第24話 呪縛

ーーー

「お前は我がホルシュタイン家の希望の光だ」


「我々のご先祖は今の皇帝家に酷い事をされたんだ。

お前はその思いを受け継いで、復讐をするんだ」

父は私に毎日そうやって言い聞かせた。


やれ皇帝を殺せ。やれ家を復活させろ。

そんな言葉ばかりを、愛の代わりに投げつけた。


私はそれが嫌いだった。でもそれに口答えしようとすると、彼は手をあげた。


従順になるにつれて父は優しさを見せてくれた。

皇帝への呪詛を吐いている時だけは、父も父らしく振舞ったのだ。


そんな父もいずれは、反皇帝派への内通がばれて縛り首にされた。

「ヒルデガルド、私の仇を討て。皇帝を殺せ」

と処刑場へ向かう朝に彼は言った。


最期の日に私にかけた言葉は、私への愛ではなく皇帝への呪詛だったのだ。

やがて私も、何時かの父のように皇帝への呪詛ばかりを口にするようになった。


「皇帝は我らホルシュタイン家によって殺されなければならない」

「私はその為に生きている」


どうやらホルシュタイン家の血は私を放してはくれないようだ。


ーー

ヒルデガルドは試合会場の端の陽だまりに腰かけて少し昔の事を夢想していた。

それもかれも、皇帝が居るからだ。彼は我がホルシュタインの仇敵だ。


ヒルデガルドはコンラートを送り出した後に貴賓席へ向かった。

そして皇帝に表面上の愛想を振りまいて、彼の隣の席に座った。


彼女は夢の成就を前にして過去を思い出した。

本当なら今ここで懐に忍ばせてあるダガーを剥いて、彼に突き立ててやりたいところだが

生憎、護衛の騎士たちが目を光らせている。


加えて、皇帝専任のボディガードは別格だ。史上初の7冠達成。

他国のリーグでも勇名をはせた英雄、ローレンス。

今は目に見える範囲に居ないが、きっと会場内に居るに違いない。

そいつらが皇帝の周りに侍っている限りは、手出しができない。


ヒルデガルドは貴賓席に入って試合を眺めながら、皇帝の事をわき目でチラチラと眺めていた。

どのみち、狙いはコンラートが優勝旗を皇帝から受け取る時だ。今ではない。


彼女は再び試合に目を戻す。

あの男と小娘の事だきっと交渉に乗るに違いない。

特に、男爵領の継承権。口利きしてやるというのは我ながら良い画策だ。


ヒルデガルドは少し口角を上げて、自らの計画にほくそ笑んだ。



ーーー

試合が始まる。コンラートは静かに歩を会場の中へ向ける。

そして中心まで進み、相手と向き合った。


ハヤトはそれを見て、同じくコンラートの前まで歩み出た。

そして彼は試合開始の前に懐から何かを取り出すと右手に掲げた。


コンラートはそれを確かめるために目を細めた。

どうやらそれは灰色の袋のようだ。


ハヤトは覆いかぶさるとそれをコンラートへ向けて投げつけた。


彼は咄嗟にそれを避けて、剣を構えた。

それはどうやら金属が入っていたようで、地面にぶつかるとがしゃりと鈍い音を立てた。

「これは・・?」

投げつけられた袋からは金貨が溢れていた。


「俺はここに戦いに来たんだ!たとえ目的は金を稼いだり、男爵領の継承権であろうと自分に誇れない生き方はしたくない!だからその前金はまとめて返す!」

ハヤトは言う。さながらそれは雄たけびの様だった。


彼の放った言葉は旋風の様に会場を突き抜けた。

貴賓席の高官たちは何が起こったのか判らず動揺していたが、皇帝は静かにその成り行きを見守っていた。


「監査官!試合開始の合図を」

真っ先に叫んだのはヒルデガルドだった。

彼女は自身の不正が露呈するを恐れて強引に勝負を始めようとした。


ハヤトは再び剣を握り、その白刃をコンラートへ向けた。

コンラートは頭の中が混乱していた。


何なんだこいつは。どうして八百長に乗らない?

数十枚もの金貨だぞ?なんでこいつはそれを受け取らない。


コンラートはぎりりと歯ぎしりした。


それは単に八百長に乗らない怒りだけではない。

彼が自分に全力で挑んでくる事。いや、そのまっすぐさに腹が立つのだ。


「何をしているのです!?前へ出なさい!!」

ヒルデガルドが彼へ向かって命令する。


しかしそれを聞いてもコンラートは動こうとしない。

ヒルデガルドは怒り心頭で激しく彼を叱責した。


彼は気を取り戻し、再び攻撃を放とうとする。

しかしその時、不意に目に入った手のひらが妙に気を引いた。

自分の手など何度と見ただろう。しかし今一度じっくり見てみるとどうだろうか。

剣の練習でまめだらけじゃないか。


コンラートは何度かその事が妙に懐かしく感じた。

あぁ、そうかこれは確か子供の時に剣を振るいまくっていたからこんな風になっているのか。

なんだか頭を叩かれたような衝撃だった。


コンラートはそのままゆっくりと顔をあげて、ヒルデガルドの声に返答した。

「・・・うるさい」


「は?」

ヒルデガルドは耳を疑った。今”うるさい”と言ったのか?

彼女はコンラートが反抗的な態度をとった事を信じられなかった。


「うるさいんだよ、外野が!!」

コンラートは今度ははっきりと会場全体に伝わるような声で叫んだ。

これに観衆たちも静まり返った。


「決勝戦をやろう」

とコンラート。それは今までのような俯いた言葉ではなく、はっきりとした鮮明な宣言であった。


ーーーー

俺は試合前までコンラートの動きを研究した。

飛び込んでくるか、はたまた慎重に来るのか。

彼は大抵、この2パターンのどちらかで攻めてくる。


しかし決勝戦に来てみればどうだ。彼は形を崩して、実に自由な型で攻めてくる。

俺はもう考えるのは無駄だと思い、自分も思い通りに剣を振るうようにした。


試合や決闘はこの上なく緊張する。しかしこの時ばかりは楽しくて仕方がなかった。

俺は上段から袈裟切りにしようと剣を振るう。それにコンラートは素早く反応し、返す刀でこちらの肩を叩いた。


正確な一撃だが攻撃は浅い。

俺はすぐさま反撃に出て、下段を狙った。

コンラートの剣と俺の剣先がぶつかる。


俺と彼は鍔迫り合い越しに顔を突き合わせる。

「ありがとう、ハヤトくん。君は俺に大事な事を思い出させてくれた」


「・・・大事なこと・・・ッ?」


「そうさ!それはな!」

コンラートが蹴りで俺の事を突き飛ばす。


「何より、騎士競技が面白いという事だ!」

彼は清々しい笑顔で言った。


俺は強大な敵を前にしてますますやる気を出した。

そして剣を拾うと再び彼と向き合って、剣を上段に構えた。


コンラートも小細工なしに、それを迎え撃つ構えを見せた。

「さぁ、来い。ここで倒してやる」


俺は全速力で駆けて、大きく踏み込んだ。

コンラートは下段からのカウンターを狙っている。

だから俺は上段から剣先を逸らし、すんでのところで中段へ目標を切り替えた。


コンラートはちょうど右半身に構えて居たため、その動作が見えず一瞬反応が遅れた。

以前までであれば、難なく避けれていただろう。しかし今の彼にそれを避けるだけの反射能力は備わっていなかった。


俺はそのまま彼の無防備な横腹を打った。

コンラートは苦悶の表情で何とか踏みとどまった。がしかし、それももはや長く続くことはなかった。

彼は今一度剣を掲げようとしたがすでにそれだけの力が彼には残っていなかった。


そのままゆっくりとコンラートは膝をついた。

そして、静かに剣を下ろした。

彼は攻撃を受けた脇腹を抑えて、悔しそうな顔をにじませる。

「あと少し・・・・」

「あと少し、気づくのに早ければ・・・・・」


「あぁ、あんたの勝ちだったろう」

俺は肩で息をしながら、彼を見下ろした。


コンラートは首を垂れて、静かに語る。

「俺は剣技を競うのが好きだったんだな・・・今になってそれに気が付いた」

「この気持ちは、誰に強制されたわけでもなく俺が好きだったんだ・・・」

「気が付くのが遅すぎたがな・・・」

彼はそう語ると、ゆっくりと立ち上がった。その表情は負けたのに晴れ晴れとしていた。


「誇れよ、お前が勝ったんだ」

そう言うとコンラートは俺の腕を掲げて観衆と審査員に宣言した。


競技場の人々は一斉に立ち上がり歓声を上げた。

空には負けた賭券が舞った。


審査官が俺の名を勝者として紹介したが、俺の紋章が無くて掲げる旗が無いらしい。

困ったことに俺が勝つことを予期していなかったようだ。


そのジャイアントキリングのせいだろうか、普段の何倍にもまして客たちも喜んでいる。

皇帝も立ち上がり拍手を飛ばしている。


俺はその喝采に静かにお辞儀した。

ーーー

すっかり会場は沸き立って、大団円のムードだ。しかしそれでは納得できない人間がここに一人いる。

ヒルデガルドは凄まじい剣幕で一人競技場を去った。


そして、そのまま近くの教会へ行き、城の配下へ呼びかけた。

今彼女は皇帝の首を狙うための最終手段を取ろうとしていた。


ここまでくればもはや自暴自棄だ。ヒルデガルドもまさか、コンラートに裏切られるとは思っていなかった。


「今すぐ手勢100をここに集めなさい」


「お言葉ですが、女伯爵・・・・このような真似は無謀かと・・・」


「やかましいですわ!皇帝の首なくして教皇派は動きません!それに・・・・!ここで退いては私は何のために生きて来たんですの!?」

ヒルデガルドは外に聞こえるほど大きな声で叫び散らした。

もはや聞かれることさえ厭わない。或いはそれをどこかで望んでいるのだろうか。


どのみちヒルデガルドはもう止まれない。その生きる原動力が憎悪ならなおさらだ。

そんな彼女の様子に異を唱える者が現れる。

「女伯爵!お待ちください!」

そう呼びかけるのは透き通った若い女性の声だ。その声の主をヒルデガルドは知っている。


こいつはトーナメントに参加したエレオノーラとか言う小娘だ。


「・・・・小娘、なんのつもりですの?」


「なんのつもりも何も、私は皇帝陛下の封臣!主君を害そうとする奸臣を討つは騎士の習わしです」

エレオノーラはそう言うと剣をすらりと引き抜いた。


ヒルデガルドの護衛は今、腰の曲がった老従士一人だ。

騎士でもない彼女に勝ち目などない。


「女伯爵、この話は聞かなかったことにいたします。ですからどうかお考え直しを」

とエレオノーラ。


しかしそのような説得にもヒルデガルドの態度が翻ることはない。

「・・・・侮るな、小娘。私は単なる打算で皇帝の首を狙ったのではありませんわ」

「我がホルシュタイン家の悲願・・・!あの悪帝の首をあげる事こそ我が一族の血に課せられた義務なのですわ」

彼女はそう言ってすごんだ。


「・・・・それは女伯爵。単なる思い込みです!今や、貴方は一人の帝国貴族なのですよ?貴方は貴方の力でホルシュタインの歴史を紡いでいくことができる」


「黙れ!親の跡目にとらわれているあなたが言えた事ですの!?」

ヒルデガルドは凄まじい剣幕でやり返した。


しかしエレオノーラはその言葉にひるまなかった。

「・・・私も、最初こそ親の言いつけを守って家を守ることが定めだと思っていたんです。それが運命だから、仕方ないって」

「でも、私の従者の馬鹿がそんな当たり前を全部疑うような奴でしてね。しまいには”世界と戦う”なんて言っちゃうんですよ」

「可笑しくって仕方なくって。でも私、それで気が付いたんですよ」


「・・・・」


「世界って、本来もっと広いはずなんだって。サリカ法も司教様のお言葉ももちろん意味のある物だと思うんです」

「でもそれより昔から世界は続いていて、エデンの園から追放された後から何千年もたっていて・・・」

「そう考えると、私も私がやりたいように生きてみても良いんじゃないかって思ったんですよ」


「何が言いたいんですの?」


「女伯爵。我々自身を塞いでいるのは我々自身の思い込みなのですよ。言いつけも、今を生きる貴方を縛る理由にはならない」

「貴方は、貴方の道を生きないと」

エレオノーラははっきりと自身に満ちた表情で告げる。


ヒルデガルドはその言葉にやり込められたようで、暫く呆然としていた。

老従士はそのやり取りを緊張の面持ちで聞いていた。


やがて少しの時間が流れた後、ヒルデガルドはゆっくりと喉を震わせた。

「私は・・・・」

彼女は口に出しながらも、心の中で自問自答した。

---

”私は本当は、何がしたいんだ?”

”親の言いつけを守るためだけに、ホルシュタイン家の名誉を回復するためだけに生きて来た。”

”だが、その先には何がある?たとえそれを達成しても私を褒めてくれる父はもういない。”

”ホルシュタイン家の悲願とはなんだ?そもそも私は誰だ?”


”父祖の憎悪を背負って、果す為だけに生きる私は誰なんだ?”


「私は・・・・・」

ヒルデガルドはゆっくりと顔をあげた。

そしてエレオノーラの瞳を見つめ、最後に言い切った。

「私は、ホルシュタインだ」


その瞬間ヒルデガルドは懐に隠してあった短刀を引き抜いて、エレオノーラへ斬りかかった。

だがそんな甘い動きは手練れのエレオノーラには通用しない。


すれ違いざまにヒルデガルドは喉を斬られてそのまま倒れ伏した。


石畳の床には血だまりができ、段々とその範囲は広がって行った。

一太刀で綺麗に喉を潰されたからだ。


「女伯爵・・・残念です」

「せめて、安らかにお眠りください」

エレオノーラは静かに告げると剣をしまい、彼女に背を向けて立ち去った。

老従士はその様子を見て逃げてしまった。



ヒルデガルドは薄れゆく視界の中で、藻搔いた。

潰れた喉で必死に呪詛を叫ぼうとする。


「皇帝を呪う。この世界を呪う。教皇も呪う。私の人生をめちゃくちゃにしたあの男も呪う。許さない・・・ゆるさない・・・ゆる・・・」

しかしその声はもはや誰にも届かない。

それは彼女自身の言葉ではなく、ホルシュタインの声だ。

誰も聞く耳を持たない。コンラートでさえも彼女を見限ったのだから。


やがて血を失い、もはや気力もなくなってきた。

ヒルデガルドは静かに手を伸ばして最後にゆっくりと目を閉じた。



”あぁ、お父様ぶたないでください。”

”わたくしは、撫でられたいのです。”


”どうしたら喜んでくれますか?お父様。”

”皇帝を殺したら喜んでくれますか。”


”だれか私を愛してください。”


”おとう・・・さま。おと・・うさ・・ま・・・”



ーーー


コンラートは痛むわき腹を抱えながら静かに競技場を去った。

負けたにもかかわらず、彼の横顔は満足げであった。


何故なら彼は忘れていた騎士としての誇りと、競技への情熱を取り戻したからだ。


「思えば、最初に勝ったリーグもこのような気持ちだったのだな」

彼は静かに潰れた豆の跡を見ながら回顧した。

父から与えられた剣を、日が暮れるまで振るったあの日の夕方。

苦難の末に初めて勝ち取った優勝。

そのすべてがこの手に詰まっている。


思えばあの英雄譚も挫折から立ち上がる勇者の話だった。


もしかしたら、また俺も立ち直れるのかもしれない。

コンラートは静かに再起に向けて心を浮かばせた。




しかしその先に待っていたのは残念ながら希望に満ちた明日ではなかった。

「コンラート卿。貴公には皇帝陛下暗殺の嫌疑が掛けられている。競技会に負けたところ悪いが、来てもらおうか」


そう彼に告げたのは皇帝の近衛騎士達だった。

ヒルデガルドの計画はどうやら彼らに感知されていたらしい。


「・・・・そう、上手くは行かないか」

コンラートは空を仰いで呟いた。

そして自分の愚かさと罪の重さを静かに反省した。


近衛騎士の中から、一人の剣客が現れる。

無表情が不気味な男の正体は英雄ローレンス。皇帝の私的なボディーガードにして、神聖皇帝最強の騎士。

至上唯一の7冠達成騎士としてその武名は天下にとどろいている。


「お前とは確か、昔に一度会ったことがあったな」

と彼はコンラートに聞く。


「昔に上位リーグに挑んだ時にお会いしました」


「そうか」

「まぁそんな事はどうでもいい。俺は戦い以外に興味が無いんだ。やるならやろう」

ローレンスはそう言うと剣の柄に手を掛けた。


これはすなわち、決闘の合図だ。

コンラートは望外の喜びだった。こんなどうしようもない人生の最後を、剣士の風上にも置けないような自分を戦いの中で葬ってくれることに落涙した。


その熱意をもっと早く思い出していれば。と悔やむ間も今は惜しい。


「・・・感謝します。ローレンスさん」

とコンラート。


それにローレンスは少しおどけて「そりゃどーも」と言う。

「やりあう前に名乗ろうか。立派な苗字を持つおまえには必要だろ」


「いいや、俺はもう苗字は要らない」


「何?」


「俺は騎士コンラートだ。家名の為に剣を振るうんじゃない。俺は、俺自身の夢の為に剣を振るう」


「そうかい」


その会話を終えた瞬間に、コンラートは素早く抜刀し上段から斬りかかった。

しかしそれより僅かに早く、ローレンスの放った斬撃が彼の首を撥ねた。


コンラートは一撃で絶命した。


一閃に断ち切られても彼の死に顔は至福に満ちていたという。

いまや彼の名を思い出す者は誰も居ない。

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