第23話 決勝前

試合の終わりを監督官が告げる。

俺はあたりの歓声を聞いて、一息つくとゆっくりと剣を鞘に納めた。


そしてぬかるみで転んでいるエレオノーラの肩を抱き起した。

彼女は怪訝そうな顔をしていた。


「あんた・・・これで勝ったと思わない事ね」

と彼女はぼそりと言った。


確かに決め手は偶然のように思えたし、観衆もイマイチ盛り上がっていなかった。実際俺自身も何故パンチを打ったのかは分からなかった。


だが、ぬかるみに彼女を誘い込んだのは偶然ではない。

溶けかけの雪の中に、泥を見つけてそこへ追い込んだのは俺の作戦だ。


そこだけは胸を張って彼女に勝っていたと言える。


エレオノーラはそのまま俺に抱きかかえられるのが不満だったようで、歩けるようになったら俺の事を振りほどいて歩いて行ってしまった。


俺は仕方が無いのでそのまままっすぐ行って休息小屋の方へ向かった。

目的地の小屋は会場から少し離れた場所にある三角屋根のところだ。本来は森林官が監視の際に使う物らしいが、この祭りの間は彼らも休みだ。


俺は角を曲がり、その三角屋根へ向かって歩みだそうとした。しかしその時、ゆらりとした影が俺の前を遮った。

その背格好には見覚えがあった。彼は前回優勝者のコンラートだ。


「お前の戦いは見ていて面白い」

彼は俺と鉢会うと、いきなり口を開いて上から目線でそう言った。


俺はごくりと唾を呑んでその真意を測りかねて眉を潜めた。

「ありがとうございます・・・」

と形だけの礼を述べて俺はコンラートの顔を伺った。

この男は何か怪しい。出会ってからというもの、一度も人間らしい表情を見ていない。


そもそもこの大会自体、エレオノーラに誘われて参加したものの、上位リーグらしからぬ異様さがある。

試合内容は見世物と化し、主催者たちは売り上げの事ばかり考えているようだ。


男はそんな俺の考えを知ってか知らずか無表情でまた口を開く。

「・・・・お前は強いな。だが、俺はもっと強い。決勝では小細工は通用せんぞ」


俺はその物言いに少し驚いた。

彼の口から飛び出したのは、挑戦者に対する警告だったからだ。

厭世的な彼の様子からは想像もできない台詞だ。

てっきり俺は全部が無意味だとか、戦いを諦めろ、とか言われるのかと思っていたが違うらしい。


むしろ彼は戦いを望んでいるようだった。


ーーー


ヒルデガルドは不機嫌だった。

その理由は明白だ。故も知らない小僧と小娘に賭場を荒らされた挙句、長年練った計画まで破壊されかけている。


彼女はそのことにひどく腹を立てている。


「あんな餓鬼どもに、邪魔だてさせるわけにはいきませんわ」

ヒルデガルドは居城の自室で遠くの競技場を眺めながら一人でぶつぶつと呟いた。

彼女はドカッとそのまま椅子に凭れる。

そして自分を落ち着けるため静かに飲み物を口へ運ぶ。


だがしかし彼女の心は益々平静さを失っていく。

喉を通る水と一緒に妙な汗が喉を伝う。

冬だというのに。


彼女はゆっくりと振り返る。

そこには部屋の中心高く掲げられた父祖たちの肖像画が置かれていた。


彼らは言葉なく静かに訴える。

「皇帝を討て」


ヒルデガルドは静かにその言葉を反芻させた。

絵たちは訴えているのだ。否、命じているのだ。


彼らの家に、父祖たちに憂き目を合わせた皇帝を討てと。

ヒルデガルドはその霊圧に圧されて、手を震わせた。


「わかっておりますわ。父上、私の役割を」

とヒルデガルドは誰にでもなく壁に話しかける。


「わかっておりますとも・・・・」


それはさながら自己暗示の様であった。

ーーー

俺はエレオノーラと再び顔を合わせた。

正直、まだ気を悪くしているのではないかと心配していたが宿で待っていた彼女は案外ケロリとしていた。


俺はぎこちなく彼女のご機嫌を探ろうとしたら、

「いいよそんな風にしなくて。怒ってないわよ」

とあきれられてしまったほどだ。


「ほんとうに?」

と俺は訝しむ。


「本当よ!幾つだと思ってるのよ。あんなことでいつまでも不機嫌になるはずないでしょう?」

エレオノーラはそう言って静かにベットへ腰かけた。


俺はその様子に安堵しつつも、次の事を考えた。

次の事とは、決勝戦の事である。正直、決勝まで来れるほどの力が自分に身についているとは思っていなかった。

だから今更になって緊張してきてしまった。


「正直、組み合わせに助けられたのかもね」

とエレオノーラは少し嫌な言い方をした。

ちょっと意地悪だ。


「それはそうだが・・・」


「でも、その腕っぷしは戦争で生きて帰って手に入れたものでしょ?そこは自信にしていいと思うけどな」

そう言って彼女はあくびをするとベットに入ってしまった。


彼女なりの応援なのだろうか。或いはたわいもない一言なのだろうか。

いずれにせよ”気負うな”という意味には違いない。




翌日。俺は早くに目を覚ました。寝て居られなかったという方が適当か。


決勝はそれまでの小さな決闘とはわけが違う。

出店も見物客の数も先日の倍だ。おまけに、来賓には神聖皇帝までやってくる。


数ある競技会でも帝国が認可している公式トーナメントは10しかない。

それらは上位リーグと呼ばれて、参加者もレベルも普通のトーナメントとは一味違う。


そしてこのリーグは末席ながら帝国の認可を受けている。

だから皇帝も決勝だけは見に来る事になっているらしい。

さらに優勝した者は、皇帝陛下から直々にお言葉をえられるらしい。

俺はこの世界の生まれではないが、その意味の重大さくらいはわかってるつもりだ。


だから緊張しているのだ。


決勝戦は昼過ぎから行われるらしいので俺は身支度を整えて、とりあえず選手の控え場所へ向かった。

昨日までは森林官の小屋だったのに決勝戦になるや否や、城の部屋を貸し出して貴族の様にもてなし始めた。

おおむね、俺が負けると踏んでいたのと身分が低いからだろう。

だから俺はせめてもの反撃に思いっきりふんぞり返ってやった。


しかし使用人たちはそんなこと気にも留めず、せかせか仕事をしている。

俺はなんだか負けた気になって、それ以上に決勝戦前だというのにみじめな自分が恥ずかしくなった。


「お隣失礼いたしますわ」

俺がぼんやりと部屋の隅を眺めていたところにふと声が響いた。

相席してきたのは、やけに着飾った30歳ぐらいの女性貴族。


顔立ちはすっとして、目がはっきりしている。

気品ある佇まいに、丁寧な口調。そして何よりグラマラスな体型が印象的だった。


「申し遅れました。私、この街の守護と大会の責任者を任されておりますヒルデガルドと申します」

と彼女は言う。


「これは、女伯様でございましたか。とんだご無礼を」

俺が形式ばって礼を尽くそうとする。

それにヒルデガルドはぐいと体を寄せて

「ねぇ、あなたに折り入って頼みごとがありますのよ」と色っぽく言った。


「・・・なんでしょうか?」

俺は困惑気味に告げる。


ヒルデガルドはさらに体を近づけ、その低めな声で俺の耳元で囁く。

「今度の決勝、負けてくれません?」


俺は耳を疑った。しかし彼女は本気のようだ。

「無論、ただでとは言いません。まずはこちらを」

と彼女は懐から金一封を差し出した。

ズシリとした感触。これだけでも良馬が買えるぐらいの値打ちがあるだろう。


「もちろんそれはほんの一部ですわ。それに、お望みであれば・・・」

と彼女はずい、と体を俺の方へ寄せた。

俺はどくどくと心臓を鳴らして、少し平静を失ってしまった。


「何をなさっているのでしょうか?女伯爵」

エレオノーラが俺と女伯爵の間に割って入り、大きな声で告げた。

彼女の一喝で怪しげな雰囲気もきれいさっぱり晴れてしまった。



女伯はゆっくり彼女の方を向く。

「あら、これは。確か、エレオノーラさんだったかしら?」


「えぇそうです。何か彼に御用ですか?」

エレオノーラは睨みを聞かせながら高圧的に聞いた。


女伯は立ち上がって暫く眺めていたが、

「これは失礼いたしました。簡単な頼み事でしてよ。そんな怖い顔なさらないでくださいまし、貴方から彼を奪ったりいたしませんから」

と告げるなり踵を返して去った。


そして去り際に「あぁ、エレオノーラさん。貴方確か男爵領の継承権で揉めていらしたわね?同僚として貴方の上司に口利きして差し上げても構いませんわよ」とまたぞろ別の提案を告げる。


ヒルデガルドが部屋を出た。

彼女の去っていく背中を見てエレオノーラは「嫌味な女ね。怪しいったりゃありゃしない。けばけばしい顔立ちも変な若作りも嫌だわ」

と散々に言い放った。

そしてそれに続けて、机の上に置かれた金の袋に目をやった。

「それで、その金一封はどうするの?普通にやっても勝てないと思うけど」


俺は金貨を手に取ると、静かにそれを袋へ戻した。

「そんなの決まってるだろう?」


俺はそう言うと袋を懐へ入れて、会場へ向かって歩き出した。

ーーー

コンラートは静かにまた本を読んでいた。

彼はいつも、試合前にはこうしている。待機している場所も豪華な控室ではなく会場はずれの日陰小屋で従者も居ない。


試合前に決まって読むのは「英雄譚:東のグリントール」という寓話。

かつて競技会で勇名を馳せた騎士の物語だ。


彼は決まってその古びたページを一枚一枚開く。


「お時間です。コンラート様」

召使が呼びに来る。彼は静かに本を閉じると、立てかけてあった剣を手に取った。

本は読みかけのままで椅子の上に置かれた。


彼は歩きながら静かに息を吸う。


緊張というものを感じなくなってからだいぶ経った。

熱意という物からも遠ざかった。


若いころは大きなものに挑むのが至上命題のように感じていたが、今ではもうそんな物を見上げる気力もない。


コンラートは試合会場前までやって来た。

試合の開始を宣言する冗長な演説が会場に響いている。

そして奥の貴賓席には皇帝が現れた。


会場の観客たちは皇帝万歳を三唱し、諸手を挙げて歓迎した。


そんな様子をよそに、コンラートは会場の外側の影で静かにたたずんでいた。


「・・・・買収は提示いたしました。女騎士が邪魔しに来ましたが、金一封は受け取ったようですわ」

ヒルデガルドが何時の間にか彼の脇によって、八百長の内容を告げる。


それにコンラートは「わかった」とだけ返事した。相変わらず物憂げで、何を考えているのかわからない。

ヒルデガルドは少し癪に障ったので「本当にわかっておりますの?」と強めに聞く。


それにコンラートは一言も返さなかった。

彼は静かに剣を引き抜くと、歓声の中へ向かって歩みだした。


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