダラダラと独り言を……」
「ううん。構いません」
そう言ってから私は、正面を向いて彼の事を真っ直ぐ見つめた。すると、それまで寝転がっていたジャンゴも何事かと察知して、体を起こす。
「……どうしたんだ?」
彼が、そう言った次の瞬間に私は、ジャンゴの……彼の事を思いっきり抱きしめてあげた。
「……!?」
ジャンゴは、とてもびっくりした様子で体を強張らせて……緊張した様子で最初は、固まっていたが、私が、彼の耳元で優しく囁いてあげた事で少しずつ落ち着きを取り戻し始める。
「……大丈夫ですよ。悪い事は、致しません。……ずっと、ずっと大変でしたね。今日まで生きていて……お疲れ様です。よしよし……。もう大丈夫ですよ。よく頑張りましたね……」
私は、優しく彼の頭を撫でながらギュッと抱きしめてあげた。……そんな事で、段々とジャンゴの瞳から涙が込み上げて来て……。
……しばらくすると、彼は私の胸の中で涙を流していた。最早、どっちが助けられたのかなんて分かりやしなかった。……私と彼は、それから日が昇るまでお互いに離れず……求め合い……そして、結ばれた。
私達は、きっとお互いに……似ている。居場所を失くし、あてもなく……誰からも話を聞いて貰えない。だからこそ、お互い初めて人の温もりというのを体験した。シャイモンから助けてくれた彼と……彼のこれまでの人生を肯定する私。
初めて会った時から感じていた運命は……今、確かなものに変わっていく。
――私は、自分の心の中で密かに誓った。……神を愛する以上にこの人を愛そうと……。
*
翌朝。あれだけ熱かったはずの夜が朝になる頃には、逆に寒くなっていた。火もとっくに消えており、急いで起きた私達は、服を着て……それから支度を始めた。……と言っても、私の着るものは……シャイモンが着せたこの踊り子の衣装しかないので……仕方なくこれに着替えた。
少し恥ずかしくなった私が、踊り子の衣装を着て頬を赤らめさせていると……そこに着替え終わった彼が、自分のジャケットを1つ貸してくれた。黒いロングコートで、私が着ると少しぶかぶかなのだが、朝の冷たい時間に着ると、とても暖かい。彼は、優しい声で告げた。
「……お前にやるよ」
そう言うと、彼はそのまま荷物を棺桶の中に詰め終えると、ずっと向こうを見つめ始めた。
――この大きな川のずっと向こう……何処までも何処までも続く赤い砂漠と荒野……。彼が見つめているのは、きっとこれから先の未来なのだろう……。
「……ねぇ? 1つだけ聞いても良い?」
彼が、こっちを向く。まだ何処か寂しさが残った表情だ。私は、彼に尋ねた。
「貴方の……本当の名前を聞かせて欲しい……」
すると、彼は一瞬だけ下を向き、しばらく何も言わなかった。だが、しばらくしてから太陽が私達を照らし始めた頃に彼は、告げた。
「……
「そっか……。
彼が、とても驚いた顔で私を見る。私は、彼の目を真っ直ぐ見つめて、言った。
「……とってもいいお名前ね。……さっ、行こ! 私達の……さすらいの旅へ!」
太陽が、私達の事を後ろから支えてあげるかのように照らしくれている。まるで、初めてこの世界から歓迎されたような気分だった。
私は、決めた。この人に帰る場所がないのなら……この人の傍に誰もいないのなら。私が、せめて憩いの場くらいには、なってあげたいと……。そのために……ずっと、これから先……危険な事はいくらでもあるかもしれないけど、ずぅっと……傍にいる。それが、聖女を辞めて……奴隷となった私が、本当に一緒にいたいと思った相手だから……。
~THE END~
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