遠征編

第25話 前線へ

ーーーー


「ほぉう、競技会で優勝して見せたのか」

伯爵は春先の洋光を馬上で浴びながら従者のもたらした報告に顔をほころばせた。


「はっ、エレオノーラ嬢の従士ハヤトという人物が優勝したとのことです」


「確か、そやつはこの間の攻城戦で生き残った兵士の内の一人であったな」


「そうでございます。呼び戻せば戦力になります。是非召し抱えましょう」

と脇の側近が言う。

エルデリック亡き今、伯爵の補佐はこの徴税監査官が務めている。

彼は子爵とは対照的に、狡賢く知略に長けていた。


「このように戦続きではメンアットアームズの数はいくらあっても足りないようなもの。これから先の戦況には彼のような古兵が必要になります。競技会に優勝したとなれば他の貴族にヘッドハンティングされるかも」

と彼は付け加える。


伯爵は真っ白な自分の髭をさすりながら

「とは言えな・・・所詮は末席の上位リーグ。厚化粧のヒルデガルドもいよいよ八百長がばれたと聞く。それほどの価値があるとは思えんな」

と慎重に言葉を発した。


「でしたら、メンアットアームズの補佐をする従騎士にしてはどうでしょうか?従騎士とは聞こえがいいですが、補佐なら給与も据え置きにできます」


伯爵はそれを聞くと頷いて、「知恵が回るなアルベルト。エルデリックとは大違いだ」と補佐官を褒めた。

それに補佐官は深々と頭を下げて「恐れ入ります」と形ばかりの礼を告げた。


ーーー 伯爵領北方 ルフトの森 ーーー


「ハヤト・マツザキ。貴様を今日を持って従騎士へ任じる」

低い声で体の大きな騎士が告げる。

俺はその指示に従って跪き、頭を下げた。


肩に剣の平を当て、騎士達が何か儀式めいた事を告げる。

教会の洗礼だろうか。或いは忠誠の誓いだろうか。


だがそんな事を考えているうちに俺の叙任式は終わってしまった。

「次の者、前へ」と屈強な騎士は命令を出す。


見ての通り、俺は従騎士に叙勲されたのだがその場所は教会でも城でもなくただ鬱蒼とした森の中だった。

しかも、俺一人のためなどではなく10人ほどが合同で任命されていた。


物語などでは大きな転換点として描かれる叙任式も、この様にぞんざいに終わることがほとんどのようだ。

騎士などというのは戦死や入れ替わりが激しく、貴族などよりも人数が多い。

そのためしょっちゅう叙任式というのは行なわれる。それは昇進の神聖な儀式というよりは、軍人が戦場で臨時に昇進する野戦任官のそれに近い。


この時も俺は伯爵領に集結しつつあった軍団に合流して、傷だらけの騎士から叙任を受けた。


俺は叙任式を終えて、数枚の銀貨を貰った。昇進祝いというには少なすぎる。それはさながら誰からはぎ取ったかのように薄汚れていて不気味だった。


「エレオノーラ!俺はやっと従騎士になったぞ!」

俺は早速エレオノーラに自慢しに走る。


しかしそれを聞いた彼女は少し笑うと得意げな顔をした。

このような顔をするときは、大抵自慢話だ。俺は心の中でめんどくさいな、と毒づいた。


「あら!おめでとう!実はね、私も昇進したのよ」

と彼女は鼻高々に言う。

「私は正式な騎士に叙勲されたのよ!これで、伯爵様の軍の士官の一人よ!」

と彼女は笑った。


「ふん、そうかい」

と俺は興味のないふりをした。しかし心の中では彼女に対する対抗心がめらめらと燃えていた。


ーーー 


それから俺とエレオノーラはその軍団と共に南下していった。

どうやら、教皇派の軍が蜂起した所領があるらしくその鎮圧に向かうらしい。


既に伯爵軍はその戦闘に参加しているそうで、俺とエレオノーラは従軍命令を受けた。

俺とエレオノーラは家に2日だけ滞在し装備を整えたら休む暇もなくすぐに出撃をした。


その数日後、我々は南部のアルマニーア公爵領へ入った。

ここは半島と神聖帝国を繋ぐ要衝としてアルマニーア公が長く治めていたが、先のプラディサート攻防戦の結果教皇派に支援された爵位請求者が武装蜂起。

そののちに都市同盟軍を引き入れて、公爵領は帝国派と教皇派に分かれて内戦状態に陥った。

戦線は入り乱れ、どこに敵が潜んでいるかわからないような状態だという。


俺とエレオノーラはまたぞろそのような激戦地に送られるのかとほとほと嫌気がさした。


「間もなく友軍の陣地があるはずだ。日が暮れるまでには到着するだろう」

と隊を率いる騎士が告げる。


俺とエレオノーラはもうへとへとだった。何せずっと歩き通しなのだから。


引き連れて来た馬もずっと乗っていられるわけでもない。

彼女の愛馬ぺトはもうへとへとで到底人が乗れるような状態ではなかった。


馬というのは繊細な生き物だ。労ってやらねばすぐにつぶれてしまう。

貴族はそのために何頭も馬を戦場に引き連れてくるものだが、軍馬などそう何頭も飼えるものではない。


「ペトはもう疲れたようだな」

と俺は馬の背を撫でながら言う。


「可哀そうに。こんなに長い行軍には慣れていないのよ」

とエレオノーラが立ち止まった。


「もう少しなんだろ?味方の陣地まで」


「まだ戦も始まってないのに、足を痛めると良くないわ。ぺトを休ませましょう」

そう言うとエレオノーラは隊列を離れて脇へ馬と共に逸れた。


俺はしばし行軍縦列から離れることを騎士に告げるため先頭へ向かって小走りした。


「エレオノーラとその従卒は、馬の整備のため少し遅れます」


「わかった。この先の陣地で落ち合おう。ただ、ここら辺は戦線が入り乱れている。敵の部隊が待ち伏せているかもしれん用心しろ」

俺はそれを聞いて少しおっかなく感じた。

指揮官は再び隊を前に進めた。


「ペトに暫く休憩させたら、出るわよ」

とエレオノーラ。


「ここらへんはもう戦場だ。森の木々の間から敵が現れるかもしれん。十分に警戒しないと」


「でも味方が通った後なら大丈夫よ。敵も本隊を見たら恐れるに違いないわ」

とエレオノーラは能天気な事を言う。

彼女は腕っぷしや知識については頼りになるが、いざ戦場に立った時の判断力というのにはやや疑問符が付く。


俺はそのせいで少し緊張していた。

休息だというのに、俺はあたりをきょろきょろと見回していつ敵が出てこないかなんて怯えていたのだ。


「そんなに緊張しても、敵なんか出てこないよ。交代で歩哨してるんだから大丈夫だよ」

と彼女は言う。


俺はそれを聞いても能天気なもんだな、と思いつつまた再び外を見回った。


暫く休んだ後、ペとが少し元気になったのでまた歩み始めた。まだ寒さが残るこの時期に、森の中を通るのは気が進まない。


「まだ心配してるの?小胆なのね、競技会では少しは見直したのに」

とエレオノーラは俺の方を振り返ってあきれ顔を見せた。

俺はそれに小声で

「不用心なお前が能天気で羨ましいわ」とやり返した。


だが運悪くそれが彼女の耳に入ってしまったらしい。

エレオノーラは歩きながらこちらを振り向くと少し眉を潜めて何か言おうとした。


しかしその瞬間彼女はべたっとした何かが顔に付着するのを感じた。

「何よ・・・これ?」

と彼女が顔を拭うとその手にはびっしりと鮮血がこびりついていた。


俺はそれを見て素早く身構える。

エレオノーラはそれを見て面食らったがすぐに気を取り戻し剣を引き抜いた。


血の主はさっき見送った味方の騎士だ。

彼は殺されて、或いは罠にかかったのか串刺しのまま木につるされていた。


俺はあたりを見渡す。草をかき分けると付近には友軍の遺骸が転がっていた。


「これは・・・」


「敵の待ち伏せにあったようね。こちらの補給段列を襲っているのか」

とエレオノーラは神妙な顔で述べる。

味方の死体から装備や武具の類は奪われていない。

その手口は敗兵狩りや、盗人のそれではない。


「まずいぞ。このままでは、俺たちもこうなりかねない」

俺は顔をあげ、エレオノーラに言う。


彼女は額に汗をかき、少し焦っているようだ。

かく言う俺も足元まで迫りつつある夕闇に恐れを抱いていた。


万が一夜中に襲撃されでもしたら、いくら腕が立つとて2人では持たないだろう。

俺達2人は互いに無言で向かい合いながらも底知れぬ恐怖を共有しあった。


影は足元からすでに腰まで上がってきた。

我々はこの闇に追いつかれつつある。

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