第3話 入隊

イノシシを取り逃がした俺は、そのまま顔を上げて伯爵たちの方を見た。汗と、ケガと緊張のせいで俺はもう立つのも億劫になるほど疲れ果てていた。


伯爵はその一部始終を見届けて、しばらく黙っていたが

やがてにんまりと笑ってこちらを見た。


「はははっ!小僧!良い余興であった!気に入ったぞわしは」

彼はそう言って大変面白がった。


エレオノーラもその様子を見てほっと胸をなでおろした。


俺はその後、伯爵の従者とエレオノーラに手当てされながら

沙汰を待った。

結局伯爵は口約束ではあるが「エレオノーラと共に戦列に加えてやろう」、と言ってくれた。


俺とエレオノーラはその宣言を受けてやっと緊張状態

を解いた。




「やった!やった!ついにやったのよ!私、騎士として戦場に出られるのよ!!」エレオノーラは人目も憚らず、ぴょんぴょんと跳ねて喜んだ。


俺はエレオノーラ柄にもない女子らしい振る舞いをポカンと眺めて居た。


その視線に気が付いたのだろうか。エレオノーラはこちらを向いて少し頬を赤らめると、おほんと咳ばらいをして襟を正した。


「と、ともかく!これからは、あなたも伯爵の館に奉仕するのです。それなりの振る舞いはしてよ!」

「そして・・・」


「そして?」


「あ、ありがとう・・・!」

エレオノーラは目も合わせず、小さな声でぶきっちょに言った。

今までの様な、嫌々言っているのではなく今度は本当に感謝しているのだろう。

だからこそこんな風に気はずしくしている。


そんな彼女の様子を見ていたら、なんだかこちらまで

恥ずかしくなってくる。心臓がぞくぞくするとはこういう事を言うのか。

俺ははにかんだ。


しかしそれを見て、エレオノーラは

「キモッ!!笑うなよ!マジキモイ!!」

と照れ隠しに反発した。


俺はその声に目が覚めると、やっぱりこいつとは相性が悪いと思い

「うるせー!!感謝もまともに言えないのか!」と買い言葉をぶつけた。


せっかく大団円で終わりそうだったのに互いの言葉のせいで、

俺とエレオノーラはひたすら口喧嘩をしながら帰った。


ーーー


ともかく、我々は紆余曲折ありながらも伯爵の軍隊に参加することとなった。


エレオノーラはそれまで、従騎士(Esquire)として勤務していた。これは、騎士として叙任されていない若武者が、貴族の身の回りの世話をしたり、あるいは見習いとして戦闘に従事する階級である。

ここで活躍すると騎士として任命されて土地や軍事指揮権を任されることとなる。

彼女はそれによって男爵領の継承権を認めてもらおうとしていた。


一方の俺は、エレオノーラの叔父が言っていた「メンアットアームズ」に雇われた。これは、農民徴収兵のように戦争の時だけ駆り出されるのではなく、平時から訓練と治安維持の任務を負う職業軍人の事だ。給与は貨幣で支払われ、住宅も伯爵の近くにある集合住居で保証されている。もちろん、生活水準は高いとは言えないが農奴や貧乏市民のそれよりははるかにましだった。


俺はエレオノーラと共に伯爵の城館があるオーメンベルク市に向かった。ここは、皇帝直轄領として税が免除されておりかなりの賑わいようであった。

正確に言うと、この都市は帝国自由都市で伯爵の支配からは独立しているので、都市の首長はまた別にいる。しかし、伯爵はその首長を手籠めにし事実上の支配者として振舞っている。

都市の中央に立つ伯爵の館はその象徴だ。


しかしオーメンベルク市としては皇帝とのつながりが強い彼の影響下に置かれて益々財をなしているのだから、これと言って文句はない。



一方、田舎出身のエレオノーラは街の賑わいように圧倒されていた。


俺はそれを見て彼女をからかう。

「もしかして都会は初めてですか~?」


「なによ、あんたはまるで都会出身みたいん口ぶりね」


「ああ、そうさ。こんな街なんかとは比べ物にならないほどのな!!あの教会の尖塔よりも高い建物だらけだったぜ」

と俺は広場の中心に立つ教会を指さした。


彼女はそれに対して、ふんと鼻で笑うと「あんな教会、目でもないくらい大きいのよ、伯爵の城館は」とまるで自分ごとかのように言った。


俺はそれに「お前の館にはコケが生えてるじゃねぇか!」と苦し紛れに言い返した。


だが彼女は口下手な俺の様子に勝ち誇ったように見下ろした。


ーー

間もなく、我々は城館へとたどり着いた。

本当ならこの都市へやって来た者を出迎えるのは、

自由市の首長であるべきだ。

しかしながら、石造りの市庁舎の執務室にふんぞり返っているのは皇帝の義弟たる伯爵なのである。


彼は相も変わらず、鋭く獣の様な眼光で

机の上の書状とにらみ合っていた。

部屋は彼一人だというのに、妙な緊張感が張りつめていた。


そんな静寂を突き破る声が突如、響いた。

「失礼いたします」

エレオノーラが戸を叩いて、彼の執務室に入る。

俺も彼女に続く。


伯爵はそれに対して先ほどまでの睨みを利かせた顔を取り下げ、にこやかな表情で笑いながら手を広げた。

「やぁ、ようこそ!未来のパラディンよ!」


エレオノーラはそれに対して、平伏し挨拶をするにとどめた。

俺は部屋の端で、従前を装って遠目に彼女の背中を眺めた。


伯爵はエレオノーラに近づいて、彼女の肩を叩く。

そして、耳元で「よく尽くせ、そうすれば男爵領の継承権も認めてやらんこともない。お前は、優秀だ。それをよくわかっていてくれ」と呟いた。

エレオノーラは心の中で”人たらしだな”と感じた。


そして伯爵は彼女の返答も待たず、自分勝手に視点を今度は俺の方へと向けて来た。

「さぁて、なんだったかな。そうだ、お前が獣を抑えた奴だな。確かエレオノーラの叔父がメンアットアームズに推薦するんだったな?」


「そうです。ハヤトと言います」


「はやと?妙ちくりんな名前だな。それに・・・顔つきも獣のように凶暴だ」


伯爵はエレオノーラに対しては紳士的に振舞ったが

俺に対してはその限りではなかった。

彼は、”平均的な中世の人々の常識”で俺の事を判別した。


「ふぅむ。東方への遠征で見た遊牧奴隷は、お前の様な顔をしていたな。お前はさらに遠いところから来たのか?」


「はい」

と俺は答える。


伯爵は相も変わらず、表情の上では穏やかさを偽って頷いた。

そして次の質問には

「お前は神を信じるのか?」

と尋ねた。


俺は最初、なんと言おうか迷ったが伯爵の眼の奥に光る恐ろしい何かを感じ

すかさず「信じます」と条件反射のように言ってしまった。


その答えを受け、伯爵はゆっくりと口角を上げた。


「そうか、そうか。ならいい。ならいい」

と彼は言う。


伯爵はそれっきり俺にもエレオノーラにも何も言わなかった。

不気味な人間だとは思えど、何か腹の底には大きなものを抱えているということは分かった。


しかし、それが一体何なのかまで見抜く力は俺にはなかった。


ーーー


間もなく俺とエレオノーラは演習場へと連れてこられた。

せっかく来たオーメンベルク市から離れてしまった。


エレオノーラは少しがっかりしていた。

なんでも、伯爵曰くオーメンベルク市内には軍隊を置けないらしい。流石に、そこは弁えているようだ。


演習場、というのは言うなれば伯爵の常備軍の駐屯地でもある。

そこには野原を切り開いただけのだだっ広なグラウンドと

木でつくられた建物が何棟か立っていた。奥には、砦の様な軍事施設も見える。脇には攻城塔や投石機などの骨組みが置かれている。


俺はこの門をくぐった瞬間に、中世騎士としての人生をスタートさせるのだ。

もとい、メンアットアームズとしての人生を。

思えば、立ち止まって考える暇さえなかった。


ここをくぐってしまえば後戻りはできない。

俺は伯爵に「異国の戦野に骨を埋める覚悟はあるか?」と脅された。


だが俺はもうここまで来たら、迷う必要もないし

迷う気もなかったので「もちろんです」と大きな声で言った。

ーー


俺は早速荷物を置きに住居へと向かった。

流石に金持ちの伯爵というだけあってメンアットアームズの装備はそれなりに豪華だった。


彼らの纏うサーコートには厚手のチェーンメイルがしこんであり、更には体のあちこちには板金製の防具がついていた。


加えて直剣だ。直剣は盗賊やチンピラが

持っているようななまくらではなく、しっかりとした幅広のブロードソードだった。


しかし、入隊したばかりの俺にそんな装備をくれるほどここは甘くなかった。俺はまず、隊長から兵舎へ行けと命じられた。


兵舎はややボロく、木と粘土で組まれていた。2階建てで脇には大きな扉が付いた厩舎もあった。


俺はその兵舎の開け放たれた入り口から中へ入り、

石でできた階段を上へと昇った。


その兵舎はかつて、俺が暮らしていた日本の住居よりも天井が高く

なによりいたるところに十字のモニュメントが象られていた。


俺はそれをさながら旅行しに来た観光客のように眺めて居ると突然に「おい」と語気強めに呼び止められた。


俺は振り返り、その声の主を確かめる。

そこには背丈の大きな男が立っていた。彼は髪をそり上げて、あごには小さな切り傷があった。いかにも戦士らしい風貌だ。

「おい、お前何者だ?いったい誰の許しがあってここに入って来た?ここは伯爵軍の駐屯宿舎だぞ」


「その、伯爵様のお許しがあって来た。今日から俺はこの部隊に参加する」


俺がそう言うと、その男は眉を潜め

「こんなちっぽけな体でか?それに・・・お前、どこの人間だ?見たことない顔だな」

と訝し気に言った。


「俺は、ハヤトだ。・・・・かなり遠くから来た」


「ほぉう、それでこの隊に入るというのか。それにしたって

その細腕はなんだ?いったい何ができるっていうんだ」


男は俺を見るなり到底兵士になど成れないだろうと言った。

俺はそれに対して、何も言い返す事が出来なかった。

しかし心の内では「今に見てろ」と闘志を燃え滾らせていた。


そのまま俺は割り当てられた部屋へ向かった。

先ほど話した男に案内されたそこは、狭い部屋に4つばかしのベットが置かれているだけだった。


「お前はまだ見習いだ。それなのにどうゆう訳か騎士の推薦があるから特別にこの部屋を与えてやる」

と男は言って去って行った。どうやらこれでも、かなり待遇の良い方らしい。


俺はその背中を見送って、中へ入った。

部屋の中にはそれぞれのベットに人が座っていた。

俺のベットを覗く3つにそれぞれ1人づつ。


手前のベットに座る1人は根暗そうな男だった。彼は読み書きの練習をしているようで、そのために聖職の本を読んでいた。

もう1人は筋骨隆々な若者で、部屋の中で腕立て伏せをしていた。

そしてさらに部屋の隅に控えていた最後の1人は短く切り上げた髪が特徴的な女性ので、扉の方ではなく窓の外を眺めて居た。


彼らははじめ俺の方を少し見たが、数秒もしないうちに

直ぐにそれぞれの作業に戻って行った。


俺は彼らの様子を見て少し疑問に思いつつ、

取り敢えず荷物を置きベットの上で荷ほどきをした。


その作業に俺が没頭していると

「お前、新入りか?」

とさっそく奥の女性が話しかけてきた。


俺は「あぁ、ハヤトって言うんだ。よろしくな。あんたらの名前は?」と返した。


彼女はそれにふん、と鼻で笑うと「そいつは、お前が今度の戦で死ななかったら教えてやるよ」と言った。


「だいぶ、無粋な言い方だな。これから肩を並べて戦うってのに」


「・・・お前の座っているベット。そこに前まで居た奴も同じような事を言っていた。熱意とやらに溢れて、戦に夢見て、そして死んでいった」


「・・・」


「そんな奴ばっかさ。お前もそうなんだろう?戦場を舐めてると死ぬぞ」

と彼女は警告のように言った。


俺はその言葉にくさりながらも、心の中で少し怯んだ。

そしてこの日は緊張のせいか、あるいはその恐怖のせいか

すぐに疲れて寝てしまった。


ーー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る